第90話 Hollow Delusion
「本当に生きてたんですねえ。死んじゃえばよかったのにぃ」
「……ルナ。口を慎め、御主人様の前だ」
「だって、セイン姉様。神の裁きを受けても、無事に生きて帰ってくる男なんて相手にしたいですか? 勿論味方なら心強いことこの上ないですけど」
「……まあ、な。敵にすると厄介だ」
「厄介のレベルじゃないですよぉ。一体何人が神の裁きを回避できるって言うんです、あんなのただの化け物じゃないですか」
「化け物、か……大凡正しい表現だな」
「もうっ、納得してる場合じゃないです! あたしあんなのと戦いたくないですよっ」
「じゃあ戦わなければいい。――魔王は女子供には特に甘いと聞くからな、手を出さなければ凡そ無害だろう」
「子供っ!? あたしが子供だって言うんですか、セイン姉様!」
「子供だろう。特に胸のあたり」
「そーれーはーいーわーなーいーやーくーそーくー!」
まるで何とか意識を引き止めようとするように、わんわんと聞き慣れた声が頭の中を暴れ回る。
しつこいくらいの頭痛は相変わらずだった。このところひどい。
けれど目を閉じていれば、聞き慣れた二つの声が頭痛を鎮めてくれるような気もした。
うるさいとは思わない。むしろこのままでいいとすら思う。
「ていうかっ、そもそもおかしいんですよ! お姉様はスタイルすんごいいいのに、妹のあたしはこんなんだなんて!」
「お姉様――というのは、私のことか? それとも実の姉のことか。……どちらにせよ似ていないがな」
「もう! ひーどーいー! セイン姉様っ、鬼畜ー!」
「私は事実を述べたまでだ」
いつもと同じようなやり取り。――この二人ではない下衆がこんなふざけたやり取りをしていたならば一瞬で殺してやっていただろうが、この二人については訳が違った。
むしろ頭の中に響くその声は心地いい。ここは唯一の居場所なのだと、自分でも理解していた。
「……セイン」
私はほぼ無意識のうちに、忠実な部下の名を呼ぶ。
「は。何でしょう」
さっきの態度から一変、セインは『サタンの部下』としての人格に切り替わる。
要した時間はたった一瞬だけ。
優秀な部下だというのは、前々から認めていた。それに忠実すぎるほど忠実だということも。
「もう一度偵察に戻れ。まだ魔王は本調子ではないから、気付かれることはないだろう。気付かれたとしても――、まあ、あいつのことだから大丈夫だ」
「了解」
「それから、側近のあの男。あいつは気付くだろうな。そして、多分攻撃を仕掛けてくる。それも水面下で」
この間見た、混血の男の鋭い眼光を思い出して目を閉じる。
あいつは厄介だ――もしかしたら、魔王よりも。
狡猾な男だ。女子供にも容赦がなく、敵に対してはまず情なんてものは持ち合わせていない。
敵の間者でも見つければ、拷問し、聞きたいことを聞いて殺すだけ。
「いいか、セイン。応戦はするな――絶対に。情報を持って帰ってくることだけを考えろ」
「は。分かりました」
疑問はあるだろうに、ただ頷くセイン。
この忠実さはある意味脆いものだが、私にしてみれば丁度いい。
怠い頭を持ち上げて視線を合わせると、合図となる言葉を放った。
「行け」
「はっ」
まるで存在を掻き消したかのように、その場から音もなく影が消える。
それを確認すると、また身体が鉛のように重くなった。……重すぎて痛い。
背もたれに、ぐったりと体重を預ける。頭痛も相変わらず……だ。
はあと嘆息すると、更に気分が悪くなってくる。
「……何をしている?」
額に手を当てたまま、尋ねた。
一人沈黙の中に残されたルナが、座ったまま手を合わせているのだ。どこかで見たようなポーズだと思いながら――、ただそれを眺める。
「あ……、え、あたしですか?」
「他に誰がいる」
この部屋には今二人だけしかいない。他に、誰に話し掛けるというのか。
「そ、そうですよね……あは、ごめんなさい」
「構わん。それで? 何をしていた」
ルナは指を絡めたまま、ふわりと微笑む。
誰かの面影にそっくりで――思わず、どきりとした。
「祈っていたんです。セイン姉様が、無事に帰ってくるようにって」
眉尻が下がって、子供っぽい印象が一気に消える。
あいつは強いから大丈夫だ――そんな気休めの言葉など、掛ける必要もないだろう。
「そうか」
私はそれだけ言って、目を閉じる。
沈黙の中に息遣いだけが鮮明に浮かび、少女はまだ祈り続けているのだと、そんなことだけを思っていた。
ひどく、寂れた世界だ。
誰もが怯えて暮らす、ひどく哀しい世界だ――祈りなど、神には届かないというのに。
◇
すっかり人気を失った廊下を歩きながら、僕は、どこへ向かっているのだろうとぼんやり考えていた。
部屋を出た時はちゃんと、キナとアレスに会いに行こうと決めていたのに、もう二人が泊まっているという部屋は過ぎている。
