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第82話 Priez Dieu

「魔王様! 魔王様ぁっ!」


 狂ったように叫び続けるアリセルナの声だけが、沈黙を防ぐために反響している。

 規則的ともいえるその声が唯一意識を呼び止めているだけで、俺は瞬きも呼吸も忘れて立ち尽くしていた。


「何でっ、何でなの……っ、魔王様!」


 泣きじゃくるアリセルナの声。同じ言葉ばかりを繰り返す、壊れた人形のようだ。

 何で、魔王様、――哀れなほどの、悲愴な面持ち。

 情けないことに、俺はそんな幼馴染の姿を目にしながらも、何もすることができなかった。

 ただ息を止めて立ち尽くす。思考はどこか感情を失ったように、すんなりと回るのに。


 ――魔王様?


 冗談だろうと、問いかけるような響きばかりが頭の中に反響した。

 白い陶器のような滑らかな肌は、生くることのない芸術品アートと見紛えるほど。

 その姿を見つめるたび、死、というその一文字が脳裏に浮かぶ。


「魔王、様――っ」


 そんな魔王様に寄り添うようにして、倒れ込むアリセルナ。

 涙が一筋、その頬を伝った。祈るかのように。


 祈るかのように――。



「――アリセルナちゃんっ、待って!」


 ふいに、すすり泣きの間に凛とした声が通った。

 俺は驚いて、顔を上げる。

 声の主は、予想通りというか――、引き締めた表情をしたキナだった。


「……キナ……?」

「ちょっと、魔王さま……見せてくれるかしら」


 どうして、という表情をしたアリセルナに、キナはアリセルナの目を見据えたまま口を開く。


「まだ……死んでいるとは限らないもの」


 よく通る声が、暗くなった部屋の中に響く。――助けたい。そんな気持ちを、色濃く表す言葉。

 真剣なキナのその表情と強い気持ちは、アリセルナの心を強く揺さぶったようだった。

 アリセルナは、くっと俯いて目を閉じる。涙がまた一筋伝おうと。


「――うん……、キナ、お願い」


 長い長い吐息を漏らして、アリセルナはキナに場所を譲った。

 ……その手が震えていたと感じたのは、多分、気のせいではないだろう。


「ありがとう……待っててね」


 どこかほっとした表情で、キナはぺこりと頭を下げる。……普通なら、少なくとも混乱を防いでくれた、感謝されるべきはそっちだろうに。俺は嘆息する。


 それにしても、見るなんて……どういう?

 ――ああ、そういえばさっき、アリセルナとの話の中で『回復専門の魔道士』だなんて言っていたっけか。

 立ち尽くしたままで俺は、そんなことを考える。

 ようやく思考が落ち着き、段々、鼓動が緩やかになってきた。平常心を取り戻させるという意味では、キナの言葉はよく役に立っただろう。……そういう意味でも、俺たちは、感謝しなければならないのだろうが。

 部外者である『人間』がこの場にいなければ、きっと、俺たちはパニックに陥っていた。


「――アレス」

「あぁ。……ほら」


 そんな俺の気持ちも知らないのだろうキナは、魔王様の前に立った後に一度振り返り、俺の隣にいたアレスに呼び掛けた。

 するとアレスはキナの隣まで歩み寄り、キナに手を差し出す。

 ――何なんだ。何をしているんだ?

 何かの儀式かと思うほど、それはどこか機械的な動きで。

 俺の理解が及ばないまま、キナはその手を取り、魔王様の方に向き直る。……もしかしたら大した意味はないのかもしれないが。

 そして彼女は黙ったまま、空いている左手を魔王様の胸に当てた。


「―――」


 小さい声で、キナが何かを呟く。――呪文、のようだった。低い声音で。

 何をしているのかは分からなかったが……、ただ今は、見守るしかなかった。俺は無力だから、見守るしか。

 ただ、魔王様が生きていることを、祈りながら。


 ――ああ、もし神なんて奴が本当にいたなら、俺は祈っただろうさ。

 悪魔の誘惑にでも、魂を売っただろう。

 それほどに願っていた。魔王様が、再び、その目を開けてくれることを――。


「……魂が、ない……」


 その時キナが、ぽつりとそう呟いた。


「――え?」

「魂が、ない、の」


 重なった声に、キナがもう一度同じ言葉を返す。

 その横顔はどこか青褪めていて、震えているように見えた。


 ――魂が、ない……?


