004 レイスとアリア
翌日、王都へ行くと、いつも通りヘイゼルがパンを買いに来た。もちろんレイスも後から捜索しに来たので、相談があることを伝えるとヘイゼルは上機嫌でレイスをルーシャ達に貸してくれた。
レイスにもテオドアから連絡があったようで、ルーシャのことを酷く心配していたこともあり、ヘイゼルはサラッとレイスから解放され喜んでいた。
レイスの屋敷に着くまで、幌馬車の中でレイスは酷く怒っていた。レイスにはシェリクス領へ行くなと言った癖に、ルーシャだけ相談もなしに帰っていたことなど諸々叱責した後、ルーシャを抱きしめ無事を喜んでくれた。
王都のレイスの家は、中々見事なお屋敷だった。
アリアの実家は王都でも有数の侯爵家だからだそうだ。アリアもルーシャ達の急な来訪を快く受け入れてくれた。
応接室へ通されると、人数分の紅茶をアリアが淹れてくれた。
「急にすまなかったな。相談があるそうだ」
「いいのよ。リック君も一緒だなんて、驚いたわ」
「その……オレ、アリアさんに謝りたいことがあるんです」
「え?」
「実は妹君のネックレスに入っていた香り玉を、オレのペットが全部食べちゃったんです!」
リックは涙をポロポロと溢しながら頭を下げた。
泣く必要があったのかルーシャは不思議に思っていると、アリアに異変が起きた。手は震え、顔はみるみる青ざめていき、震える声で問う。
「そのペットは……」
「それは……。食用でないものを勝手に食べてしまったのですから、オレが悪いんです。本当に申し訳ございませんでした」
顔を伏せ泣き続けるリックに、レイスも動揺を隠せなかった。
「ど、どういうことだ? リック君。そんなことでアリアは怒ったりしないよ。それより、そのペットは……どうなったのだ?」
「すみません。その……。──ちゃんと弁償しますから、何処で購入したか教えて頂けますか?」
「べ、弁償だなんていいのよ」
「駄目です。ちゃんと、盗ってしまった物を返さないと……オレのペットは泥棒のまま……ぐすっ」
リックはヒスイの胸を借りて泣き続けた。この涙は嘘泣きだと分かっているのに、つられてルーシャまで泣きそうになる。
「アリア。リック君の気持ちを汲んであげよう。確かあれは、アリアが作った物だったのではないか?」
「ええ。せ、先生に教えていただいたの。他のご婦人方と一緒に……。ご、ごめんなさい。そんなに強力な物だなんて知らなかったの!」
涙するアリアに、ヒスイは白い粒の入った小瓶を見せた。
「アリア様。これは、リックのペットが食べ残した香り玉です。周りはミントやハーブの様ですが、中心は赤黒く鼻をつく嫌な香りがします」
アリアはそれを一瞥するとレイスの胸に顔を埋め、ルーシャは堪えられず言葉を発した。
「ヒスイ、それにリックも、さっきから何を言っているの? アリア様がくれたアロマはとてもいい香りがして、すぐによく眠れたのよ。まるで毒でも入っていたみたいな言い方……」
誰もルーシャと目を合わせてくれなかった。
レイスは震えて泣きじゃくるアリアの肩をそっと抱き、重い空気の中口を開いた。
「すまない。少し、二人だけで話をさせてくれないか」
◇◇◇◇
別室へ移動すると、レイスはアリアに静かに尋ねた。その声からは、怒りも悲しみも感じ取れない。感情を殺し淡々と言葉を紡いだ。
「あれは、何の薬だ?」
「それは……」
「答えなさい」
アリアは身体をビクつかせると、泣きながら答えた。
「身体の巡りを妨げる効果のある薬草だと、聞いていました」
「毒、ということか?」
「はい。そうだと思います」
「アリアっ。どうしてそんな事を……」
アリアの告白を聞き、レイスは悲痛な声を上げ、割れ物の様に優しくアリアの肩に手を触れた。
レイスはまだ分かっていない。
アリアが自らルーシャに毒を盛ろうとしたことを。
だから、こんなに優しく接してくれるのだ。
きっとアリアの心の内を知れば、レイスに軽蔑される。でもその方が楽かもしれない。
偽りの言葉で取り繕って愛されても、虚しいだけ。
ならいっそ、全部さらけ出して嫌われてしまえばいいんだ。
「レイスは優し過ぎるのよ。私だけにじゃなくて、あの子にも。私は貴方の一番になりたかったの。あの子に取られたくなかったの。あの子が近くにいるのが嫌だった。本当の妹でもないのに。いなくなってしまえばいいって……思ったの」
「アリ……ア」
レイスの目は光を失い、アリアを見つめたままゆっくりと瞳を閉じ、頬に涙が伝った。
アリアはレイスの頬に触れようとしたが、手を止めた。もう自分は彼に触れる資格はないのだから。
レイスの手は力なくアリアの肩から離れ、もうレイスに触れられることは無いのだとアリアが覚悟した時、手を握りしめられた。
大きな手は微かに震え、レイスの瞳はアリアを見つめていた。
「アリア。ルーシャは形見なんだ」
「形見?」
「私の母が唯一遺してくれた、大切な人なんだ。母が死んだ日私は夢を見た。ルーシャを頼むって微笑む母を。しかし、父はそんなルーシャを人殺しのように扱ったんだ。だから私は、ルーシャがあの家から巣立つまで、見守らなくてはならないんだ」
「…………」
「だけど、私は見守るだけだ。私はルーシャの幸せを願っているが、私の手で幸せにしたいとは思っていない。私がこの手で幸せにしたいと思う女性は──アリア。君だけだよ」
レイスの手は力強くアリアの手を握りしめていた。
こんなに醜い感情を晒したのに、レイスはアリアを離さないでいてくれた。
真っ直ぐな瞳。優しい眼差し。
それを向けられる資格は無い筈なのに、その瞳から目を反らすことが出来なかった。
「ごめっ……なさい。ごめんなさいっ。レイスっ」
「アリア……」
レイスに抱きしめられると、更に罪の意識に苛まれた。こんなに愛してくれているのに、どうして彼を信じられなかったのか。いつも傍にいてくれる優しい彼をどうして悲しませてしまったのか。
「レイス。ルーシャさんに、謝りたい」
「そうしよう。私が隣にいるから、大丈夫」
「はい」




