第83話 君はかえった、影は微笑った
あんにゃあああああああ!
もっ、文字数がっ……! 7514、だと……っ!?
そ、そんなわけですので今回半端なく長いです。……すみません。
空を滑るように歩きながら、僕は、ちらりと後ろに目をやった。
そこには感情の灯らない瞳をただ前に向けた、きれいな少女がいる。
ぼんやりとした曖昧な光と仄暗く照らされる影をないまぜにした、作り物のような瞳。
機械的な動作で、けれど行き先が確実である故に確かな足取りで歩く彼女を、僕は実際羨んでいた。
――僕は影。
実体化することさえ許されないような、紛い物だ。
この少女は違う。――たとえ中身が偽物であっても、だ。
実体を持つことを許され、誰かを信じることを許され、自分の存在を主張することを許された――
いわば、『選ばれた』存在なのだ。……僕とは違って。
僕は誰にも見つけてもらえない。
存在を主張することすら許されない。
どんな大声を張り上げたって、ひとりなのだ。
「……君にももう、僕の声は聞こえてないんだろうね」
振り返って吐息しながら、僕は無表情を守り続ける少女に語り掛ける。
――当たり前だ。
乗っ取ったのは僕だ、なのに何でそんなこと。結局は、自分が悪いと分かっているのに。
いや、分かっているけれど――
「でも、君が影になれば……僕はひとりじゃあ、ないよね?」
答えなどは期待していなかった。
いくら話し掛けようと、その小さな手を引いたって、この少女は微動だにもしない。
ただ自分のペースで歩き続けるだけだ。
……だけど。
――今に、今に……君は、僕と同じになるんだよ?
僕は小さく微笑む。それだけがつまり、救いだった。
ひとりはもう嫌だ。だけど僕は光にはなれない。だから、影に引き落とすしかないのだ。
今さら何と罵られようとどうでもいい。『影』じゃない人たちには――どうせ、解らないのだから。
「僕には、君しか、いない――」
そうっと、寡黙に歩き続ける少女の頬をなでる。
愛しいものはこれだけだ。僕のことを解ってくれるのは、きっと、君だけ。
僕は君で、君は僕なのだから――
「――コメットっ!」
突如、ぱりん、と、静寂のガラスが破られる。
「…………」
何なんだと不機嫌な顔で振り返れば、そこに立っていたのは見知らぬ男。
……いや、正確には違うけれど。『彼』の記憶によれば、ディーゼル……という男だ。少女の友人であり、ある意味では『彼』の友人でもある。
彼は金茶の髪を乱し、その呼吸もひどく荒れていた。ここまで、走って来たのかもしれない。
一体彼は、何をしに来たんだ――いや、分かり切っている。
彼は、この少女を連れ戻しに来たのだ。
――それはつまり、『彼』を連れ戻しに来たということだ。
「……許せないね」
僕がぽつりと呟くと、ディーゼルというその男は、その顔に驚きの色を浮かべて僕の方を見た――ように見えた。
「――お前」
でもそれは見間違いじゃなく、確実に、僕の方を見ている。
へえ、と僕は小さく笑った。珍しい。
「僕のことが見えるなんてね。珍しいこともあるんだね」
「お前、誰だ……?」
警戒してか、怪訝な表情を向けてくる男。
まあ、普通の反応だろう。――僕らは初対面なんだから。
ある意味では馴れ合った仲とも言えようが、今は、僕と彼とは別物だ。
「そんなことはどうでもいいよ。……君は、この子を連れ戻しに来たんでしょ?」
「お前……、そいつに……コメットに、何をした?」
彼は僕の質問にも答えず、逆に質してきた。
――礼儀がなっていないというか……、逆に、ある意味では賢明かもしれない。
僕の言葉にいちいち耳を貸しているようじゃ、すぐ影に取り込まれてしまうから。
僕も今さっき質問を蹴ったばかりなんだし、まあいいか、と僕は口元に笑みを刻んだ。
「別に。彼女には何もしてないよ、僕が必要としてるのは中身のひと」
「……どういう、意味だ……?」
眉をひそめ、窺うように僕の方を見る。
あぁ、――そうか。彼は知らないんだっけ? 中身が違うってこと。
『彼』の記憶を探りながら、僕はちょっとだけ笑った。
楽しいわけではない。――ひどく、滑稽で笑えるのだ。
「何にせよ、彼女はもう君の言葉には反応しないから、さっさとあきらめた方がいいと思うけど」
勝ち誇って笑う僕。
けれど男は、そんな僕に腹を立てることもなく、ただぽつりと言葉をこぼした。
「……勇者」
そう、それはふいに。
一瞬意味が分からず、僕は眉をひそめる。
「……何?」
「勇者……前の――勇者だろ、お前」
そう言うや否や、彼の瞳が徐々に熱さを帯びていく。
――勇者。
数秒ぽかんとしていたが、ようやくその言葉の意味に辿り着き、ああ、と僕は頷いた。
