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第147話 失ったもの

『私が見つけたもの』一話目、影と電波娘。です。

内容的には142話『許されざる罪』のあとの話。

 光に満ち溢れた世界が終わる。





「…………」


 彼女が去った後の部屋に、会話はない。カップの中には冷め切ったコーヒーが半分残っているだけで、波紋を描くこともしなかった。凪いだ表面には相変わらず、冴えない男の無表情がうつっている。

 僕はどこか、空虚な気持ちに満たされていた。

 それがわかっているのか、この部屋の仮の主である男も彼に付き添う妹も一向に口を開こうとしない。出ていけ、と言うことは簡単だったろう。それでも彼らはそれをすることなく、ただただ沈痛な空気の中、僕と一緒になって黙って俯いていた。


「……いいんですか」


 そうしてどれくらいの時間が経っただろう。実際にはどうであれ、僕にはもうかなりの時が過ぎたように思えた頃、最初にこの重い沈黙を破ったのは、全身包帯男になった兄の包帯を替えていた少女だった。

 いきなりぽつりと呟かれたその言葉に、僕は思わずまじまじと少女の横顔を見つめる。


「……なにが?」

「彼女のことです」


 少女は言う。彼女というのはおそらく、先ほどここに訪れ、僕の言葉を聞くや否や血相を変えて飛び出していった僕の半身のことだろう。そしてある意味、この沈痛な空気を招いた張本人でもある。

 『墓地』。

 その言葉に彼女が何を思ったのかは知らない。普段なら彼女の思考はこれでもかってくらいに駄々漏れだし筒抜けなのだが、あいつ、大事なところばっかり上手く蓋をするから。……そうやって閉ざすことができるならいつもそうしてりゃいいじゃん、と思わないでもないけど、多分無意識の行動なんだろう。なんて面倒臭い。

 でも、彼女が何を思って飛び出していったのであれ、僕にはもう関係のないことだ。――そう、関係のないことの、はず。


「追わなくても、いいんですか?」


 僕の方を見ようともしないまま、少女は問う。

 彼女は彼女で、僕が今まで見ていた姿とは違うように思えた。無邪気で天真爛漫で、世間のことなんて何も知らないお姫様――そうとばかり思っていたのに、今の少女の横顔には、明らかな陰りが差している。


「何で?」


 しかしあくまですっとぼけたふりをして、僕はそう返した。

 追わなくてもいいか、って?

 そりゃあそうだ。僕が何で彼女を追う必要があるって言うんだろう。面倒臭いし追っていって言うことがあるわけでもないしそもそも行くようにけしかけたのは僕だし、追う理由も必要もどこにもない。……そう言ってすり抜けるのはとても容易なことだ。

