003 ヒスイとコハク
「はぁ? ふざけんなよ。ヒスイ、お前が言ったんだろ!? 俺が殺ったって。俺が……」
コハクは拳を震わせルーシャを睨むと、すぐに目をそらした。ヒスイは一歩コハクへと歩み寄り、謝罪した。
「悪かった。僕が間違ってた。コハクは何も悪くない。コハクはルーシャの両親を助けようとしてくれてたんだよな」
「なっ……」
守護竜の背中で座り込んでしまったコハク、そして心苦しい顔のヒスイ。
ヒスイが言っていた喧嘩の相手はコハクで、二人の間のすれ違いの原因は、ルーシャにあるのかもしれない。
「どういうこと? 何の話なの?」
黙り込む二人を見かねた守護竜は、のっそりと顔を上げてルーシャにその眼差しを向けた。
『お主も関わっておることなのに、訳が分からんじゃろう。ここは、ワシが説明してやろうぞ』
◇◇◇◇
ヒスイとコハクは昔からよく喧嘩をしていた。
あの頃は、ヒスイが人間の女の子とばかりよく遊ぶので、コハクはそれが気に入らず、毎日喧嘩を吹っ掛けていた。
本当はコハクも一緒に遊びたかったのだ。
「ちょっと待て。俺はそんなこと一度も思ったことないぞ!」
コハクは守護竜の耳を引っ張り、話の腰を折った。
守護竜は口元を緩ませコハクを宥める。
『うるさいのぉ。少し黙るのじゃ』
「ちっ」
その女の子は王都に住んでいて、たまにシェリクス領へと遊びに来る。
コハクはその子に会ったことがなかった。だから、どんな奴か一度顔を見てやろうと思い、その子の乗った馬車をこっこりと待ちかまえていた。
その日は悪天候だった。その年は長い日照りに民は苦しんでいたので、それは人々の望んだ恵みの雨だった。
しかし、全ての人々にとって恵みの雨とはならなかった。山の川が氾濫し、土砂崩れが起き、女の子の乗った馬車は、不運にも土砂に巻き込まれてしまった。
馬車は、コハクの目の前で崖の下へと落ちていった。
コハクがその時に思い出したのは、ヒスイの笑顔だった。
人間と遊んで帰ってきた時の憎らしい程愛らしい笑顔。
あの笑顔は嫌いだけど、それが見れなくなるのはもっと嫌だった。
だからコハクは、馬車を土砂から救いだそうとした。
「おいおいおいおいっ!? なんで俺の心情をペラペラと当たり前に話してんだよ。俺はそんなこと、これっぽっちも思ってねぇからな!!」
またしても守護竜の話の腰を折り、コハクは真っ赤な顔で否定したが、ヒスイも守護竜もそれを無視した。
コハクは守護竜の尻尾で背中から弾き落とされ、そのまま尾の下敷きにされ喚き散らす。
「おいっ。痛ってえだろ。離しやがれ! 無視すんなっ──んんっ!?」
あまりにも煩いので口を魔法で塞がれてしまったようだ。
「あの、いいんですか?」
『気にするな。ワシは空と大地とひとつなのじゃ。コハクの心も大地を通して全て通じておる。真の心とは何か、己の方が理解できぬ時もあるのじゃ。続きを話すぞ』
しかしコハクだけでは、重い馬車を足で掴み持ち上げようにも思うように行かず、コハクは上から流れてきた大木で羽を傷め、崖の途中で馬車を離してしまった。
その時、遅れてヒスイが現れ馬車を救おうとした。
だが、土砂に飲まれ、馬車もろとも崖を転がり落ちてしまった。
ヒスイは馬車の下敷きになった。
馬車の中も惨状だった。
しかし、女の子とその母親だけは微かに息があった。
父親は母親を守り、もう一人の女性は女の子を守ったからだ。母親は残りの力を振り絞り、女の子を魔法で癒すと息絶え、女の子は一命を取り留めた。
コハクは死にかけたヒスイを守護竜の元へ運んだ。
そして、置いていくことも出来ず、唯一生き残ったその女の子も一緒に。
残念なことに、守護竜に傷を癒す力はない。
だから守護竜は、その女の子の力を借りた。
借りるだけのつもりだったが、その子の力を奪ってしまった。その子の魔力も暖かい幼少の記憶も、全て守護竜と混ざり、返せなくなってしまった。
目覚めたヒスイはコハクを責めた。ヒスイには、コハクが馬車を襲っているようにしか見えなかったのだ。
守護竜が諭してもヒスイは信じなかった。誰の声も聞かず、その女の子に会わす顔もなく塞ぎ込んでしまった。
しかし、その子はまたヒスイの前に現れた。
白いドレスを着て。
あの時、守護竜に触れたことで、その女の子には竜との繋がりが出来ていた。だから花嫁に選ばれた。
それなのに──。
『お主は呪われておった。ワシはムカムカして爆発しそうじゃったが、あの時のとこがあったからのぅ。我慢してヒスイに協力してやったのじゃ』
「私は……みんなのお陰で……」
ルーシャは膝を抱えて嗚咽を漏らした。叔母と両親が、そしてコハクとヒスイが、ルーシャを生かしてくれたのだ。
『そうじゃ。お主の命は皆の命と願いによってここまで紡がれてきたのじゃ。尊いことじゃのぅ』
「そうなの……かな。私で良いのかな」
皆が繋いでくれたこの命を、ルーシャは滝壺に落とされた時、諦めかけた。
自分は無価値な人間だから、生け贄に選ばれても仕方ないんだって。こんな弱い自分じゃ、両親も叔母にも誰にも誇れない。無力な自分が情けなく、また涙が溢れた。
『ヒスイはお主のせいで死にかけ、お主の力で命を助けられたのじゃ。お主の魂が無価値と言うならば、お主を助けた者も、助けられた者も浮かばれんのぅ』
「ルーシャ。……ルーシャは覚えていないけど、僕は何度もルーシャに助けてもらいました。僕はルーシャだから、世界の理をねじ曲げてでも守りたかったんです」
「ヒスイ。ありがとう」
ルーシャの震える手をヒスイが握りしめた。ヒスイの手は暖かく懐かしさが込み上げてくるけれど、記憶を辿れど何も思い出せない。空っぽの思い出のもどかしさに、ルーシャは失くした記憶を探すようにヒスイの手を見つめた。
「ヒスイと初めてあった時、それから手を握ってもらった時、とても懐かしい気持ちがしたの。思い出せたらいいのにな。ヒスイとの想い出」
『記憶ならお主が花嫁になれば返してやれるぞ』
「え?」
「ワシの命はそろそろ尽きる。ヒスイの力も借りて一年の時を弄ったが、もう生きられそうにないのじゃ。後、ひと月しか持たぬじゃろう。そうしたらお主の出番じゃ。守護竜の花嫁よ。お主はワシを弔い、そして選ぶのが定めじゃ。次なる守護竜をお主がな」