第21話 不器用な側近
灰色の雲に包まれた空、今にも雨が降り出しそうな雰囲気。
僕の心にも、ざわざわと灰色の風が吹く。
闇に覆われるように、影に隠されるように。
虎次は怯えていた。
見えない何かを感じて。
これから告げられることは、少なくとも僕にとっていいことではない。
そう、教えるかのように。
「……サタンというのは、魔王様に並ぶもう一人の『魔物の王』です」
ヘタレさんは、ぽつりと話し始めた。
「もう、一人の……?」
どういうことだろう。
ヘタレさんは僕の方も見ずに頷く。
「魔王様が統べるのは魔王城。そして、サタンが統べるのは地底国」
「地底……国」
僕は、その音を確かめるように繰り返す。
地底の国? そこに、サタンというのがいるのか。
「その名の通り、それは地底にある国です。魔物たちが溢れ返る狭い国ですよ」
くすり、とヘタレさんは困った顔で笑う。
「サタンは魔物を力で従わせています。知恵で従わせた魔王様とは違い」
「力? 武力ってことですか……?」
「ええ。サタンは魔法よりも力に優れていますから。それに、好戦的な性格をしています」
好戦的なのか……。
魔王様とは全然違うんだろうな、と思う。
何だかんだで魔王様は優しい方だから。
「サタンは、地底から地上を見ているんです。いつか魔王と勇者が相打ちで倒れ、地上を支配できるチャンスを」
「支配……? ち、地上を?」
「はい。地底国はさっきも言った通り狭い国ですから、魔物が入り切らないような状態なんです。だから、地上を支配してそこに住もうとしていて」
ヘタレさんは肩をすくめる。
それ、そんな悠長に話していていいことなのか。
結構危ないんじゃないか? そんなふざけた、話。
「あ、え、でも、この魔王城にも魔物っていますよね?」
「そうですね。魔物は、12歳の誕生日に選ぶんです。魔王城に住むか、地底国に住むか」
12歳で、そんな選択をするのか。
勿論、魔物と人間の観点は違うんだろうけど、それはきっとまだ子供なのに。
そんな重要な選択を、たった12歳で。
「魔王城なら魔王派、地底国ならサタン派と呼ばれます。正式にそこの住人になった時、それぞれの王に忠誠を誓うんですよ」
「え、じゃあ、さっきの人は……地底国の人?」
「ええ。そうです」
ヘタレさんは、また困ったように笑った。
そうか――さっきの人は、地底国の。
「魔王派とサタン派は敵対しています。平和主義の魔王派に対して、サタン派は何でもすぐ戦争を始めようとするのが原因でしょうが」
よく地底国に人が集まるなあと思う。
でも、それもそれぞれの価値観なんだろう。
僕ならきっと魔王城を選ぶだろうが。
けど人それぞれだし、僕に誰かを咎めることなんてできない。
「だから、本来なら魔王城にはサタン派の人は来ないはずなんですよ? 魔王派の者が地底国に行かないように」
「じゃあ、何で……」
「それが分からないから困っているんです」
ヘタレさんの言葉に、僕は首を傾げた。
何故、地底国の人がここに来るんだろう。
敵地にいることがどれだけ危ないのかは、きっと分かっていると思うんだけど。
それだけのことをする理由があるんだろうか?
「それに、あなたのことを知ってるなんて……変な話ですね」
二人で顔を見合せ、沈黙する。
その疑問の答えは、僕の腐敗しかけた脳みそでは叩き出せなかった。残念。
「でも、ヘタレさん、言っちゃ悪いけどあなたって好戦的な性格してますよね。何で魔王城にいるんですか」
「正直な人ですね。今ここであなたを殺して差し上げましょうか?」
「お、お断りします」
にっこりと笑ってそう言うヘタレさんが怖い。
何でこの人笑ったままそういうこと言うんだ。やめてくれ。
確かに僕の言い方も悪かったけどさ。
「―――話すと、長くなりますよ?」
「聞きたいですっ」
僕がかみつくように言うと、ヘタレさんはふっと淡く笑う。
笑うのにも色々パターンがあるんだなーなんて変なことを考えていると、ヘタレさんは突然立ち上がって、庭の隅で昼寝している一匹の魔獣に近付いていった。
すると、その魔獣が突然弾かれるように起き上がり、威嚇するように牙を向けた。
「フシャーッ……」
魔獣は、今にもヘタレさんに襲い掛かっていきそうなほど威嚇していて。
僕はその光景についていけず、ただ固まる。
魔獣が魔族に威嚇するなんて、そんなこと普通はないはず……。
人間には襲い掛かるけど、魔族は同じ魔物の仲間だ。なのに、どうして?
