第85話 救世主と救済者
「お帰りなさい、お二人さん」
時が歪んだような、世界の中。
ヘタレさんはやっぱりからりと笑っていた。
ただ一人、正常な時の中で。
「……ヘタレ、さん」
「ヘルグですけど。何で泣きそうな顔してるんですか」
久しぶりに見たヘタレさんは相変わらずで。
倒れてた、っていうことを忘れてしまいそうなくらいに相変わらずだった。
だけど、……忘れられなかった。
僕はあの影の件を思い出して、申し訳なくなる。ごめんなさいの言葉は口から出てこない。
「……あの……ヘタレさんは、大丈夫なんですか?」
「え、私ですか?」
「だって、倒れて……」
「ああ……そんなこともあったかもしれません」
すごくどうでもよさそうに笑う、この人は。
……この人まで態度を違えてしまえば、僕には縋るところがないんだけどね? 実際。
だから、すごくほっとした。心配してあげたのに、と怒る反面。
「私は大丈夫ですよ。それよりも――」
そう言ってヘタレさんは、ちらりと背後に視線を投げる。
それよりも?
言葉を止めて向けられた視線、何かと思えば、そこには――
「レイ君――っ!」
「ぎゃぶっ!?」
――こちらも相変わらず、ありえない怪力を誇るキナがいた。
と、いうか、抱きついてきた。
思わず変な叫び声を上げてしまうほどの力強さ。そんな強さいらねえ。
「き、キナ……!?」
……って、あれ?
一瞬、思考回路がショートして驚くことも忘れていたけれど、僕はそこではたとその事実に思い当たる。
――キナ?
――何で。
彼女は、ここにいるはずのない人間だってことに。
「よかった、久しぶり! 大好き! 愛してる!」
「いたっ、痛い痛い痛い痛い痛い! 死ぬ! 死ぬから!」
けれどそれを尋ねる前に骨が折れるんじゃないかってほどの怪力に抱き締められ、それどころではなくなってしまった。
めきめき言ってる。骨がめきめき言ってますよキナさん!
「あっ、レイ君、大丈夫!? ごめんね、つい……あんまり嬉しかったものだから」
「き、キナ……大丈夫、っていうか、何でここに――」
僕は呼吸を整えながら目を上げる。すると、キナの後ろには――もう一人、見慣れた人がいた。
思わず身体が硬くなる。悲しげに目を細めた表情。
「よ。レイ」
――アレス、まで。
僕は言葉を止めて、ただ戸惑った。
ここにはいないはずの。……死んだ、はずの。
それはあまりにも現実感がなく。全部幻で、全部夢じゃないかと思うほど。
どうして。……どうして?
ただ目を白黒させて、僕は呼吸すら止める。
「ごめんね、レイ君。……びっくりしたでしょう? 私たち、……死んでるのにね」
目を伏せるキナ。
憂いを帯びた表情はどこか、死の冷たさを纏っているようにも見えた。
その冷たさに、我知らず息を呑む。
ひやりと身体が冷えたような気さえした。
「あぁ、お客人なんですよ、彼ら」
けれど、そんな雰囲気を打ち砕くように、からりと明るくヘタレさんが言う。僕はぱちくりと目を瞬かせた。
「客……?」
「ええ。詳しい話はディーゼル君とアリセルナさんに伺って頂いた方が」
詳しい話。
そう言われて僕はちらりとディーゼルの方を見たけれど、険しい顔をしたディーゼルにすぐ目を逸らしてしまう。
……聞けるはずがない。
はあっ、と胸中で嘆息すると、僕はキナの方に向き直った。
「ごめんね。詳しい訳はあとで聞くよ……今は、ちょっと」
「いいわ。魔王さまのことでしょう?」
小さく微笑みを咲かせ、キナはそう言う。
うん、と僕が頷くと、頑張ってねと彼女はまた微笑んだ。
……何故そのことを知っているのか。そもそも、何でここにいるのか――聞きたいことは、山ほどあったけれど。
「ヘタレさん、えと……魔王様、は?」
今度はヘタレさんに向き直って聞くと、ヘタレさんはあっさりと答えてくれる。
「どうやら、魂が抜けているようですね」
「魂……?」
「ええ。そうらしいです」
何だかそうも軽く答えられると、いまいち実感がわかないんだけど。
けれど、この期に及んで冗談なんか言わないだろう。……さすがのヘタレさんでも。
と、なると。
「……どうすればいいんですか?」
――聞いてから何だか、嫌な予感がした。
魂。
最近聞いた単語だ……しかも、思い出したくない言葉の部類に入る気がする。
できれば永遠に記憶の闇に葬っておきたい。
「キスですよキス。分かってるでしょう?」
……けれどそんな期待を打ち砕くように、ヘタレさんは明るく言った。
一瞬殺意がわかないでもなかったけれど。まあ……その通りなのだから、仕方ない。
仕方ない。……うん、仕方ない、はずだ。
けど。
「何で私なんですか……?」
「婚約者ですから!」
ため息ととも吐き出した疑問に、爽やかな笑顔で即答される。
……いや、あんた分かってるんでしょうが。
僕はコメットじゃない。婚約者にはなりえないのに。
けれどそんな感情が顔に出ていたのか、ヘタレさんは声を低めて笑う。
「最初に言ったでしょう? コメットさん。貴女は魔王様のお嫁さんになって生きて下さいと」
「……詐欺だ」
そんなの詐欺だ。
だってあの時僕は、ただの自棄で。……だけど承諾したのか。いや、そんなこと認めない。認めないんだからな!
