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第一の花嫁 料亭の女主人ゾラ (1/5)

 

 辺境における小さな村に、ふたりの旅人が辿り着いた。


 村の中にはこれといって変わったものはない。周囲を眺めても、目立つのは少し離れた山の頂に建てられた城くらいだ。おそらく領主である貴族が、住んでいるのであろう。


 そんな凡庸な村を見渡しながら、旅人の片方は言った。


「さて。この場所にこそ、吾輩の目的のものはあるのかね?」


 長身の老人だ。名前はラドゥといった。

 海辺近くで長年住ごしたのか、皮膚は浅黒く焼けていて、染みがそこかしこにできていた。

 老人は木陰の下で、人懐っこい笑みを浮かべる。

 正直といったところ顔の造りはよくないが、それだけでだいたいの人は悪印象を持たなかった。


「さあ。ないんじゃないかな?」

「諦めが早すぎるぞアイリー! たしかになにもなさそうな村だが、だからこそ未発見のお宝が眠っていると考えられないのかね?」

「おとぎ噺じゃないんだから……」


 アイリーと呼ばれた、ラドゥの腰にも満たない小柄な少女は呆れる。


「旅とは未知へ到達するようなもの。吾輩たちが進むのをやめなければ、きっと伝説や幻にも出会えることだ」

「はいはい」


 意気揚々と村へ入るラドゥ。彼の後ろを、溜息交じりにアイリーはついていった。


「旅の最初だ。まずは食事にしよう」

「ほんと? やったー。ぼく、お腹ペコペコだったんだ。なに食べるの?」

「食饌の話になると目の色を変えおって……うーむ。近くに料亭かなにかはないものか」


 ぎゅるるる~


 どちらからともなく、お腹が鳴る。

 昨日の晩から食事もせずに歩き続けたため、ふたりとも腹を空かしていた。


「ねーあれ見て見て」


 アイリーが並び立っている小屋のひとつを指さす。


 肉魚野(にくさかなや)

 なんとも直球な名前の料亭があった。最後の野は、野菜と屋号をかけているのだろ。


「いい名前ではないか。少なくとも飢えた我々にとっては、とてもそそられる」

「すごくいい匂いするの。早く入ろう」


 同意したラドゥは、アイリーに急かされながら肉魚野に入った。


「……」


 ウェスタンドアを開くと、想像とは違い、静まった空間が広がっていた。


 客は複数いて繁盛しているように見えるのだが、なぜか誰しも浮かない顔で黙々と目の前の料理を口にしていた。


「どういうことなのだ?」 


 つい疑問を呈すラドゥ。


 隣にいるアイリーは、小さな胸を反らして自信満々に答えた。


「そういう店なんじゃないかな? マナーってやつ?」

「ふむ。このような庶民の食事処でテーブルマナーがあるというのもおかしな話ではあるが、そこは辺境、そういう村独自の風習があってもおかしくあるまい」

「いや。そんなわけないでしょ」

「なに!?」

「ほんとすぐ騙されるなラドゥは」

「アイリー。貴公はまたしても吾輩へ嘘を吐いたのか!」


 皺だらけの目をギョッと見開いて驚くラドゥ。


 アイリーのほうはその様子を見上げて、クスクスと可笑しそうにした。


「お待たせ。ミートパイよ」


 奥から女性が、料理を持ってきた。


「酒だ。酒をもっとくれ」

「呑み過ぎよ。体、壊しちゃうわよ」

「いいよ。どうせおれのことなんて」

「駄目よ。自分を大事にしなさい。ほらおまけで、ポテトスープつけてあげるから」

「分かった……ゾラがそう言うなら……」


 ずずず、と客のひとりは湯気のたったスープをすすった。


 ゾラと呼ばれた女性は、他の客にも出来立ての料理を運ぶ。気分が沈んでいた客たちも、彼女と顔を合わせるとほんの少しだが安らぎを得ていた。


 ひとりで店を切り盛りするゾラ。


 若い頃は男たちから常にアプローチされたことが伺える小動物のような愛らしい顔。

 だが逆に年を経たことで、相手を包みこむような優しさも感じられるようになっていた。肉感的な体もまた、より一層そういう印象を助長させて総合的にはさらに女としての魅力に溢れさせるようになっていた。


