第7話 魔王様ともう一度
眠りの国から呼び戻されたのは、ちょうど勇者が魔王城に差し掛かる夢の最中だった。
僕の人生がたった3時間の間に詰められ、頭の中で展開される。
誕生の時も、父の夜逃げも、母との別れも、勇者としての旅立ちも、全て一瞬、光と同じ速度で過ぎ去っていくような。
そんな悪夢も終わり、ぼやけた視界に飛び込んできたのは、淡い光とヘタレさん、それに後ろに立っているもう一人の人だった。
「コメットさん。お早うございます」
今まで使われていた『勇者』という称号ではなく、僕のものとなったその名前で彼は僕を起こす。
その表情は相変わらず笑顔で、作られたような綺麗さを誇っていた。
「お早う……ございます」
後ろにいる人は、一体誰だろう? 明るさに目が慣れてくると、その人は変装とも言えるような怪しい格好をしているのが分かった。
肌が一切見えないような、その人を隠しているようにすら感じる厚着。怪しいマスク被ってるし。
誰かな。ヘタレさんの知り合いだろうか? いや、知り合いではあるのだろうけれど。
「あの……」
「ああ、この人ですか。魔王様ですよ」
あっさりとバラされ、その言葉は僕の耳を右から左へ通過しまた外へと出ていくところだった。
が、ギリギリで僕の脳内に留まった言葉は、信じられないような事実で。
「……え? ま……魔王、様? ってあの……」
肌は一切露出せず、そんなに彼をまじまじと見つめたこともなかったので分からなかったが、確かにその人は魔王様のようだった。
背は高く、その割にかなり細い。
ていうか、何の為に変装なんてしているんだろう。自分の城なのに。
「人に見つかって下手に騒がれたら嫌ですからね」
どこのアイドルだ。
「魔王様は皆の憧れですから」
「す、凄いんですね……」
僕は苦笑する。
それを聞いても、魔王様は身動き一つしない。この人が皆の憧れ?
まあ、それも当たり前なのかも。何たって『魔王』なんだし。
魔族の気持ちなんて、よく分かりやしないけど。
「そ、それよりも、何で私の部屋なんかに……」
「いやぁ、魔王様が会いたいというので」
え? 魔王様が、僕に?
驚いて魔王様を見ても、表情一つ変えないというか、表情一つ見えないというか。
怪しいマスクに遮られ、その表情は分からなかった。
「……魔王様。もう部屋に入ったんですし、マスクくらい取って下さいよ」
ヘタレさんがそう言っても、魔王様は動く様子すらない。
ヘタレさんはため息をつき、彼のマスクを無理矢理剥ぎ取った。魔王様は抵抗する様子すら見せなかったけれど。
「ごめんなさいね、魔王様は対人恐怖症で」
対人恐怖症!?
ヘタレさんは笑顔だ。満面の笑みだ。……どうやら、嘘じゃないらしい。
それにしても、対人恐怖症って……、いいのか魔王様。
「まあ、特定の人には普通に接して頂けるんですが」
微苦笑を浮かべるヘタレさん。
見る限り、ヘタレさんは“特定の人”に入るのだろう。
あれ? でも、その割には、僕が勇者としてここに来た時には、普通だったような。戦いながら会話してたよね。あ、それはある意味普通じゃないか。
てか、そもそも対人恐怖症というなら、勇者の相手なんてできないんじゃ。
「それでなんですが、魔王様はコメットさんに話があるようなので、邪魔者は退散しますね」
僕は『は?』と小さく漏らす。
僕に話が? ちょっ、さっき話したばっかりじゃないか。ないよそれ。
二人っきりじゃ気まずい。ヘタレさんにはむしろここにいてほしいくらいだ。
お願いだから行かないでと目で訴えかけたが、全く伝わらなかったようで、ヘタレさんは満面の笑顔で部屋を出ていってしまった。
……ちょ、ほんとに二人っきりですか……?
ありえない。あの人の常識を疑う。それでも人の心があるんですか!
いや、……ないかも。
「……コメット」
「は、はい」
突然名前を呼ばれ、声が裏返ってしまった。
でも、その名前を呼ばれて反応できた僕は凄いと思う。だって、その名前は本当は僕のものじゃないのに。
「……何でもない」
何でもないのかよ!
なら呼ぶなよこの野郎、なんて罵詈雑言が頭の中をよぎっていく。でもあくまで思うだけ。
魔王様が読心術を使えないことを祈る。
「…………すまなかった」
「へ?」
突然謝られ、僕はぽかんと口を開けて固まる。
何故謝られたのだろう。分からなくて、僕は首を傾げた。
魔王様はただ、悲しそうに項垂れるだけ。
「ま、魔王様?」
「……私の責任だ」
何がですか? と聞こうとして、ふと顔を上げた魔王様と目が合う。
深い、漆黒の瞳。吸い込まれそうに綺麗な色だ。
それを見ると、胸が苦しくなって、呼吸もできないような感覚に陥った。
何だろう、この感覚は……?
「ま、おうさま……?」
彼をどこかで見たことがあるような、そんな気がする。気のせい? 他人の空似だろうか?
それとも、残った『彼女』の意識? いや……、違うんだ。
そうじゃない、もっと深く刻みつけられた記憶。僕自身の眼で、遥か昔、曖昧な映像で、僕は彼を……。
そうだ、僕は、彼のこの瞳を見たことがある……。