僕はささやかな反論のようにそう呟いたけれど、ヘタレさんはくすりと笑った。――目は笑っていない。
「そうでしょうか? そういうのなら、勇者さんだって共犯でしょう」
「……う」
珍しく棘のあるヘタレさんの科白に、僕は言葉を失ってしまう。
共犯。――確かにそうだ。
むしろ、主犯は僕だろう。たとえ、生き残るために仕方のないことだったとしても。
僕には最初、コメットだと分かった時点で死ぬ――という選択肢だってあったのだ。理不尽かもしれないが、僕はあの時点ですでに死んでいる。『死』を受け入れるべきだったのだから、ありえない可能性ではない。
「さあ! 私はこの時を楽しみに待っていたんですから、どうぞ早く誓いの口付けをっ」
「何が誓いの口付けですか! ていうか楽しみって……分かってたみたいに……この状況で……」
色々と言いたいことはあったが、もう仕方ない。
こうなった以上道は一つだ。
ヘタレさんにキスするより千倍マシだ。というか、ヘタレさんの時についた汚れを払拭するのだと思えばいい。
……リルちゃんで拭うなんて申し訳ないけど。そうでも思っていなきゃ、もうやってられないもん。
「わくわく」
「……わくわくしないで下さい……」
「わくわく!」
「幼稚園児かあんた!」
人のキス見てわくわくするとか幼稚園児以下だ。このやろー。
「ていうか、わくわくしてないで出て行って下さいよ……」
「え?」
「え? じゃないですってば! 見、る、気、か、貴様!」
「え、はいっ、勿論!」
「出てけ変態」
……そんなわけで、僕はヘタレさんを追い出すことに成功した。勿論ヘタレさんだけじゃなく、他のみんなにも丁重に断って出て行ってもらったけど。
ヘタレさんだけは蹴り飛ばして。
……でも、入ってこようと思えばヘタレさんはテレポートだって使えるんだっけ。
けれどさすがにそれどころじゃないと分かっているのか、ヘタレさんは入ってこなかった。……うん、キスの瞬間とかに入ってきたりしないように祈るよ。
「……リルちゃん」
ふうと一度だけため息をついて、部屋の中心に横たわった身体にそっと話し掛けた。
まるで死人。
血が通っていないように見えるほど、真っ白な肌が覗いていて。
痛々しいと思えるくらい、それは病的な光景だった。
ふと僕は思う――ありえない予感が、心を揺さぶる。
魂が抜けただけで、人はこんな風になるものなのだろうか?
馬鹿な考えだなんて思う。所詮は素人だ、そんなこと僕には分かりっこないのに。
だけど、原因は別にある気がした。魂がないというのが、本当のことなのだとしても。
もしかしたら、『神』とやらが、関わってきているのかもしれない。
――それでも、僕は……。
「今出来ることをやらなきゃ……ね」
魂が戻ってきて、全部解決するならそれでいい。全部解決――とまでいかなくても、何か進展したらそれでいいと思う。
だから、僕は。
――さよならを、告げるために。
今までの恩を返すために、君を、救いたいと思うのです。
◇
部屋の外。
しんと静まり返った中で、俺だけがただ淡々と言葉を紡いでいた。
「――と、いうわけだ」
アリセルナに向かい、『全て』の説明を。
隠し通すことも、どうせできないだろうと思い。
俺は、全てを語った。上手い言葉は紡げなくても。
「……まあ、これは聞いた話、なんだがな」
そんな言葉を添えて説明を終え、ふと、顔を上げると、アリセルナはどこか泣きそうな、信じられないような表情をしていた。
それを見て、ちくりと胸が疼く。ああ、これは痛みだと、一瞬遅れて感じた。
「コメットが――偽者、ですって……!?」
やっぱり、アリセルナは驚いているようだった。瞳がこぼれそうなほどに見開かれている。
当然の反応だろう。――俺だって、未だに信じられていない。
ただ、……受け入れなければいけない状況だっただけで。
「ど、どういうことなのよ、それって……冗談でしょ!?」
「……俺も、冗談だと思いたいな。だが本人に確認済みだ」
「そんな、嘘……冗談だわ」
顔から色が褪せていくアリセルナを見ながら、俺はどうしたものかと嘆息する。
そうだ。これはまるで、性質の悪い冗談だ。
一体何と言えばいいのか。俺だって納得していないのに。何と言葉をかければ、傷付けずに済むのか。もう傷付けているのに?
