第76話 闇は語った、虚を騙った
目を覚ましたのは、曖昧な世界。
ふわりふわと舞い降りる意識は、闇の中で目覚めた。
闇が密集して、光が差す隙間はどこにもない。
ただ混沌と、秩序が、矛盾しながら回るだけ。
完全な影の領域でありながら、そこは、ひどく曖昧な世界だと思った。
「ん。目を覚ました?」
ぼんやりとした世界の中。
くすりと、頭上から声が降ってくる。それは低くも高くもない、特徴のない声。
普通の。平凡な、声だと思う。
「おはよう、眠り姫様」
おどけた口調で、声は言う。
――そして僕はようやく、それが『自分』の声であるということに気付いた。
自分で聞く自身の声と、他の人が聞く声はかなり違うのだという。
それは本当のことだと――どうでもいいことを、僕は上手く回らない頭で確かめる。
「……影」
ほぼ無意識に、僕はその名を呟いた。
そんな僕の言葉に、小さな苦笑が降りる。
「うん、まあね……そう呼んでくれても構わないよ。僕は君の影だから」
顔を上げた先の、歪んだ笑みがそう言う。
それは僕だったはずの、……レイ=ラピスという人間の容姿を借りた、仮初めの笑顔。
……仮初め?
……仮初め。
少なくとも僕はそう信じたくて、じっと、その笑顔を見つめる。
「……そうだね、君はそう思うかもしれない」
僕の心を読んだように、影の少年は口元に深い笑みを刻んだ。
君はそう思うかもしれない――。
その言葉の意味するところは、つまり。
「僕も少しだけ、そう思うよ」
少しだけ。
やっぱり心を読まれている。――僕はそう確信した。
それもおかしなことではない。だって、奴は、僕の影だ。
そしてそう思った瞬間、探られているような、気味の悪い感覚が込み上げてきた。
気持ち悪い。
読まれているなんて、ひどく、気味が悪い。
だけどそんな僕の思いを、影は笑って黙殺する。
「だけど……どっちが疑似なのかな?」
心なしか薄い輪郭が、笑うように震えた。
目が細められ、すごく楽しそうにも見える。
――疑似。
その言葉が、喉のあたりに引っ掛かって仕方がない。
僕は今コメットの姿を借りていても、――中身はレイだ。
僕の姿を借りる影と、どちらが疑似なのか。
どちらがニセモノなのか。
その話題には触れられたくなかったなんて――愚かな言い訳だ。
「……僕が……本物かもしれないよねえ?」
笑みを含んだ優しい声に、どきりと心臓が高鳴る。
僕が本物である保証など、どこにもないのだと。
棘が刺さるような感覚に、弾かれるようにその目を見据えた。
蒼い蒼い瞳。吸い込まれそうなほど、影に似ている。
だって、それは、影。
どちらが影かなんて――所詮、表と裏なのに。
僕が影じゃないなんて、言い切れるはずはなかった。
「……ああ、ごめんね。そんな顔をしないで。君はもう取り込んだんだった――今さら争うのも、おかしな話だよね?」
ふと僕の視線に気付いた影が、小さく小首を傾げて微笑む。無邪気な子供のような、幼い残酷さで。
ぐっと喉の奥に詰まる感覚を感じたけれど、僕は逆らえない。
影が言う通り。争うのは、すごく、おかしな話だ。
そうだ。だって、もう取り込まれてしまったのだ。
禁断の誘惑に乗ってしまったのは僕で。
唆した蛇が悪かったのか、果実を齧った人間が悪かったのか。
どちらにせよ。
「君はもう影の同志だよ」
戻れないことを、ひしひし感じる。
僕は彼らを恨むことを――光を恨むことを、もう決めてしまったのだから。
「いじめてごめんね。だけど、影は、こういう世界だよ」
憐れむように、愛しむように影はそっと僕の頬を撫でる。
気味が悪かったけれど、多分、仕方のないことだった。
「……怖くなった? なら、今から帰る?」
帰れないことを知っていて、影はそんなことを言う。
帰る。――帰れるわけがないのに?
唇を噛んでみても……悔しさが紛れないのなら。
僕は影を見据えて、呟いた。
「帰れる人なんていないよ。自分の心の闇から」
そう、と影は満足そうに微笑む。まるで、出来のいい子供を持った親みたいに。
正解を知っているのは当たり前だ。これは僕の闇なんだ。
逃れることなんて、出来やしない。
「なら――おいでよ。現実から逃れる方法を、教えてあげる」
現実逃避。
続く甘美な誘惑。影は僕に手を伸ばす。
「君に。自分の本質を知っている君だけに」
その手は、冷たい。僕が知る温もりなんてない。
一瞬、色々な人の笑顔が脳裏に浮かんだけれど――それも、すぐに深い闇に掻き消されてしまった。
だから僕は立ち上がる。全てを失い、捨て置いても。
ただ、残るのは――濃厚な闇だけ。
影の、薄い、輪郭だけだった。
少しずつ蝕み続ける闇は、人の心を喰らい尽くしても止まらない。
……だから、僕は。
痛みを受け入れることを、決めた。
――さよなら。キナ、アレス。僕は君たちを汚してしまった。
それが分かっていてもなお、僕は影の手を取る。
だけどいつも一緒にいてくれた、君たちのことは忘れません。
――さよなら。ヘタレさん。僕は貴方のようには笑えない。
強くなりたかったなんて、今さらなんだ。
冷たいようで優しい貴方が、幸せで、ありますように。
――さよなら。リルちゃん。僕は大切なものを、奪ってしまった。
それでもなお優しい君は、きっと僕には優しすぎる。
けれど、やっぱり、好きでした。
だから、さよなら。さようなら。
どうか、神様、いるのなら。お願いします。
最後にもし一つだけ、願いが叶うのだとしたら。
せめて、どうか――
パソコンがようやく直り、あらすじをいじっていたのはいいんですが……
えと、スランプっていうんでしょうか(´Д`)
最近面白い物語が描けていない気がします。
ここはさくっと影のせいにしていいんでしょうか。
……良くないですね。すみません。
初心にかえり、皆様のちょっとした暇潰しになれるような作品目指して再び頑張ります*