第72話 偽善的倒錯
「さて、何からお話ししましょうか?」
『邪魔者』がいなくなったのをいいことに、奴は意地悪く微笑んだ。
普通ではありえない色をした、鋭い瞳を細めて。
警戒。それだけでは済まない、嫌悪感を込めて睨む。
「まず……貴方達は、勇者の仲間ですね?」
「……!」
最初から核心をつかれ、敵意を剥き出しに顔をしかめた。
正面に座る、余裕そうな相手に向かって。
「そう睨まないで下さい。……何をするつもりもありませんから」
信じられるか。そう言ってやりたかった。
不意に、後ろからぎゅっと服の裾をつかまれる。
キナは震えていた。
「あの時のことは覚えていますよ。今もね」
当たり前だ。忘れていたら殺してやる――あれだけひどいことをしておいて。
覚えていたって、殺してやりたくなる。たとえ悔やんでいたとしても。
――魔王城。
魔王討伐の命を受け、やってきた場所で。
俺たちはこいつに出会ったんだ。
「貴方たちは、勇者一行としては破格の強さでした。まさか人間の中に、魔王城の魔族と張り合えるほどの強さを持った者がいるなんて、考えたこともありませんでしたよ」
目の前の男はくくくと笑う。
褒められているのだろうが、嫌悪しか感じない。
出会ったときから印象は最悪。今も変わらない。
「……あんたは……自分に関する記憶を、レイの中からさっぱり消したな?」
「えぇ」
隠す様子も否定する様子もなく、あっさりと認める。
不快だった。
キナは相変わらず震え、俺の中にはふつふつと殺意がわきあがってくる。
――こんな奴がレイのそばにいる。
それだけで、殺したかった。
汚すなんて許さない。その闇はあまりに深すぎて、レイまで穢れてしまいそうだ。
「怯えられても困るので。勇者さんの中では、貴方たち二人は魔王様が殺したことになっています」
笑顔で男はそう言った。
自分の上司に罪をなすりつけ、笑っているこいつの気が知れない。
ふざけるな。ふざけるな……そう、叫んでやりたい。すごく。
「魔王様は優しい人ですから」
まるで俺の心を読んだようなタイミングで、奴はさらりと言う。
だけど――そういう問題ではない。
優しければ何をしてもいいのか。
そんなわけはない。
こいつは紛れもない『爆弾』だ。
「……ふざけるなよ」
「ふざけてませんとも」
口元は笑みの形。
けれど、目は決して笑っていなかった。
こんな奴――こんな奴。
殺したいほどに、憎い。
「嫌って下さって結構です。憎んで下さって結構ですよ」
俺は顔を上げた。
一瞬、心の奥底から湧いた憎悪すら忘れ。
「……は?」
「憎いなら憎いと仰って下さっていいと言ってるんです」
聞き返す。けれど、聞き間違いじゃなかった。
俺は瞬きを繰り返す。信じられない。
目の前の男は、笑ったまま。
自分を嫌ってくれと言ったのだ。
「憎い気持ちは分かります。許して貰おうなんて思ってませんからどうぞ遠慮なく」
遠慮とか、そういう問題じゃないだろう。
俺はそんなことを思いながら、ぎりっと歯を食いしばった。
やはり、ふざけているのか?
憎い。言われなくても、こんな奴は嫌いだ。
贖罪のつもりか? まさか、偽善にすら届かない戯言でしかない。
「お前っ――」
「アレス」
俺がとうとう溜まりに溜まった怒りをぶつけようとしたその時、キナの小さな手が、俺の服の袖を引っ張った。
思わず、勢いよく振り返る。けれどその先のキナは、もう震えていなかった。
「待って。私に話させて」
「……キナ?」
どういうつもりだと、顔をしかめる。でもキナは返事を返さず、俺の前に出た。
止めることも出来ずに、俺はキナの背中を呆然と見つめる。
何をするのかと。
……相手が変なことをしなければ、俺が手を出す理由も権利もないだろう。
そう思いながら、心を落ち着けようと努力する。
「貴方のその提案ですけど、私たち、お断りします」
「っ!? キナ!?」
だが、キナの口から飛び出した、その言葉に俺は思わず身を乗り出した。
提案……さっきの、嫌えとか憎めとかその類の言葉だろう。
どういうつもりなんだ。今度こそ本当に疑った。
油断ならない相手だぞと、言ってやりたい。
けれどキナは、こっちに見向きもしない。ただ凛として言葉を続ける。
「貴方がそう言う限り、私は貴方を嫌いも憎みもしない」
正気とは思えない言葉に、今度こそ止めてやろうと俺はキナ手を伸ばす。
けれど。
ちょっと離れて見たキナの横顔が、すごく真剣で。
強くて。
途中で手が止まる。
「…………」
口を開けたまま固まっていた。
いつも隣にいるから、よく見ていなかったのかもしれない。
見つめていると、心が落ち着いてくる。
――そうだ。
キナの言葉の意味なんて知らない。俺には理解できない。
だけど……、キナの言葉ならと思う。
