ねえ、ちょっと聞いてくれる?
久しぶりの投稿になります。本編外に恋愛要素はあるものの、本編にはほぼありません。
ディードッリヒ伯爵夫人は、社交界にてレディー・ウィステリアとも呼ばれている。
その慎ましやかさ、凛とした佇まいから、貴婦人の鑑として同年代は元より、ご年配の紳士淑女からも絶大な人気を誇っていた。
そんな彼女の所には、時に厄介な相談事が持ち掛けられることがある。
今回の事案もその1つ。
「……ヅグッ……! だっ、男爵令嬢が王子妃になれるかどうか……ですって?」
危なかった。危うくお茶を吹き出すところだった。変な音をさせてしまったが、ギリギリセーフだったと思う。幸い、目の前にいるのは気心の知れた、昔からの友人である。
サロンの外から小鳥の鳴き声が聞こえてきたが、可愛い声ね、なんてうっとり聞きほれている場合ではなかった。
「男爵令嬢が? 王子妃に? 正気なの?」
「あたしも、同意見。聞いた時は、はァ?! アンタ、頭大丈夫? 変なモン、食べたんじゃないの!? って思ったわよ。やっぱり、正気を疑う案件よねえ」
「当たり前でしょう……」
お気に入りのフラワーハンドルのティーカップをテーブルに戻し、ディードッリヒ伯爵夫人は、ため息をついた。
「そもそも、どうしてそんな話になりますの?」
「従妹なのよ。伯父のアホ男爵が愛人とその娘を家にいれたのは知ってるでしょ?」
「ア……アスマン男爵ね。えぇ、そんなお話は──去年の話だったかしら?」
友人、ヴェロニカ・アスマンは女性ながら騎士爵を授与されているので、有爵者ではあるものの──身分はかろうじて貴族に入るくらいのもの。世間の礼儀に倣えば、ディードッリヒ伯爵夫人に対する口の利き方ではないし、伯父の呼び方も褒められたものではない。
ただ、ディードッリヒ伯爵夫人は彼女のざっくばらんな性格を好ましく思っていたし、人目のあるところでは、女騎士として実に凛々しく振る舞ってくれる。きちんと態度を使い分けられる人なので、友人だということもあり、夫人は彼女の言葉遣いや態度を黙認していた。
「そそ。前の奥方が病気で儚くなって。喪があけたと同時に再婚よ。20くらいの若い娘を後妻に迎えるならともかく、同年代の女性を迎えてどうすんのかしらね?」
ヴェロニカが言っているのは、跡継ぎのことだ。アスマン男爵には、男児がいない。子供は、愛人との間に生まれたという、その娘だけ。爵位を継げるのは直系男子だけだから──
「ウチとしては、このままだとテオドールに爵位が回ってきそうな感じで、万々歳なんだけど……何か雲行きがね……。その引き取った娘、フィリーネって言うんだけど、この子が、学園でアホなことをやらかしてるらしいのよ。ほんっと、もう……バカか、アホかと……」
テオドールは、ヴェロニカの弟だ。彼女の弟らしく、剣と魔法に優れ、優秀な成績を修めていることもあって、学園を卒業すると同時に、騎士爵を授けられるとか。
「話が見えないわ。きちんと筋道を立てて話して下さる?」
「はいよ。まず、アホ男爵が愛人を後妻に迎え、彼女との間に生まれた娘フィリーネも引き取りました。この時点で貴族になったフィリーネは、準備期間半年でセントール学園に入学することも決まっています」
「……どうし……あぁ、そうね。シルバーゾーンですものね」
シルバーゾーンと言うのは、貴族社会での隠語のようなもの。第二王子と同世代に生まれた子供たちを指す。ちなみに、ディードッリヒ伯爵夫人の世代は、ゴールドゾーン。今は王太子となった、第一王子と同世代だからである。