 意味はよく分からずとも、その響きは十分に不吉なものだった。

 『魂がない』。一瞬、頭の中身が空っぽになるような錯覚を覚える。


「う……」

「キナ!」


 突然よろけて倒れそうになったキナを、アレスが間一髪で支えた。

 血の気が抜けて蒼白くなった、魔王様とよく似たキナの肌。それを見つめ、顔を歪めるアレス。

 その表情には焦りの色が濃く表れていて、思わずどきりとする。

 ――魂が、ない。

 どういう意味だ……。鼓動が再び高鳴る。


「……ったく、こいつまた……倒れることは分かり切ってるって言うのに」


 ぶつりと呟くアレス。その言葉の意味もよく分からなかったが、俺はそれどころではなかった。


「――おい、側近さんよ、とにかくそういうことだ! まあ……、キナの言うことに間違いはないと思うが、どうするかはあんたらの自由だからな」


 意識を失ったキナをひょいと抱えて、部屋の隅に避けるアレス。

 ――そんなことを言われても、こっちは困ったものだ。

 魂が……って、そんなの、専門外どころの話じゃない。


 ――この中で、まだ、頼りになりそうなのは……。


 俺は、さっきから一言も発していない、唯一そっちの知識にも通じていそうな男を、ちらりと横目で見た。


「――……」

「……ヘルグ?」


 ……が、俺の予想に反し。


 ヘルグは未だに固まっていた。……比喩ではなく、本当に呼吸をしていないのではないかというほど。

 いつも余裕の笑顔を崩さないだけに、その表情にはどきりとする。

 憂いか、懸念か、驚愕か、――恐怖か。

 そんな色を湛えた表情は、微動だにもせず一点を見つめる。


「……ヘルグ」


 俺の呼びかけにもまるで答えない。――聞こえてすらいない、のかもしれない。


「ヘルグ!」

「っ!」


 肩を揺さぶってようやく、ヘルグがはっと気が付いたように顔を上げる。

 そして俺とためらいがちに視線を合わせたと思うと、一瞬で逸らした。


「……大丈夫か、お前、今」

「――すみません、ちょっと……」


 心なしか、顔色が悪い。……こいつ、大丈夫か?

 俺が嫌疑と懸念の意味を込めてじっと見ていると、アリセルナがずんずんと横から歩いてきた。


「……アリセルナ?」


 大丈夫なのか、と言おうとして、俺はすっかりといつもの調子で明るい笑顔を浮かべるアリセルナと目が合いぽかんと固まってしまった。

 ……あれ? こいつ……、元気そう、なんだが。


「仕方ないわよっ、ディーゼル」

「は? 仕方ないって……何が」


 声すら弾んで聞こえるアリセルナの言葉を聞きながら、俺は眉をひそめる。


「だってヘタレさん、実は魔王様ファンクラブの第一人者だっていう噂よ。魔王様のことでショック受けても仕方ないわ!」

「はあああっ!?」


 俺はアリセルナとヘルグを交互に見比べる。

 ……ファンクラブ? 第一人者? まさか……、こいつが?

 て、いうか、お前は大丈夫なのかアリセルナ。言いたいことが多すぎて何も言えない。


「…………否定はしませんけど」


 ヘルグは低い声で、そう呟く。……やはり、何だかどこか気分の悪そうな表情だ。


「いえ、むしろ肯定しますけど。あと付け足しますがファンクラブ会長ですから」

「すんのかよっ!? ていうか会長なのかよお前!」

「ディーゼル君の突っ込みはコメットさんの突っ込みより直球で好きですよー」

「誰がそんなこと聞いたかあああああっ!」


 訂正。訂正しよう。こいつ絶対気分なんか悪くない! むしろ絶好調だ!