「睡眠」
ヘタレさんが静かにそう唱えると、魔獣はまたとろんと眠りの世界に堕ちていった。
それを確認すると、ヘタレさんはまた困ったように笑って戻ってきた。
「見たでしょう、魔獣のあの警戒のしよう」
「ど、どういうことなんですか? 何であなたを襲おうとして……」
僕は問い詰めるように聞く。
ヘタレさんは笑って、僕から視線を外す。
「―――混血、なんですよ」
「え?」
混血。
今、さらりとすごい言葉が出てきた気がする。
「私は、人間と魔族の混血なんです」
「……そんな」
僕は、それ以上何も言えなかった。
人間と魔族の混血……。
それは、人間にも魔物にも忌み嫌われる存在だ。
生まれてはならない者。呪われし存在。破滅の使者。汚れたイキモノ。地上の死神―――呼ばれ方なら、沢山ある。
でもその全てが、深く強い憎悪を込めたもの。
「だから、私には選ぶ権利などなかった。生きることすら、許されるはずもなかったんです」
混血の者は、世の果てに追い払われ。
生きる権利すら奪われる。
僕はそんな生き物とはほど遠い存在だったけれど、その存在はよく聞かされていた。
関わってはいけない存在だと、何度も何度も。
「―――私は、魔王城にも地底国にもいることができず、地上をただ彷徨っていました」
魔王城や地底国だけではない。
人がいる地には、きっとどこでも行けなかったのだろう。
「まあ、私は魔法が得意でしたから、何とか動物を狩ったりして生きていましたけれど」
その笑顔も、今は無理に作っているようにしか見えない。
きっと、それは大変だったどころではなく、とても辛いこと。
辛くて、哀しくて、……寂しかったんだ。それはもう、死んでしまいそうなほどに。
「生きるのも、辛くて。生きるのをやめようとしたこともありました」
その言葉に、ズキンと胸が痛んだ。
あまりにも悲しい、その言葉。
命を捨てるという選択は、あまりにも痛くて。
「でも、7年前……私が12歳の時ですか。魔王様に出会ったんです」
ヘタレさんはふっと僕から視線を外す。
魔王様。
その人に会ったことで、ヘタレさんは変わったのだろうか。
きっと―――いい方向に変わったと、信じたい。
「魔王様は、何故でしょうね……。私が混血だということも、全く気にしませんでした。私を、魔族として迎え入れてくれたんです」
そう言ったヘタレさんは、いつも通りの笑顔を浮かべていて。
それがとても嬉しくて、幸せだったんだと分かる。
僕はその途端、ほっとした。その言葉を聞けてよかった。そう思って。
「だから私は、魔王様に忠誠を誓いました。魔王様が、私を救ってくれたから」
「そう、だったんですか……」
それで、ヘタレさんは魔王城にいるんだ。
魔王様は、本当にすごい人だ。
それがよく分かる。
魔王様のお陰で、彼は……。
「ね、勇者さん。私は普通ではありえない髪と瞳の色をしているでしょう? これは混血の印なんです」
ヘタレさんは、自分の赤紫の髪と桃色の瞳を指差した。
確かに、普通ではありえない色だろう。
「確かに……」
「それに、私があなたを助けたのも、私が混血だからなんですよ」
「え?」
どういう意味だろうと、僕はヘタレさんを見る。
混血だから? それって……? 説明を求めるように、僕は彼を見つめた目で訴えた。
でも、ヘタレさんはくすりと笑ってこう言うだけだった。
「いつか、その意味が分かりますよ」
ヘタレさんは、それだけ言って、一人で帰っていってしまった。
でも、僕は何だかとても嬉しくて。
「ねえ、虎次」
虎次をそっと撫でると、虎次は気持ちよさそうに。
「虎次は、ヘタレさんに怯えたりしてなかったよね?」
「にぁー」
虎次は肯定の意を示すように喉を鳴らす。
そうだ、だってヘタレさんに怯える必要なんてないもの。
「あんなにいい人を、嫌う理由なんてないよねえ?」
僕は笑って、虎次を抱き締めた。
空は、いつの間にか晴れていた。
ねえ、だって、彼は少し不器用だけど。
とても優しい、いい人だから。
僕は大好きだなあ。
ヘタレさんのこと。