第88話 Trick or Treat ?
ハロウィン編前編です。
いつの間にか眠っていたらしい。
どんなに神に祈っても、夜は明けて朝は来る。
……まあ、僕は神に祈りすらしなかったのだから当たり前だ。
何も知らない子羊たちは、今日も、驕れる神に祈るのだ。
陽光なんて、正直、嫌いだった。
カーテンを押しのけるように、隙間を縫って入り込んでくる。
それは一日の始まりを告げる鐘の音のように。
朝が来たと認識しなきゃいけなくて、嫌でも覚醒しなきゃいけなくなる。
――嫌だ。このまま、眠ったままでいたい。
……って考えてる時点で、もう覚醒しているんだろうなあとは思うけれど。
僕はぎゅっと、目をつむった。
「コメット」
そこに、聞き慣れた声が、ふわりと落ちる。
聞きようによっては冷たくも取れるかもしれない。感情が表に出ない声音だ。
僕は振り向かなかった。柔らかい枕に額をつけて、目をそっと開け、瞬きを繰り返すだけで。
「……レイ?」
呼ばれて、今度は、ひどく緩慢な動作で振り向く。
僕は今、相当不機嫌そうな顔をしているに違いない。
何で? ――問いたいのは、相手の方か。
振り向いた先にいたのは勿論、リルちゃんだった。
「……魔王様」
僕の反応にも、リルちゃんは感情を削ぎ落としたような無表情のまま。
どこか、いつもよりも冷たい印象を受けた。
「不法侵入は駄目ですよ」
「ごめん」
あっさり謝られる。
……やっぱり感情がこもっていない。
リルちゃんらしくもない、と思った。
彼はいつも優しくて、明るくて、……いや、明るくはないか? とにかく相手を安心させるような人なのに。
どうしたんだろう。
こんな冷たいまま、なんて――
「……もしかして」
――もしかして。
僕は思う。僕の呟きにも、やっぱり無表情なリルちゃんは動かない。
「……リルちゃん、怒ってる?」
「うん」
リルちゃんはようやく、こくりと頷いた。
……やっぱり。
リルちゃんがこうやって黙ったり、感情を表に出さない時は、大抵怒っている時だ。
大抵……というか、あまり怒ることがないから、大抵も何もないんだけど。
何で怒ってるんだろう。――いや、十中八九昨日のことだろうけど。
僕はよいしょ、とベッドの上に座り直した。どこかピリピリした空気の中。
「……それは、勝手に部屋に戻ったからですか? それとも、背負う役目を放棄したからですか? 正体が、バレたことですか」
思い当たることはたくさんある。
僕はつらつらと述べた。
「違う」
――けれど、リルちゃんはそう言って首を振る。
相変わらずの無表情のままで。
「そんなことを言ってるんじゃない。あれ以上あの場にいるのは辛かっただろうし、それに、お前は役目を簡単に放棄するような奴じゃないと思っている」
買いかぶりすぎだ。と、僕は思った。
責任なんて重すぎて背負えない。そのくせ大切なものは奪われたくない。
僕は自分勝手で最低な奴だ――と思う。そう自負している。自負の使い方が間違ってる? うん、そんなことはどうでもいいんだけど。
「……バレたこと、については?」
「私が全ての責任を負う」
リルちゃんはあっさりとそう言ってのける。
……全ての責任を? リルちゃんが?
いつも思うけれど、この人は責任感が強い。王ともなれば当然なのだろうけれど、やっぱり、すごいなあと思う。
だってこれは僕の問題なのに。リルちゃんは、何も関係がない。
関係、ないんだよ?
「忘れているようだが」
沈む僕の表情を認めてか、リルちゃんは続く言葉を紡いだ。
「こうなったのは、ほとんどがサタンの責任だ。気にすることはない」
「……でも……ほとんど、でしょう。残りの責任は――」
ぽこ、と頭を軽く叩かれた。……痛くはない。けれど、驚いて顔を上げる。
「……リルちゃん?」
「ほとんどはサタンの責任だ。――残りの責任なんて、軽いものだろう? 軽いものをわざわざ重く持とうとする必要はない」
大人びた、僅かに感情を取り戻した瞳が僕を見る。
……軽いものを、重く。
確かに心当たりはある。――僕はいつだって、物事を、重くしようとしてきた。
僕の短所だ。分かっては、いるのだけれど。
「どうしても重いなら、私が一緒に持てばいい。それだけだろう?」
何でもないことのように、彼は言う。
僕はこくりと頷いた。――その通りだ。一緒に持てばいい。結局、それだけで。
リルちゃんは、ふうと吐息する。その仕草に、僕は何故かちょっとだけ安堵した。
「……分かったならいい。そろそろ行くぞ?」
「え、どこに……っていうかリルちゃん、何に怒ってたの?」
ざっと踵を返したリルちゃんに、僕は慌てて立ち上がる。
もう怒っていない様子だけれど――僕、何に怒ってたんだか聞いてない。
肩越しに振り返ったリルちゃんを、そんな意味を込めてじっと見ていると、彼は、珍しくにこりと笑った。
「もういいんだ。怒ってないから」
そういう問題じゃないです!