信じたい。
俺では出せない彼女の答えを。
俺は手を戻した。
ぎゅっと拳を握り締め、またキナの小さな背中を見つめる。
「……天の邪鬼な方ですね」
「そうかしら」
さっきまで怖がっていた彼の言葉に、キナはさらりと返した。
「私には貴方の方が、天の邪鬼に聞こえます」
――さすがに奴も、驚いたみたいだった。
目を丸くし、キナを凝視する。
キナは変わらず強い瞳を彼に向け、言葉を続けた。
「貴方は本当に、私たちに嫌われようとしてるみたいに聞こえるわ」
「……それが?」
「嫌われたくないんでしょう」
簡潔なキナの言葉。
今度は男の方が、押されていた。
「……何が、言いたいんですか」
怪訝そうに顔をしかめる男。
だけど明らかに、焦っていた。触れて欲しくないことに、気付かれてしまったかのように。
「魔王さまを、庇っているのね?」
今度こそ男は、驚愕の色を浮かべた。
俺も同じく。
一瞬、息を止めるほどに。
でも俺が驚いたのは、庇っているというそれだけではない。
キナが――『魔王さま』と呼んだことだ。
憎むべき相手であったはずの魔王に、敬意を払った呼び方。
それが俺には、ショックだった。……いい意味でも、悪い意味でも。
「普通なら勇者一行はみんな、魔王さまが滅ぼすはずだったわ。だけど、貴方はわざわざ私とアレスを魔王さまから遠ざけた」
キナは視線を逸らさないまま、話し続ける。
男は顔を歪めて俯き気味だったが、有無を言わさず話を聞かせるようなキナの雰囲気に負けたようだった。話はちゃんと黙って聞いている。
「わざわざ自分の手を汚して二人を始末し、レイ君だけを魔王さまに殺させた。魔王さまの手を出来るだけ汚したくなかったとか、きっとそういう理由なんでしょう」
キナは、人の気持ちを察するのが得意な少女だ。
嫌になるほど的確に、相手の心情を読み取る。
俺も、もう隠し事すら出来ないほどに読まれてしまうのだ。
「……聡い方ですね」
そんな鋭いキナの指摘に、肩を竦めて男は笑った。
降参のポーズ。俺には、そんな風に見える。
「その通りです。その通りですよ、賢いお嬢さん」
「そう? ……貴方みたいな人は、読み易いわ」
キナはそう言ってくすりと笑う。
男は再び肩を竦めて笑った。……よく見てみると、悪人には見えない。
「だって、優しすぎるんだもの」
キナも、敵を見るような目はしていなかった。
そして俺も、いつの間にか同じような視線を向けていた。
騙されているのか。
そんなことを考えながらも、俺も笑った。
騙されているのならそれでもいいかと。
キナが信じたなら、俺だって信じていいはずだ。
少なくともキナの目は、俺より本質に近いところを見ている。
「私知ってるの。貴方がレイ君を守っていてくれたこと」
俺は一瞬驚いてキナを見たが、その視線をその向こう側に移し――何だか、納得した。
さっきよりもっと、柔らかい表情をした男。
笑みは変わらずとも、困惑したようなその表情が、近く思えた。
俺たちに嫌って欲しいと言ったのは、守るためなのだと。
よく解らないような捻くれた理屈さえ、何となく、理解できる。
自分に矛先が向けば、他を憎むことも出来なくなるだなんて。
「私、貴方のこと嫌いじゃないわ」
ふわりと目を細め、キナはそう笑った。
その微笑はとても綺麗で。
俺の好きな、キナの笑顔だった。
『嫌いじゃない』。そういうキナの優しさも、好きで。
「そうね、私が今まで見てきた世界で3番目くらいに好きよ」
……だからと言ってその言葉も許容出来るかと問われれば、俺は迷わずそんなわけないだろうと叫ぶが。
それはよろしいことで……と、ため息を飲み込む。
3番目なんて、キナも易々と売るものだ。
勿論、相手を信用したから言ったんだろうことは分かっている。
それにしても、出会ったばかりなのに――しかも元敵なのだ――キナにそんなことを言ってもらえる相手に、ちょっとだけ妬きそうになった。が。
次のキナの言葉で、杞憂だったと苦笑する。
「勿論、レイ君とアレスが一番ね?」
……キナはひどく、人を魅了する少女だ。
俺は負けたと、目を閉じた。
アレスはキナを盲信しています。
まあ……それにも理由はあるんですけどねえ。
そんなわけで新学期が始まってしまいました。白邪ですー。
宿題は何とか間に合いました*
案外余裕だったりして。
さて、今度は勇者と魔王のことについて書くぞ……っと思っています^^
軌道修正・復帰編、どうぞお付き合い下さいませ。
……余談ですが、白邪は好きな小説の最後に後書きがあると得した気分になる人間です。
面白い小説の書き手さんというのはみんな面白い人です、私もそうであれますよう。
勿論「後書きなんて読みたくない」という方は飛ばして読んで下さって構いませんからね!