第56話 もう、おやすみ
――嫌な夢を、見た。
「はあ……」
目覚めは静かで、けれど決して心地のいいものではなかった。
「やれやれ……、今さらあんな夢見るなんてなあ……」
ふう、と僕はため息をつく。
そこにこもる感情は、恐怖じゃない。ただ嫌なもやもやが、胸に広がっていた。
外を見ればまだ暗く、太陽も目覚めていない時間だ。
僕は思わず目をこする。眠いわけでもないのに出る、欠伸を噛み殺して。
見た夢は、最悪。
正に悪夢で、二度と忘れられないくらいに嫌なものだった。
ぶっちゃけ、内容はもうよく覚えていないんだけど。
「んー……目、覚めちゃった……どうしよ」
一人そう呟くと、僕はベッドから這い出た。
見慣れたピンクの時計をちらりと見れば、まだ午前3時。暗いわけだ。
僕はうーんと伸びをして、ベッドに座る。
んー……これから、どうしようか?
悪夢のせいかそれとも別か、眠気は残らず吹っ飛んでしまった。
もう眠れそうにない。少なくとも、一人では。
でも、だからといって誰かに一緒に寝てーなんて頼みに行くのは……。
……無理無理。絶対無理。断固拒否。生理的に無理だろう。
誰と寝るにしても、緊張するしドキドキするし一部本能が拒否する。
仕方ないから、城の中を散策でもしようか。どうせ暇なんだし。
もう歩き慣れたところだけど、この時間帯ならいつもと何か違って見えるかもしれない。
魔王城のみんなは遅寝遅起きがモットーみたいだから、きっとほとんど誰もいないだろう。
よし。決めた!
決めたらすぐ行動、だ。
僕はベッドから飛び降りると、まだ仄暗い城の中へと歩き出した――。
◇
ひんやりとした静かな空間を、ネグリジェとスリッパ姿で僕は歩いていく。
……うん、ピンクのネグリジェ着てることとか、そこらへんはスルーしてほしいな!
え? 無理ですかそうですか。
でも仕方ないじゃないか。慣れてしまったんだもの!
――まあ、そんなことはおいといて。
廊下には、本当に誰もいなかった。静まり返っていて、何だか違う場所のようにも思える。
さすがにこの時間帯は、みんな寝てるか。
ただでさえ遅起きの人たちだもん。睡眠欲に忠実に従って何が悪いとか常にほざいてる人たちだもん。
放っておいたら、冗談抜きで永眠しそうだ。
「……あれ? あの部屋、明かりついてる……?」
変なことを考えながら歩いていると、一番奥の部屋から光が漏れているのに気付いた。
あの部屋って確か、普段リルちゃんが寝室に使っている部屋じゃなかったっけか。
いつもいる『魔王の間』は人がよく来るから寝れないって言って、寝室だけ違うところにしたって聞いたような気が。まあそりゃそうだろうけど。
でもそこの明かりがついてる、ってことは……。
少しの間、僕は考える。
そしてすぐさま、突入。
「リルちゃんっ!」
「っ!?」
ドアの先には予想通りの人物。
いつも通り黒いローブを羽織っ――てないや、黒いジャージだ。
わーお、珍しい。初めて見た、リルちゃんがジャージ着てるの。
て、いうか。それよりも。
「起きてたんですね、こんな時間まで! 成長ホルモンが出ませんよ!」
「……どちらにしろもう大きくならないし、それはお前に言われたくない」
「あ、確かに。リルちゃんも言うようになったなあー」
「…………」
勝手に感心する僕に、リルちゃんは困惑の表情を見せる。
そりゃそうか。突然部屋に侵入されて、その上怒られたりしたら、誰でも困るよな。むしろ僕の言葉に素早く反応してきたリルちゃんがすごいと思う。
僕はそれならと、いつもの口調に戻ってもう一度話し出す。
「私は何だか眠れなくて、起きてたんです。魔王様は?」
「……私は……寝なくても大丈夫だから」
「いえ、あの、全然大丈夫じゃないですけど」
「寝なくても死なない」
「いや、寝なかったらいずれ死にますよ!?」
何でもないことのように言うリルちゃんに、今度は僕が突っ込んだ。
睡眠は大切なんだよ。他のみんなのように飽きるまで寝ろとは言わないけどさ。
「寝なくてもいいんだ――その方が、楽だから」
「……何が、ですか?」
珍しく微笑んでみせたリルちゃんに、僕は尋ねる。
その微笑みには微塵も楽しさや嬉しさが感じられない。
ただ、作り物のような笑み。
「眠れば、必ず同じ夢を見るんだ。嫌な夢……、だから」
笑顔にふっと、影が差す。
――嫌な、夢?
僕と同じように? リルちゃんも?
「眠らない方が、苦しまずに済む」
そんなこと……。
僕は音もなく首を振った。苦しむなんて、リルちゃんの気持ちは、僕には分からないけれど。
「そんなことないですよ、魔王様。私も確かに嫌な夢は見ますけど……寝なかったら死にますし」
「死なない」
「いや、冗談抜きで死にますから! やめましょうよそれは!」
リルちゃんは平然とした顔で言うけれど、本当死ぬってば。
みんなから眠気を分けてもらおうよ! そうすればきっとちょうどいい。
「少し、微睡むだけでも……夢を見るんだ。喪ったものの、夢を」
目を閉じて、リルちゃんは言う。
僕は思わず黙り込んだ。――凄惨な悪夢。
優しすぎるリルちゃんには、とても辛いだろう。
喪ったものに、手を伸ばすのは。
「でも……、魔王様」
安い励ましの言葉なんかを飲み込んで、僕は違う言葉を押し出す。
「きっと独りだから、嫌な夢を見るんでしょう?」
「……それは、どういう……?」
小さく首を傾げるリルちゃんに、僕は手を伸ばした。
「二人なら、嫌な夢なんて見ないってことです」
そして――つかむ。
「え、え……!?」
「さあ! 寝ましょう、私も眠くなってきましたから!」
それからの流れはとてもスムーズだった。
リルちゃんをベッドへと連れて行き、微々たるリルちゃんの抵抗は無視して、寝る。
そう。二人で寝る。
簡潔かつ最高な答えじゃないか。
僕も寝たかったわけだし、一石二鳥。……っていうんだっけ? うん、とにかく。
お休みなさい!
「……余計、眠れない……」
それでもお休みなさい。
誰より優しい貴方が、もう嫌な夢を見ませんように。