思ったことをそのまま言うと、リルちゃんは一瞬困ったような顔をして、それから、表情を落とした。
「……お前は、一人で何でも背負いこもうとする。昨日も、だから、もう行かなきゃなんて言っただろう?」
「う……、はい」
渋々頷いた。――だって。
それは、当然だと思ったから。いくら何でも……、もう、ここにはいられない。
いる権利なんてないと思った。
「だから怒った。一人で解決できないのなら、頼ればいいのに」
「……でも」
「でもじゃない。私じゃなくても、ヘルグでも、魔王城の仲間たちでもいい。頼ればいいんだ」
有無を言わせないままそう言うリルちゃんに、うーと僕は唸る。
仲間――なんて。もうそんな大層なものじゃない。
「だけど、みんなは――」
「ん、大丈夫。こんな楽しい日に、諍いはなしだから」
「……楽しい、日?」
僕の言葉を遮って、楽しそうに笑うリルちゃん。
楽しい日って――何が。
ぽかんとしていると、リルちゃんは微笑んで。
「忘れたのか?」
――忘れた? 何を。
「今日はハロウィンだ。楽しまなきゃ損だろう?」
そうして、リルちゃんはまるで手品みたく黒い三角帽子を取り出して、ぱふりと自身の頭に乗せた。
◇
城の中はハロウィン一色だった。
部屋の外へと連れ出された僕は(ヘタレさんみたいに無理矢理連れ出されたのでは勿論なかった。リルちゃんはどっちかっていうと人の心を操る妖しの術を使うと思う)、いつもの黒いローブに黒い三角帽子をかぶったリルちゃんと賑わう廊下を歩いていく。
騒がしい廊下。笑う人々。
……誰も、何も知らないのだと思った。リルちゃんが実は死にかけていたこととか、僕が勇者だということとか。
何も知らずにただ生き続けていく、それほど幸福なことはきっと他にはないのだろう。
「……っていうか、魔王様、人混みの中大丈夫なんですか?」
「ん……大丈夫じゃない」
「ええええ!?」
大丈夫じゃないのかよ……!
確かに、帽子の下から覗く顔色はちょっと悪い。――だけど、反対に、口元には笑みすら浮かべていた。
「……だけど楽しいから、もうちょっとこのままでいさせて。誰にも言わないで」
「う……はい」
本当に楽しそうなので、僕は渋々頷いた。
対人恐怖症、と言う割には。
――だけど本当に好きなんだろうなあ、って思う。対人恐怖症なのに人が好きって意味が分かんないけど。
「……僕も、楽しめるかなあ」
誰にも聞こえないほどの小さな囁き声で、そう呟く。
楽しめるといい。――せっかくのイベントだもの。
だけど、そうもいかないような……気はしていた。
気が、重い。
勿論、さっき……起きた時よりは断然いいんだけど、やっぱりそれでも。
この中には、全てを知ってしまった、裏切られたディーゼルやアリセルナがいるかもしれなくて――
「コメットさんっ」
「わっ」
重い思考ループに陥っていると、突然後ろから抱きつかれた。――重い。
ていうか、この声は……!
