001 雨音
夜も雨が降り続く。最近、王都でも雨が多くなった。
ベッドで横になると、規則的な雨音が窓から聞こえてきて、ルーシャの安眠を阻害していた。
「ヒスイ。まだ起きてる?」
「寝てます」
「起きてるじゃない」
「珍しいですね。ルーシャが夜更かしですか?」
「うん。雨が気になってしまって」
「雨。嫌いですか?」
「うん。あ、水竜に向かって雨が嫌いって禁句かしら?」
「そんなこと無いですよ。僕もあまり好きではありませんから」
ヒスイは眠そうな声で言葉を返す。会話が途切れたらすぐに寝てしまいそうだ。
「そっか。ねぇ。アリア様から戴いたハーブを試してもいいかしら? ぐっすり眠れるんですって」
「……ミント系は苦手です。何系の香りですか?」
ネックレスのロケットを開けて香りを確かめると、一番にミントの香りがした。部屋に居座っているだけでも迷惑をかけているのに、流石にこれ以上の我が儘は申し訳ない。
「えっと……。ミントが入ってるわね。止めておくわ」
「すみません。明日も早いので、雨音の数でも数えて眠ってください。──ひと玉、二玉……」
「何、その数え方。普通、一粒じゃないかしら?」
「…………」
「凄いわ。二玉で寝たの?」
ヒスイの声は一向に返ってこない。
仕方なくルーシャも数を数えてみることにした。
「一玉……二玉……三玉──」
◇◇◇◇
翌朝、珍しくヒスイが先に目を覚ました。
窓の外では白い雲がどんどん空を流れていき、雨は止んでいた。
ルーシャが寝ていると、こんなにも静かな朝なのかと思うほど、外は無音だった。
でも、遠くの西の空から微かに雨音が聞こえる。
それは聞こえるはずがないぐらい遠くではあるが、水竜であるヒスイはそれを感じ取っていた。
ここで過ごした数ヶ月。力も大分回復した。
ヒスイは悩んでいた。
一度、竜谷へと帰るべきか否か。
陰鬱な雨粒が大地を鳴らし、ヒスイの名を呼んでいる。ずっと聞こえていたけれど、聞こえないふりをしてきた。
ルーシャを一人残して竜谷へ行くのは心配だった。
しかし、力が戻ってきた今なら、三日もあれば往復できるかもしれない。
「ふわぁ~。あ、雨止んでる。今日も寝坊助さんは……。あら、ヒスイ起きてるんだ」
「寝坊助って。いつもそう呼んでるんですか?」
「そ、そんな事ないこともないけど……。あ! 私、ヒスイのせいで寝坊したのよ。百玉数えても眠れなかったんだから!」
「百なん玉まで数えたんですか?」
「え? それは記憶にないわ」
「そうですか」
ルーシャが百玉目で夢の中に落ちたのかと思うと、なんだか可笑しくて、ヒスイはクスリと笑みをこぼした。
「な、何で笑うのよっ」
◇◇◇◇
厨房へ行くと、カルロが試作品を持って待ち構えていた。
「ルーシャ。レモンタルト作ったぞ。感想くれ」
「美味しそう。うーん。甘すぎるかな。もう少しレモンの酸味が残った方が香りも良いと思うんだけど」
「なるほどな。──へっくしゅん」
「あら。風邪?」
「あー。俺の部屋、雨漏りしてな。朝起きたらずぶ濡れだった」
「どうして朝になる前に気付かなかったの?」
「ずっと怠いな。とは思ってたんだが。夢かな、と」
「怠い? ねぇ、熱はない? 」
ルーシャは自分の額をカルロの額に合わせて確認する。カルロは口をパクパクさせて顔を真っ赤にした。
「無さそうだけど、顔が赤いわ。王都で変な病が流行っているって聞いたの。今日は休んだ方がいいわ」
「あらあら。カルロ、顔が真っ赤じゃない風邪かしら」
ミールも心配してカルロの顔を覗き込むと、カルロは気まずそうには瞳を泳がしている。
「いや。別に……。怠かったのは寝てた時だけだし、顔が赤いのは……何つーか。そ、それにベッドがまだ乾いてないから、寝てられねぇよ。気にすんな」
「だったら私の部屋のベッドで寝れば良いわ」
ルーシャの提案にカルロより驚いたのはミールだった。
「あら。いいの? こんなおじさんが寝ても」
「大丈夫です」
「あー。めんどくせぇ。分かったよ。ちょっと寝てくるから朝飯の時は起こせよ」
「はいはい。起こしますから寝てください」
ルーシャはカルロの背中を押して外へと追いやった。ミールはそれを見ると厨房のヒスイの元へ走り尋ねた。
「ねぇ。ヒスイ君。今の聞いてた? もしかしたらあの二人、意外と合うのかしら?」
「さぁ。どうでしょうか」
あまり関心のない様子のヒスイに、ミールは首を捻る。
「あらあら。ヒスイ君、最近元気がないわね。悩み事? あっ。もしかして、カルロとルーシャさんが仲良くなったから……」
「違います。ちょっと用事が出来まして、三日間ぐらいここを離れるかもしれないんです」
「まぁ。いいわよ。店の事は気にしなくて……。心配なのはルーシャさんの事かしら?」
「はい。まだルーシャには言っていません。ただ、行かなくてもどうにかなるかな、と思うところもあって、考え中です」
「ご家族になにかあったの? あ、別に言わなくてもいいわ。でも、ルーシャさんのことなら心配しないで、私たちがついているから」
「そうだぞ。パンを焼いてる内に三日なんてあっという間だ」
ロイも最近どこかボーッとしているヒスイを気に掛けていた。ルーシャもヒスイも、自分のことはあまり話さないが、こうして相談してくれたことを二人は嬉しく思っている。
「そうですね。もう少し様子を見てから、ルーシャに話そうと思います」