 でも、少女の目はどこまでも青く深く、僕を射抜いたまま逸らそうともしない。


「好きなんじゃ、ないんですか」


 そうして少女のつぼみのような唇から出てきた言葉は、僕のありもしない心臓を引っ繰り返した。


「……まさか」


 なんとか肩を竦める動作だけはしてみせる。好き? まさか。

 まさか、だって、あいつは僕の半身だし。

 そう言おうと思ったがやめた。僕が影であいつが光……なんて、言ってもきっと彼女には伝わるまい。それが事実であれ虚構であれ。

 いや、でもさ。好きなわけ、ないじゃん。あいつはあくまで僕自身なんだから、そんな感情を抱くはずもない――

 そこまで考えて、ああ、やっぱり駄目だ、と僕は思った。


「……そうですか」


 少女はそれ以上追及しない。彼女の兄は口を開こうとすらしなかった。

 ……だけど、駄目だな、今さら。少女の言葉はもうその唇から出て、僕の耳まで届いてしまった。今さらなかったことにはできない。


 ――違うんだ、ミーシャ。そうじゃなくて。


 僕はどこか、空虚な気持ちに満たされていた。


 それはけっして、少女と彼女の兄が引き起こした今回の事件のせいではない。

 だったら僕は彼女たちについていくなんて言わなかったし、そもそも、この城には僕の親しい相手なんていないんだから。

 僕は光のようにお人好しでも何でもないから、顔も名前も知らないような相手の死に嘆くことはできない。可哀想だな、とは思っても。

 幸い、今回の事件で、光の知人や友人が亡くなったりはしなかった。光自身も――まあ、完全に無事とは言い難かったけど、今は大丈夫なくらいには回復した。

 だから……つまるところ、三段論法だ。僕には嘆くことなんてない。僕には他の人みたいに、失ったものなんてなかった。


 なかった、はずだった。


「……勇者様。無理をして、あたしたちについてきてくださらなくても大丈夫ですよ」


 少女はまたぽつりと言った。労るような口調だった。僕は思わず苦笑を漏らす。


「無理って……別に、そんなんじゃないって。それに君たちだけじゃ心配だし」

「あたしたちより、勇者様の方が心配です」


 しかしきっぱりと言い切られ、二の句が継げずに僕はただ口を何度も開閉させた。まさかこの子に心配だと言われる日が来るとは。

 それでもどうにも情けない今の僕の心情では、反論する言葉も思い付かない。心配……されるのも仕方ないくらい、今の僕は、情けない。


「――あたしは、勇者様が旅立ってから今までの間、どうやって過ごしてきたかを知りません」


 包帯の手触りを確かめるように撫でながら、少女は言う。


「知りませんし、聞きません。……でも、ずっと、ここで過ごしていらっしゃったんですよね」

「…………」

「何年も……あたしがずっと、お城の中で勇者様のお迎えを待っている間……」

「……ミーシャ」


 僕は反射的に少女の名前を呼んだ。すると彼女は、ようやく小さく微笑んで。


「ですから、勇者様があたしよりも魔族の方を好きになるのも当たり前ですよね。……ただ待つだけだったあたしと、ずっと一緒にいらっしゃった方じゃ」


 それは……僕と光のこと、を言っているんだろうか。

 それなら違うよ、と言いたかった。そんなんじゃない、と否定したかった。

 実際にその立場にあるのは僕ではなくその『魔族の方』の方で、魔王様と恋に落ちてしまったのも彼女の方だ。少女は僕と光を誤解しているわけであって。僕は途中で光からこぼれ落ちた、中途半端な紛い物なのであって。

 僕と彼女の関係は、そんなんじゃ、ない。


 なのに。


「……そう、かもね」


 僕の震える唇は、いつの間にかそれを肯定していた。目の前の笑顔がほんの少しだけ歪む。

 ――僕は、なんて最低な男だろう。

 ギュッと唇を噛む。わかっているのに。目の前の少女が自分に好意を寄せてくれていることくらい。僕は光ほど鈍感ではない。わかっているのに。その好意がどれほどの意味を持つものかもわかっていた、はずなのに。


 ――なんて馬鹿なんだ。僕は今まで、自分の気持ちにも気が付いていなかった。


 失ったものなんてないと思っていた。大切な人を死で失わなければそれでいいと思っていた。

 それが喪失なんだと、思っていた。

 事実、僕にとってはそうだったんだ。母親を病気で失った時。この城でキナとアレスを失った時。それが僕にとっての喪失だった。どうしようもない空虚さが、僕の胸を埋めていた。

 目を閉じる。瞼に閉ざされた薄闇の中で、僕は考える。


 僕にとって、光はどんな存在だった?


「……好きだった、かも」


 呟いた。今度は少女が、弱く笑う。


「そうですか」

「うん」


 素直に頷く。その言葉は案外、簡単に出てきた。

 ――僕にとって、光は。

 きっといつの間にか、半身じゃなくなっていたんだ。それは、僕が彼女からこぼれ落ちたせいなのかどうかは分からない。いずれそうなる運命だった、とでも言えばいいのかもしれない。

 でもそれは、喪失というものによく似ていた。

 今までずっと一緒にいた、まあ、双子みたいなもんだ。全く同じ顔で、鏡の中を覗き込むように、一枚めくればそこにいた。いつも同じことを考えていた。ある意味それは光も影もなく、ただ一個の存在だったのかもしれない。