「……何やってんですか、ヘタレさん」
「いちゃいちゃしてます」
「朝っぱらからふざけた答えをどうも。お礼に殺して差し上げましょうか?」
やっぱりいつも通りの、ヘタレさんだった。
うわー、ありがたいっていうか、迷惑っていうか、ありがた迷惑っていうか、やっぱり迷惑でしかないっていうか。
重い。重いんですけど。下りろ。いや落ちろ。そして死ね。
「嫌ですよー。死にたくないです、まだ若いですから」
「どうせもうハロウィンでもお菓子もらえない年齢でしょう? いっそもう死んじゃって下さい」
つーか死ね。僕は目で訴えた。けれどヘタレさんは普通にスルー。……気付かなかったわけではないと思うが、あえてスルーしたなこいつ。
「別に私は殺されに来たんじゃないんですよ?」
「死ね。……じゃあ何しに来たんですか?」
微妙に死ねと呟いてみる。
「仕方ないのでお菓子でも配って回ろうかと」
「え、……貴方がですか?」
意外だと思ったので普通に意外そうな声が出た。
ていうか、死ねの件は無視したなこいつ。まあ、当然といえば当然か……。
でもヘタレさんがお菓子配って……って。悪いけど、正直想像できない。
僕が首を捻っていると、ヘタレさんは苦笑した。
「ひどいですね、もう。――はい、コメットさんにもあげます」
「わ、ありがとうございます。…………毒とか入ってないですよね?」
「どこまで疑うんですか……。そういう可愛くないこと言ってると、お菓子あげませんよ?」
「ごめんなさい! ごめんなさい、嘘ですっ!」
受け取ったクッキーをひしっと抱きしめて謝る。……もう、絶対返さないけど。
ヘタレさんの、っていう割にはすごく美味しそうだもん。
んーでも、甘いものってなあ……太りそう。
……あ、完全に思考が乙女モードだ。やばいな。毒されてる……。
ちょっと危機感を覚えた。
「魔王様もいりますか?」
「…………もらう」
もらうんだ。
リルちゃんのことだから、てっきり断るかと思ってたのに。
ヘタレさんからクッキーを嬉しそうに受け取ったリルちゃんは、もそもそと袋を開けて頬張っていた。……え、何、小動物?
「魔王様ってば無防備ですよねー。媚薬でも入ってたらどうす」
「死ね貴様! 殺すぞ!?」
「嫌ですね、コメットさん。冗談ですよ、入れてませんから」
「教育に悪いんだよ! 嘘でもそういうことを言うなっ、単語も出すな!」
「えー」
「えーじゃないだろうがあああああ!」
けたけたと笑うヘタレさんを思いっ切り殴り飛ばす。
ヘタレさんの部分だけ年齢制限がかかっても知らないよ!? いや、むしろかかればいいと思うけど!
そしていなくなればいいと思うけどね、ヘタレさんなんて!
「うー、ひどいですね……」
ひどくないと思う。むしろ当然の報いだと思いまーす。
「――ああ、そういえばコメットさん、あちらでディーゼル君が待ってましたよ?」
「え……」
瞬間、空気が重くなる。ぴしりと固まったような気さえした。
僕はそうっと、ちらりと目で示された方に視線を投げる。それらしき姿は、人混みに紛れて見えない――けれど。
……ディーゼルが。あっちに。
不安がまた、喉のあたりまで込み上げてくる。
思わずリルちゃんを見上げると、リルちゃんは、クッキーを手にしたままで微笑んでいた。
「――大丈夫」
ぽん、と頭を軽く叩かれる。今度はとても優しくて、温かくさえ感じた。
凍っていた心が、段々溶けてくるように。不安さえも甘く溶かしていく。
大丈夫――そうだ。ここで乗り越えなきゃ、僕は前へと進めない。
だけど、一緒にいるから何も、怖いことはないんだよって。
どういう結論であろうと。
乗り越えよう。
一人頷く僕は、覚悟を決めて、ディーゼルに会うことにした。
会おう。会って話さなきゃ、何にしろこのままじゃいけない。
大丈夫――だから。
「……じゃあ、私、ちょっと行ってきます」
「行ってらっしゃい」
リルちゃんに一度別れを告げると、微笑んで返してくれる。
一方、隣でにやにやと笑うヘタレさん。
相変わらず不敵な笑み……。この人はやっぱり読めない。とりあえず釘でも刺しておくか、うん。
「ヘタレさん、魔王様に手出したら問答無用で殺しますからね?」
「ひどいですね。手を出すって、どういう意味ですか」
「そういう意味です。それじゃ、行ってきます」
肩を竦めながらも微笑するヘタレさんにも別れを告げ、僕は歩き出した。
ディーゼルが待っているという方へ、人混みを抜けて。
不安はもうない。ただ――前に、進みたい。一人じゃないなら。
「……大丈夫」
一人呟く。だけど、もう怖くなかった。
一人じゃないって、きっと信じられる。
ここが僕の、第一歩だ。
相変わらずタイトルに捻りのない白邪です。こんにちは。
勇者のテンションがようやく戻ってきました……よかった。
ていうか、久しぶりの魔王活躍。
いつもの活躍度なんて、
ヘタレさん>魔王さん>勇者さん
これだ。
さらには魔王の活躍なんて久しぶりすぎて、口調を忘れていたというイージートラップ。
さすがにいけないよ自分。行く先が不安です……。
何とかなるでしょうか。ならないでしょうね。
後編は……今日中に出来ればUPしたい……(願望←)。