第84話 ありがとうとごめんねとさよならを
「私――レイ=ラピスって、いうんだ」
ディーゼルの、琥珀色の瞳がふるりと揺れる。
僕は微笑んだまま、ディーゼルの目をまっすぐに見つめていた。
「レイ……、ラピス――」
僕はその言葉に頷いて、……頷いただけで何も言わなかった。
卑怯だと思う。彼が何も言えないのを分かっていて。
まだ突き放されたくないなんて、ずるい。ずるくて、傲慢だ。
「……お前が……」
ディーゼルが、細く息を吐きながらそう呟く。震えた、怯えたような声だった。
彼は、僕を恨んでいるのだろうと思った。――そして、それでいいとも思った。
お前が。
敵意を示す言葉に、僕には聞こえたから。
だから僕は、微笑んだ。淡く、『コメット』のままで。
「うん――えと、私のこと、恨んでくれていいですから」
ディーゼルは僕に向けた目を、大きく見開く。
……当然だった。
まさか、そんなことを言われるとは思わなかったのだろう。実際僕だって、自分の口からこんな言葉が出てくるとまでは思わなかった。謝罪の言葉は出たとしても。
だけど僕は微笑んだまま。驚きは顔に出さず、ただ淡々と言葉を続ける。
「弁明するつもりも、言い訳するつもりもないです……たとえ魂を入れ替えたのが私自身じゃなかったとしても、騙してたのは、私だから」
――言っていて、馬鹿みたいだと思った。
何だか、言い訳するつもりなんてないって言いながら、言い訳してるみたいだ。
それで許してもらえると思っているような、そんな言い方だと、自分で思った。
けれど僕は、言わずにはいられなかった。
ディーゼルの瞳はあまりに痛々しげで、謝罪の言葉一つで拭えるような傷ではないと感じたのだ。
勿論こんな言葉を並べ立てたからって救えるわけじゃないけれど、せめて、その表情を一瞬でも変えることができたならと。
浅はかでも、愚かでも、最低でも。
「コメットは、もう、いないから」
いないから。
――そう僕が言った瞬間、ディーゼルの表情はぐにゃりと歪んだ。
苦痛の色が、濃く浮かんだ表情だった。
当たり前だろう。こんな、どこから来たかも分からない、彼女と入れ替わった張本人にそんなことは言われたくないと思う。
罵られたって、たとえつかみかかられたって僕は抵抗しないつもりだった。
――けれど。
「……んだよ……」
「え?」
けれど、声は小さく。
ディーゼルは俯いたまま、震える声で呟く。
聞き取れずにもう一度聞き返すと、ディーゼルは憎しみのこもった目をキッと上げて僕に向けた。
「何、だよっ! お前なんて、何も、知らないくせに!」
僕を憎む目だった。それは。
「……うん、ごめんなさい。何も知らない」
吐息とともに、小さく呟く。
火に油を注ぐような科白だとは思ったけれど、本当のことだったから。
ひどく無責任で、無神経な言葉だ。
「黙れ! 謝って、何が変わる!? 許さないからな、絶対に許すもんか――っ!」
――『許すもんか』。
胸がちくりと痛む。
今までに見たことのない、比較的温厚なはずのディーゼルの憤怒に満ちた表情が目の前にある。
ものすごい迫力に僕は、思わず後退りそうになった。……何とか、踏み止まったけれど。
いつも優しいディーゼルの、悲しみ混じりの怒声。それはすごく怖かったし、とても痛かった。
だけど僕は言い返せない。――これは僕の、受け入れるべき痛みなのだろう。
裏切りの代償というのは、そういうものだ。僕は結局、彼を裏切ったんだから。
だから僕は言われるがまま。……そういうもの、なのだろう。きっと。
「何で、お前がっ! 何、でっ――」
ディーゼルでそこまで叫んでから、言葉につまったのか、唇を結んで拳をぐっと握った。
それは高々と振り上げられ、その憎しみを込めて殴られるのだと――悟った。
抑え切れない感情が溢れるように、抱え切れない痛みが零れるように。
ディーゼルの瞳からは、今にも涙が零れそうだった。
そして僕は、それを受け止めようと思った。
――けれど――
次の瞬間、衝撃が走ったのは僕の頬ではなく、斜め後ろの壁からだった。
「――殴れるわけ、ねえだろ」
ディーゼルは拳を壁につきつけて、そう呟いた。その声はやっぱり震えている。
僕は未だ何が起こったのか呑み込めずに、ただ呆然と立ち尽くしていた。
今、一体、何が起きたんだ?
