第52話 サタンの冷笑(前)
僕は、勇者と呼ばれていた。
たくさんの人に崇められ、称えられ、敬われ――
たくさんの人に嫌われ、厭われ、疎まれて生きていた。
それが勇者。
平たく言えば魔物を殺す職業。
恨まれるのは当たり前だった。
だって、僕は――人殺しなんだから。
魔族だって人だ。
僕らとは少し違っても、同じく平等な命を持っている。
そう、僕が気付いたのは、ここに来てからだった。
それまで解らなかったんだ。
ずっと自分が、自分だけが正義だと思っていた。
でも、そんなの違う。
正義など元より存在しない。
悪もまた然り。
誰もが違う価値観で正義を掲げる、この世界では。
だから、僕は―――
◇
――少し、昔話をしましょうか。
そう言って話し始めたのは、ヘタレさんだった。
ていうかこの人、忙しいとか何とか言ってた割には僕に昔話をするだけの余裕があるのな。
でも僕は今さら突っ込もうとも思わなかった。だってヘタレさんだもん。
スルーというアビリティーを獲得してしまった僕には、最早それを突っ込もうとする意気さえない。
「昔話……ですか?」
「ええ」
ヘタレさんは僕の方も見ずに、そう言った。
けれど、人と話をする時は相手の目を見ましょうなんて説教するつもりはない。むしろこっち見るな。
――それに、どうやらヘタレさんは仕事をしているみたいだから。
この人が仕事しなかったら、リルちゃんとか困るんだろうからやめておく。
ていうかこの人が他人に仕事してるのを見せるなんて珍しい。奇跡か天変地異の前触れか、それとも天変地異そのものか。
「……不吉ですね」
「昔話がですか?」
「いえ、あなたがです」
「何でですか」
何で、なんて。
そんなの一つしかないだろうに。ていうかいつも不吉だよねこの人は。
でもそんなこと言ったら笑顔で脅されるか。
「あー……まあ、そんなのはおいといて。昔話だか何だか知りませんがさっさと始めて下さいよ」
「……勇者さんも結構適当な性格になってきましたよね」
そりゃああんたと付き合ってたら誰だってこうなりますよ。
そう言って笑うと、ヘタレさんも同じく笑った。意味深で怖い。やめてくれ。
「まあ、とりあえず……黙って聞いて下さいね? これは多分――勇者さんにとっては、とても意味のある話だと思いますから」
意味のある、話? 僕は思わず首を傾げる。
そりゃあ意味もなく話はしないだろうけれど、それはどういう意味だろうか。
聞かなきゃならない話か。それとも、聞いておいた方がいい話、と言いたかったんだろうか。
僕はよく分からないまま、彼の話に耳を傾けた。
「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。二人はとても仲が良く、貧乏でしたが幸せな生活を送っていました」
……よくあるパターンだなオイ。
「ある日――、おじいさんは山へ芝刈りに」
「何ていうか普通ですよね!」
「ええ、普通です」
ヘタレさんは小さく笑って、続ける。
僕の突っ込みも無視か。ただの感想としてスルーですかそうですか。
ちょっと寂しかった。
「ええと、どこまで話しましたっけ……そうそう、おじいさんは山へ芝刈りに、それから、おばあさんは魔王城へ魔王を倒しに行きました」
おばあさんすげぇ。
「実は、おばあさんは誰もが認める勇者だったのです。当時72歳でしたが、その腕は未だ衰えることなく、ファイアドラゴンを素手で倒せるほどの実力の持ち主でした」
「おばあさん強っ!?」
僕は思わず声を上げた。
確か、ファイアドラゴンって、ドラゴンの中でも最強の部類に分類される奴じゃなかったっけか。
あいつ強いのに。あれを素手で倒せるなら魔王も倒せるだろ普通。うん。
ていうかどんな昔話だよ、それ。ヘタレさんの作り話じゃあ……?
「――ですが、その時の魔王は、おばあさんが素手でファイアドラゴンを倒せるように――素手でプリンスライムを倒せるほど強いという厄介な奴だったのです」
魔王も強っ!