「すみません。遅くなってしまって」


 新しい客を席へ案内しようとするゾラ。


「いえ。予約もせずに来たのですから当然です」

「ふふっ。面白いこと言うのねおじさん。こういう店ですもの、そんないちいちかしこまったことしなくていいわ」


 ラドゥのほうが受け答えをする。


 アイリーは後ろから、呆れた目で老人を見ていた。


「優しいお嬢さんだ」

「お嬢さんって。もうそんな年齢じゃありませんよ。三十五よ。おばさんよおばさん」

「女性はいつだって可憐な花です」

「もう。こんなおばさん、からかっちゃ駄目ですよ」

「本気です」

「えっ」

「ゾラさん――どうか吾輩の花嫁になってください」


 ラドゥは、ゾラの手を愛おしそうに握る。


 突然の求婚に、戸惑うゾラ。


「えっ、あの、わたしたちどこかで会ったことありましたっけ?」

「いいえ。これが初対面です。ひと目惚れです」

「そ、そうなんですか」

「あまり芳しくない反応……そうか。初対面かどうか気にするということは、吾輩のことを知らないのが心配なのだな。では名乗らせてもらうことにしょう」


 バッ

 

 ラドゥは砂に塗れたマントをはためかせた。大袈裟な動作に店内の目が釘付けになり、衆目に晒されながら彼は声高に語る。


「吾輩は――ラドゥ十二世。偉大なる兄君たちとの後継者争いに敗北し、故郷を追放された身である。故に家名はない」

「えっ、あの」

「家業も財産も奪われたことで、職もなし金もなしの吾輩はまずなにをすればいいのか考えると、浮かんだのがこの齢まで妻を持ってなかったことだ。ならば自由の身になった今――ごふっ」

「なに余所者のクセにいきなりゾラさん口説いてるんだテメエ!」


 正面から客に殴られるラドゥ。

 彼は驚いて、いきり立っている客へ疑問を投げつける。


「いきなり、なにをするのかねきみ?」

「うるせえ! 泣くまで殴ってやる!」

「ええっ……ところできみ、血と涙はほとんど同じ成分だと知っているかね? つまり涙を流させるということは、相手を血みどろまで追いこむようなもので」

「ごちゃごちゃうるせえ!」


 さらにもう一発。

 後ろに倒れると、別の客にぶつかった。


「な、なんだというのだいったい? あの男は酔っぱらったりしているのかね?」

「酔ってはねえよ」

「なんと。ではただの暴漢か?」

「そうだ。だが、気持ちはおれも一緒だ」

「がはっ」 


 今度は腹を蹴られた。

 ラドゥはまた別方向に飛んで、他の客から殴られる。最後には、客全員から袋叩きされる羽目になった。


「てめえ。この村のアイドルであるゾラさんに手出すんじゃねえ!」

「いくらなんでもこればかりは許せねえぞ!」

「やっちゃえやっちゃえ」

「応援するほうが違うのではないかアイリー!」


 ラドゥを助けることなく、少女は彼をリンチする客たちを励ます。


 も、もう駄目だ。

 力尽きようとするラドゥだったが、トドメの一撃が当たる直前で大声が聞こえてきた。


「やめなさい。あなたたち!」

「ゾラ」

「旅人さんになにするの。彼はこの村の事情なんて分からないのよ」

「いやだって、こいつがあんたを」

「そりゃ唐突にあんなこと言ってくるおじさんもおじさんだけど、だからってここまでするのはひどすぎるじゃない」

「……」


 ゾラの声で、冷や水をかけられたように押し黙る村人たち。


 彼女はラドゥのほうへ駆け寄ってくる。


「ごめんなさいね。今すぐ手当てするわ」

「た、助かった」

「今、村中の人たち気たっちゃってて。だからついちょっとしたことで、過剰に怒ってしまったみたいなの」

「そうなのですか。これはどうやら悪い時期に来てしまったようだ」

「ほんとごめんなさい。旅人さんには関係ないのに」

「ところで、この店には他に店員はいないのかね?」

「ええ。夫を亡くしてからは、わたしが肉魚野の主人よ。他に誰も雇わないで、ひとりでなんとかやってる状態……だから結婚については、ごめんなさいね。わたし、あの世の夫に操をたてさせてもらっているの」


