番外編 地下牢での会話 2
その年の冬が近づき、バルド王国軍が引き揚げていく。
勝鬨をあげるジャンバ王国軍。ダグラス・グリーン辺境伯は
シャルル・ピシェール男爵に厚い感謝を述べた。
男爵は『礼には及びませんぞ』と笑った後、逆に謝ってきた。
「私の不肖の息子は、本当に気が小さくて・・・。
お役に立てず、申し訳ない。今年も結局、一度も前線へは
姿を見せずに終わってしまいました。我が子ながら、
なんとも情けない、あれでも長男なのに・・・」
「いいえ、前線で戦うばかりが貴族のあるべき姿ではないでしょう。
卿のご子息は、補給部隊として立派に責を果たしているでは
ありませんか」
「なんとも、ありがたいお言葉です。愚息にも卿を
見習ってほしいものです」
「人には『向き、不向き』があるものです。平和な時代が来れば、
コンスタン殿の手腕が重宝されるようになるはずですよ」
「そうだといいのですが・・・。
若き辺境伯よ、どうか、私が死んだあとも、
時折愚息を気に掛けてやってくだされ」
「何を気弱な事をおっしゃる。それに心配には及びませんぞ。
ピシェール男爵には幾度も助けていただきました。
その御恩をお返しせねば、当家の名が廃るというもの。
そうだ。私には娘が1人おります。まだ、幼いですが、成人したら
コンスタン殿の子供に嫁がせましょう」
「ありがたいお話ですが、さすがに気が早いでしょう。
されど、その言葉には感謝いたします。辺境伯家と
強い絆があれば、私も安心です」
こうして、戦場での口約束ではあるが、グリーン辺境伯家と、
ピシェール男爵家との間で婚姻の約束ができたのだ。
ただ、『まだ戦争は終わっていない』という事と、
『さすがに気が早い』という理由でシャルル・ピシェール男爵は
戦争が終結するまで伏せておいて欲しいと願った。
ダグラス・グリーン辺境伯も、これに同意。
一応、グリーン辺境伯は病で臥せっている父親にだけは、
この約束を話している。
そして、この話はダグラスの父親の『飲み友達』だった
ギブルスにだけ、伝わったのだ。ギブルスはダグラスの父親との
友誼のため、この戦争で多大な支援をジャンバ王国軍にしていた。
バルド王国のコムノー辺境伯には申し訳ないことだが、
ギブルスは『どう考えてもコルト王は暗君。危険すぎる』と考えていた。
この婚姻の約束をギブルスが知っていることは、
グリーン辺境伯は知らされていない。
そして、戦争の終結した年。ダグラスの両親が他界。
その後を追うように、シャルル・ピシェール男爵も他界したのだ。
婚姻の約束を誰にも話さぬままで。
『なぜ、誰にも話さなかったのか?』
理由はいくつも考えられるが、もはや真相は誰にもわからない。
「で、では・・・私が何もしなければ、長男か次男が・・・」
ピシェール男爵は牢屋の中で苦悶の表情を浮かべた。
「セドリックが流行り病で死んだ以上、卿の息子のうち、
誰かが、次の辺境伯になっていた」
「う・・・うう・・・」
さすがにこれはショックだったのだろう。ピシェール男爵は
ガックリとうなだれた。もう、虚勢を張る気力も無い。
コンスタン・ピシェール男爵の計画が『反乱』扱いになった以上、
家族は全員処刑されるだろう。ピシェール男爵の兄弟も全員だ。
コンスタン・ピシェール男爵の兄弟の中には、
男爵領に住んでいない者もいる。
だが、そんなことは関係ない。
『反乱』扱いになったからには死んでもらうしかない。
罪があるか無いかなど、どうでもいいのだ。
『生きてるだけで都合が悪い』。
貴族の家に生まれた以上、それは心臓が動いている限り、
絶対に逃れることはできない。自分が貴族の家に
生まれた不運を呪うしかないだろう。
ピシェール男爵家は取り潰しになり、途絶えることになる。
ダグラス・グリーン辺境伯は、恩人の子供と孫を処刑し、
男爵家を消滅させなければならないのだ。
当然、グリーン辺境伯はこんな事を望んでやるわけではない。
むしろ心情としては『絶対やりたくない』と思っている。
しかし、辺境伯という肩書は、洒落や冗談で
ついているわけではないのだ。
貴族は生まれた時から、知らない誰かの責任を背負っている。
その責任は、死ぬまで、一度たりとも『休日』が無い。
そう、死ぬまで。
『このことを、シャルル・ピシェール男爵の墓前に、
いったい何と報告すればいいのか?』
グリーン辺境伯は悲しくて仕方なかった。
しかし、それでも泣き言は言えない。言ってはならない。
責任を背負っているからだ。
グリーン辺境伯が帰った後の地下牢には、ただ、嗚咽の声だけが
ずっと続いていた。
ギブルスが『幸太郎たちには知らせない方がいい』と判断したのは
正解と言えるだろう。知ったところで何も変わらないし、
何もできないことに無力感を感じるだけだ。
特に、モコとエンリイはこの残酷な結末に悩み、場合によっては
『他に何か手は無かったのか』と
自分を責めるようになるかもしれない。
『おっさん』
歳を経たからこそ、耐えられることもある。
もし、この事を幸太郎が知ったならば、『アイツ』の仕業と
断定するはずだ。この『乗っ取り劇』は、成功、失敗、どちらに転んでも、
関わった人間は悲劇に苦しむことになる。
いや、はっきり言うなら、計画を阻止した方が
苦しむ人間は多いように『できている』のだ。
そして、それを見て、ゲラゲラ笑う奴が1人いる。
『ルキエスフェル』
彼は、幸太郎にそう名乗った。
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