第61話 Kiss me !(後)
お世話になってます。白邪です。
ようやく後編です! お待たせ致しました。
が、お待たせしたにもかかわらず……これほどカオスな回は後にも先にもあるまいと思います(自社調べ)。
待ちに待ってた方は…………いるのだろうか?
し、心臓の弱い方はお気を付けていってらっしゃいませ!
「勇者さん、キスしましょう!」
そんな戯言を真剣な顔で叫びながら不法侵入をかましやがったヘタレさんのせいというかおかげとは断じて認めたくないけどまあそういうことにしといてとにかく僕は我に返った。
……え、何、分かり辛い?
うん、まあ、とりあえずヘタレさんがまた罪を重ねたということだ。どうだ、簡潔だろう。
今さらヘタレさんが罪を重ねようが、何かどうでもいいことかもしれないけど。
とにかく僕は、不法侵入とかセクハラとか色々罪深きヘタレさんに向き直り、とりあえずこの人いつか裁いてやろうと思いながら問い質すように言葉を探した。
「えと……ヘタレ、さん? あの、今度はどんな屁理屈で不法侵入なんか……」
「ヘルグですけど。とにかく緊急事態ですから、勇者さん。早くして下さい」
……どういう緊急事態だ。
と思いっ切り突っ込みたかったけれど、何だろう。ヘタレさんの顔は何故か、真剣そのものだった。
いつもの作ったような笑みはどこにもなく、その表情だけなら、僕も本気で焦っただろう。……その言葉さえなければ。そう、その言葉さえなければね。
人の言葉を遮ってまで名前の訂正を要求し、挙句の果てにキスを急かすとはどんな緊急事態だというのだろう。
僕は一度深呼吸して、自分を落ち着かせる。出来ればこの馬鹿も、正気に返らないかと思いながら。
「……一体何が、あったんですか? そして何ですか? 死にたい人ですかあなたは?」
「あー、もう説明してる暇もないんですよ! ほら! 早く!」
この人将来ガールフレンドとかがもし万が一百歩とか一億歩とか譲って出来たなら、キスを催促して破局するタイプなんだな可哀想にと僕は思った。
説明してる暇がないのならキスしてる暇もなかろう。
それとも何だ、キスすれば世界平和が顔を出すのか? そうだとしても僕は多分しないけど。
「余所でやって下さい。彼女出来たら。そしてこっ酷く振られて下さい」
「勇者さんがサディストなのは周知の事実ですのでそう冷たい目で見ないで下さい。それよりキスを優先して頂けると」
「だからキスキス連呼すな! あんたは女ったらしか! そしてそんな事実を勝手に作るな!」
僕らはぎゃーぎゃーと叫び合う。……いや、叫んでたのは僕だけか。
誰がサディストだ。お前にだけは言われたくないわい。
大人気ない言い合いをしばらく続け、さすがに叫び疲れた僕らは一度呼吸を整えるために言葉を止めた。
そして、それから、ヘタレさんは諦めたように、静かに告げる。
「――分かりました。説明すればいいんでしょう? 説明すればその後は万事OKなんですよね」
いや、キスはしませんけどね。
そう思って僕は笑顔で頷く。詐欺? 気にするな。
「……サタンが、来ました」
「…………は?」
予想外の言葉に、思わず、間抜けな声が口から漏れてしまった。
サタン?
サタンって、あの?
「えっと……何の、冗談ですか?」
「冗談じゃないですよ! どこの馬鹿がこの状況で冗談を言いますか」
僕は思う。
さっきのキス云々は冗談じゃなかったのか。
「今は魔王様に任せてきてしまいましたが――何分、持つか」
「え、そっ、そんなに強いんですか!?」
「強いどころの騒ぎじゃないですよ。あれはあくまでも、魔王様に並ぶ――魔物の王の一人です」
う、嘘。嘘でしょう? だって、何でそんな奴が、今このタイミングでここに。
多分僕は、それがどんな時だってそう思ったと思うけど……でも、本当に、何で?
サタンは、地底国に行けば最後――『大きな異変』が起こらない限り、地上には出てこられないはずなのに。リルちゃんは、そう言ってたのに。
どうして。
「う、嘘……ですよね……?」
「だから、この状況で嘘なんて言いませんってば。勇者さんも感じませんでしたか? あの禍々しいまでの気配を」
――確かに。
認めたくはないけれど、僕は感じていた。あの時、リルちゃんが来ていた時。
風のようにすり抜けていった、怖気立つような邪悪な気配を。
あれが? あんな巨大な邪気が、サタン?
ほんとに、ここに、来てるの?