――誰かに、変わってもらいたかった。皮肉にも。彼女を傷付ける役目を。
「残念ながら、本当ですよ」
そこに、正に合わせたようなタイミングで、ひょこっとヘルグが顔を出した。
いかにも楽しそうな、悪戯めいた笑みを浮かべて。
「――ヘルグ」
「お話は全部聞かせて頂きました。そんなことがあったんですね」
くすくすと笑うヘルグ。いつものことなので、もう腹も立たなかった。
だから俺はただ、ああ、とぶっきらぼうに頷く。
そんなことよりも……さっきこいつは、何て言った?
残念ながら――本当? それはつまり、証明できる――知っている、ということか?
ありえない。馬鹿な想像に、首を振ろうとして。
「今のコメットさんのことなら、ディーゼル君より私の方が知っていると思いますよ」
「な……?」
今のコメット。それを強調するような口調で、そっと告げ口するように。
どういう意味だ、と聞き返そうとして、俺はもしやと思い当たる。さっきの、馬鹿な想像に。
――もしかして、こいつ。
「……お前、あいつがコメットじゃないって……知ってたのか?」
「ええ。――言うまでもないですね。ディーゼル君は聡明で本当に助かります」
馬鹿にされているようにしか聞こえないが、今はそんなことで口論している場合ではない。
それよりも、それはどういう意味か。
……いや、そのままの意味でしかないだろうが。
こいつは、知っていた。
それなら、何で。つまり、どういう意味で。聞かなきゃならないことは――聞きたいことは、たくさんあった。
「それじゃあ……お前は、そのことは……一体――いつから知っていたんだ?」
「最初っからです。その気配を、感じましたから」
最初から? 俺は言葉を失う。
こいつは最初から――もう一年も前から、知っていたというのか。
そのことに俺は腹立たしさと、歯がゆさと、何ともいえない悔しさを感じた。
どうして。疑問ばかりが泡になって心に浮かんできて、どうしようもない。
「何、で……何で、言わなかった?」
愚痴をこぼしてしまいそうになるのを堪え、俺はあくまで質問として尋ねる。
それを感じ取ったのか、ヘルグはふっと淡く笑って、目を細めた。
「言えば、貴方はきっと彼女を殺していたでしょう」
――こいつはきっと、何もかも見透かしているのだと、この時俺は思った。
そうだな。その通りだ。俺はきっと殺していた。こんな事態でもない限り、絶対に。
俺の沈黙を肯定と受け取ったか、ヘルグはくすりと笑う。
「だから、黙っていたんですよ」
「……それが、人間の味方をすることになっても?」
「ええ。私は混血ですから」
今度は微笑ではなく、にやりと妖しく笑って、ヘルグは視線を外した。
「私はどちらでもないんですよ? 魔族でも、人間でも」
――そうだった、と今更思った。
こいつは、どっちでもないのだ。
耳が尖っていても、魔王城にいても。
こいつは、混血だから。
「ですから――ある意味での同情を感じたんです。一人違う世界に放り込まれた彼に」
楽しそうに笑う表情には、いくらかの影が差していた。
混血であることの悲しみ。
それは俺に理解出来るものではない。責めるべきものではなく、――だからといって受け入れられるものではないが。
「もし彼女を殺さなかったことに怒りを覚えていたのなら謝ります。……ですが」
またこちらに目を合わせ、ヘルグは笑う。
今度はひどく楽しそうだった。見せかけだけではなく、心から。
「あの時の私の決断が間違っていたとは、どうも思えないのですよ」
決断? 間違っていない、と?
俺が訝しげに見遣ると、ヘルグは今度は大きな声を立てて笑った。そして俺たちに驚く暇も与えず、そのまま言葉を紡ぐ。
「この一年間――貴方たちは、楽しくなかったと言えるのですか?」
アリセルナが、隣で息を呑んだ。俺もごくりと喉を鳴らす。
答えを最初っから知っていて聞いているのだと――そう思うと、何だか腹が立つ。
けれどそれ以上に、その質問にイエスと答えられない自分に、腹が立った。
「楽しかったよ。――今までで一番」
だからそう、正直に、ぶつけるように答えてやった。
ただ、その中に、一筋の希望を込めるように。
「――そうですか」
ヘルグの表情が、面白そうに、とても嬉しそうに、歪んだ。
一周年記念なんてやってたら本編のことがすっかり頭から抜け落ちてました。白邪です。
タイトルをセカンドキス~みたいな感じにしようと最初は思っていたのですが、恥ずかしいので没。というわけでタイトルはノリだったりします(^O^)
ていうか、昨日のうちに更新できると思ったのに……! 更新速度が段々落ちていく……。
そもそもこんな後書きを考える時間を減らしてその分書けばもっと更新速度上がるはずなんですけどね*それは言わないで!
そろそろコメディーに戻れる、はずです。もう少しかかりますが*
さて、次回の勇者さんはー?
『魔王と愛と勇者の言葉』の一本です(超予定。変わる可能性42%)。次回もまた見て下さいねーっ、じゃん、けん、ぽ(自主規制)
それでは、また次回お会いしましょう^^