分岐点 6
戻ってきたセリスとバーバ・ババを見て、バーバ・ヤーガは絶句した。
ゾンビが抱えているセリスの夫たちは、目をそむけたくなるような
残酷な有様だ。
そして、それ以上にニーナの状況がバーバ・ヤーガの心を締め付けた。
(だめ・・・もうだめ・・・魂と体を繋ぐ霊線が
消えかかっている・・・。母様でも、治せない・・・)
まだ子供とはいえ、バーバ・ヤーガも母親から強い力を
受け継いでいた。だから『見える』のだ。
命の灯が消えかかっていることが。
(ごめんね、ごめんね、ニーナ・・・。
もう、私も母様も、助けられないの・・・)
バーバ・ヤーガはぽろぽろと泣き出した。
セリスはバーバ・ヤーガに『ありがとう』と言った。
自分の娘と夫のために涙を流してくれる人がいることに
感謝しているのだ。セリスにも、もうわかっている。
ニーナの体の傷は全てバーバ・ババが治した。
しかし、ニーナの意識は戻らない。
いや、どんどん心臓の鼓動が弱まっている。
それなのにバーバ・ババが『何もしない』。
つまり、『打つ手が無い』と明言しているようなもの。
そして、今、バーバ・ヤーガまでもが涙した。
『どうにもならない』
このことが、はっきり口に出して言われるよりも理解できる。
・・・ニーナは母親であるセリスの胸の中で静かに息を引き取った。
最後は母親の胸に抱かれて亡くなった。それだけが唯一の
救いと言えるかもしれない。
セリスは夫たちの遺体と、ニーナの亡骸をバーバ・ヤーガに
預けると、静かに立ち上がる。
バーバ・ババも立ち上がり『助太刀しよう』とだけ言った。
ソルセールの町は、『磁力震』のせいで、大騒ぎになっていた。
大きな地震が来たのだ。それも長時間。
今は地震は止まっているが、騒ぎは収まっていない。
国王の姿も消え、森へ『逃げた』
女2人を追撃する部隊の編成もしなくてはならない。
騎士団も、町の警備隊も、市民も、大混乱である。
そこへ、セリスとバーバ・ババが戻ってきた。
悠々と歩き、町の中央広場までやって来ると、止まった。
バーバ・ババは『ウラス王』の死体を取り出すと、
首に縄をかけ、セリスの夫たちを串刺しにしていた杭に吊るす。
見ていた市民たちから悲鳴が上がったが、セリスも
バーバ・ババも一向に気にしない。
「お、おいっ! お前たち、ウラス王に手をかけるとは、
もう生きては帰れんぞ!!」
誰かが、そう叫んだ。もちろんセリスもバーバ・ババも
反応はない。
バーバ・ババは吊るしたウラス王に向かって、『大雷撃』を
8本同時に打ち込んだ。
『ドォンッ』
落雷のような音と共に、ウラス王の体は木っ端微塵に
なって吹き飛んだ。もちろん黒焦げだ。
市民たちから悲鳴があがり、やがてそれはセリスたちへの
罵声に変わってゆく。
「この野蛮人どもめ!」
「やっぱりダークエルフは卑怯者だ!」
「知ってるぞ、お前たちの先祖が人族にやった大虐殺を!」
この『大虐殺』は嘘だ。元々根も葉もない虚構。
証拠を出してみろと言われれば、誰も根拠を提示できない。
何時のことか、という質問にも答えられない。嘘だから。
しかし、このソルセールの町の市民は信じているのだ。
親から子へ、子から孫へと、数世代にわたり、
念入りに、念入りに、念入りに、念入りに、念入りに、念入りに、
念入りに、念入りに、念入りに、念入りに、念入りに、念入りに、
念入りに、教え込んできたデマは、今や完全に『真実』として
扱われている。もはや反論があることすら知らない。
この『真実』を知らない者は『勉強不足』と笑われるまでに
人々の間に広まっていた。
彼らは亜人・獣人を憎んでいるのだ。
ウラス王が他国を侵略したことにより、まだ戦争が継続している
『敵対国』は2つある。
だが、それらの国よりも亜人・獣人の方を
『悪い奴ら』『卑怯者』と認識して憎んでいたのだ。
日本人からみれば『狂ってる』としか言いようがない。
「吊るせ! 吊るせ!」
「この犯罪者2人を処刑しろ!」
「この悪魔どもを、できるだけ残酷な方法で懲らしめるんだ!」
「そうだ、こいつらは悪魔だ!」
「悪魔どもめ! 悪魔どもめ!!」
しばらくセリスとバーバ・ババは罵声を黙って聞いていた。
これが彼らの『遺言』になるからだ。
だが、セリスは反応した。『悪魔』という言葉に。
「悪魔だと・・・?」
セリスが眉を吊り上げる。
「今、悪魔と言ったか? 悪魔とは・・・悪魔とは・・・
悪魔とは! お前たちのことを言うのだ!