 それがある日、二人になったから。

 自分が大切なんて当たり前のことだ。ヒトは誰しも自分が愛しい。だから今も僕が彼女に抱く気持ちは、それに近いのかもしれない。


 だからこそきっと、こんなに離れがたいのだ。


 ようやくわかった。だからこんなにも僕の胸は空虚なのか。

 彼女と道を違えてしまうことを、この身体が拒否している。

 無意識につないでいた手と手が、すり抜けるように離れてしまうことを。


 僕、羨ましかったんだ。光が。


「……でもさ、ミーシャ」


 胸を覆っていた静かに霧が晴れていく。それは果たしていいことなのか、悪いことなのか、判断はつきかねたけど。

 “でも”、逆接でつなぐ言葉。――だけど、それでも僕は進まなきゃ。

 恋なんかではない。ある種の執着のようなこの感情を、その手ごと切り離して。


「僕は、女の子の尻を追っかけたりするのは性に合わないから」


 いい加減離れなきゃいけない。彼女が今度は彼女という一つの存在として、幸せになるために。何一つ自分で歩んでこられなかった僕から、離れなきゃ。

 僕もいずれ、『影』じゃない、一人の人間として幸せになるために。

 叫びたくなるくらいに辛い、喪失の記憶を背負ってでも。


「それより僕は、世界を救う勇者(ヒーロー)の方が似合ってる」


 少女を安心させるように、僕はそこで笑顔を浮かべた。――そうだ、僕は勇者なんだから。

 魔王を倒すような勧善懲悪の英雄物語は紡げなくても、王様相手に口八丁なら慣れたもんだ。


「……勇者様」

「だから、一緒に帰ろう。僕らの国に」


 それは、僕の決意だった。

 元々勇者だった僕の半身は魔王の婚約者になって、帰る場所は魔王城(ここ)になった。

 けれど、僕は変わらず人間だ。変わらず人間で、変わらない姿のまま、こうして勇者として慕ってくれる人もいる。

 だから、僕の帰る場所はやっぱり、人間の国なんだ。

 僕は僕の道しか歩めない。たとえ同じ顔をした半身でも、それは裏表。けっして同じ運命を辿ることはないから。


「……いいんですか?」

「君たちだけじゃ心配だからね。ここに残っても夜も眠れやしないよ」


 肩を竦めておどけてみせると、少女は小さく笑った。鈴の音のような声で。

 その笑顔を眺めながら、僕はこっそりと呟く。君たちを好きになる努力もするから、と。

 ……面と向かって言う勇気? そんなもん、あるはずがない。

 だけど、まあ、……少なくとも、感謝はしていた。僕は冷たい人間だから、彼らのやったことに対してどうっていう気持ちもないし。悪いけど。

 ただ、僕をここから連れ出してくれてありがとう、って。

 ――いつか言える日が来たら。


「ありがとうございます、勇者様……」

「あー。そうだミーシャ、それやめて。勇者様って……なんか恥ずかしいから」


 青い目を細めて嬉しそうに微笑む少女を見ていると、照れる。いや、たしかに勇者なんだけど。そう言うと彼女は元から丸い目をさらに丸くして。


「え、じゃあ……えっと、レイ様、でよろしいでしょうか?」

「あ、それもやだ」

「え……」

「様付け嫌だし、そうだな、その名前も何か自分っぽくないんだよなー」


 僕は顎に手を当てて考える。レイっていう人間は今や二人に分かれてしまったから。どっちがどっち、ってことでもない。僕は僕だし。


「えっと、では、なんとお呼びすれば……?」


 明らかに狼狽した様子の少女、うん、まあ、そうだよね。名前まで否定されたら。

 だけど僕はもうレイじゃないんだ。かといって彼女には影と呼ばせるわけにもいかず。大体それ名前じゃないしね。

 ……そうだなあ。


「だったら――」


 そう言って僕は、新しい自分の名前を、彼女に呼ばれるべく生まれた名前を口にした――








「……さよなら、光」


 あるはずのない自分の影に向かって、僕は呟く。

 今までずっと一緒にいた、たった一人の僕の半身。

 大好きだった、僕の半身。


 君への憧れは、これからは僕の原動力に変えて。

 歩んでいくよ。たとえ君とは二度と交わらない道だとしても。


「――ありがとう」







(はじまりと終わり。記憶だけを抱いて、違う道を歩み始める人)




そういうわけで影パーティー離脱。

憧れたからこそ、大好きだからこそっていうね。むしろ人が死んだことに喪失感を覚えられないことでここは自分の居場所じゃないと割り切った、みたいな感じです。

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