 ゾラと腫れているところがあったら冷やすよう氷を当てようとする。


 ガシッ


 近づけた手首が掴まれる。

 困惑する彼女へ、ラドゥは真剣な顔つきで言った。


「未亡人。それはまた大変すばらし……じゃなくて今日まで苦労をなさったでしょう。さぞや心を痛めてもいるはず。よければこの吾輩に、どうか貴女の心の傷を癒させてもらえないでしょうか?」

「あの、その」


 押されていって、言葉に詰まっていくゾラ。


 ラドゥは身体を起こすと、そのまま接吻しにいこうとする。

 

 ゾラが抵抗できずに唇同士が触れ合うごく間近まで接近した。


「はいだめー」

「ぐぼっ」


 ラドゥの口内に、アイリーの指が突っこまれた。

 えづきながら離れるラドゥ。


「あ、アイリー。夫婦の誓いをたてる最中に、貴公なにをする?」

「いや了承とらずに強引なのは駄目だよ。それじゃレイプとなにも変わらないよ」

「貴公。女性は強引なのが好みだとついこの前言っていたではないか?」

「嘘だよ。好きな男に強引に迫られるのはいいけど、見ず知らずの人に初対面でそうされたいのはそういう性癖持ってる人だけだよ」

「また騙したのか! おのれアイリー今日こそは、貴公の捻じ曲がった性根に灸をすえてやる」

「やれるもんならやってみろ」


 言い争いをはじめるラドゥとアイリー。

 