勇者、ね。嫌な思い出だけど。
「そうだね。――そう呼ばれたこともあった」
そう言ってにっこりと微笑んでやると、男の瞳に、怒りの炎が一気に灯った。
勇者に恨みでもあるのかなんてとぼけたことを一瞬思ったが、そういえば、と思い当たる。
一番大切な人を――殺された、ひとだ。
ちょっとだけ同情する。可哀想に。
「……道理で、見たことがあると思った……貴様っ、何で生きてるのかは知らんが、またコメットに手を出したら――!」
がっと体当たりするかのような勢いで走ってきて、僕の胸倉をつかみ上げる男。
身体が浮く。――元々浮くことなんて造作ないことだけど。
大して動揺もしなかった。というか、全く。
「へえ、僕の姿が見える上に、触れることもできるなんてすごいね? それほど好きなんだ」
「――ふざけるなっ!」
真剣なんだけどな、と頭の片隅で思う。別に焦っていやしなかった。
胸倉をつかみ上げられたからって、彼は何もする様子がない。たとえ殴られたって気にもならなかっただろう。
ただ僕は、薄く笑みを浮かべるだけ。
「そりゃあそうか。大切なひとを殺されたんだもんね、怒りたくもなるよね」
「……なん、だって?」
そこでぴくりと、彼は眉を上げる。
はてさて、僕は何かをおかしいことを言っただろうか。僕は思わず首を捻った。
――そこでまたまた思い当たる。そうだよ。この人は真実を知らされなかった可哀想な人なんだった。
ああ、可哀想なことをしたかもね。そんなことを思って、僕は、やっぱり笑った。
「知らないの? 彼女は記憶を失ったんじゃないんだよ。――死んだんだ」
「な……っ!?」
彼は、がつんと大きな衝撃を受けたようだった。
突然、唐突に全てを失ってしまったかのような、寂しそうで、悲しそうで、信じられないような表情を浮かべる。
当然の反応だろう。やっぱり可哀想なことをしたなと、僕はまた笑う。
胸倉をつかむその手の力が緩んで、僕は、再び冷たい地に足をつけた。
「……どういう……こと、だ?」
「そうだよね、大切なひとのことなのに知らされなかったなんて、可哀想だよね。仕方ないから、僕が内緒で教えてあげる」
そっと色を失ったその唇に人差し指を寄せると、僕はくるりと一回転して一歩分彼から距離を離した。
大げさな動作にもただ目を丸くして、彼は、身体を硬くするだけ。
よほどショックだったんだろう。
それが真実かどうかも確かめようとしないほど。
「彼女は、勇者一行に襲われて記憶を失ったんじゃないんだ――」
僕はわざと憂いを帯びた表情を作って見せる。
男は、そんな僕を悲しそうに見据えて、ただ次の言葉を待つだけ。
「――その勇者本人と、魂が入れ替わってしまったんだよ」
囁く真実。僕は告げる。
言葉にならない声。今にも叫び出しそうな表情。彼は見捨てられたような、壊れた顔をした。
「う、そ……嘘、だろ?」
「残念ながら本当」
「だ、だって、勇者って、お前は今ここに――」
「あのね。僕はその勇者の片割れ。もう片方は、――まあ今は彼女の中にいないけど。今までずっと彼女の中にいて、君を、騙していたんだよ?」
「――ッ!」
悲鳴のような、絶叫のような、すすり泣きのような。
泣きそうな顔をしていた。悲しみ以外の心を全部、もぎ取られてしまったかのようだった。
だけど僕は本当のことを告げただけ。……ちょっぴり清々しくて、面白い。
滑稽だ。全部、全部。
滑稽な男は、それでもまだ縋るように僕を見る。
「そしたら、コメット、は――」
「もういないんだよ。……ずっと、君のそばには、いなかったんだよ?」
僕は優しく教えてあげる。
どうやら本当に、もう一年近く経つのに気付かなかったらしい。
それどころか、この馬鹿な男はきっと、前より、彼女を好きになっていたのだろう。
それが裏切られた時の、この表情。やっぱり滑稽で、僕は笑う。
どうやら彼は、僕の乾いた笑いに怒る気力すらないらしい。黙ったまま、ただ、立ち尽くしていた。
「そん、な……馬鹿なことって、あるかよ……」
喪失感。
絶望感。
悲愴感。
そんなものをないまぜにしたその表情は、僕には笑えるようにしか思えなかった。
さっきまで威勢よく噛みついてきた男は今さら知った真実に崩れ、ただ、悲しみと怒りを心の中で育てるだけ。
「ほら、だから、もう帰りなよ……君の探してる少女は、ここにはいない」
僕はせめてと、同情するように微笑んで告げる。
神様みたいな慈悲。――そんなものいないけど。だから、紛い物だ。
けれど、彼も神のことが嫌いなのか――或いは、あきらめが悪いだけか――キッと怒りに染まった瞳を上げた。