お前たちこそが! お前たちこそがっ!!
本物の悪魔だぁッ!!!!」
セリスは『蛇の王』の力を全開放した。
「ありもしないでっち上げの嘘に踊らされ、
同じ人間を悪魔と罵るか。
もう、謝罪しろとは言わぬ!!
重ね重ねの悪行! もはや断じて許せぬ!
お前たちは魂まで狂っている!
滅べっ!!!
ただ、もう、滅べ!!!
もう二度と、この世へ出てくるな!!!!」
ついにバーバ・ババも本気を出した。
この町は今から消滅する。
セリスは500メートルを超える、巨大な『オロチ』となった。
ニーナの名を叫び、血の涙を流し、町を破壊していく。
その巨体で家を押しつぶし、尻尾であらゆる建造物を薙ぎ払う。
男も、女も、老人も、子供も、そう赤子まで、
この町にいるありとあらゆる人間を殺した。
バーバ・ババは『磁力結界』を自分とセリスにかけると、
『磁力震』で町を揺るがす。そして、死者の軍団を作り始める。
僅かな時間で合計500体を越えるゾンビとスケルトンの
軍団が現れ、町を蹂躙し始めた。
2人とも、一切の配慮はしなかった。
2人とも、ただ、ひたすら、怒りのままに殺してまわった。
いいとか、悪いとか、善とか、悪とか、全てがどうでもよかった。
2人の心にあったのは、全てを焼く『怒り』。
そして、絶望に塗り固められた『悲しみ』。
元の地球の人々なら『倫理的に』とか『人道上』とか言って、
この2人を非難するのだろう。
しかし、この2人の目を見て、ニーナたちの亡骸を見て、
直接文句を言える人が、どれだけいるだろう?
ただ1つだけ確実なのは、
『では、お前も当事者に加えてやろう』と
この2人に言われた時、逃げ出さない人はゼロだということだ。
人間とは浅ましくできている。
1時間も経たぬうちに、ソルセールの町で動く者はいなくなった。
ウラス王の王城はセリスが締め上げて粉々に破壊した。
瓦礫と死体だけの町になったソルセール。
その死の都をセリスはぼんやりと眺めていた。
復讐は終わった。
何の満足感も無いが、とにかく夫とニーナの
仇は討ったのだという事実だけがセリスの心を支えている。
バーバ・ババは仕上げに『轟雷』の魔法を9本同時に
町へ撃ち込んだ。
空がいきなり低く黒い雲に覆われ、天から落雷が9本、
地上へ降り注ぐ。
それはまるで神の怒りが町を罰したようだった。
『9本の落雷を同時に発生させる』。これはバーバ・ババの力が
『ストーム・ルーラー』に近いレベルである事を示している。
町に火の手が上がり、燃えていく。それをセリスたち以外で
見ている者があった。まず、町の人々が十数人。
これは『討ち漏らし』ではない。ソルセールの町が、
なぜ滅んだのかを近隣諸国へ伝えさせるために、
わざとバーバ・ババが『見逃して』やっただけの事。
そして、上空、かなり離れた位置に、もう1人。
『女神リーブラ』だ。