分岐点 7
ゴルモラ王国の首都、ソルセールはわずか1時間以内で滅んだ。
脱出した十数人の住民はいたが、それ以外は全員死んだ。
重傷、軽傷とかではない。老若男女、全員が死に絶えた。
セリスとバーバ・ババに殺されたのだ。
セリスとバーバ・ババ、バーバ・ヤーガはセリスの夫、その兄弟、
そして娘のニーナを荼毘に付した。
もう、これで、誰も彼らを傷つけることはできない。
彼らの魂はバーバ・ヤーガが『成仏』をかけた。
地上に留まれば、痛みと苦しみで彷徨う魂になってしまうだろう。
もう苦しむ必要は無い。霊界に戻り、まずは眠るのだ。
セリスはソルセールで拾ってきた壺に、遺骨を納めた。
そして、壺を抱きしめながらバーバ・ババとバーバ・ヤーガに
お礼の言葉を述べる。
「ありがとう。家族を取り戻せたわ。そして、仇も討てた。
本当にありがとう」
セリスは優しく微笑んだ。バーバ・ババは言葉が出ない。
バーバ・ババが『何か言わなくては』と考えていると、
セリスは突然、空へ向かって呼びかけた。
「リーブラ様。ありがとうございました。おかげで家族を取り戻せました。
もう十分です。満足いたしました。お約束通り、私の魂を渡します」
すると、セリスの背後にいきなり『女神リーブラ』が出現した。
しかし、バーバ・ババはセリスとリーブラの間に割り込んだ。
「あなたが『女神リーブラ』か。初対面だが、
時々こちらを見ているのは気付いていた」
そう、リーブラはバーバ・ババとバーバ・ヤーガに興味を持ち、
時々遠くから見ていたのだ。
もちろん、リーブラに戦う気はないので、
邪魔をしないように『見る』だけにしていた。
リーブラがセリスを知っていたのは、こういう経緯だったのだ。
バーバ・ババのそばにいるセリスを見て、その魔力の才能が
印象に残っていたというわけである。
「リーブラよ、セリスと契約していたようだが、残念ながら
友の魂を渡すわけにはいかん。今すぐ立ち去れ」
バーバ・ババは、スキル『磁力界』を発動。
辺り一面の空間を支配した。
「例え、大悪魔であろうと、この『磁力界』の中では
無事に済むとは考えない方がいい。
誰であろうと! 全ての武器! いかなる魔法! どんなスキルも!
我が『磁力界』の影響から逃れることはできぬ!!」
バーバ・ババはリーブラの返答を待たずに先制攻撃を入れようとした。
『重磁力弾』を100個、空中に浮かべた。
周囲の空間が歪んで見える程の凄まじさ。
大悪魔と戦うのであれば、当然の選択だ。いちいち『せーの』で
戦うなど愚の骨頂である。
だが・・・バーバ・ババは攻撃を思いとどまった。
いや、できなかった。
「待て・・・早まるな」
リーブラは穏やかに言った。その顔は、悲しみに苦しんでいる。
バーバ・ババは驚いた。度肝を抜かれたと言っていいほどに。
悪魔が悲しむなど、聞いたことも無ければ、思ってもみなかった。
無論、相手は悪魔なのだ。
これがただのフェイクという可能性の方が高い。
しかし、バーバ・ババには、それがどうしても偽りには見えなかったのだ。
「バーバ・ババよ。お前の力は、ある程度知っている。
気付いていたようだが、お前の、いや、
お前たちが代々受け継いでいる力に興味があったので、
確かに時々見ていた。
お前の言う通り、正面切って戦えば、私とてただでは済まん。
取り返しのつかんダメージを受ける可能性が高い。
・・・負けることは無いだろうがな。
しかし・・・私はお前たちと戦いたくないのだ・・・。
嫌だ・・・戦いたくない・・・。
私と戦えば、お前は死ぬ。
バーバ・ババよ、お前はセリスにさらに苦しめというのか?
