第2話 新しい自分
「で……きるわけないじゃないですかっ! 魔王の嫁なんてっ!」
ありえない。ありえない!
思いながら、僕は喉が張り裂けそうなほどの大声で叫んだ。
「受け入れて、くれないんですか?」
当たり前だ。
そんなこと、どんなに捨てられた子犬のような目で見つめられたって受け入れられるはずがない。
理不尽。アンフェア。そんな言葉ばかりが、脳裏をよぎる。
「僕は男だっ!」
「肉体的に女ですよ、むしろそんな口調だとボクっ子にしか」
彼は僕の必死の訴えをも、そう言ってさらりと流した。
――……やり切れない虚しさを、何故か僕が感じた。
ああ、何ていう解釈のされ方。
ああ、何ていう言葉の恐ろしさ。
ああ、何ていう人間と魔族のつながり……。
何でそんなものを知っている。そして何でこのタイミングでそれを出す!
「いやーすみませんね、最近流行ってまして」
彼は心を読んだんじゃないかと思うほどナイスなタイミングで僕の疑問に答えてくれた。
というか、どこで流行ってるんだそんなこと。
「……ヘタレ、さん?」
「ヘルグです。どんな間違い方をしたらそうなるんですか」
「どっちでもいいですけど、とりあえず死んで下さい」
「嫌です」
微妙な口論から睨み合いになり、じっとピンクの瞳を見つめる。
揺らいだ瞳を追いかけて、逃がさないようにきっと睨んだ。
すると、睨んでいただけのはずなのに彼はぶっと吹き出す。
「あの、へ、ヘタレさん?」
「ヘルグです! いや、あの、こうしてるともう男女の見つめ合いにしか……ぶっ!」
「ちょ、あの……落ち着いて、現実を見て下さい。どこをどうしてもそうはなりませんから。てか勝手に女にしないで下さいこの野郎」
「それは残念ですね……く、くく」
笑いが止まらないらしいヘタレさんをとりあえずビンタして、無理やり彼の腕から抜け出す。
彼も今度はすんなり降ろしてくれた。ビンタのおかげか?
それよりも、これからどうしよう? 本当に。
自害する気も、何だか失せたし。
失せたというか……正気に戻った、とでも言うのだろうか。
「罪滅ぼし、ね……」
彼の言う方法は嫌だけど、それくらいはしなければならないなと思う。
魔族とか何とか、それ以前にこれは大罪なのだと思うから。
どんな方法がいいかと考えるのだが、それもあまり思いつかない。
そもそも、その死んだ彼女が喜ぶのって何だ?
僕はその人に会ったことがないから分からない、けれど。
「この姿じゃできることもできないんですが……」
「その姿だからこそ便利なこともあるじゃないですか? まだ、私以外あなたが勇者だってこと知りませんよ?」
「……え? 魔王も?」
「ええ、魔王様には知らせてませんから」
にっこりと優しく笑う彼を見て、僕は思う。
つまり、こういうことだ。
バレたら死ぬ。
簡潔で分かりやすい。でも最悪だ。
それも自殺するのとは違う、じわじわと苦しめられて殺されるんだろう。
「いっ、嫌だ! それくらいなら、僕は、今この場で死んでやるっ!」
「それじゃ罪滅ぼしになりません。ようするにバレなきゃいいんでしょうが」
いや、絶対バレるでしょう。人が変わってんだよ? 口調からして違うんだから。
気付かない方がおかしいぞ。どっか頭のネジ取れてる人だってそれ。
「コメット=ルージュについてはちゃんと教えます。だから、お願いします」
「……いや、僕は、そんなこと……」
「魔王様は、彼女のことを大変お気に入りのようでした。それが死んだと言ったら、何と……」
ちくり、と僕の心が痛む。
彼が切なげな表情を見せたからだ。
いくら魔王とは言え、そんなに悪い奴だとも思えない。戦ったとき、それは分かっていた。
それを、僕は一方的に……仲間を殺された怒りも、まだこの胸の奥で燻ってはいるけれど。
それでも。
「……お願いです、勇者さん。魔王様は、本当はとても心優しい方なのです。あの方を、悲しませるようなことは……」
僕は何故かそのタイミングで、父を悪く思わないでねと同じようなことを言っていた母さんを思い出した。
思えば、今までずっと悲惨な人生を歩んできた気がする。
父さんの夜逃げ。母さんの病死。大量の借金。努力の末勇者になった時は、本当に嬉しかったけど……結果的に、こうだ。
ああ、ここまで来たらもうヤケクソだ。ここから逃げられそうもないし。
「……もうっ、分かりました! もういいです、魔王の嫁でも何でもなればいいんでしょっ! ただ、バレたときはあなたが何とかして下さいね!」
そう思って――そんなことを、叫んでしまった。
「……本当ですか?」
「ええ、もう男に二言はないですから」
「これから女になりますけどね」
彼の最後の言葉は右から左へ聞き流し、僕は覚悟する。
もう戻れない。言ってしまったんだ、僕は。
魔王の嫁になる、と。
「ありがとうございます! これでいけに――何とか取り繕うことが」
……今この人生贄って言い掛けなかったか?