彼は、僕を殴ったんじゃあ、殴るつもりだったんじゃあ――
一体、何で? 今、何が? 目を見開いて、僕はただ、直立不動のまま。
「今は違う奴に支配されてたとしても、その身体はコメットのなんだぞ……殴れるわけ、ねえだろうが」
俯いたままで、でもようやく壁から手を放し、ディーゼルは言う。
それでようやく理解した。
彼は、僕を――殴れなかったんだ。
ああ、そうだ。僕は馬鹿だよ。下唇をぐっと噛む。
ディーゼルが、優しいディーゼルがコメットを殴れるわけないじゃん。……たとえ今は、『僕』なのだとしても。
だって、優しい人が、ここには多すぎる……。
僕はそのことに息詰まるような感覚を覚え、一言、ごめんなさいと呟いた。友達思いの彼に、余計なことをしてしまったんだ。ぎゅっと目を瞑る。
「何で……謝るんだよ」
さらに、上から降る不機嫌な声音。
不機嫌というよりは、どこか物悲しげな響きだった。
「――だって……、そんなこと――ディーゼル君に、できるはずないのに」
僕は俯いて、ぽつりと呟く。
瞬間、ばんとまた壁に衝撃が叩きつけられた。思わず、心臓が飛び出そうになる。
「でぃ、ディーゼルく――」
「君、なんてやめろよ。……お前は確かにコメットじゃないかもしれないし……きっと、確実に、違うんだろうなと思う」
微かな怒りと、深い悲しみを含んだ表情。ふいに視線が絡まり、思わず目を逸らそうとするけれど、それは許されなかった。というか――できなかった。
憎しみの色が、そこには、なかったのだ。
「だけど……、だけど、俺は少なくとも信じてたんだぞ? ――コメットじゃなくても、騙されてたとしても、お前のことを」
零れそうな涙を堪えるように、ディーゼルはすうっと目を細めた。
泣きそうなのは、むしろ僕だった。
――信じてた。
心臓が内側から壊されるくらいの、強い衝撃が波打った。
信じてた、だなんて。
何よりも、ある意味裏切りを責められるよりも辛いことだった。純粋すぎるが故に、残酷な感情。
罪悪感がぽろぽろと心から溢れてきて、零れても零れてもどんどん底からわき上がってくるみたいに、止められなかった。
――ああ、ごめんなさい。
君は、僕、を。
コメットじゃなくて、僕を、僕のことを――
「俺は、お前のことが、好きだったんだぞ」
――裏切るのは、信じるより容易く。
――裏切られるのは、信じられるより辛く。
――信じるのは、裏切るより難しい。
けれど、ディーゼルは、迷わず信じた。信じてくれた。
僕とは、違って。
瞳を零してしまいそうなほど揺らしても、その意志は揺るぎなく。
残酷なまでにまっすぐに、信じてくれたのだ。
「――ごめん、なさい……」
僕は呟いた。思わず、そんな言葉を落とした。
「ごめん、なさい」
「だから、謝るなって」
「ごめん、なさ、い……それ、でも、ごめんなさい」
どんなに宥められても、止まらなかった。
涙は出ない。だけど、それ以上に辛かった。
好きだった。
たとえ、コメットを通して見ていたのだとしても――
好きでいてくれた。
そんな優しい人を、僕は裏切ったのだ。
喜悦と罪悪感の間の、歪曲した感情が頭をもたげる。
ごめんなさい。ごめんなさい。
その言葉ばっかりが、僕の頭を埋め尽くすように肥大する。
「謝っても、俺はお前を許したりしない。――絶対、許せないと思う」
ぴしゃりと厳しい口調で、ディーゼルは僕に言葉を叩きつけた。
ごめんなさい。許さない、と言われてもやっぱりその言葉が心にじわりと広がる。ディーゼルの表情は険しかった。
「――だけどな、今は」
けれど彼はふいに優しい声音を落とすと、ぎこちなく僕を睨んだ。
下手な睨み方だって、こんな場面じゃなきゃ、そんな馬鹿なことを思ったかもしれない。
「今は――魔王様のために、力を貸してくれ。お前が必要なんだ」
理由は分からない。突然魔王様のことが出てきて、僕はきょとんとしたけれど。
だけど、それは、『まだいていい』という――たとえ一時的でも、僕の存在を認めてくれた言葉だ。
コメットじゃなくても。
――まだ、好きでいてくれるんだね……。
「……うん……」
僕は力なく頷いた。
別に、その言葉が嫌だったわけじゃない。むしろ逆だった。
リルちゃんを助けることなら僕が頼みたいくらいだったし――僕が必要、っていうのはよく分からないけど――必要とされることは、何であれ、嬉しいことだ。
けれど、だからこそ気の利いた言葉なんて言えなかった。ただ小さく頷くことしかできなかった。
――こんな僕でも。
まだ、ここにいてもいいのなら。
……ううん、まだ、リルちゃんを助けるまで。
それまではここにいるって誓った。
――そのあと、どうなるとしても。
「……お願い、しますっ」
僕はぺこりと頭を下げた。何をお願いするのかもよく、分からないけど。
ただ、もう少しここにいさせて下さい。リルちゃんを助ける、せめてそれまでは――。
ただ、そのあとは……僕は。
素直にさようならを告げようと、決めた。
活動報告ではっちゃけてました、えー、白邪です。こんにちこんばんは(^O^)
一周年が近いので番外編でも書こうかと思ってたりするのですー。
でもシリアスがいいのかコメディーがいいのかも分からず四苦八苦。……宜しければどなたか、アドバイスをください。要望でもリクエストでもどんと来いだぜ。
……いえすみません、どうか案をください。要望リクエストどうぞ押しつけてやって下さい(;´Д`)結構本気で困ってます。
それから100話の方もそろそろ本気で考えないと……。
番外編、でいいのかな? そればっかりですが。
本当皆様の案を聞かせて下さい。私だけではすぐ番外編に走ってしまうようです\(^o^)/
えー、ということですので、一周年の方は早めにリクエスト等くださると……。
も、勿論強制ではないですので!
宜しければご一報下さいませ><
あ、えと、最後になりますが、お気に入り登録や評価ありがとうございます!
お気に入り登録が増えてるともう飛び上がって喜んでます、これからも宜しくお願い致します\(^o^)/