 新たにきた客たちは実に騒々しかった。


「まったくもう。こりない人」


 ゾラはわずかに染めた頬を隠しながら、店の営業を再開しようと調理場へ戻ろうとする。


 ギギギ


 音をたてて開く肉魚野の入口。


 新しい客かと思って応対しようとしたゾラだが、入ってきた人物の顔を見て表情が強張る。


「日が落ちたので、通告にきた」


 暗闇になった世界を背景に立つのは、青白い肌の美青年だった。


 ほとんど皮膚を晒さない恰好をしているが、病的なまでに血色が薄い。しかしそんなことを露にも感じさせないほど、青年の容姿は整っていた。

 魔性。

 一言で表すなら、そのような見た人間が雰囲気の怪しさに警戒しつつも虜になってしまう魅力があった。


 数秒後には敵意を示す村人たちでさえ、青年を視界に入れた時点ではうっとりとしてしまっていた。


「なんの用? ザスティン」


 ゾラだけが最初から緊張感を保っていた。


「おいおい。忘れたのか人間ども? 今日は毎月行う私の城で開催される夕餉の招待客を決める日ではないか」

「……忘れるわけないわよ」


 他の村人たちも、思っていることは一緒だった。

 気持ちを統一したはずの集団を前に、美青年は唇の片端を歪めた。


「そうかい……まあいい。では早速、明日の九時に我が城へきてもらうものを通達しよう」

「あの。それなんですが、提案があるのでよろしいでしょうか?」

「なんだ? 言ってみろ」


 挙手をした村長。


 意見を許可された彼は、ラドゥを指さした。


「この男を、招待してやってもらえないでしょうか?」

「わ、吾輩!?」


 驚いていると、ゾラが声をあげる。


「ちょっと村長!」

「黙れゾラ! 一介の料理人風情が、長であるわしに口を出すな!」

「だからといって、それはあまりにも酷よ」

「わしには村を守る義務がある。だからこの旅人には悪いが、今日、ここに来た自分の運命を呪ってもらうしかない」

「そんなの駄目よ。みんなもそう思うでしょ?」


 村人たちに目を向けるゾラ。


 だが誰しもが俯いて、口を閉ざす。

 それはある意味、村長の意見を肯定しているようだった。


「……」

「なによそれ? そんなこと許したら、そこの男とわたしたちやってること変わらないじゃない!」

「くふふ。愉快愉快」


 笑い声まで漏らすザスティン。

 彼はしばらく笑うと、村長へ語りかけた。


「なるほど。面白い」

「で、では」

「ああ素晴らしい醜さだよ――だが駄目だ。私と食事を共にするのはこの村で産まれたものだけだと決まっている。指名するものは、そこの鍛冶屋の息子だ」


 鍛冶屋とは、最初にラドゥを殴った男だった。彼はその場にすぐに土下座する。


「お願いします! 子供の命だけは見逃してやってください!」

「なぜだ? 私は一緒に机を囲みたいだけだが?」

「お願いします! お願いします!」

 

 ザスティンの言葉の内容など無視して、必死に床へ頭を擦らせる鍛冶屋。


「くふふふ。他人のことは気軽に売ろうとして、自分の身内となればその態度か。人の命というものは、平等だと聞いていたが?」

「む、無理言わないでくだせえ。たしかに今日、おれはそのじいさんへ悪いことしました。それは罪で、罰を受けるべきだと思っています。でも息子は関係ないじゃないですか?」

「それならば、なぜさっきその男の代わりに自分の命を差し出すと言わなかったのかね?」

「……」

「貴様は結局、自分可愛さで物事を決めているに過ぎない。大方、命まで盾にして息子を助けようとする自分に酔っているんじゃないのかね?」

「そ、そんなことは」


 狼狽する鍛冶屋。

 ザスティンはその様子を前にして嘲笑を深めていく。


 このまま結果の変わらない悪あがきが続くかと誰もが思ったが、


「はいはーい。じゃあ代わりにぼくが、おじさんと一緒にごはん食べてあげる」

「なに?」


 小さな体を背伸びさせて、手を挙げているのは旅人の片割れのアイリーだった。


 途端に、怪訝な顔つきになるザスティン。


 彼の支配していた空間が、少女の呑気な声ひとつで壊された。


「聞こえなかったのか? 私はこの村で産まれたものだけだと言っただろ?」

「でもおじさん、吸血鬼(ヴァンパイア)じゃない?」


 たった一声で押し黙ってしまったザスティン。


 どうやら彼の正体を知っているらしいアイリーは続けて言う。


「子供を指名したのは、そっちのほうが血がおいしいから。大人の血はまずいんだもんね?」

「……」

「でも一番おいしいのって、かわいくて、若くて、そんで処女の女の子でしょ? ならほら、ぼくって適任じゃない?」


 ピースサインを作ってウィンクするアイリー。


 ザスティンは彼女を下から上までじっくり観察したあと、閉ざしていた口を開いた。


「いいだろ。では明日、貴様が我が城に来い」

「ちょっと待って! なによそれ!?」

「食材として、そいつが一番適任だからだ。もうこの村にいる未通の女は食い尽くしたからな」

「だからって、この子は村人じゃないわよ!」

「それもそうだな」

「?」


 ザスティンの反応に、首を傾げるアイリー。


 彼はしばらく悩むと、背後のドアを開いた。


「明日の夕方、おまえがどちらかを城まで連れてこい。来なかったほうは、次の月まで命を預けてやる」


 そう言い残すと、ザスティンは闇へ消えていった。


 その場で、膝を落とすゾラ。


「どうして? どうしてこんなことに?」

「大丈夫?」

「ごめんなさい。あなたたちを巻きこんでしまって」


 アイリーが慰めるが、ゾラは嘆き続ける。


「……」


 その横でラドゥは、悲しむ彼女へ視線を送っていた。


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