第59話 Kill me !
後編じゃないしってかキスですらない59話です。
ぜ、前菜みたいなものです!(意味不明
気付けば某側近の誕生日。二十歳だそうです。まるでついていってない精神年齢……。
暑い日だった。
寒さに凍える時も過ぎて、段々と暑い季節に近付いていく日々、これでもかってほどに眩しく輝く灼熱の下。
炎天、暑いというよりも、熱いという表現の方がよく似合う一日の始まり。
誰もが叫び出したくなるような熱気をこもらせる、焦がれる世界の隅っこで。
――この暑さは絶対、あの空に浮かぶ炎の塊のせいだ。
僕はそんなことを思いながら、ガラスを隔てた空を仰ぎ見る。
勿論、理由がそんな陳腐な事実だけじゃないことなんて、よく分かっていた。
ていうか、それは完全な八つ当たりだ。
太陽のせいなんて。世界のせいなんて、あまりにも幼稚な戯言。
だってそんな、本当の理由は他にある――。
――勇者さんからのキスがいいなあと――
ほらまた、暗闇の底から聴こえてくる。
いつもより少し、熱い頬。
いくら風に当たっても、冷めない熱。
今もまだ耳に残って響いてる、低くて甘い声―――。
――好きですよ? 勇者さんのこと――
嫌になるほど優しくて、甘ったるい声……
たった一言。たった一つの、言葉なのに。
そんな夢さえ、醒めない。
こんなの――全部ぜんぶ、ヘタレさんのせいだ。
たった一言、魔法のことば。
それだけなのに……。
……ねえ。
――何で?
◇
「――いくらなんでも、やり過ぎだろう」
怒るでもなく、呆れるでもないただ無感情な低い声。
細長く続いていくこの薄暗い廊下にその声が響くとともに、こつりと足音が青年の方に歩み寄っていく。
「やり過ぎ――? それは貴方が言う科白ですか」
暗闇の中で、浮かんだ鋭い双眸が近付いてくる影を睨んだ。
その声はどこか哀しみを含んでいて、怒りというよりは抵抗という言葉を思わせる。
そんな声をも遮るように、もう一人の男は続けた。
「あれは私の媒体だ。勝手に壊されては、困る」
本当に困るのかどうなのか、それすら判別できないようなその声の主は、ゆらりと背後のオーラを震わせる。
威嚇のつもりなのか――それとも、単純な怒りか。
そんな男を見下すように、青年は瞬きを繰り返す。
「そうですか……やはり、貴方でしたか。彼女を内から壊し続ける“気配”は」
「ほう、気付いていたのか? さすがに混血だ」
どういう意味ですか、と青年は男を睨んだ。
「どうもこうも、……そのままの意味だろう。知らないわけはないだろう? 混血である、その意味を」
青年は黙る。
視線は下げず、冷たい色をした瞳を男に向けたまま。
「混血が迫害される理由を――賢いお前は、知っているのだろう? 人間にも魔物にもなり切れなかった、哀れな忌み子よ」
その視線を真っ向から受け止め、男は小さな皮肉を吐く。
「――出来損ないである貴方に話すことなんて、何もありません。どうぞ帰って下さい」
「冷たいな」
「当たり前でしょう。これ以上彼女に手を出せば――赦しませんよ?」
青年の視線はさらに、鋭利さを増した。
けれど男は、そんな視線も意に介さず、何が可笑しいのか――笑っていた。
「く、くく……お前もとうとう、あれに依存し始めたか。赦さない、だと? 馬鹿を言え。私はもともと、お前に赦して貰おうなどとは考えていない」
狂ったように、笑いを零し続ける男。
青年はその様子を見ても怒る様子はなく、ただ呆れたようなため息を吐くだけだった。
「殺して欲しいんですか? 今、この場で」
「ふん……お前にそれが出来るのか? 感情を知ってしまったお前に」
暗闇によく映える瞳が、小さく瞬きをする。
心なしか――笑っているよう。
楽しそうに、面白そうに、可笑しそうに。
「依存は愛ではない。傲慢だ。所詮お前にとっても、あれは“物”なんだろう」
低い声が、ゆっくりと感情を帯びていく。
それは楽しさであり、面白さであり、恍惚であり、怒りだった。
