第34話 Who am I ?
シリアスです。
そして勇者の名前初登場です(今さら
「――ねえ、レイ君、レイ君ってば! 早くおいでよっ!」
まるで太陽のような、とびっきりの笑顔で僕を呼んでいるのは、キナだろうか。
見上げれば、雲一つない青空に映えるその姿が僕の視界に映って。
大きな灰色の瞳が楽しそうに輝いて、こっちに向けてぶんぶんと手を振っている。
「レイ。遅いぞ」
次に目に映ったのは、アレスだ。
キナの隣で腕を組み、僕にそんな言葉を投げかける。
その言葉こそ少し棘のあるものだけれど、言い方はとても優しくて。
何だかんだ言いながら、そこで僕を待ってくれているんだと分かる。
彼の短くも長くもない金色の髪が、さらりと風になびいた。
「待ってよ、二人とも! ――もう、僕が足遅いこと知ってるくせに」
そして、最後は――僕。
短めの銀髪が、太陽の光を反射して輝いていた。
走るのに疲れて息を切らしながら、それでも幸せそうに二人の許へと走っていく。
“彼”の帰る場所は二人の許なんだと――それが、当たり前なんだと言うように。
「ふふ、知ってるわよ。だから、意地悪したくなるの。もうレイ君ったら可愛いんだから、食べちゃいたいくらいだわ」
「おいおい、キナ。――それは俺のあとにしろ」
その会話を今聞けば相当危ない人たちだったと分かるのだが、その頃はまだ驚くほど純粋だった僕は知るはずもなく。
二人に手を差し伸べられ、微笑みながらその手をしっかりと握っていた。
「ねえ――僕ら、ずーっと一緒だよね?」
無邪気でそれ故無知だった僕が、尋ねたこと。
ある一種の、残酷な狂気。
ずっと一緒という、誰もが夢見る幻想。
それはいつだったか交わした、“永遠の約束”――。
「勿論」
「そんなの、聞くまでもないわよ!」
ああ、それでも、そんな無知な僕にでも、二人は笑ってそう言ってくれたっけな……。
――でも、もう僕は僕じゃない。
彼はレイで、僕はコメットだ。
二人を裏切ったのは僕で、二人と共に逝ったのはレイ。
僕はもう、二人と一緒にはいられなくて。
でも、魔王城も僕の居場所ではないでしょう――?
「――幸せ、だったのね」
聞いたことのないような、それでもどこか聞き覚えのある声が、頭の中でこだまする。
「君、は……誰?」
「貴方の代わりに逝った、……貴方よ」
ああ、コメットか、と何故かすんなり納得がいった。
何だか、そんな馬鹿らしいことを疑う気にもなれなくて。
ただ、納得したというように小さく頷いた。
確かにその声は、現在の僕の声に、似ていなくもない――。
「貴方は、二人といて幸せだったのね。それを貴方が壊して、私が壊した」
遠くから聞こえるようで、近くから聞こえるようにも感じる声。
僕は目を閉じて、その言葉に集中する。
「――ねえ、あなたは戻りたい? あの頃に」
その言葉に僕は、大きく頷いた。
「戻り、たいよ」
そして、震える声で、強くそう言い切る。
戻りたい。あの頃に、戻りたい。
――それは、本心だから。
あの頃は幸せだったと、そう言い切れるから。
二人といたことが、一番の幸せだったと、一番の幸せなんだと、今も思っているから……。
……思っている、はずなのに。
僕は、何故か暖かいものがつぅと頬を伝っていくのを感じた。
「……泣いているの? 自分に、嘘をついたから……」
そんなことないよ。
声にならない心の叫びが、僕の中でぐるぐると回る。
どうして? 拭っても拭っても、涙は止まらない。何でだろう。泣く理由なんて、ないはず。
だって、僕は、自分の心を、伝えただけなのに。
「ねえ、ここにいたら、あなたは幸せになれない……?」
その言葉に、僕の心は、石を投げ込まれた水面のように揺らいだ。
僕はそう、望まない事情で魔王城に来た。
今も、本来ありえない立場でここに存在している。
罪悪感、苛立ち、哀しみなんかに揉まれながら。
でも、それは――不幸じゃ、なかったと思う。
不幸じゃなくて、……むしろ、幸せを与えてもらったとさえ感じる。
最初は望まなくても、あの二人はいなくても。
それはつまり――僕は、ここでも……。
「ぼ、僕、は……」
「…………ねえ、“レイ君”」
彼女が僕を呼ぶ声は、キナによく似ていた。
どこかくすぐったくて、心地の良い響き。――どうしてだろう。
分からないまま、彼女の話は続く。
「もし、もしよ。ここにいるあなたが、もし幻だったとしても、嘘だったとしても。偽りのものだったとしても……それが不幸だと、決めつけないで」
悲しそうな声。
それは、僕にはよく分からなかったけれど、何故かこくりと頷いた。
「幸せは、そんな現実に左右されない。――夢の中だって、幸せはあるわ」
彼女がそう言い終わると、身体が羽のように軽くなってきた。
そう、まるで浮きそうになるほど。
――それがそろそろ終わるという合図なのだと、何故か理解することができた。
「私が、そう信じられなかった分……お願い、レイ君」
姿も見えない彼女の声に、僕はただひたすら頷く。
そうしなきゃいけないと、心の奥底で僕がそう叫んでいるから。
よく分からない衝動が、僕を突き動かすから。
「あなたに定められたのは、勇者なんて運命でも、コメットなんて宿命でもなくて――」
……そこで、プツンと途切れた。
瞬間、闇に呑まれていく。
怖くない。怖くなんかなかった。
ただそこにあったのは、空白のような、たくさんの感情。
僕が、忘れようとしていたたくさんの思い出―――
悲しいよ。
何で、こんなに悲しいの?
僕の存在が消えるようで。
あの二人を忘れてしまいそうで。
騙している人がたくさんいて。
自分自身まで騙していた。
……悲しいよ。
悲しいんだ、辛いんだ、怖いんだよ。この腕の中にあったものを全て壊してしまうことが。
僕は、一体誰なんだろう?
僕が何でいれば、全て壊さずに済むの……?
綺麗事だと、たとえそう言われても。
全て壊さずに抱きしめていられれば、どんなに楽なんだろうと。
儚く脆い世界の中で、僕は泣いた。
ああ、なんて儚く、脆く、美しい世界なんだと―――。
――お願い。お願いだから。
まだ、終わらないで。僕の時。
二人はもう戻ってこなくても、僕の幸せはここにあるんだ。
失いたくないものが、人達がここにいる。
夢でも、幻想でも、何でもいいよ。
僕という存在が、まだそこにいる。
それが辛くて、悲しくて、とても嬉しかった……。
続きます。