第40話 二人の再会
「――魔物たちの間に伝わる古の伝説によれば、人は死ぬと魂だけが残るらしい。その魂はその人格としての役目を終え、ある者は天に昇り、ある者は地底へと堕ちると言われている」
恐ろしいほどに穏やかな声で、魔王様はぽつりぽつりと話し出す。
僕? ……喋れるはずなんて、ない。
それどころか、身動き一つとれなくて。
「でも、それは死んだ場合。そうじゃなかった場合は――また、違うんだ」
僕に背中を向けながら、話す魔王様。
その内容は、僕の記憶に残ることもなくただ過ぎ去っていく。
不安。混乱。絶望。ただ、それだけ。
僕の心に、根付く感情。
「死なずして、魂が身体から離れる場合……稀に、そういうケースも存在する。が、ほとんどありえないことだ。その方法は一つしかないと言われている」
どこか遠くで響くような声に、僕はただ地面を見つめていた。
声が……遠い。
何を言っているのかさえ、分からない。入ってこない。
冷たい塊が、心を沈ませていく。闇という深海に。
「――世界には」
ふいに、魔王様の声のトーンが落ちる。
僕は思わず顔を上げた。
「最上級魔法を超える威力と、それに伴う危険性がある魔法が存在するんだ。それは、使うことを禁じられた、『禁断魔法』と呼ばれるものだ」
「き、禁断……?」
聞き覚えのない響きに、僕はつい声を漏らした。
『禁断魔法』――そんなもの、まるで聞いたことがないと。
ふっと、何故か声が普通に聞こえるようになる。近くで、優しく、響いてくる声。
「ああ。知ってる者は、ごく僅かだ。興味半分で禁断魔法を使われては困るから。禁断魔法には、必ず“代償”が必要。犠牲がなければ、その魔法は使えない」
……そんな魔法があったなんて、知らなかった。
――僕は、そこまで魔法を知っていたわけでもなかったから。
でも、魔王様はそれを知っていたのか……。
それにしても……犠牲、なんて。そこまでして使う人なんて、いるのだろうか。
「そして、その中には、指定した二つの存在の魂を取り換える魔法があるんだ」
……それ、って?
僕は引っ掛かるような響きを覚え、眉をひそめる。
「その魂を取り換える魔法も……同じだ。代償として、その魔法を使った者の――大切な人の魂を犠牲にしなければならない」
「な……!?」
そんな――馬鹿なこと。
僕は考えることも忘れ、大きく目を見開いた。
大切な人の魂。僕の奥で、何度も響く。
「そ、そんなのって……」
「だから、それは使うのを禁じられている。――でも……それを使う者が、未だにいるんだ」
未だにいる、だなんて。
そんなこと……どうして……。
自分にも、多大な被害を及ぼすようなものなのに。
大切な人の魂を犠牲にするなんて、そんなの……普通じゃない。
並の人に出来ることじゃあ、ないだろう。
「――レイ」
「はい……って、え――?」
懐かしい自分の名を呼ぶ声に、僕はつい返事をしてしまった。けれど。
それって――まさか、“僕”の名前……。
「お前は……よく知っているだろう? その魔法が、つい最近使われたことを」
こちらを振り向いた魔王様の、何とも言えない曖昧な表情。
魂を、取り換える、魔法。
二つの魂、を……。
思い当たる事実。信じられない真実。
コメットと、僕。レイと、彼女。
――それって、まさか。
「事故じゃ――なか、った……?」
それは――ずっと、事故なんだと思っていた。
偶然だったんだと。
不運だった、それだけのことと……。
でも、でも。僕らの魂が入れ替わったのは――
「事故なんかじゃない。それは、事故では起きようもないことだ。誰かが――禁断魔法を使ったんだ」
――誰かが禁断魔法を、使ったから。
そうきっぱりと断言されると、さすがに目の前が真っ暗になるような感覚を覚える。
一体、誰が?
一体、何のために?