――あれ以来、二人には気まずくて会っていない。
あと八日しかないっていうのに、子供みたいな言い訳で逃げようとしている。馬鹿だ、僕は。
どこへ向かうともなく漂う僕は、月明かりを見上げ、ただため息をつくだけ。
「どうしよっかなあ……」
夜中の城。
まるで同じ場所とは思えないほど静まり返った廊下では、ついつい考えすぎてしまう。
深い闇にはまるように。同じように、思考の海にはまっていく。
何だか、信じてるわけじゃないけど何かが出そうだ――
「一体、何を迷っているの?」
水面を弾くように、波紋を広げるように、唐突に声が凜と響いた。
聞き覚えのある声にばっと顔を上げれば、揺らめく輪郭が目の前にある。
「か――影……っ!?」
「やだな、そんな怖い顔をしないで? 別に危害を加える気なんてないから」
くつくつと笑って、影はくるんと回る。
薄い輪郭が上下にぶれて、まるで、透明な存在ということを示しているかのようだった。
影。
嫌な思い出しか残らない、僕の分身――。
突然の登場に、まず驚くことしかできない。
「じゃあ……、一体、何をしに来たの」
警戒してじりりと下がる。
何で。どうして。何を。何が。疑問ばかりが浮かんでは消えた。
だってこいつ、あの時に消えたはずじゃ――そんなことを想いながら、訝しげな視線を投げる。
「忘れた? 僕は影だよ。光がある限り、僕は君の許へと還る」
歪んだ笑みを見せられ、思わずため息をつきそうになった。
そうだ。影なんて――消えるはずがない。
そう言われればそうだと、納得してしまう。
厄介すぎる。何て奴だ……。
「じゃあ……もしかして、ずっと、いたの?」
「うん、勿論。面白かったよ? すごく」
くすくすと笑われて、思わず顔を伏せる。
全部……見られてたのか。こんな性悪に。
「やだな、性悪なんてひどいよ。僕は君で君は僕だって――言ったでしょ? 僕が性悪だっていうんなら正に君のが性悪だね」
「そんなこと……ある、かも」
否定しようとして、思い当たる。僕ってもしかして、性悪かも。
影がこんなんだったら、所詮僕もそんなんだ。きっと。
「ねえ、怖いんでしょ? キナとアレスがいなくなっちゃうのが」
「……うん」
「だったらさあ、相談してみれば? 魔王様に」
「え?」
僕が顔を上げて聞き返すと、影は目を細めて微笑んでいた。
爽やか、とまではいかないけれど、最初に感じた邪悪な印象はもう取り払われている。
「魔王様――って……」
「彼なら分かってくれるかもよ。君のその高等な精神」
……やっぱり皮肉はなくならないけど。
そうかな、と僕は呟く。
相談して、何とかなることだろうか。そうはとても思えなかった。
「まあ、どうもならなくてもさあ、誰かに話したらすっきりすると思うよ? うじうじ悩み過ぎ」
「う……」
思い当たる節があったので、ぐさりとくる。
痛い。心が痛い……。
「一人で悩み過ぎて、僕がわざわざ足引っかけなくても勝手に転んでるし。何か意地悪する気も失せた」
うわあ、嬉しくない。
ていうかこんなのが自分の一部って考えると、ちょっと落ち込む。
知らず知らずのうちに、ため息さえ漏らしてしまうほど。
「ほら行こうよ。こんなところにいつまでも一人で突っ立ってたら、ただの変人だよ」
「……反論できないのが悔しい……」
「そう何もかも悩まないの。ほらほら、行くよー」
結局僕は影に主導権を握られ、連れて行かれるらしい。
てか、僕弱……。この先が思いやられる。
影には自重して欲しいと思いつつも、助かったと思ったのも一理。
月光が照らす中、僕は影について走り出していた。
でも結局影って、僕の言いたいことを全部言ってくれるから。
ありがたいと言えばありがたかった。――うん、ありがとう。
……あれ?
でもこれって、例えば多重人格みたいな――
独り芝居みたいで、他人から見たらすごく滑稽なのかな。
……そう思うと、やっぱり心が痛い。
ていうか、何か、すごく恥ずかしかった。何という罠だ。
タイトルが思いつかないととりあえず英語に走ってしまう白邪です。駄目っぷりは相変わらず。
て、いうか、コメディですらないです。
サタン放置宣言した直後のサタン様登場だし。予定をどれだけ裏切りたいのか。
ああ、違うんです、ごめんなさい!
これでも頑張ってます、サタン成分がたまたま足りなくなっただけで(自主規制)
そういえば、『神殺しさまの謀略』というファンタジー始めました。
またまた魔王とか勇者とか。どれだけ好きなんだよーっていう突っ込みはあえてスルーさせて下さい。
勇者さんの執筆の合間等にせっせと投稿していきますので、宜しければちょっと覗いてみて下さい^^
皆様のちょっとした暇潰しになれたら嬉しいです! シリアス味強いですが。
それでは今日はこの辺で。またお会いできたら嬉しいです。