「た、助けに行かなきゃ……っ!」
「無駄ですよ。勇者さん、貴女が行って何になりますか。魔王様の足許にも及ばない癖をして」
う、と僕は小さく呻く。
悔しいが、確かに正論だった。
かつて勇者だった頃も、あんなに簡単にやられてしまったのだ。
今の身では、足許云々どころの話ではない。そして、サタンに対しても同じく。
「じゃ……じゃあ、どうしろって言うんですか! そいつが、サタンが、来てるんでしょう!? 魔王様のところに! なのに何も出来ないなんて――」
「だから、キスして下さいって言ってるんです」
「……は?」
――だから、何で。
僕はわけが分からずに再び硬直する。
緊急事態。だからキスしろ。……なんて、そんな理屈つながるはずもない。
そんなの、ちゃんとした説明がないと納得できない!
「ちゃ、ちゃんと説明して下さい!」
「だからそんな時間も――」
「意味分かんないですから! あ、あとで騙されてたなんて嫌ですし!」
それは本心だった。
ヘタレさんは困ったように小さくため息をついていたけれど、それでも僕は説明を求めてじっとヘタレさんを睨んだ。
疑うのは嫌だけど、だって、そんなのいきなり言われても、信じられるわけがない。
「――言うなればね、貴女はサタンの媒体なんですよ。サタンの狙いは貴女なんです」
「え? え、えっ? 私が? 媒体……?」
「ええ。媒体、というのが一番近い言葉でしょうね」
媒体――って、それは一体、どういう意味で?
意味が分からずにヘタレさんを見上げていると、ヘタレさんは小さく困ったような笑みを浮かべて。
「謂わばサタンは、貴女の魂を食い荒らしているんですよ」
「なっ……!」
僕は思わず叫びかける。
――冗談じゃなかった。
魂を、食い荒らす? 食い荒らされてる?
ふざけてる。そんな話。
「禁断魔法を使ったのも、コメットを殺したのも、何もかも……全て、サタンです。貴女を使って、何もかも壊そうとしているのも」
「そんな……!」
「全部、サタンなんですよ――悪の根源。闇に生きる、誰よりも罪深き男のせいなんです」
頭がかあっと熱くなるのを感じた。
同時に、怒りとも悲しみともつかない、あやふやな感情が胸に流れ込んできた。
――何で。
何でそんなこと、するの。
「サタンには確認済みです。認めましたよ、自分のやったことを。誇らしげに」
ふざけるな。
本気で、一発、それどころじゃなく思いっきり殴ってやりたかった。
くつくつと、怒りよりも強い、憎悪が心に絡みつくのを感じた。
「ゆる、せない……!」
「でしょう。――だから、キスして下さい」
……が、その瞬間微妙に熱が霧散した。
キス。キスって。
「だ、だから、何でキスなんですか!」
「あー……そこは察して下さい」
「出来るか!」
僕は思わずヘタレさんをビンタしそうになる。
……いや、しないけど。
何でその一番大切なところの説明をしないんだ。
わけが分からないじゃないか。そんなことを言われても困る。
「……仕方ないですね」
仕方ないのはあんたの頭だとは、僕は言わなかった。
ただ、続く言葉に、耳を傾ける。
「……魂を誰かに囚われた時、昔の人は、愛する人の許に魂が還れるようにと――魂喚びの口付けを交わしたそうです」
心底面倒そうに、ぽつりと、ヘタレさんはそう言った。
たま、よび? 魂を呼び戻すと、そういうことか?
