イベントの準備をしよう 4
リヴィングストン侯爵から、大急ぎで密使が
グリーン辺境伯とピシェール男爵の騎士団長ボーマンへ
送られる。『探していたものが見つかった』と。
ボーマンは計画を決行した。
まず、コンスタン・ピシェール男爵の妻3人を
『お話がございます』と呼び出し、紅茶の中に
『意識を失う薬』を入れ、テーブルに3人分用意した。
夫の『辺境伯家乗っ取り計画』を
初めて聞いた3人の妻たちは、真っ青になった。
よもや、夫がそんな恐ろしい計画を実行していたとは
知らなかったのだ。当然『これは中央政府から
反乱と認定されるのでは?』と不安な顔を見合わせた所で、
3人の妻たちは、次々意識を失いソファーに倒れていく。
ボーマンが、妻たちが苦しまずに死ねるようにした。
即死するほどの猛毒をナイフにつけ、腹を刺す。
妻たちは意識が無いまま、死亡。
歴戦の勇士でもあるボーマンは涙は流さなかったが、
数分、立ち尽くしたまま、動けなくなった。
やりたくてやったわけではないのだから。
主に刃を向けるなど、騎士としては耐え難い苦痛。
次に、長男と次男をボーマンと、その副官で殺した。
これは作戦も何もなく、そのまま後ろから剣で刺しただけ。
愚かな計画のツケを払うだけなのだ。
痛みも苦しみも自業自得であり、
むしろ祖父の勇名が轟くピシェール男爵家の子として、
苦しまずに死ぬなど恥というものだろう。
そして、一番やりたくないことの番がやってきた。
3男のカールには、全てを話した。
父親がやった愚かな計画。
その結果、国家に対する反乱と認定されたこと。
すでに長男と次男、3人の妻たちは
冥界へ旅立ったことを告げる。
その後、4男、末子のロンを救う策を
グリーン辺境伯とリヴィングストン侯爵で考え、
身代わりの首も用意できて、
すでに準備が整ったことを報告した。
「そうか。あとは私の首があればロンは助かるのだね?」
「はい。申し上げにくいことながら、カール様は、
ヨッカイドウへ何度か赴き、
他の貴族の方々に顔を憶えられている
可能性が高いのです。
グリーン辺境伯とリヴィングストン侯爵も、
残念ながら身代わりが通用するのはロン様だけだと、
おっしゃられております」
「そうか。わかった。つらい役目をさせてしまったようだな。
・・・お前にはいつも苦労をかけてばかりだったね、ボーマン」
「もったいないお言葉・・・。ロン様のことは
リヴィングストン侯爵がシャルル様の名に誓って、
必ず助けるとおっしゃられておられました。
後はリヴィングストン侯爵にお任せして良いかと存じます」
「では、ボーマン。グリーン辺境伯に
お詫びを申し上げておいてくれ。
そして、グリーン辺境伯とリヴィングストン侯爵に
ロンを頼む、と」
「いいえ、私は仕事を終えたら、すぐにカール様の
後を追います。
・・・あの世でも、私をおそばに
置いてくださいますか?」
「もちろんだ。あの世へついたら、
また私に剣の扱いを教えてくれ。
おっと、まずはおじい様に謝りにいかないとな。
一緒についてきてくれるね? ボーマン。
さすがに1人では心細い。
おじい様から雷を落とされるであろう。
はっはっは!」
この気丈なカールの受け答えに、
ボーマンの副官は涙をこらえきれなかった。
まだ14歳だというのに、見事な覚悟である。
死を受け入れ、なおも前を向く。
その表情と澄んだ目に陰りはない。
とても子供とは思えないほど。
もし、ピシェール男爵家の跡を継ぐことがあったなら、
シャルル同様の名君と謳われたはずだった。
跡を継がずとも、きっと世に名を轟かせただろう。
貴族の矜持が魂に宿っているのだから。
小心者の父親、強欲な長兄、見栄っ張りの次男。
辺境伯家乗っ取りなどという、
寄生虫のようなみみっちい計画を立てた
この3人は、祖父シャルルに全く似なかった。
一番似たのは、孫の中の3男のカール。
この世は、余程皮肉な悲劇がお好きなようだ。
何処の世界でも、戦いと悲劇ばかり。
カールはロンの部屋へ行くと、2人きりで話をした。
全てを告げた。
自らの死と家族の首との引き換えに、
ロンだけは助けるという計画も全て。
ロンは泣きじゃくった。
涙が後から後から溢れてくる。
「カール兄様、嫌です。私も連れて行って下さい。
私も一緒に死にたいです。いえ、逃げましょう!