分からない。分かるはずもない。
そんなの……何も、分からないよ。
「誰かが誰なのか、目的が何なのかは分からない。それでも……」
魔王様の声に、ただ僕は耳を傾ける。
自分を落ち着かせるため、落ち着かせるように。
「一つ、分かるのは――お前が“コメット”ではないということ」
「あ……」
そう、だ。
また、さっきの感覚。
世界が遠くなるような、魂だけが自分の身体から抜け出したような……どこか遠く、遠くでこの光景を眺めているみたい。
僕は、人間だ。魔物の“敵”だ。
さらに――勇者、だ。正義の名を騙り、魔物をいっぱい、殺してきた。
魔族の人にとっては、僕は“仇”でもあるということ。
つまり……。
僕は――ここに――いられない。
殺されても、おかしくないんだ。
「――帰ろうか」
「……え?」
予想外の言葉に、僕は顔を上げる。
魔王様の顔には、怒りの色や憎しみの影はない。
ただ、優しさだけが存在する。
「みんなのところに、帰ろう。ずっと戻らなければ、さすがに心配するだろう」
何事もなかったかのように、そう言う魔王様。
どうして?
僕を、殺すんじゃないの?
僕は思わず、震える声で縋るように尋ねる。
「あ、の……どうし、て……」
「レイ」
「は、はい」
また“僕”の名前を呼ばれ、反射的にびくりと反応する。
どうして、彼はその名前を知っているんだろう……。
分からないことが多すぎる。
どうして。どうして。どうして?
「――私のことが、分からないか?」
……え?
魔王様の、こと?
僕は魔王様を見る。その意味がよく分からずに。
だって、魔王様は、魔王様じゃ……。
そう言おうとして、気付く。
――彼、と同じ……色を持つ人。
魔王様の面影に重なる、ぼやけた輪郭。
記憶の淵の、懐かしい色。
曖昧で、でも僕の意識の奥底にしっかりと根付いた『彼』のカタチ。
「……あ……」
――うそ、嘘。
そう思うけれど、二つの顔は重なって離れない。
否定しようとした。でも、それが真実だとしたら。
「――リル……ちゃん?」
「ご名答」
呟いた懐かしい名前にそう答えられ、一気に昔の記憶が呼び覚まされる。
彼との思い出。面影。記憶。形。夢。幻想……。
どこか似た、いや……昔と変わらない、彼の姿。
それは、昔、ずっと一緒にいた――
「う、そ……」
「嘘じゃない。正真正銘私は――」
「り、リルちゃんっ!」
僕は思わず抱きついた。
彼は、そう、そうだ。
僕が生まれた村で、僕の隣の家に住んでいたお兄さん。
リルちゃんなんて呼んで、仲の良かった人。
“虎次”と一緒に、よく遊んでいた。
もうずっとずっと昔にいなくなってしまった、唯一の親友。
もう、疑う理由も、ない。
「リルちゃんが――魔王、だったんだね……」
口に出せば、それが本当のことになるよう。
そうか……。そうだったんだ。
いつの間にか虎次を連れていなくなってしまった人。
泣きながらその背中を探して走っていた、僕。
突然神隠しに遭うようにいなくなってしまった、彼は。
魔王様……だったんだ。
物心ついた時から一緒にいた、優しい親友。
ぷっつりと途切れた記憶の彼と全く変わらない、優しい人で。
ずっと、ここにいた。
「――久しぶり、レイ」
「……うん……うん」
アレスやキナと出会う前から、ずっとずっと強い絆でつながっていた人。
――ずっとずっと、探していた人は。
僕のすぐそばに、いた。
懐かしい色。
探してた人。
重なった影。
思い出す夢。
魔王と勇者、それがこんなに近いものだなんて。
偶然? それとも……複雑に絡まり合う、意図。
何にしても……また巡り会えたことは、とても――嬉しいことだから。
ずっと探していた。ずっと待っていた。ずっと思っていた。
リルちゃんは……ここに、いた。
――気付いてしまった。真実に、気付いてしまったんだ。
でも遅かった。でも早かった。
もう、歯車の暴走は止まらない。
狂ったならば狂ったままで、生き続けようか。
崩壊ハ止メラレナイ…………
魔王様の名前初登場です(今さら
明日は多分更新できませんので><
皆様、また来年、是非この小説でお会いしましょうm(_ _)m
よいお年を……。