第33話 常識と非常識
常識のある人。
―――それがどれほど価値あるものか、分かってもらえるだろうか。
僕が勇者として、人間として普通に生活していたときは、そんなことは考えたこともなかった。
僕の周りには常に、常識が溢れていたから。それが普通。
けれど、この魔王城で常識人という常識人を見つけるというのは、干し草の山の中から一本の針を探すようなものだ。
常識を持った人というのがどれだけ貴重なものか……ようやく分かった、気がする。
「――ねえ、ディーゼル。ディーゼルはさ、私の部屋に忍び込んできたことってないよね」
「……は? しのび……?」
「うん。忍び込んできたこと、ないよね」
確認というか、半ば懇願に近い科白。
出会い頭にそんなことを言うと、目の前のお方は目を白黒させて。
哀れなものを見るような目で、僕の方を見た。
……何さ。僕が哀れなんじゃないもん。あえて言うならヘタレさんが一番哀れなんだ。ヘタレさんの頭が。
「……あのな、コメット」
一呼吸置いて、落ち着いたらしいディーゼルは、諭すように言う。
「普通、人の部屋には忍び込まないだろ?」
「だよねっ!? よかったぁぁぁぁ! ゴッド! ありがとうマイゴッド! 大好きだぁぁぁ!」
「ちょっ!? お、落ち着け! 落ち着けってば!」
僕が嬉しさのあまりディーゼルに飛びつくと、ディーゼルは慌てたように僕を押しやった。
いや、その気持ちは分かるけど。つい飛びつきたくなるんだ、常識人を見ると。
あいらぶ常識人。イコールあいらぶディーゼル。
一体、それの何が悪い。
非常識が満ち溢れてる世界から逃避して、何が悪いというんだ。
「な、何があった」
「あのね……よく分かんないし分かりたくもないけど、みんなして私の部屋に忍び込んでくるの。特にヘタレさん。あの人は主に頭が終わってるからもう救いようないんだけど」
「…………ひでぇな。あらゆる意味で」
「だよね」
「お前もだ」
「え、ほんと?」
とりあえずいつもしっかり突っ込んでくれるディーゼルは優しいと思う。
ありがとう常識。ありがとうディーゼル。他の人と一緒じゃ、息をつく暇もない。
僕が安心してボケることって少ないんだよ? え、そうでもない? そんなの気のせい。うんよし。
勝手に納得していると、ディーゼルは難しそうな、色々諦めたような顔をして呟いた。
「……何で、忍び込んでくるんだろうな」
「常識がないから」
「いや、あいつらの常識はあれなんだろうよ。多分」
「ああ、そっか。……一般的な常識くらい持っててほしいなあ……本当に。話が通じる気がしないもん」
そうか、と困ったように笑うディーゼル。
ああ、多分この人も同じような思いをしてるんだろうな。そう思うと、何だか虚しくなる。
何であの人たち(主にヘタレさん)が好き勝手やって僕たちが苦労しなきゃいけないんだ。世界ってそんなものなのか。
……そう考えると、ますます虚しくなった。
常識って……、常識って。
「……あのさ、ディーゼル。常識って何だっけ」
「……さぁ?」
二人で顔を見合わせて、ため息をつく。
何でだろう。何でこんなに虚しいんだろう。
原因なんか、考えたくない。出来れば知らないままで。
「……俺もさ」
ディーゼルがポツリと呟く。
「俺も、常識を捨てた方が楽なのかもしれないな」
え、と僕は小さく漏らす。
まさかの爆弾発言。というか思いっきり爆弾投下。
一瞬の時間停止後。
「や、絶対やめてっ! お願いだからやめてよぅ! 唯一の希望だよ!? もうディーゼルしかいないんだから!」
「ちょ、お、落ち着けって! 揺さぶるな! ……分かった、分かってるから」
驚いてガクガクと揺さぶると、ディーゼルは降参するように両手を上げた。
僕は、ほっとして揺さぶるのをやめる。
ディーゼルが常識を捨てたら全て終わりだ。
驚きと虚しさと孤独で僕の世界が崩壊するだろう。
「ていうか、そんなの……しようと思って出来るものでもないだろ。性格だって、もう変えようねーし」
「そう……だね。うん、そうだよね……うっうっ……」
「な、泣くな」
泣いてなんかない、とか呟いてみたりする。
何が悲しいんだ僕。自分に問いかけても答えは返ってこない。
多分、あれだ。何か全てが悲しいんだ。
非常識が溢れた世界に巻き込まれてしまったこととか、自分が常識人に生まれてしまったこととか……あれ? 僕って常識人だよね?
