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第143話 黒い雨

 空を塗りつぶした濃灰色の雲から、雨粒がすべり落ちる。

 朝か、昼か、それとも夜か。時間の感覚すら惑わせるような暗い空で。

 ……雨、か。こんな時に。

 口の中で呟いて、私は瞼を下ろす。


「……本当は、もっとちゃんと弔ってやりたかったんだけどな」


 立ち尽くした隣で、ぽつりと呟く穏やかな声。

 周囲には黒い影は見当たらない。

 雨に怯えて逃げてしまった、猫のように。


「ちゃんとした墓さえ作れなかったんだ。推測されてた以上に死者が多かったせいで」

「……うん」

「それに、ここのところ騒動が続いたから、みんな疲れてる。怪我人も多いし」

「……うん」

「……大丈夫か、コメット。お前、まだ目が覚めたばっかりで調子悪いんだろ? 部屋に戻った方がいいぞ」


 ううん、平気。私はのっぺりとした口調でそんなことを呟いた。

 ディーゼルは心配そうに覗き込んでくるけれど――目の下にも隈があるし、疲れてるのはどう見たってディーゼルの方だ。


「何人、死んだの?」

「……分からない。でも、ヘルグが言うには、30人は下らないだろうって」


 30人以上もの、人。

 この間まで笑って、泣いて、怒って、そういう風にできたはずの人たちが。


「……せめて、花を添えられたら、いいのにね」

「……ああ」


 死んだ人が多すぎて、それもできないなんて。

 今まで私は、勇者という存在のことを、どれほど甘く見ていたのだろう。

 ――かつて、私もそうだったわけだけど。

 何も知らない平和な暮らし。ただただ幸せに暮らしていただけの家族が、恋人が、友人が、突然奪われる。

 そうして残された墓石は、物も言わずにそびえるだけ。

 遺された人々がどれほど泣き叫んでも、彼岸には届かない。


「ごめんね」

「……何で、お前が、謝るんだよ」


 雨粒が、頬を伝った。


「言ったでしょ。あれは、私だって」


 私は濡れた土の上にしゃがみ込む。

 汚れようが濡れようが、今の私には関係ない。

 だって、ほら、無数に立ち並ぶ墓石だって、こんなに冷たい雨に晒されているのに。

 冷たい。寒い。――もう、暖かくなってきてもいい頃合いなのに。


「……風邪、引くよ。ディーゼル」

「お前だって同じだろ」


 肩に、そっと冷たい温もりがのしかかる。

 わずかに濡れたカーディガン。

 ……。……いいのに、私のことなんて。


「お前が風邪を引いたら、ヘルグやアリセルナに文句を言われるのは誰だと思ってるんだ」


 私の思いを読んだみたいに、ディーゼルは呟く。

 愚痴というよりは、軽口のような。

 うん、ありがとう。呟いてカーディガンの前をかき合わせた。


「私、知らなかったんだ。こんなところに、墓地があるってこと」

「…………」

「誰も教えてくれなかったね。――確かに、そんな頻繁に出入りするところではないのかもしれないけど」


 返答はない。私は立ち上がる。

 ディーゼルを困らせる気は、全く、なかったけれど。


「……誰が供えてくれたんだろう、可愛いお花」


 ぬかるむ地面を掘り進み、そっと墓石に刻まれた文字を指でなぞる。

 墓地の、一番隅っこ。

 小さな小さなスペースに。


『歴代勇者 ここに眠る』


 たった二行、それだけの無愛想な文章。

 だけど、そのお墓には、可愛いお花が供えられていた。

 最近のことだろう。白と黄色の、名前も知らない濡れた花束。


「この下には、私の身体が眠ってるのか」


 いや、違うな。かつて私だったもの。今は私のものじゃない、神様の元へと還ったもの。

 誰が墓なんか作って、花なんか供えてくれたんだろう。恨むべき、辛く当たるべき、そんな相手に対して。


「……前の勇者は、無駄な殺傷をしなかった」


 さくり、さくり。土を蹴り上げる足音が、後ろから歩み寄る。


「言っただろ。感謝してるんだ」

「……それでも、魔王様を殺しに来たことには変わりがないのに?」

「仕方ないさ。それが、勇者の仕事なんだろ」


 墓標の筆跡から視線を剥がし、私はゆっくりと振り返った。

 淡く微笑むディーゼルの顔。頬を伝う雫は、雨粒なのか、涙なのか、よく分からない。


「……それで、ディーゼルは、納得できる?」


 私はゆっくりと首を傾げる。


「今は」


 すると、ディーゼルは、儚い笑みを深めてそう言った。

 ……今は?