どこまでも逃げるのです! どんなに惨めでも死ぬより
いいはずです!」
カールはロンの涙を優しくハンカチでぬぐう。
「お前には辛い思いをさせて、すまない。
私は逃げるわけにはいかないんだよ。
他の者たちが責任を取らされることになるだろう。
きっと祖先の墓も壊されてしまう。
それでは先祖の霊に申し訳が立たない。
ピシェール男爵家はここで終わりだ。
しかし、お前が生きていれば慰霊もできるし、
墓の手入れもできるだろう。
ロン、おじい様の墓をお前に託したい。
これを頼むのは危険を伴い、苦しいことだとわかっている。
だが、お前にしか頼めないのだ。どうか、この男爵家の
墓を守っていってほしい。
・・・頼めるか? ロン。私の最後の頼みだ」
「カール兄様は死ぬのが・・・死ぬのが怖くないのですか?」
「・・・怖いさ。だけど、それよりも、
お前に生きててほしいんだ。
ロンが生きていれば、お前の中で、私の心も生きている。
私の心は、お前の胸の奥で、永遠に消えることはない。
いつでも一緒だ」
カールは繰り返し繰り返し、ロンを説得した。
涙は見せない。
死を目前にした14歳とは思えない胆力だ。
これが、これこそが本物の貴族というものだろう。
ついにロンは承諾した。
カールの覚悟が伝わり、その優しさが
ロンの心を包み込んだのだ。そしてロンには、
『自分は立派な兄の弟なのだ』という誇りが芽生えた。
兄から授かった愛は、胸の奥で永久に消えない。
消させない。
カールとロンは、しばらく懐かしい思い出話に
花を咲かせる。兄弟の最後の思い出の時間。
死を前にした、ほんのわずかな幸せ。
なぜ、世界はこうも美しく、残酷なのか。
人は、道を探し、さまよい、力尽き、死んでゆく。
死んでゆく・・・。
ロンはリヴィングストン侯爵の部下に保護され、
歴史から消えた。
その後ろ姿が見えなくなったとき、
初めてカールは泣いた。ぽろぽろと涙をこぼした。
これほど美しい涙を流す者が、どうして死ななければ
ならないのか。
ボーマンもついに涙がこらえきれなくなった。
世界は理不尽だ。
あまりにも世界は理不尽だ。
ロンがどこへ行ったのか、今の名前は何か、
それを知る者はほとんどいない。
ただ、数年後、時折、ピシェール男爵家のお墓を
掃除する青年が現れるようになった。
どこの誰なのか。
どこから来て、どこに帰るのか、
その青年は答えない。
ロンを逃がし、全ての準備が整った。
時間稼ぎが功を奏したのだ。
グリーン辺境伯とリヴィングストン侯爵は
ピシェール男爵領の中心都市パロタールへ入った。
わずかな小競り合いがあった程度で、
戦争といえるものは起きていない。
ピシェール男爵家の家族の首検分が済み、
グリーン辺境伯とリヴィングストン侯爵が
『全員間違いない』と確認のサインをする。
そして全てヨッカイドウへ送られることになった。
反乱を起こした者はさらし首にされるのだ。
騎士団長ボーマンも最後の仕事が終わるとその場で自決。
これで『ピシェール男爵の反乱』騒動は終結となる。
ボーマンの顔は微笑んでいた。
その誇り高き死にざまは騎士の鑑といえよう。
グリーン辺境伯とリヴィングストン侯爵は、
そのままシャルル・ピシェールの墓へ行くと、
『しばらく3人だけにしてくれ』と部下に命じ、
墓の前で無言で立ち尽くした。
2人はシャルルの墓の前で微動だにせず、
墓を見つめ続けている。
心の中で彼らは何を話しているのだろうか。
その様子を見た部下たちは、皆、涙をこらえきれなかった。
グリーン辺境伯とリヴィングストン侯爵の
背中が泣いていたからだ。
男とは不器用で、生まれついての馬鹿なのだ。
ジャンバ王国の中央政府はピシェール男爵家の墓地を
壊す決定を取り消した。
これはグリーン辺境伯と
リヴィングストン侯爵が嘆願したせいである。
『戦友の墓を壊すに忍びない。あの世でシャルル殿に
合わせる顔がない』
この嘆願に多くの貴族が理解を示した。
それに相手は辺境伯と侯爵だ。下級貴族とはわけが違う。
下手に突っぱねて関係をこじらせると別の問題が
発生しかねない。
なにより、もうピシェール男爵家は
『全滅』しているのだから、墓地ぐらいいいだろうという
結論になった。
『反乱』扱いになったにも関わらず、
ピシェール男爵家は
全員、先祖代々の墓地に手厚く弔われた。
異例の出来事ではある。
幸太郎は『ピシェール男爵家の息子たちは降伏したんだ』と
思った。これは表向き、一般市民への発表と同じ。
ピシェール男爵家の騎士団長ボーマンが
4人の息子たちを殺し、
『シャルル様の墓を壊さないで欲しい』と
懇願したというのが首都ヨッカイドウなど、
他の貴族たちへの『裏の発表』だ。
中央政府や有力貴族には、
4人の息子たちの首と共に、この話が伝わっている。
国王や宰相などは、これが真相だと思っていた。
そして、『本当の話』は、今述べた通りだ。
知っている者は、ごく少数。
グリーン辺境伯家では、ダグラス・グリーンと
執事のフランク、そしてヴィンフリートは知っている。
しかし、それ以外では
エメラルド嬢やシャオレイすら聞かされていない。
いや、知らない方がいいのかもしれない。
聞いたところで辛いだけだろう・・・。
カールはあの世で祖父シャルルと会えた。
シャルルは大粒の涙を流し、
カールを力いっぱい抱きしめた。
シャルルがカールにどんな言葉をかけたのか?
それは記す必要はないだろう。
どうしても知りたいと思うのなら、
自分の胸に聞いてみればいい。
きっと魂は教えてくれる。