僕は愕然とする。
……え、プリンスライムって名前だけ聞くとかなり弱そうだけど、実はすごく強いんだよ? 可愛い顔してメテオとかしてくるし。
他のスライム系モンスターなんて以ての外、低級のドラゴンなんか比じゃない。
なのに、あれを素手でなんて、おばあさんと同じレベルじゃないか。どっちが強いかなんて、とても判断できたものじゃない。
僕だって、4回しか倒したことないのに……。ちょっと悔しい。
「それでもおばあさんは、苦しい生活から抜け出すために、魔王城に出向きました。魔王を倒せば、国から莫大な報酬がもらえると聞いたからです」
そうなんだ、と僕は感心して何度も頷く。
おばあさんすごいなー。生活のためにじゃあ魔王倒しに行こうなんて人なかなかいないぞ。
「それから、もう一つの理由は――小さい頃におばあさんは、実の母親を魔物に殺されていたのです。その復讐というのも、魔王討伐に向かった理由でした」
お母さんを、魔物に?
可哀想に。僕は思わずそう呟いた。
ただの昔話の人ではあるけれど、何だか他人とは感じられなくて。
親しい人が魔物に殺されたことなら、僕にだってあるから。
ただ、家族を、親を殺されたことはないから……、それがどんなに悔しいものか、悲しいものかは知らないけれど。
「母の仇を討つため。魔王をその仇だと信じ、おばあさんは剣を取ります」
が、頑張れおばあさん。
何だかすごく深い話じゃあないか、これ。
ついついのめり込んでしまう。
「――ですが、残念なことに……、勇者さんは知ってますよね? 人々に魔王を憎ませようとする、勇者と魔王を相打ちで倒れるのを待っている、その人物を」
「え? ……え、あ――まさか……」
――まさか、もしかして……。
ヘタレさんの言葉を胸中で反芻する。
その時、一つの単語が、僕の脳裏に浮かんでいた。
え、嘘。冗談だよね?
僕は思わず思い過ごしであることを祈った。
でも、けれど、まさか。その時代からもう、そうだったの?
地底国から、地上を支配しようとする存在が――
「サタン……?」
「正解です。よくできました」
まるで小さい子を褒めるように、ヘタレさんはくすくす笑う。
「本当の仇はサタンの方かもしれませんね。全てはサタンが仕組み、魔物だって、サタンが仕向けたもの」
「そ、そんな……サタンが、その時代にもいたんですか?」
「当たり前でしょう。魔王や勇者が憎み合うのは、サタンの思惑あってのことなんですから」
さも当然そうに囁くヘタレさん。
何て奴だ、サタン。
許せない、と僕は小さく呟いた。
「サタンと名付けられた魔物の王は――」
僕の呟きすら歌に乗せるように、ヘタレさんは話を続ける。
そして僕はその物語に絡め取られるように、話を真剣に聞いていた。
「――地底国に閉じ込められた魔物の王は、どの時代も、どのサタンも、地上を支配することを野望としていました」
地上を支配するために、魔王と勇者を憎ませ合う存在。
それがサタン、か。
「――可哀想だと思いますよ? 地底国なんて狭い国に閉じ込められ、血縁である魔王を恨み、人間にそれを殺させようとする人なんて」
確かに、可哀想な人かもしれない。
一体、誰なんだろう? サタンを地底国に閉じ込めたのは。
本はといえば――誰が悪いんだろう。
それとも、誰も悪くないのか、誰もが悪いのか……。
「サタンは、陰でほくそ笑みました。勇者と魔王が憎み合い、殺し合う。それがサタンの望んだことなのですから」
「そんな……ひどいじゃないですか、おばあさんの気持ちは」
「そうかもしれませんね。でも、サタンはそういう奴です」
さらりと無情に言い放つヘタレさん。
でも、サタンにだっていい人はいないのかな。
魔王だってリルちゃんのような人がいるみたいに、サタンにだって。
それとも、事情が違うのだろうか。
そんな環境ではないのかもしれない。恨まずには、いられないのかもしれない。
「サタンの思惑通り、魔王と勇者――おばあさんは殺し合いました。互いがボロボロになるまで。血が流れ、立ち上がるのも困難なほど疲れても」
けど、あまりにもひどすぎる。
サタンが魔物たちに人々を殺させたせいで、そんなことが起こるなんて。
互いを憎み合う理由が、ただの誤解だとも知らずに。
「そして、最終的な結末は――相打ち。二人とも、同時に倒れました」
ヘタレさんは悲しそうな顔で、口元を弧に歪ませた。
それは――それは。
サタンが望んだ、結末じゃあないか。
「――さあ、二人が倒れた終焉の後に、高笑いとともに現れたのは誰でしょう?」