これほどの悲しみを背負うセリスに、
さらに重荷を背負わせようというのか?」
バーバ・ババは言葉に詰まった。口先だけの誤魔化しなら、
躊躇せずに先制攻撃を叩き込んでいただろう。
だが、リーブラは本気でセリスを気遣っているように思えた。
何より、リーブラは『隙だらけ』だった。
バーバ・ババには見えるのだ。
リーブラの魔力に『全く戦う気が無い』ことが。
リーブラの魔力は平常どころか・・・小さく、しぼんでいた。
そしてリーブラの顔は、今にも泣きだしそうだったのだ。
「それに、セリス自身が望んでいる」
セリスはバーバ・ババに微笑んで感謝した。
「私を気遣ってくれるのね。ありがとう。
あなたには助けてもらってばかり。
本当に最後の最後まで、友達でいてくれるのね。
感謝しても、しきれないくらい。でも、私は満足したの。
授かった力で、ニーナも助け出せた。仇も討てた。
これ以上、夫もニーナもいない世界で生きていく自信はないわ・・・。
後はお墓を作ったら、私の、この世での仕事はお終い。
だから、リーブラ様に、約束通り魂を『対価』として、お渡しするの。
それくらいしか、感謝を示す方法がないから」
「私とバーバ・ヤーガがいるだろう!」
「ううん、それはダメ。あなたたちには使命があるもの。
あなたたちの力で、救うべきものがあるから・・・」
「そんなことを言うな! 共に行こう! リーブラとは
私が交渉するから!」
セリスは微笑んで首を振るだけだった。
ここでリーブラが口を開く。そして驚くべき提案をした。
「セリスよ。お前の魂は取らぬ。私の従者となれ。
私には理想がある。その理想を実現したくて悪魔となった。
私は・・・全ての宗教を滅ぼしたいのだ。
宗教こそ諸悪の根源だと思わんか?
会ったことも無い『神』の発言を捏造し、
『開祖はこう言った』
『教義はこうだ』
『聖典にこう書いてある』と
自分で考えることを放棄し、誰かの考えた戯言を
金科玉条として、他人を殴り、貶めることに利用している。
相手の反論は『神の意向に逆らうのか』で切り捨ててな。
亜人、獣人への差別も、元はと言えば宗教が捏造した
『奴らは人間の出来損ない』が発端となっているのだ。
この世界は狂っていると思わぬか?
神々が地上に直接手出しできないという理由も
わからないではない。
アステラやムラサキの言うことも理解できる。
だが・・・。
私は『今日より、もう少しだけマシな明日』を作りたいのだ。
かつて私も絶望と、悲しみを味わった。
怒りの炎は、今なお燃え続けている。
決して消えることはないだろう。
セリスなら、きっと私の考えを理解し、良き協力者と
なってくれるはずだ。
確かに悪魔の眷属になるのは、ためらわれるだろう。
しかし、私に協力してくれまいか? お前が欲しいのだ」
セリスはしばし呆気にとられた。
考えもしなかった提案だったからだ。
だが、セリスはリーブラの言葉にシンパシーを感じた。
そして同じような絶望と辛酸を味わいながら、全く違う答えを出した
リーブラに尊敬の念を禁じえなかった。
悲しみと絶望を背骨とし、灼熱の怒りを、その両腕と両足に込めて、
血と泥の中から立ち上がった女性の姿がそこにあった。
(リーブラ様は、私よりも遥かに器の大きな人・・・)
セリスの答えは、もう決まっていた。
「はい。喜んで。もとより、この魂はリーブラ様に
お渡しする約束。どこまでも、お供いたします。
何なりとお申し付け下さい」
バーバ・ババは、セリスの言葉を黙って聞いているより、
どうしようもなかった。
セリス自身が、それを望んでいるのだから。
それはセリスとの決別を意味している。
リーブラは、バーバ・ババにも声をかけた。
「・・・無駄かもしれぬが、どうしても聞いておきたい。
どうだろう、バーバ・ババよ。お前も私に力を貸してくれまいか?
