002 お姫様の話
馬車は程無くしてブランジェさん家に到着した。
いつものパンの香りにホッと息を吐き、ルーシャとヒスイは二人一緒に店の扉を開けた。
「只今戻りました」
「ルーシャさん。ヒスイ君も!」
ミールが出迎え、厨房からカルロが飛び出してきた。ロイも顔を出し、二人を確認すると安心した様子で直ぐに厨房へ戻っていく。
ルーシャは打ち合わせ通りにミールとカルロに今までのことを報告し、ひと月後また休暇をもらう許可を得た。店にはちょうどアリスが来店していて、騒がしい店員たちを笑顔で見守ってくれていた。
「良かったわ。来週はアップルパイが食べられそうね。ルーシャさんもヒスイ君も、少し見ない間に何だか逞しくなったわね」
「そうですか?」
二人は顔を見合わせはにかんで微笑み、アリスもそれを見て一緒に笑っている。
「ええ。二人にはとても期待しているわ。でも、ひと月後にお休みをもらうって聞こえたのだけれど、また行ってしまうの?」
「はい。一週間ぐらいで戻りますので、また買いに来てくださいね」
「もちろんよ。あら、あの子はどなた?」
アリスはカウンターでパンを購入中のリックに気が付くと、ルーシャに尋ねた。
「彼は商人なんですよ。リック、ちょっといいかしら」
「はいはい。おっ。仕事の匂いがする。こちらのお美しい女性を紹介してくれるんですか?」
「ええ。ブランジェさん家の常連さんで、教会の講師をされているアリスさんよ」
「初めまして。オレはフレデリックって言います」
「フレデリック……お名前だけ?」
「これは失礼しました。行商人のフレデリック=シルヴェストです。宝石でも何でも要りようでしたらお申し付けくださいね」
リックの自己紹介を聞くと、アリスはリックの顔を見つめて興味深そうに頷いた。
「そう。シルヴェスト……素敵な姓ね。何処かの国の名の知れた魔法使いみたい」
「リックは魔法使いでもあるんですよ。ね?」
「はい。ひとりでやってく分には困らない程度の魔法しか使えませんけど」
「偉いのね。遠い国から一人で来ているのね」
アリスはリックの頭を優しく撫でてあげた。リックも大人のお姉さんに子供扱いされて悪い気はしないようだ。顔を赤くし視線が定まらずに目を泳がせている。
「は、はい。えっと……」
「私はアリス。アリス=オースルンド。もう少ししたら、この国を離れる予定だったのだけれど、その前に貴方に会えて良かったわ、シルヴェスト君。いい手土産になりそう」
「アリスさん。いなくなっちゃうんですか?」
アリスの思いも寄らぬ発言に驚き、ルーシャはアリスへと目を向けた。アリスは喜びに満ちた瞳をしているので、一緒に喜んであげるべきなのだろうが、寂しさが上回り笑顔は作れなかった。
「ええ。そろそろ自分の生まれた国へ帰ろうと思っているの。お世話になった方々に御返しをしたくて」
「遠いところなんですか?」
「そんなに遠くないわ。転移陣で繋がっているから」
「それなら、また会えますね」
「ええ。じゃあまたね」
アリスが店を出て行くとリックがルーシャの袖をぐっと引いた。振り向くと頭を抱え青白い顔のリックが立っていた。
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃない。あいつアリス=オースルンドって言ったよな」
「そうね。私も姓は初めて聞いたわ。そう言えば、リックの姓も初めて聞いたわ」
「ヤバい。オレ髪の毛取られたかも。なあ、オレ生きてる?」
リックは慌てて胸のネックレスを覗き込んだ。
小瓶の中には透明の液体が波打っている。
「そうだよな。それにオレは……」
「ねぇ。どうしたの?」
「ここじゃ……話せない。ルーシャ、でも聞いて欲しいことがある」
◇◇◇◇
ルーシャはヒスイも呼んでリックと自室へ移動した。リックの尋常ではない形相に、ヒスイも渋い表情で窓の外を見ていた。
「オレの母国はオースルンド王国って言うんだ。さっきの女の名前……」
「アリス=オースルンドって……アリスさんはお姫様なの!?」
お姫様と言われるとしっくりくる。アリスの容姿も振る舞いも気品があり、ルーシャの憧れだ。ルーシャの目がキラキラと輝き始めると、リックは暗い顔で苦笑いした。
「多分そうだ。オースルンド王国の王族は、かつて国を救った光の巫女の子孫なんだ。光の巫女は昔、国を支配した災厄を払い封印した人で、呪いを解くこともできれば、その逆も然りって感じでさ」
「あら。確かこのネックレス。光の巫女の涙だって」
ルーシャは胸のネックレスを取り出し小瓶の中の液体を見つめた。
リックもさっき見ていたけれど、もしや、アリスに反応して光る魔法の液体だったりするのだろうか。
リックはもしかして、お姫様を探すお城の魔法使いなのかもしれない。
ルーシャの妄想は膨らむばかりで、リックもそれに気づいたのか、ルーシャに釘を刺した。
「ルーシャ。何か変な想像してそうだけど、多分違うからな。オレがこれから話そうとしてるのは、胸がワクワクするお姫様なお話じゃなくて、心臓を鷲掴みにされるような呪いのお姫様の話だからな」