「では、とりあえずこちらへ来て下さい。あなたの部屋へと案内します」
「は、はあ……」
待て、生贄って何、生贄って何なの?
あんなことを口走ってしまったことを早くも後悔しつつ、僕は彼の後姿を追いかけていく。
お願いだから、部屋だけはまともであってくれ。
どうか、僕が普通に生きていけるくらいの……。
「こちらです」
そう言って開けた先はパラダイス、本能にとっては未知のワンダーランドが待っていた。
「……ぴ、ピンク?」
願いは届かず、部屋は一面ピンク。ある意味薔薇色。家具も可愛らしく桃色で。これは確実に乙女の部屋だと確信する。
そんなここが……僕の部屋になる、だと?
「少しの間はここで我慢して下さいね」
鬼だ。
目の前で笑うこの人が、今は鬼にしか見えない。
この部屋で、僕が生活していけると思いますか?
恨みと少しの期待をかけて彼を見つめたが、彼は気付く様子もなく。
「さて、コメット=ルージュについてお話しましょうか」
適当な椅子に腰掛け、彼はにこりと笑った。
僕は立ったまま彼を見つめる。よく普通にしていられるななんて思いながら。
「えーと、まず。彼女の性格は……、わがままで自分勝手、勝気なお嬢様と言ったところです。ただその美貌のため、言い寄る男は多かったようですが。どうも性格はよくないようで」
僕はそっとため息をつく。
わがまま、自分勝手、勝気――。
そんなの、演じ切れるかどうか……自信は、ない。
自分で言うのも何だけど、できるだけ人に尽くしてきた方だと思うから。
「あの、ちょっと……」
「安心して下さい。それを演じろとは言いません、あなたのありのままでいいんですよ」
「……え?」
僕は驚いて、顔を上げる。
それって、どういう意味なんだ?
「魔王様も、彼女の性格はお気に召さないようでしたから。どうせならいっそ、記憶喪失ってことで」
……いいのかオイ。
魔王様のお気に入りじゃなかったの? 外見だけ?
そんなアバウトでいいの?
それならむしろ、勇者の魂が乗り移りましたーって正直に言った方がいいんじゃないですか。
「魔王様に男を愛でる趣味はあると思えませんから。肉体的には女ですけど、あなたの精神が男しかも宿敵だと知ったら……」
嫌な言い方だな、と僕は顔を引きつらせる。
絶対、バレないようにしなくては。
女らしくすることについては、幸か不幸か経験がある。……何のなんて、言うつもりはないけれど。
よし、記憶喪失で通そう。コメット=ルージュは生まれ変わったんだ。
「では、お願いしますね。あとは、彼女の経歴について大まかに説明しましょうか」
「は、はい……」
「彼女の生まれはラグナ歴3021年。今から18年前です。それなりに裕福な家に生まれ、一人っ子でしたから親にとても可愛がられていたようです。まあ、そのせいで傲慢な性格になったのかもしれませんけどね。親としてはもっとちゃんと責任を持ってしっかり育ててほしかったのですが」
言うことに容赦がない。さすが魔王の側近、と言ったところか。
でも、もうちょっと言い方があると思うんだけどな。
僕は少し彼女に同情を覚えた。
「誕生日は1月6日、性別は女。一人称は『私』です。他に、聞きたいことはありますか?」
「……ない、です」
僕は小さく呟き、ため息を漏らす。
性別なんて、とっくのとうに分かっているというのに。
それをわざわざ言うのは嫌がらせか天然なのか。多分前者だ。絶対そうだ。
「では、私は魔王様に呼ばれていますので、頑張って下さいね。誰か来るかもしれませんが、何とかして下さい」
「……え?」
一瞬、頭が真っ白になる。
ちょっと待って、行っちゃうんですか?
そんな無責任な。バレたらどうするんですか。
「まあ、何とかなりますよ!」
爽やかな笑顔でそう言い、彼はさーっと出ていってしまった。
引きとめる暇もなく。
「……ちょっ……」
ああ、何て無慈悲な。
鬼畜かあの人は。
僕はその後姿を何もできず呆然と見送りながら、心の中で激しく後悔した。
僕は、ここにきて、神に見放されたようです……。