……いや、信じるしかないだろう。僕は常識人だそうだ常識人なんだ。
それはただの暗示なんだとか、正気に戻れとかキコエナイ。
「……虚しすぎる」
「……同感だ」
ああ、何だろう。
――常識って何だっけ。非常識って何だ。
もうむしろそこから始まろう。
常識って何だ、非常識の何が悪いんだ。何が常識でどれが非常識。
常識なんて何の価値がある? 非常識なんて何の意味がある?
その言葉に込められた意味は、どれだけ重くどれだけ軽い? そんなの、誰も知るはずはないんだから。
別に非常識でもよくないか、なんて思っちゃったりする。
あー、何か壊れてきた気が。
「――ってちょっと待て。落ち着け自分。非常識でいいわけあるか! ってか、常識の意味が分かんなくなってきた……」
何か一つの言葉を連呼してたらだんだんその言葉の意味が分かんなくなってくるよね。
ていうか、落ち着こう本当に。キャラ崩壊はもう十分だ、散々だ。
「よく聞け、自分。常識捨てたら終わりだよヘタレさんみたいになっちゃうよってかなりたいの? むしろあれはゴートゥーヘル」
「……おい……コメット?」
「え、……あ、ごめん。何でもないよ、ここにいるよ」
「いや逝ってたぞ、否、逝ってるぞ。主に頭」
「それは先にヘタレさんに言ってあげて」
やっぱり(あらゆる意味で)壊れてる人と一緒にいると(あらゆる意味で)こっちも壊れちゃうんだね。
あの魔王様ですら、ヘタレさんのクレイジーっぷりが伝染してこの頃少しデンジャラスだという事実。困ったことに次はきっと僕。いやもうむしろ過去形でいこう。
……よしじゃあ、続けようか。この無意味な会話を。
「ねえ、何話す? これ以上話すことあるの? ていうか何で私達は話してるの?」
「知らねえよ」
会話は終わった。
まあそうだろうと思ったけどね、なんて負け惜しみでも言ってみたりして。
「……テンション上がんないね」
「滅茶苦茶しようとする奴がいないからな」
それもそうか。
でもだからって滅茶苦茶しようなんて僕はそんな冒険者じゃない。どころか、それを止めるor遠くから生暖かい目で見守る傍観側なのだ。
いや、……巻き込まれる方か。
それ言ったら終わりだけど。
「あ、ってことはオチもないね」
「ないな」
あっさり答えられる。何だか虚しい。
でも、そんなの今に始まったことじゃない。
とりあえず、……オチがないのは非常に困る話だ。
ここで永遠にこの話をリピート? こんなくだらない話題エンドレスなんて、そんなの堪ったもんじゃない。
「よし、じゃあ……」
「お、何かあるのか」
僕はそう言われて思う。
――何もない。
「…………終わろうか?」
「唐突すぎるだろ」
あっさり突っ込みを入れられた。
うん、僕もそう思う。
でもそれ以外に終わる方法がないという悲劇。何ていうかカタストロフィ。
さっきから僕の喋り方がおかしいのは、……うんあれだ。暗黙の了解ということにしておこう。
「もう何ていうかね、……脳内で私のキャラが崩壊してきたから終わろう?」
「それで終われれば苦労しないだろ。安心しろ、お前のキャラが壊れてるのはお前の脳内でだけじゃないぞ」
そうでしたか。
僕のキャラは、ここの人たちにどんな風に映ってるんだろう。
……さぞかし素晴らしいことになってるんだろうけどね。
そもそも記憶喪失の奴がここまで何かを繰り広げる事態おかしいと思う。
いや、それ以前に勇者一行に襲われた非力な魔族の少女がまだ元気に生きている。それすらおかしなことに思われるんじゃないか。
勇者一行、どれだけ弱いんだ。自分で言うのも何だけどさ……。
――いや、もういいや。考えると鬱になりそうだ。
ここはもう全部ヘタレさんのせいにしよう。そうじゃなくてもあの人のせいにしよう。それで解決。解決しなくたって解決だ。
「…………解決だね♪」
「いや、意味分かんねぇ」
ごめん。でも、説明のしようはない。僕は謝る。心の中だけで。
「……まあいいや。お前の中で何が解決したか知らないけど……、とりあえず」
続きを促すように僕が見上げると、ディーゼルは優しく笑って。
「虚しいから、終わるか」
……わら、って。
「……そうだね」
互いに納得したところで、読者様からどんな苦情が寄せられたって終わります。
次回はもっとマシだといいねーなんて願いながら。多分無理。
せめて、このオチのない終わりに追悼を捧げましょう。色んな意味で。