 こちらも何故かすっかり元気を取り戻したヘルグから視線を逸らして、俺ははあと嘆息する。

 心配した俺が馬鹿だったのか。さっきまでのしおらしい態度はどこへ行った。


「……ていうか、何でそんな元気になってるんだよお前ら……」

「え、だってー」

「だって」


 声を揃えて、だってだってと言う奴ら。

 ……うぜえ。本当に、何でこいつらはこんな元気になってるんだ。


「魂がないってだけで、魔王様は死んでないってことじゃない」

「魂がないのは問題じゃないのか!?」

「ディーゼル君は気にしすぎだと思いますよ?」

「お前らは気にしなさすぎだっ!」


 楽天家というのか、ただのアホか……。

 俺は額に手を当てる。頭が痛い。

 『魂がない』ことの解決法だって見つかっていないのに、こいつらは何でここまで楽観できるんだか。……苦労性言うな、そこ。自分が一番よく分かってるから。


「ねえディーゼル、そんなに思い詰めていたって何も解決しないわよ。悪い方向に考えちゃ駄目、焦っても駄目だと思うのよ私」


 アリセルナは幼子をあやすように、猫撫で声で俺を諭す。

 ……ん? 諭されてる? 複雑な気分だが。


「またそんな顔してー。悪い方向に考えてたら、悪い結果になっちゃうのよ! ディーゼルみたいに」

「どういう意味だよ!?」

「そのままの意味よ」

「分かるか!」


 分かりたくないが。ていうか、本当に何なんだこいつ……。

 ヘルグは笑ってるし。何かムカつく。はあと一息ついて、俺はヘルグを見た。


「それで? どうするんだよ、この事態……」

「楽しいですね」

「誰がそんなこと聞いた」


 何故かそこで笑うヘルグ。何かもうこいつら嫌だ。

 俺はそんなことを想いながら、再びため息をついた。……いい加減、不幸になりそうだ。


「そうじゃなくて、たとえ死んでないとしてもこのままじゃまずいだろ。どうするんだって、魂がないって」

「それは、その――」


 そこまで言って、ヘルグは一旦言葉を切る。

 何だと怪訝な目を向ければ、ふむとヘルグは考え込むように俯いた。


「――そうですね、それじゃあ、先にコメットさんを連れ戻す必要がありますね」

「は?」


 突然出てきた名前に反応できず、俺は間抜けな声で答える。

 コメット?

 いや、確かに気になるが……それが魔王様とどう関係すると言うのだろう。


「ファーストキスの後で悪いですが、セカンドキスも捧げてもらいましょう」

「……ヘルグ?」


 今、何だか不吉な単語が聞こえた気が……。こいつは一体、今度は何をしようって言うんだ。

 視線に気付いたのかふいに顔を上げたヘルグは、俺と目を合わせて、ようやくいつもの不敵な笑みを浮かべた。


「ディーゼル君は、魂喚び――というものを知っていますか?」

「……魂、喚び?」


 聞いたこともない響きに俺は眉をひそめる。全く知らない単語だ。

 ただ、その言葉から、『魂を呼び戻す』何かだろうということは想像がつく。


 ――つまりは、策があるということだ。


 俺は何だかんだでしっかりと考えているヘルグに感心しながらも、なら最初っからそう言えよという怒りが同時にわきあがってきて何とも微妙な気持ちだった。


「……で? それに、コメットが必要なのか?」

「お察しの通りです。ディーゼル君は聡明なので助かります」


 くすくすと笑うヘルグ。

 嘘つけ、と思いながらも、俺は無言で踵を返す。


「それでは、お願いできますか?」

「……お前は行かないのかよ」

「この役、多分私では務まらないと思います」

「…………?」


 どういう意味だ、と思いながら俺は、深くは追及しなかった。

 追及すればするだけ、多分綺麗にかわされてしまう。そんなことなら時間の無駄だ。

 それよりも今は、その策に賭け、コメットを探そう。――あいつのことも実際、心配だったんだし。


「……じゃあ、行ってくるからな」

「ええ、行ってらっしゃい」


 何故か爽やかな笑顔で送り出された。

 ……何だか、すごく嫌なんだが。


 とりあえず俺は憎たらしい笑顔を浮かべるヘルグよりも、まるで彫像のような魔王様の姿を脳裏に焼き付けながら部屋を後にする。

 頭の片隅、コメットが行きそうな場所を考えて。


「……あいつ……大丈夫かな」


 その思いを口にした瞬間、漠然とした不安が胸中に満ちた。


 そういえば、魔王様のことでうやむやにされていたが――

 発端はそもそも、あいつなんだよな。アリセルナの言った嫌な予感、人間の訪問者……不吉すぎる。

 ある意味では一番、危ないかもしれない。


「――無事でいろよ」


 誰にともなく、呟いた言葉。

 不安を心の中にちらつかせながらも、俺はやっぱりあいつのことが好きなのだと――俺は束の間、そんなことを考えていた。




前半ヘタレさん空気。


ようやくコメディーです、この場面じゃ確実に空気読めてませんが。

とりあえず倒れたキナは心配もされずスルーされました。

……後でアレスの鉄槌が下っちゃうぞ!

やっぱり勇者よりもディーゼルの方が書きやすいかもしれません*

考えてることが清々しいです(^O^)うふふ。


余談ですが学校閉鎖中です。

学校閉鎖って別に小説書くためにあるんじゃないとか聞こえますが、べ、別にいいですよね? ぴんぴんしてますし!

皆様もお身体にはお気を付けてー。

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