第67話 射止められた心臓の早鐘
勇者が主人公とか絶対嘘だ。
というわけでコメディーです^ω^
……タイトルとかもう突っ込んじゃ駄目なんだ……うん。
コメットが消えて、僕だけが残された。
大切なものを喪った絶望と、失ったものを取り戻した安心感。
――満たされていた。
その表現が、多分、一番正しい。
不思議と、心地良かった。
魂が帰ってきたから?
それとも、この空間のせい?
よく分からなかったけれど、とにかく、ここにいたいと思う気持ちが強く僕を押しとどめていた。
「……早く帰らなきゃ、駄目なのに……」
思わず口から漏れた言葉。
――帰らなきゃ。
多分みんな、待ってる。
リルちゃんとか、アリセルナとか、ヘタレさんとか。……ヘタレさんとは会いたくないけど。
――ん、え、あれ?
僕、何だか大切なことを忘れてなかったか。
だって待ってよ……魂が戻ってきた……ってことは僕、ヘタレさんを愛してることになるのか?
……。
……ああ何か今、ものすごく死にたくなった。
あのまま魂なくなっちゃえばよかったのに。――なんて、罰当たりだけど思う。
だってヘタレさんだよ? 僕一応男だよ? 誰が何と言おうとも男だよ?
やめてくれ、どういう展開だ。愛してるとか何? ハラショー? うるさい何が素晴らしいだ。僕は泣きたい。
「……だけど……」
帰らなきゃ。
僕の魂が戻ってきたからって、サタンがいなくなったわけじゃない。と思う。
だから、僕が行ったってどうにもならないかもしれないけど。
それでも、行かなきゃ。リルちゃんのところに。
今どんなに心地良くても。
嫌なことが待ち構えていても。
帰らなきゃ、駄目なんだ。
じゃないときっと――僕は後悔する。
――帰りたい。
僕は、帰りたいよ。
願った瞬間、光は消えて。
闇の世界へと、落とされた。
◇
ひどく重い瞼が、ゆっくりと上がる。
ぼんやりとした光が、揺れる視界いっぱいに溢れて。
同じようにぼーっとした頭で、それをただ、眺めていた。
「……うん……?」
背中に当たる感触が、硬い。
……ベッドじゃない? 部屋の、床?
徐々に覚醒しつつある脳が、ようやく状況を認識しようと働き始める。
光が、音が、全てが集束して、僕を現実の世界へと引き戻した。
「って、うぎゃあああああっ!?」
そして、思わず叫んだ。
わあ我ながら普通のリアクションだな。……ってそうじゃない!
混乱する、そして倒錯。何が起きているかというと。
ヘタレさんが――、ヘタレさんが!
ヘタレさんがいる! ……いやそれ自体は悪いことじゃないけど。そうじゃなくて――!
「な、何でこんな体勢なんですかー!」
恥ずかしさを隠すように僕は叫ぶ。
……そう、体勢。主に今の、体勢がおかしかった。
うん。簡潔に言えば……えーと、抱き締められてる?
……うわああああそれでなくてもキスの後なんだやめてくれ! トラウマになる!
「ヘタレさんっ!」
「…………」
「……え、あれ?」
ぽとり。
思わず引きはがそうとして、その手応えの弱さに僕は思わず呆気に取られた。
簡単に後ろに倒れる身体。腕も僕から離れて、舞うようにして床に落ちる。
抵抗されるとか、弄られるとか色々考えていた割には、あまりにも呆気なく。
「……ヘタレ、さん?」
倒れた彼からは、反応すらない。
……えっ、ちょっと、それはヤバいんじゃないか?
うっかり安心してしまった僕は、その安堵を心から叩き出す。
反応すら、ない――僕は一転、焦ってその顔を覗き込んだ。まさか。嫌な予感が、ひしひしとして。
嘘、だよね? 嫌な想像が脳裏をよぎった。
そして、当の本人は。
「……寝て、る?」
――そう思えるほどには、安らかな表情をしていた。
子供のように無邪気な表情、よく見れば端正な顔立ちをしていて。
長い睫毛が伏せられて、その瞳は固く閉じられている。
規則正しい呼吸。苦しんでいる様子も、何もなく。無に近い。
……眠っている。
そう思えるのも、多分、無理のないことだった。
だけど。
「……ヘタレさん……?」
蒼白、とも取れる肌の色。
明らかに白い。異常だと思えるほどには。
やっぱり、これ、危ないんじゃ……そんな危機感が、また胸に込み上げてきた。
血の気のないヘタレさん。
それどころか、あの――ヘタレさんが今、目の前に倒れている。
それだけで緊急事態なのに。まさか眠ってるなんてことはありえないだろう。そう、見えなくもないけれど。
明らかにおかしいと、予感が告げる。嫌な予感。
体温が下がったようにも、上がったようにも感じる。心臓が早鐘を打って。
「ヘタレさ――」
「メリークリスマス!」
「うわっ!」
突然、視界の外からの刺激。
ヘタレさんに注意が向いていて、まるで気付かなかった。
部屋の扉の方向から、予想外の声が飛び出してきたのだ。
「ふぁ……、ファルノム、さん?」
うわあ久しぶりだと思いながら、僕はその名前を呟いた。
どこにでもいそうな中年のおじさん。
まるでそんな説明で済みそうな平凡な容姿をした、出番の少ない可哀想な人が部屋の入口に立っている。
「……あの……、今はクリスマスじゃないですよ?」
「そんなことは分かっているさ。これは挨拶みたいなものだ」
「……さいですか」
この人はわざわざ挨拶のために毎回メリークリスマスと言うのか。
ほんのり冷たい目でファルノムさんを見ているうちに、混乱が収まって冷静になっていくのを感じた。
よかった。……冷静にならなくちゃ、何も出来やしない。
そういう意味ではファルノムさんに感謝した。うん。そういう意味では。
ふう、と、安堵のため息が漏れる。
「それよりも、コメットちゃん……君もそういう子だったとはねえ。おじさん、知らなかったよ」
「……は?」
そういう子?
「その体勢だよ」
安堵したところに、次の言葉。僕がぽかんとしていると、ファルノムさんは何故かしみじみとそう言って。
体勢、と小さく繰り返しながら、僕は改めて自分の身体に視線を落とす。
…………。
僕は何も見なかったことにした。
「――組み敷いてないかい?」
「いっ、言わないで下さい!」
見なかったことにしてたのに!
僕は羞恥に耐え切れず、思わず蹲る。
――僕の体勢は、さっきのヘタレさん並みに――もしくは、それ以上に危ないことになっていた。
ヘタレさんを、組み敷いている。
その言葉がぴったりだ。うわあ泣きたい。むしろいっそ死にたい。
違うんだ、誤解なんだ! こんなことを自分の意思でするくらいなら僕は身投げでも何でもするよ!
「まあ、……そういう年頃というのも理解できなくはないがね」
「理解しないで下さい! 私は理解しませんから!」
「……言い訳はせんでもいいよ」
「生暖かい目で見るなーっ!」
そしてそれから誤解を解くのに、30分近くもかかったという。
その間蒼白い顔のヘタレさんは、――見事に放置された。