それでキスなのか――と、そこまでは納得する。
そう……そこまでは。だが。
「で、でも、あの! その、愛する人って……」
「そうですね。もしキスをしたとしても相手を愛していなければ魂は還ってこないと思われます」
「真剣な顔で究極の選択を迫らないで下さい!」
それで戻ってこなかったら無駄に心の傷を負うことになるじゃないか。
還ってきたとしても、それって僕が、ヘタレさんを愛しているっていうことになるわけで……。
考えて、今さらながら絶望的な気分になった。
何だそれ。一種の賭けだ。どっちに転んでも不幸になるおまけつきの。
「そ、そんなの……! 他に方法はないんですか!?」
僕は半ば縋るように、ヘタレさんに尋ねる。
ヘタレさんは僕の言葉を受け、少し考えた後、真剣な表情で口を開いた。
「そう、ですね……キスじゃなくても別に、それ以上の行為でも個人的には問題ないかと」
「やっぱりあんた黙れ!」
ふざけんな。何が個人的にはだ。
僕は今度こそヘタレさんに往復ビンタをかまし、深いため息を合図に思考を再開する。
……キス? キス。
愛する人に。魂がそこに、還れるように。
「だ、大体……魂が還ってきたと仮定して! それで魔王様が、助けられるんですか!?」
「……人をビンタしておいて結構ふてぶてしい態度ですね勇者さん」
「あんたにふてぶてしいとか言われたくないですけどね!」
あんまり真に受けていなさそうなヘタレさんにもう一発ビンタを打ち込んで、僕はまた考える。
世界が滅亡するとしても、ヘタレさんにはキスしたくない。
気乗りしない。……当たり前だけど。
危機感がないせいなんだろうけど、僕は、そう考えていた。けれど。
「勇者さんの魂は所謂、人質です。それさえなければ――魔王様は、本気を出せるでしょう」
「え、じゃ、じゃあ……」
「魔王様は多分、勇者さんの魂を人質にとられているので、今はいいようにやられていると思いますよ? 最後には、殺されるでしょうね」
「……っ!」
「それを助けたいのなら、今すぐにでも決断して頂きますけど」
そんな。
それを聞いた途端に、僕は急激に身体の温度が下がっていくような、そんな錯覚を覚えた。
世界が滅亡したってヘタレさんにはキスしたくないけど、リルちゃんが死ぬのとか、そんなのは嫌だ。
だって、リルちゃんは、リルちゃんは。
多分僕にとって今、誰より――誰よりも、大切な人なのに。
「へ、ヘタレさん以外の人にキスするとか駄目なんですか?」
「あー……駄目じゃ、ないでしょうね。愛していれば」
「ヘタレさんにキスするくらいならアリセルナにキスします私!」
「……。……そこまで嫌ですか」
ヘタレさんは何だか切なそうな顔をしていたが、僕は割と本気だった。
悪いけど僕はヘタレさんよりアリセルナを愛している自信があるよ。うん。とりあえずヘタレさんのことは愛してないと思う。
「でも、そんな時間もありませんよ? それにそんな唐突にキスして後々気まずいことになったらどうするんですか」
「……う……」
僕は黙る。確かにそうだった。
そんなことしてるうちに、リルちゃんが。
アリセルナと気まずくなるのもやだし。ヘタレさんは別にいいけど。……そこらへんのリスクは低いな、ヘタレさん。生理的に無理だけど。
「……ど、どうしたら……」
「だから私と」
「嫌です」
「……まだほとんど何も言ってないじゃないですか……」
いや、だって言うこと予想出来たし。
……なんて、冷静な受け答えをしている時間も勿体ない。そんな答えを返した自分も情けない。
だって、リルちゃんが今正に、危ないのに。
ほら、待ってよ、僕。リルちゃんが危ないんだよ? それでもヘタレさんを拒むのか?
考える。考え直す。全てを決める、選択を。
――僕は一体、どうする気なんだ。
自分の心に尋ねる。
僕は、自分の感情だけで大切な人を見捨てるのか? いくらヘタレさんが嫌だからって。……いや嫌だけど。すっごく嫌だけど。世界を犠牲にしたって断りたいくらい嫌だけど!
だけど、犠牲になりかけているのは、いつでも優しい、あのリルちゃんだ。
犠牲にするのか?
みんなにとってなくてはならない――優しく強い、王を。
僕が、僕の、傲慢のために。
そう思った途端、緊張が高まって、後悔が込み上げて、迷いが生じて。
「……わ、たしは……」
――どうなんだ。
見捨てるのか?
誰よりも優しい、リルちゃんを。
サタンなんかに、引き渡すのか?
誰よりも好きなはずの、その人の命を。
どくんと、心臓の音がやけに大きい。
まるで勝手な僕を、責めてるみたい。真っ白になる、頭の中。
その中で、考える。ただ一つの、残酷な問い。
……僕は、誰より大切な、リルちゃんを見殺しにするのか?
――そんなこと、僕には、出来ない。
「――っ、ヘタレさん!」
「え、はい?」
僕はヘタレさんのとぼけたような瞳をきっと見据え、高鳴る動悸を抑えようと息を呑む。
「ちょっと、目を瞑ってて下さい!」
そうは言っても、僕は待ってやらない。一瞬たりとも。
どうかこの覚悟が、鈍ってしまう前に。
リルちゃんのためと、思っていられるうちに。
この思いが、手遅れにならないように。
僕が僕のままでいるために――。
――僕はこの日、この時、ファーストキスを終えた。
たはー。
な、何気に勇者が魔王への愛を綴っていた気がしないでもな(自主規制)
……何か行く先不安ですね。すみません。