 納得できる答えを見つけた――そういうことだろうか。


「だって、それ以上どうできる? 失ったものはもう二度と、帰ってきやしないのに」

「……そうだけど」

「どうしようもないだろ。誰かを恨むもんじゃない。今は、終わったことを喜ぶべきだろ?」


 ……だけど。

 どう見たって、ディーゼルは、終わったことを喜んでいるようには見えなかった。


 たくさんの人が死んで。

 それでも終わったことを喜べるなら。


 幸せ、なのかもしれないけど。


「……っ……」


(……幸せなんかじゃ、ないくせに)


 胸中で“私”が落とした、泣きそうな色を孕んだ声。

 ――ねえ。全然、幸せなんかじゃないくせに。

 知っている。私は、知ってしまった。その曖昧な笑みの仮面の向こう側にある感情を。


 幸せなんかじゃないでしょ? それは、だって。


「ディーゼル……」

「それにな。コメット」


 それでも、あくまで気丈に――私の言葉を遮ってディーゼルは言う。濡れた墓石の字面を瞬きもせずに見つめたまま。


「それにな、俺たちは学ぶべきだ。嘆くばかりじゃ何も変わりやしないんだって。やるべきことをやるべきなんだって」

「……。……魔王様が死んだってことにする……だよ、ね」

「もう、これ以上……繰り返したくはないだろ」


 ディーゼルも知っているのだろう、その案のことを。――当たり前か。

 そうだね。……今までに起こったことは、決して変えられなくても。

 嘆くばかりじゃなく、これからを変えていかないと。


 ――たとえ直面したのが、耐えきれないほどにつらい逆境であっても。


「……ディーゼルは、強いんだね」

「そうでもない。目を逸らしてるだけかもしれない」

「そんなことない」


 私は、いつもいつも、同じ振り出しに戻って繰り返すばかり。

 でも、――みんな、着実に進んでいる。

 ……私ばかり、弱音を吐いているわけにはいかない。


 終わったものは取り戻せない。

 だけど、今なら間に合うものだって、ある。


 こんなにやさしい人が、涙を見せないと言うならば。


「……ね、ディーゼル」

「何だ?」


 物言わぬ死者に束の間の黙祷を捧げ、私は振り返った。


「ディーゼルは――コメットの妹のこと、知ってる?」

「……。……お前、それを、どこで?」


 わずかに目を見開くディーゼル。それもそうだ。私は確かにヘタレさんから、コメットは“一人っ子”なんだと聞かされていたんだから。

 だけど――だけど、もう、仲間外れになんてさせない。お願いだから、力にならせて。前に進みたいと、私は微笑む。


「本物のコメットから」


 そんな私の言葉に、ディーゼルは、困ったような、笑ったような、曖昧な表情を浮かべた。

 コメットの、妹。

 よろしくね、と言われた。……私は、彼女との約束を守らなきゃいけないだろう。

 たとえ、理由はそれだけじゃなくても。――ディーゼルが断れる理由は、ないはず。


「何でもいいの。知ってること、教えて」

「……分かったよ」


 ディーゼルは、観念したように肩を竦める。

 コメットの妹。ヘタレさんは知らなかったのか、それとも知っていて隠していたのか――分からないけど。少なくとも、私のそばにその妹はいない。

 生きているのか。死んでいるのか。……いや、よろしくされたんだから、生きてはいるんだろうが。


 聞きたい。その存在が、どこかにつながるものなのなら。


「……そいつの名前は、ルナ。年は、……そうだな……もう、16歳になるのか。お前の、3歳年下の妹だ」

「ルナ……」


 ぽつりと呟く。(ルナ)。――(コメット)に月とは、たしかにお似合いかもしれない。

 曇り空に隠されて、今は星も月も見えないけれど。


「ディーゼルは、その子に……ルナに会ったことがあるの?」

「ああ、小さい頃はよく遊んだな。コメットと、ルナと、3人で。……お前ら、3歳も離れてるにも関わらず、精神年齢は同じくらいだったもんな」

「……本物の悪口は私の悪口。ディーゼル、私怒るよ」

「んなこと言われても、事実は事実だしな。――姉妹本当に仲が良くて、コメットはよくルナの面倒を見てたし、ルナはコメットをよく慕ってた。見てるこっちが羨ましいくらいな」


 ああ、その光景が目に浮かぶようだ。

 星に月。お姉さん気取りのコメットに、彼女を慕う可愛い妹。……幸せだったんだろう、ディーゼルの口振りからすると。アリセルナはまだいない頃だろうか。さすがに3人の相手は大変だもんな。


 でも、だとすれば、今……彼女は?


「……それで……どう、なったの? その、ルナは――今、ここにはいない、よね」

「……ああ」


 明るい空を覆う雲の影。

 ディーゼルの表情が、見えない。


「彼女は――いない。追われた。魔王城から」

「……え?」


 何?

 今、何て。


 追われた?


 何故。どうして。

 何の変哲もないはずの、ただただ仲が良い姉妹の、その、妹だけが。


 どうして。


「……ルナは」


 ディーゼルは、小雨に紛れるほどの、掠れた声で呟く。


「お前の……、異母姉妹だった。そして――ルナの母親は、人間だったんだ」


 母親は人間。

 コメットの、異母姉妹。


 つまり。


 父親が魔族で、母親が人間――なら、生まれてくる子どもは。


「混、血……」

「そうだ。ルナは、混血だった」


 ディーゼルは、ゆっくりと肯定する。

 頭の中が一気に真っ白になった。そこに鮮烈にひらめく、たった二文字の言葉。

 混血。混血。混血。


 人間と魔族の間に生まれてきた子が受ける、その処遇は――。




「だから追われたんだ。――悪が蔓延る無法地帯、地底国へと」




 黒い雨が頬を叩く。

 どれほど祈り願っても、分厚い雲に覆われた空の向こうに叫びの声は届かない。



(ああ、だとしたら、この世界はいったいなんて喜劇なんだろうか!)

結局いろんなことを秘密にしたまま、いろんなことをこじれさせながら進んでいきます。全力でこじれさせ隊です(おい)

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