こんな汚く、腐った世界は、もううんざりだ。
神の名を振りかざし、神の名を商売に使い、
ささやかな幸せを望む人々が馬鹿を見るような世界は、
もうたくさんだ。
神がやらぬというのなら、私がこの世界を変える。
きっと、世界を変えてみせる。無論、すぐには実現しない。
様々な用意や実験が必要だ。
無関係な犠牲者が出ることもあるだろう。
それに時間がかかるのは否定できない。
だが、今より、もう少し良い世界にすることを約束しよう」
バーバ・ババは、言葉でなく、表情で返答した。
『ついて行かない』と。
なぜならバーバ・ババにはわかっている。
『リーブラの理想は実現しない』、と・・・。
それでも抗おうというリーブラの覚悟には敬意を抱かずには
いられない。しかし、リーブラについて行くことはできないのだ。
リーブラは小さく溜息をつくと、微かに笑った。
「・・・そうか。では、ここでお別れだな。
気が変わったなら、いつでも呼んでくれ」
セリスはバーバ・ババの手を握り。
『今までありがとう』と言って、涙した。
バーバ・ババは泣きながら『考え直せ』と言うのがやっとだった。
女神リーブラとセリスは幻のように消えた。
残ったのはバーバ・ババと、娘のバーバ・ヤーガだけ。
2人は、しばらく無言で立ち尽くした。
ソルセールの町は滅び、今では森の中に埋没した残骸が
かすかに残るだけ。もう、誰もここには近寄らない。
街道も迂回するルートができてしまった。
軍事強国と言われ、必要以上に敵を殺す事から
『血の狂王』と謳われたウラス王の国は崩壊した。
王が殺され、首都が灰燼に帰した結果、今まで侵略した
国々から逆に侵攻を受けたのだ。
ただ、この事件は歴史の分岐点となった。
セリスもバーバ・ババも名乗らなかったため、
他国へ広がった『噂』では、単に『怒ったダークエルフが
仲間と共に、虐殺された家族の復讐に来た』とだけ伝わった。
人間とは愚かな生き物だ。
今までは気持ちよく殴りたい放題に殴っていた相手から、
本気の反撃を受けただけで手の平を返す。
彼らにとって亜人・獣人は、気持ちよく殴りたい放題に殴れる
サンドバッグで『あるべき』だった。
どれだけ理不尽な言いがかりをつけ、残虐な殺し方をしても、
亜人・獣人はひたすら『ごめんなさい』と言うだけの存在で
『あるべき』なのだった。私たちは人間の出来損ないですと
土下座し続けるのが、亜人・獣人の『あるべき』姿のはずだった。
だが、そんな彼らの理想など、現実の前には無意味だ。
特に差別の激しかったソルセールの町は、
たった2人の女性に滅ぼされ、死体と瓦礫だけの町となった。
そして、生き残った人々は自分の信念を貫いて
『亜人・獣人は人間の出来損ないなのだ!』と
セリスとバーバ・ババに挑む気概も無い。
自分もウラス王と同じく、木っ端微塵になるかもしれないと
思った途端に、へらへらと無様な愛想笑いを浮かべる。
まあ、人間らしいと言えば、人間らしい。
彼らにとって、亜人と獣人への差別は、
『最高の娯楽』だった。
一歩的に虐殺し、なぶりものにできる便利な存在、
それが彼らの常識だったのだ。
彼らは頭が悪い。将棋で言うなら2手先、4手先までしか
読めないというやつである。こんなことを続けて、
彼らが本気で怒って反撃してきたとしたら・・・。
『その後どうなるか?』
そんな事さえ全く考えたことが無い。
だから彼らは天を仰いで、こう言うのだ。
『ああ、不幸だ』『おお、神よ』
『まさかこんなことになるとは』
浅ましい事に、彼らは神に対して『救ってくれ』と要求するのである。
悪魔だって、ここまで図々しい要求は恥ずかしくてしないだろう。
ともかく、この事件を機に、
人族の亜人・獣人への差別は、急速に鳴りを潜めていった。
無くなったわけではないが、『相手が殴り返してくる』と
わかった途端に、表立って差別する人は激減したのだ。
まるで『俺は最初から差別なんて良くない事だと思っていたよ』
という顔で。・・・浅ましいこと、この上ない。
弱小宗教が広めた『亜人・獣人は人間の出来損ない』
『神の失敗作』という話はどこへいったのだろう?
その宗教は、現在では完全に消滅してしまった。
ソルセールの町が滅んでから、たった数ヶ月で地上から消えたのだ。
もう信者は誰もいない。
教主から信者までが全員手のひら返しした結果である。
『自分が報復されるのが怖いから』
ただ、人間が作り上げた宗教など、しょせんその程度だ。
太陽神に信者がいなくても、毎日太陽は東から昇る。
信者など誰もいない死神も、黙々と仕事をする。
死神を全く知らない文明でも、誰も死なないなどということは無い。
本物の神は信者がいなくても弱体化や消滅はしない。
そして本物の神は聖典や教義を作ったりしないのだ。
この事件は世界を揺るがした。人々の行動は明らかに変わった。
『相手に理解できる話をする』。
この事件は皮肉なことに、人族たちの差別意識を
大きく変えてしまったのだ。