第68話 二度目の目覚め
ひどく壊れてます……あわー。
ステータス
魔王 しにかけ
側近 いしきふめい
勇者 こわれた\(^o^)/
「ショック症状……?」
口にしてみて、ひどく違和感のあるその響きに思わず笑いそうになった。
ショック? ショック症状?
たぶん彼には、一番縁のない言葉だろうに。
「ああ、そう言うのが一番正しいと思うがねえ」
ファルノムさんは相変わらず、のんびりとした口調でそう言う。
何故か、僕らの間に危機感なんてものはなかった。
何でだろう? 明らかに危ない状態なのに。それを僕らは分かっているのに。理解しているはずなのに。
何故、なんて。
だって、ヘタレさんがショックで倒れるって。
――さてみんな、ここでちょっと想像してみよう。
ヘタレさんが。あの、あのってどのとか野暮な突っ込みを一切受け付けないあのヘタレさんが。
キスのショックで、失神。
たかがキス。されどキスといえども、たかがキス。
だって、あのヘタレさんが――だ。
「……ありえない」
「私もそう思うよ、コメットちゃん」
しみじみと言うファルノムさん。……結構失礼だこの人。僕が言えることじゃないけど。
ため息をつきながら、僕は改めてヘタレさんを見下ろす。いつにもなく白い肌。
――死人みたいだ、なんて、ひどく失礼だけど。
何だろう。そういう印象しか持てなかった。
「……生きてます?」
「そうだなあ、生きてはいるだろうねえ。多分」
そしてファルノムさんの答えもひどく物騒だ。うわあどっちもどっち。
だから、……危機感がない。
僕は危機感を持てなかった。ヘタレさんが意識不明の重体だっていうのに。
あんまりにものんびりしているというか、現実味がないというか、言い訳に過ぎないけれど。
「……なん、だろ……」
ふいに鈍い頭痛が襲ってきて、僕は思わずゆるゆると腕を伸ばし頭を抱えた。
どうしてだろう、世界が回ってる。ぐるぐると。
怖くない。決して怖くはなかった。誰がどうなったって。
反転して、暗転。転がり落ちていくように。
何だろう、何なんだろう――
それでもいいような気がする。
……何が?
世界が、ぐるぐる、回ってる。
「コメット――ちゃん?」
不安そうな声が聞こえる。のんびりした音がようやく消えたみたいだ。
ああ、そんなことよりも早く安心させてあげなきゃ。僕はぼんやりとそう思った。
「ごめん、なさい……何でもないです」
そうは言っても、僕は何もできない。世界がぐるぐる回ってるんだ。どうしたらいい? どうしたらいいの? 世界が回って、どうしようもないよ。
「――コメットちゃん!」
自分がどうなっているのかさえも分からない。
ファルノムさん、私、どうなってるの。
声にならない言葉。喉に痛みはないのに、声は空気としてしか出てこない。その言葉は聴覚には届くのに、その人影は視界に触れないのだ。
見えない。聞こえる声も、段々と遠くなっていく。まるで沈んでいくように。駄目だ。駄目だ。駄目なんだ。
何だろう。
全身が燃えるように熱い。
何だろう。
全身が焼けるように痛い。
何だろう。
死んだ時――のような。
死んだ時?
――いや、正確にはあれは、『魂を入れ換えられた』時だ。
つまり、僕がコメットになった瞬間。
それならばこれは、コメットが僕になった瞬間なんだろう。
理解。僕は解ってしまった。解ってしまった――から。
魂が堕ちてくる。
中空から高く、高空から低く。
サタンに囚われない魂。コメットのいなくなった身体。
――僕は、“僕”のままで、“コメット”になった。
「あ……」
声になったかどうかも分からない声が漏れる。意味をなさない音。そうか。
僕は僕を取り戻したのだ。あくまでコメットのままで。
コメットの魂がこの胎内に残っていた時は、僕は、憎しみなんて忘れていた。
のに。
僕は僕としてコメットになったことで、『レイ』としての感情を思い出してしまった。
――ああ、そうか。そういうことなんだ。
目を閉じる、微かな感覚。
コメットがどれだけ優しい人だったとか、僕は知らない。
もしかしたら、優しくはなかったのかもしれない。
だけど、彼女には魔族への恨みなんてこれっぽっちもなかった。だから僕も浄化されていた。抑えられていた。
けれどそれが消えて、僕は僕のまま墜とされた。世界に。
正当防衛と言えど。
仕方のないことと言おうと。
大切な人を殺されたのだ。
僕は、恨まずにはいられない。
「――そうだ、恨め」
どこからか、嘲るような笑いが響いた。
鮮明になっていく頭の中で。
そのまま空虚な心に反響する。
違和感はあったけどそんなものは流されて、声は続ける。
「恨めばいい。お前は恨むべきだ。殺された命はそう、軽くはなかっただろう」
そうだ。軽くはない。
アレスとキナの命は、軽く扱われていいものじゃない。
誰の命であろうとそうだけれど。
それでも、勝手なことでも、僕にとって彼らは大切な存在だったのだから。
「恨め、憎め、奴らはお前の仇だ――そうだろう?」
僕は頷く。本当に頷けたかどうかも分からないが、声は満足そうな響きを含んで話を続けた。
「お前は悪くない。お前は正しい。その感情は誠のものだ」
ああ、よくある催眠か暗示みたいな言葉だな――そう思いながらも、僕は騙されていく。
悪くない。正しい。誠。
そんな甘美な堕落の道に、全てを委ねようと。
縋るべき教えは、そんな選択ではないと知りながら。
「本当にお前は賢いよ……。私は、お前が欲しい」
……今何か違った言葉が聞こえたのもアレだ。催眠の一種なのかな。
ぼんやりとした頭で冷静な突っ込み。
違和感はなくて、突っ込みながらもこれでいいと思った。僕はもう既に、壊れてしまっているみたいに。
「壊れてしまえばいいさ」
心読まれてるっぽいこともスルーしていいのか。僕は思う。
だけどそんなに気にならない。なのにとりあえず突っ込みはしたい。
「壊れてもいい、もうみんな壊れている」
そうか。それもそうか。
みんなみんな――壊れちゃったから。
僕も、壊れてもいいのか。
「そうさ……くく、お前はただの媒体にしておくには勿体ないな」
――媒体?
サタン?
今さらはたと思い当たる。けれど思い当たろうとも何をしようとも思わない。何をする気力もなかった。
目を閉じる。開ける。今そんな視神経の感覚があるかどうかといえば微妙で。
……これは、一体何だろう?
ああ。堕ちる時はこんな感覚なのか。
思って僕は、すんなりと堕落の道を選ぶ。
二度目の目覚め。
僕は僕のままで。
――さようなら。
ここから軌道修正・復帰編。
よろしければどうぜ付き合って下さいませ。