「……返せ」
「何、を?」
「コメットの……、身体だけでも返せよ」
低く掠れた声は言う。
その威圧感はすごかったけれど、僕はあっさりと跳ね除ける。
「やだ。何で返さなきゃいけないのさ」
実際、返せない理由があったわけではないけれど。
――そんな僕の態度に、案の定、男は怒ったみたいだった。
「――これ以上、お前みたいな奴にそいつを汚させるかっ!」
ばっと、彼は顔を上げて拳を突き出してくる。
汚す、か。――嫌われたもんだ。
僕はその拳を避けずに顔面に食らう。痛い。けど気にするほどのことでもない。
……だって、すごく、滑稽なのに。
「取り返したいなら、取り返してみれば?」
すごみを利かせた声で、僕は返す。
そして更には、物分かりの悪い彼にちょっとお仕置きでもしようかと、魔法の詠唱を始めた。
――唱えるのは、炎属性の上級魔法『地獄の火炎』。
焼き尽くす。全部、滑稽なものは焼き尽くしちゃえ。
面白かった。だから、もうさようならって。
「――地獄の火炎――」
そう。焼き尽くしてしまおうと、したのに――
できなかった。
「――絶対零度!」
高い、凛とした声。
火気に満たされた場に、ぶわっと冷風が吹き込んでくる。
それは目の前の男じゃない。第三者が飛び込んできたわけでもない。――じゃあ、誰が?
答えは一つしかなかった。決まり切っている。
『彼』、だ。
「ま、間に合った……?」
色を失っていたはずの瞳に赤い輝きが戻り、長い金髪が風を纏って揺れる。
その手を向けた先――僕の手のひらが、……いや、腕が全部、綺麗に凍りついていた。
『絶対零度』。水属性の、最上級魔法。強さにしても相性にしても、地獄の火炎じゃ負けてしまうわけだ。
「――何で、戻って来れたの?」
僕は、逆い熱く感じてしまうほどの冷たさにも動じず、ただ低い声で問う。
だけど視線の先のきれいな少女も怯えることなく、ただ不敵に微笑んだ。
「――もう負けるわけにいかないからね」
闇を振り切った、表情。
まさか、あんなに固くしばった影の呪縛をも、破って来たのか――。
嘆息してちらりと視線を逸らすと、殺されかけたところを憎き仇に助けられた男は、ただ目を見開いて立ち尽くしていた。
そりゃあ驚きもするだろう。仇と思って再認識した相手に助けられる上に、元『同一人物』同士の戦いだ。
だけど僕の方は、ひどく憤慨していた。そして同時に悲しくもあった。
所詮、光は光で、影は影でしかないのか――。
僕を見据えるルビーの瞳。
どんなに貶めても、光を失わない瞳。――嫌いだ。
「……あんまり抵抗すると、壊しちゃうよ? コメットちゃん」
「こっちこそ、手加減しないからね? レイくん」
軽口に減らず口。――どっちもどっちだ。
光でしかないのなら、……壊してもいいか。
僕はそう思って、ひと足早く追悼を捧げる。
解り合えなかったもう一人の僕に。さようならなんて、今までの年月を思えば軽すぎる気もするけれど。
「精神破壊」
先手を打つ。
精神を破壊する光が、少女に向かって伸びた。――闇の最上級魔法、『精神破壊』。
――もしも。
もしも、同一である僕たちに勝敗を分ける因があるのだとしたら、それは使える魔法と――魔力の違いだ。
彼は光であるために、闇属性の魔法が使えない。
だが僕は影だ。闇魔法を得意とする、影だ。
闇属性の魔法は希少であるせいか、その威力が高い。普通に向かって負けるはずがない。
それが一つだ。
そして、もう一つは――
その器だ。
僕はかつて勇者の名を誇った魔法剣士、『レイ=ラピス』という人間だ。
けれど、相手は魔族の、戦いも知らない『コメット=ルージュ』というお嬢様。『彼』の魂はほとんど、彼女の魂に溶け込んでしまっている。彼はもう勇者ではなく、コメットというか弱い少女なのだ。
この違いは大きい。魔力の量も質も、何もかもが違う――
「浄化!」
ふいに少女が、よく通る声を張り上げた。
ぱりんと、ガラスの割れるような音が響く。――光属性の……魔法、だ。
少女の目の前に目映い光が浮かび上がる。その光は蔓延する闇を照らし、影を吸い込むように輝いた。
――まさか。
僕は一瞬、恐怖を感じてしまう。
その光の圧倒的な輝きに――
「――っ!」
まさか。
僕がその可能性を否定しても、無駄だった。
僕が唱えた、彼女に向かって伸びていた精神を破壊するその光が、ぱんと弾けて消える。それは一瞬で、あまりにも易く脆かった。
それどころか、彼女が唱えた浄化の光は、畏怖していた通りに僕の元まで伸び――
浄化した。
「なん、で――」
僕は浄化の光に吹き飛ばされ、地面に倒れ込みながら、呟く。
何で。
何で。
何で。
何で?