「シルバーゾーンに生まれたからには、学園に入学して、王子様とかその側近の婚約者あたりのご学友ポジションを狙うわよね。もしくは、嫁入り先のリサーチをするとか」
「そうね。でも、そういう言い方をするということは、ご学友を目指さなかったし、嫁ぎ先を探そうともしなかったのね? 付け加えるなら、王宮勤めも視野に入れていない……」
「大正解。あのアホ娘ってば、よりにもよって王子様とその側近たちに、色目使ってるらしいわ。何より問題なのは、王子様たちも舞い上がっちゃってるらしくて、婚約者とか婚約者候補のご令嬢たちをないがしろにしちゃってるらしいのよ……」
頭が痛いわと、ヴェロニカはソファーの背もたれに体を預けた。
この話は、テオドールから聞いたのだそうだ。彼女の弟もシルバーゾーンの生まれ。今は、王子の護衛を兼ねているイザーク・シュティールの側近候補として、側に付いているそうだ。
「まあ……当たり前だとは思うけれど、テオドールさんもあなたも、その方には注意しているわけよね? 当然、男爵にも」
「もちろん。でも、聞く耳もたずってやつ。テオドールには『だって、好きになっちゃったんだもの』とか『あたしの方が、ステファニー様よりずっと彼のことを愛してる』とか……頭、わいてんじゃないの? ってセリフの繰り返し。アホ男爵は『夢くらい見させてやってくれ』なんて、また訳の分からないことを言ってるし……」
折ってやろうかしらと、ヴェロニカは憎々し気に呟いた。
「あたしには『いき遅れのオバサンが嫉妬なんてみっともない』ときたモンよ。誰が嫉妬なんか、するかっての──!」
「そうよねえ。あなたの場合、お嫁にいかせてくれない、というのが正しいものねえ……」
王妃陛下、王太子妃をはじめ、多くの女性が言うのである。
「ヴェロニカ! ヴェロニカは、誰のものにもならないで!」
彼女は、知る人ぞ知る国の人気者。ヴェロニカが宮中を歩けば、あっちこっちから、キャーキャー悲鳴というか、声援が聞こえてくる。出現度がレアなだけに、声援も大きい。
ならば、男からヤッカミを受けているのかというと、そうでもない。女性ならではの視線から、男たちの相談に乗ったり、時に女官やメイドたちとの間を取り持ったりして、姉御、姉御と慕われている。
そんな訳なので、ヴェロニカの恋人は男女を問わないし、人数も多い。普通であれば、不誠実だ、ふしだらだと批判を受けそうだが、全員が承知していることなので、そのようなトラブルもない。何より、彼女にはハインツ・ガブリエル・エーベルトという夫がいる。
正式な婚姻はしていない。王妃陛下たちも、正式に籍を入れなければ良いらしく、ハインツの存在は、黙認されていた。ちなみに彼は、ヴェロニカよりも20歳年上で、近衛騎士団の団長をつとめている。妻に「熊」呼ばわりされていることも、わりと有名だ。
脱線した。
「あたしじゃ、感情論でしか話ができないのよ。で、それだとあの子には話が通じないわけ。とにかく、シチュエーションと自分に酔ってる感じ。ナルシストよりも質が悪いわ」
「あなたのかわりに、わたくしから話をしたところで聞いてもらえるかしら?」
「話の持って行き方だと思うのよね。反対されればされるほど、人間って意固地になるじゃない? それがどんなに正論だったとしてもね。だから、逆に応援してやればいいと思って」
「応援? 男爵令嬢が王子妃になれるように?」
夫人は眉間に皺を寄せた。常識で考えれば、なれるはずがない。応援するだけ無駄である。
「法律で決まってるって言ったって、ムダムダ。感情とか理性に訴えるんじゃなくて、脳みそに叩き込むのよ。これはあんたにしかできないことだわ」
そう言った彼女の顔は、悪いことを企む悪役そのものだった。