激痛
幸太郎は、ゆっくりと谷へ近づいて行く。
空気が重い、いや、『硬い』。
近づくにつれ、子供たちの泣き声や、悲鳴がどんどん大きくなっている。
腕の無い子供、足の無い子供、両目がえぐられ、
真っ黒な穴となっている子供。
耳が切り取られ、唇が切り取られ、舌が切り取られ、鼻が切り取られ・・・。
腹がばっくりと切り裂かれ、内臓が丸ごと無くなっている子供もいる。
頭が鼻のあたりまで割られている子も。
そして・・・全員泣いていた。
『お母さん、お母さん、助けて』
『痛いよ・・・痛いよう・・・』
『なんで・・・僕、悪い事してないよ・・・』
『あたしの腕・・・どこ・・・』
『帰りたいよ・・・うちに帰してよ・・・』
『見えない、何にも見えないの・・・』
『どうして私がこんな目に・・・』
『うわぁぁぁん、うわぁぁぁぁぁぁぁん』
『誰か・・・助けて・・・誰か・・・』
幸太郎はすでに涙が止まらなくなっていた。
どうして、この子たちが、こんな酷い目に遭わなければ
ならないのか? この子たちがいったい何をしたというのか。
どうして、死んだ後も、こんなに苦しまなければならないのか。
幸太郎は悲しみが止まらない。
涙が後から後から溢れて流れた。
(神様は、なぜ、こんな悲劇をそのままに・・・)
幸太郎の心の中に、一瞬、そんな怒りに似た考えが浮かんだ。
しかし、すぐにその考えを自戒する。それが何を招くのか、
今の幸太郎には『わかっている』からだ。
神や天使が、基本的に地上に・・・人間のやることに
不干渉を貫くのは、やむを得ないこと。
それはシャレや冗談で言っているのではない。
神や天使も涙をこらえ、耐えるしかないのだ。
それは、神や天使にとっての修行でもある。
幸太郎は谷になっている、枯れた沢のそばまで歩みを進めた。
おそらく、ここは大雨が降った時だけ水が流れるのだろう。
下を見ると、谷の底は土が被せられ、盛り上がっている。
おそらく、子供たちの遺体を下に投棄して、その上に
土を多めに被せたせいだろう。上流から下流の方へ、
盛り上がった土が50メートル以上続いているのが見える。
そして、その谷を夥しい数の子供の霊が漂い、歩き回っていた。
無事な姿の子供は1人としていなかった。
幸太郎は吐き気を感じた。子供たちの亡霊が発する苦しみや
悲しみの『霧』みたいなものが、辺り一面に充満しているせいだ。
普通の人でも寒気を感じるレベル。
『霊感』をオンにした幸太郎は、その影響をモロに受けている。
そして、谷のそばに来た幸太郎は、子供たちに向かって、
『やってはいけない』ことを実行した。
子供たちに向かって『交信』を使ったのだ。
幸太郎は『交信』の仕組みがよくわかっていない。
一度に何人まで交信できるのか。どのぐらいの範囲まで
効果が届くのか。
しかし、幸太郎は今できるフルパワーで
『交信』を限界まで大勢に向けて、
限界まで効果範囲を広げて使用した。
幸太郎が『交信』を使った瞬間、その場のほとんどの
子供たちの亡霊が、真っ黒い何も無い落ちくぼんだ目で、
一斉に幸太郎を見た。
それはそうだろう。例えるなら真っ暗な闇の中に、
突然小さな火が灯り、温かい人の声がしたのだから。
子供たちの亡霊が一斉に叫び出す。もはや何を言ってるのか
聞き取れないレベルで。
だが、そのほとんどの声が助けを求める声だ。
そして、次々に幸太郎にしがみついた。
子供たちの亡霊が叫び出すと、幸太郎の頭の奥で激痛が走った。
物理的な痛みではない。もっと奥の、根源的な痛みだ。
幸太郎の周囲の様子も激変した。
周りの木々が『血を流し始めた』。
子供たちの苦しみや悲しみを吸収し続けた木々は、
子供たちの叫びに共振している。幹から血が流れ、
枝葉からもボタボタと血が雨のように、したたり落ちてきた。
いや、それどころではない。『血の雨』はどんどん激しさを増し、
豪雨のようになってきた。
幸太郎は木々から降ってくる『血の雨』を頭からかぶっている。
もちろん、それは物理的な本物の血ではない。
幸太郎にだけ見えている現象だ。後方で待機している
モコ、エンリイ、ファルには見えていない。
幸太郎は頭痛に耐え、涙を流しながら、子供たちに向かって、
必死に呼びかけた。
「遅くなって申し訳ありません。今から、みなさんを
天へ送ります! どうか、話を聞いて下さい。
どうか、心を静めて下さい。どうか・・・」
しかし、幸太郎の呼びかけは、子供たちの亡霊には届かない。
全ての霊が今までの痛み、苦しみ、悲しみ、怒りを
幸太郎へぶつけてきた。それは、もはや悲鳴と絶叫。
猛り狂う黒い吹雪。怨念だ。
「申し訳ありません。遅くなって、申し訳ありません。
命を助けることが出来なくて、申し訳ありません。
皆さんの苦しみ、悲しみについては、私が代わりに謝ります。
どうか魂を鎮めて・・・」
幸太郎は涙を流し、必死に謝り続けた。
謝るより、他に思いつかなかった。
殺された子供たちの苦しみと悲しみに向かい、
いったい他に何ができるのか。
愚かな幸太郎。
200人を超える子供たちの亡霊の苦しみを、