「そう、ただの媒体だ。それ以上に何の意味がある――? どうせあれは後、3年ももたない物なんだ」
「――貴方のせいでしょう? 禁断魔法なんて使ったから……今も、彼女の魂は蝕まれ続けている」
「当然の代償だ。仕方あるまい?」
何が、と青年はため息とともに呟く。
本当に――何も解っていないと。
けれど、相手を説得できないことなど分かっていた。だから、怒りを抑え、不満をため息にして押し出す。
「貴方の好きにはさせませんから――彼女だけは、絶対に。彼女は貴方の道具じゃない」
青年の鋭い視線に、男は薄笑いで答えた。
そして――青年は、言葉を紡ぐ。
「―――地底の王サタン。貴方だけは、絶対に赦さない」
◇
「コメット?」
今日という一日の中で、初めて人の声を聞いた。
閉じこもった5日間。
部屋に侵入してくる人もいなくて、本当に、一人っきりで。
だけど――いつの間にか、その人は、そこにいた。
「……魔王、さま?」
いつも通りに闇の色に塗り潰された、この城の主。
二人きりのこの場所で、その名称を使う意味はない。
けど、何となく……今はもう一つの呼び方を、使う気になれなかったから。
僕は顔を上げて、彼の存在を確認した。
「大丈夫か? 部屋にこもってると、身体に悪いぞ?」
……リルちゃんにそんなことを言われたくはなかったけど、その通りだった。5日間もこもりっぱなしなのだ。
それにきっと、彼は心配して言ってくれてるんだろう。
僕はそう思って、小さく頷く。錆びついた身体を、無理矢理動かすようにして。
「う……分かって、ます。――分かってるけど……でも、あの、私……」
何を言いたいのかさえ分からないまま紡ぐ言葉。そのせいか、何となく言い訳じみた科白になってしまった。
……リルちゃん、怒るかな。そんなことすら考えてしまう。
何か、何だか、全部僕らしくない。
「うん。分かってるなら、いい。無理して出ようとする方が身体に悪いから」
ちらりと視線を上げてリルちゃんの様子をうかがうと、案外彼は笑って頭をなでてくれた。
ん、そうだった。こういう人だ。
頭の上の暖かさを感じながら、僕は小さく笑う。
優しい。優し過ぎるよ。
リルちゃんの優しさに感謝しながらも、何か、心配して来てくれたリルちゃんに申し訳なくなってしまう。
何だろう。僕、どうしたんだろう?
こんなんじゃ、いけないのに――。
「……あの、魔王様」
「ん?」
「……ヘタレさんって、今――何してます?」
何となく聞いてみた。
……そう。そうだ、何となく。
あくまで、何となくなのだ。
僕は言い聞かせて、じっとリルちゃんを見つめる。
「……え、ヘルグ……? ヘルグなら、今……」
リルちゃんはそこまで言い掛けて、ぴくりと口許に当てた手を震わせた。
どうしたんだろうと、僕はぱちくりと瞬きをする。
その刹那の間に、リルちゃんの目が灼熱の黒さを帯びていく。
「……魔王様?」
「――いる」
何が、と聞こうとして、僕は無理矢理言葉を飲み込んだ。
何か――邪悪な気配が、すうっと部屋の外を通り過ぎていったからだ。
すうっと、まるで風のように軽く、だけど明らかな邪気を纏った――。
「い、まの……」
「――早い――まだ、早すぎる」
僕の言葉を遮って、意味不明な言葉をリルちゃんはぶつぶつと呟き続ける。
え、何、今の?
一体、どうしたの?
混乱する僕には分からないまま、何も報せないままに――リルちゃんはくるっと方向転換をした。
「コメット、そこにいて。絶対部屋から出ちゃ駄目だから――すごく、危険だから」
仮にも元勇者である僕にそんなことを言って、リルちゃんは消えてしまった。
忽然と。
言い方は悪いけど――確かに、煙のように。
「ま、おうさま……!」
僕は驚きながらも、確かに憤りを感じながらも、動くことができなかった。
――何でだろう?
金縛りなんてものじゃない。
そんな生温いものじゃなくて、何か、身体全体が動くことを拒否するような―――
だから、
ただ僕は一人、瞬きを繰り返すことしか出来なかったんだ―――。