僕が負ける理由なんてなかった。相手は、戦いも知らないお嬢様で、僕の痛みも知らない――
「ねえ、レイ君。君は私だから、自分の弱点くらいよく知ってるつもりなんだけど」
倒れ伏せた僕のそばにしゃがみ込んで、ひどく優しい目で少女は微笑む。
――嫌だ、そんな顔をするな。
僕は思ったけれど、声にならない。影である僕は、浄化されてしまうのだ。
光に。光である、僕自身に。
――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
「君の敗因は、三つ。一つは、闇魔法の力を過信して、光属性という弱点を忘れてしまったこと」
そんな僕の気持ちも知らずに、そして、と彼女は続ける。
「そして二つ目は、このコメットという少女の力を見誤ったこと」
「みあや、ま……っ?」
僕は無理矢理に声を絞り出して聞き返す。
――どういう意味だ。
僕は勇者で、相手は、だって――
「私も驚いたんだけど、コメットはね――本当は、魔法を使うにしては莫大すぎる力を持ってるの。勇者とはいえ、人間である私たちとは比べ物にならないくらい」
「まさ、か……、そん、な、――!」
「本当だよ。魔王城の人たちは化け物揃いだから」
明るく笑う少女。
――そんな、まさか――悔しさと怒りと驚きが同じくらいわき上がってきて、下唇をぐっと噛みしめる。
ああ、そのせいで。
僕はこんなところで、光に、浄化されてしまうのか……。
「――それから、最後、コメットはもういないということ」
今度は何故か、切ない表情。
さっきの理論と矛盾したことを言い出す少女に、僕は驚いて目を見開いた。
「……いな……?」
「コメットの魂はね……サタンに、食べられちゃったんだよ。――君も、知ってると思ったんだけど」
知らない。そんなことは知らない。
入れ替わったことは知っているし、その魂の半分がコメットの中に残っていたことも知っていたけれど、そんなことは――
「今の魔法は、コメットが、大切な幼馴染を守るために力を貸してくれただけ。だから君の魔法を、上回った」
ちらりと後ろでまだ呆然としている男を見て、彼女は寂しそうに笑う。
――そんな、嘘、だろう。
いや、でも、あながち……間違い、でも、ないか。
僕は浄化に蝕まれ、消えて行く手足を見て、はあと嘆息した。
僕は影、影でしかない。――そして、同じように。
「……君は、結局、光なんだね」
ん、と少女は僕を見る。
「ううん――違うよ。ちょっと、光に、憧れただけ」
「……僕だって憧れてる、のに」
「君は――」
少女は僕をじっと見つめる。
……同情? 憐憫? ――いや、違う。
よく分からない曖昧な色を湛えて、少女は、僕を、見つめていた。
「――寂しかったん、だよね」
困ったように眉を下げる少女。
――あぁ、そうか。
寂しかったんだっけ、と僕は思う。今さらながら。
だから影に引き込もうと、したのかもしれない……
「そうか、寂しかったんだっけ……」
最期にぽつりと呟いて、僕の意識は、浄化の光に塗り潰された。
――そして、物語は更に複雑に絡まっていく。
「……コメット」
彼は呟き。
「いや……勇、者」
そして訂正する。
少女は――
「そうだよ――」
それを、受け入れた。
「私は、コメットじゃない。――レイ=ラピスって、いうんだ」
二つに分ければ良かった。白邪です。
これで一応影編終わりです*
案外あっさり終わったり。でも影の出番これで終わりじゃなかったり。
ただ、……うわあ、さらにこんがらがってるよこの話。って感じを残して奴は去って行きました。
セカンドキスはもう少しお預けですー。
とりあえず今は、一周年と100話に向けて頑張りたいと思います*