たった1人で受け止めようとしているのだ。
謝り続ける幸太郎の胸に激痛が走った。これも肉体の痛みではない。
もっと奥の痛みだった。
そして、なおも涙を流し謝り続けた幸太郎の腹部、
へその辺りで、今まで以上の激痛が走った。
(今・・・重大な・・・決定的な・・・取り返しのつかない、
何かが・・・『壊れた』・・・)
幸太郎は耳から流血が始まった。いや、耳だけではない。
目から、鼻からも流血している。幸太郎は全身が震えだし、
ついには立っていられなくなり、膝を地についた。
「ご主人様!!」
モコ、エンリイ、ファルが慌てて幸太郎のもとへ走り出した。
「来るな・・・ここは人間の耐えられる場所では・・・」
幸太郎は、意を決し、子供たちの亡霊の泣き声を無視して、
『強制成仏』させることにした。自分の体が『動くうち』に、
子供たちを成仏させるしかない。
「『レスト・イン・ピース』・・・」
幸太郎を中心に光の輪が広がる。その光を浴びた子供たちは、
元の健康な姿に戻り、眠るような表情で光の粉になって
空へと昇って行く。
モコたちが幸太郎のそばに駆け寄る。
流血が続く幸太郎はもう、自力で立てない。
幸太郎はモコ、エンリイ、ファルに頼るしかなくなった。
「す、すまないが、肩を貸してくれ。もう、全員、強制的に
『成仏』させる・・・」
エンリイが幸太郎の左手を掴んで、肩を貸した。
モコが幸太郎の胴体に手を回し、支える。
その瞬間、モコとエンリイは驚いて青ざめた。
(ご主人様の心臓の鼓動が弱い! しかも、不規則な鼓動に!?)
(幸太郎サンの腕が冷たい! 明らかに体温が下がっている!)
幸太郎は右手を伸ばし、フルパワーで『成仏』を使い続けた。
そして、歯を食いしばりながら、上流から下流の方まで、
全ての子供たちの亡霊を天へ送り続けたのだ。
「よし・・・。これで、1人も残っていない・・・」
幸太郎は血まみれの顔で、微笑んだ。
「幸太郎様! まずは休みましょう! その様子は
ただ事ではありませんわ!!」
ファルは泣いていた。どうして、幸太郎はこんなにも
誰かのために必死になるのか。そして、何の力にもなれない
自分がもどかしく、悲しかったのだ。
その時、曇っていた空から、ぽつり、ぽつりと雨粒が落ちてきた。
幸太郎の体温低下を知っているエンリイは空を見て焦った。
「まずい! ファル、幸太郎さんの肩を! しっかり持って!
ボクは雨宿りできる場所を探す!」
エンリイは幸太郎の肩をファルに任せると、
猛烈な勢いで大木を梢まで登った。
そして、ホーンズ山脈の方をしばし見つめる。
「あった!!」
大木から降りてきたエンリイが幸太郎をおんぶした。
「ホーンズ山脈の方、大岩どうしが重なって雨宿りできそうな
場所を見つけた! 今日はそこでキャンプしよう!
モコ、ファル、もし敵が出たら任せるよ!!」
「任せて! 何が相手であろうと殺す!」
「了解ですわ!」
次第に雨音が大きくなってくる中、モコ、エンリイ、ファルは
幸太郎を連れて大岩の方へ走った。
目的の大岩の所へ到着。大岩が他の岩にもたれるような
構造になっていて、屋根の役割を果たしていた。
かなり広い空間。濡れてない場所だけでも10メートル四方はある。
高さは2メートルちょっと。雨が降り込む心配はなさそうだ。
モコ、エンリイ、ファルは『洗浄』の生活魔法を使い、
濡れた服の水分を飛ばす。
「大丈夫? 幸太郎サン」
「ああ、ちょっと休めば、良くなる、だろう・・・」
幸太郎はそう言って『陽光の癒し』を自分に使ったが、
顔色が悪いまま。真っ青だ。
(やはりもうダメか・・・意識のあるうちに・・・)
幸太郎は、もうわかっている。あとわずかで意識が無くなることを。
そして、もしかしたら、もう二度と
意識が戻らないかもしれないことも感じていた。
『根源的な何かが壊れた』という実感があったのだ。
モコが焚火を作るために枯れ枝などを探しに森へ行った。
エンリイは『風除けを作る』と言って、
森へ枝を切りに入って行った。
幸太郎の体はファルに託された。
幸太郎は地面に座ったまま、『マジックボックス』から
ベッドを3つと、毛布を出した。そして、魔法のコンロと
食料を並べる。さらにテントを出そうとしたところで・・・
『力尽きた』。
ぐらりと倒れる幸太郎を、ファルが慌てて抱きしめる。
「幸太郎様、幸太郎様!! しっかり!!」
だが、幸太郎は、もう何の反応も示さない。
さらにファルを恐怖させたのは、幸太郎の体が
『どんどん冷たくなっている』ことだった。
ファルは大声でモコとエンリイを呼んだ。
慌てて戻って来たモコとエンリイは、ファルに言った。
「ファル、服を脱いで! ご主人様の服も!
一緒に毛布にくるまって、ご主人様を温め続けて!
私は魔法のコンロで焚火を作ったら、エンリイと一緒に
風除けを作るから!」
「頼んだよ、ファル! ボクらは大急ぎで風除けを作る。
そしたら、少しはあったかくなるはず。今夜は全員で
幸太郎サンを温め続けよう。絶対、絶対、死なせるもんか!!」