第138話 神と悪魔
長らくお待たせいたしました。
もうほんとに、ほんっとーにすみません……。
お待たせしている間に名前も変わっちゃいました。白邪あらため百華あおです。あたらめまして、よろしくお願いします(*・ω・*)
「兄上っ!?」
裏返る声を受けて、目の前の世界が弾ける。
伸ばした腕は届かない。
こんなにも近いのに、
こんなにも近くて、
兄上は笑ってた。
「兄っ――」
もう一度名前を叫ぼうと。
けれどそれは、吹き荒れる熱風によって遮られる。
あたしに向かってきていたはずの、炎の、塊。
あたしに向けられていた殺意を、あたしの、最愛の人がその身体で受け止める。
そうして最後に見た兄は、まるで、“神さま”のように優しく微笑んでいた。
――炎に巻かれ、呑み込まれ、光の世界に還ろうとするその瞬間でさえ。
◇
「うっ、うああぁあぁぁあああぁぁああああぁああッ――!?」
それはまるで、獣の咆哮。
僕は声も出せなかった。
血潮の色のとぐろ。足を、手を、頬を、胸を、腹を舐めていく。
最愛の妹を守ろうと飛び出した勇者の身体を、炎が包んでいた。
肉が焦げる音。臭い。爆ぜる火の粉が、降り注ぐ。
どうして。――どうして、何もできなかった。
僕は、目の前の光景をただただぽかんと見つめるだけ。……響き渡る尋常ならざる叫び声だけが、これを現実なのだと悟らせる。
炎の洗礼。
火刑に処される、魔女のごとく。
十字架に祈る神の使いの乙女を、無実の罪ごと洗い流してしまうように。
人が死んでいくところを、ただ、僕は。
「結界!」
けれど、そうして僕とヘタレさんが立ち尽くす中、十数年間慣れ親しんだ声音が――だけど決して僕が発したわけではない声音が――目の前に結界を展開する。
何をしたのかと言えば、勿論答えは一つだけ。展開された結界が、炎の中から勇者の爛れた身体を救い出したのだ。
「光! 側近さん! 何ぼさっと突っ立ってんの、ちょっとは手伝ってよ!」
「か、げ……?」
「僕が誰だろうと今は関係ないでしょっ、間抜けな声発してる暇があったら何かして!」
緩慢な速度で振り向けば、そこには銀髪碧眼の凡庸な顔立ちの青年が立っている。
ぱちくり、と僕は瞬いた。
あまりにも衝撃的だったからかもしれない、僕はその声に応えることすら忘れていた。
「あーもーっ、全く使えないな光っ! 君、本当に僕の半身なわけ!? ほら、応急処置! 何でもいいから! 光魔法は君の得意属性でしょうが!」
「え……あ、う、うんっ」
応急処置。その言葉に、僕ははっと我に返る。そうだ、ぼうっと立ち尽くしている場合じゃない。そうして炎の中から救出された勇者の身体に目を落とした。
目も当てられないくらいに爛れた皮膚、焦げた肉。どろどろ、ぐちゃぐちゃにかき回されたみたい。……僕はぐっと唇を噛む。妹さんはその隣で、声にならない――嗚咽のような、悲鳴のようなものをまだ漏らしていた。
「――っ治療!」
ひどい火傷。人の形さえようやく取り留めたくらいの。こうなった人間が、果たして助かるものか。もう無理だと半分分かり切っているようなもの。
ああ、でもせめて命だけでも、と。
僕は心を込めて――魔力を通わせて、治癒魔法を唱える。
けれど、……彼は息を吹き返さない。ぴくりとも動かなかった。
虚ろな眼球は虚空を変わらず見つめている。何故だか、穏やかな表情のままで。
駄目だ、こんなんじゃ。もっと上級の魔法じゃないと……。喉にものがつっかえるような感覚。こんな時に限って思い出せない。何だ、何だっけ? 焦りばかりが僕の胸をつっかえるような形で押していた。もっと上級の、もっと効果の強い光魔法……。
「快癒」
「え……」
「お願いです、お姉さん。……あたしと一緒に、快癒を唱えてください」
その凛とした声に、思わず顔を上げていた。
――炎に巻かれた彼の、妹。
さっきまでは慟哭を、嗚咽を紡いでいたはずの唇が、今はきゅっと固く引き結ばれている。快癒。治療系魔法の、最上級。
その青い瞳には大粒の涙が溜まっていたけれど、その涙がこぼれることはない。ただただ強い意志を秘めて揺れるだけ。兄を救いたい、と。
その目のどこにも、あきらめの色はない。
「……分かりました。それじゃあ、せーので」
僕が言うと、彼女はこくんと頷いた。苦痛の色を浮かべながらも、懸命に。
「せーのっ」
鋭く呟いて、二人で同時に彼の胸に手をかざす。
かざしたその手に、その指先にまで魔力を通わせて。
――どうか彼が、助かりますように。
人間とか魔族とか、勇者とか魔王とか、――それに、さっき殺されそうになったことなんて、まるで関係なく。
今奪われようとしているたったひとつの命を、見殺しにできはしない。
彼の傷に嘆く、彼の死を恐れる、ひたむきなこの少女のためにも。
「快癒」
詠唱の声が、凛と重なる。
周囲の音は一切聞こえなかったし、状況さえ気にもならなかった。
ただただ願う、目の前の人が、助かりますようにと。
もっともっとと、僕は全身全霊の力を手の平に集める。
けれど彼の身体はまだぴくりとも動かない。――まだ、足りない、のか……。
だけどあきらめるわけにはいかない。僕の向かい側で懸命に手をかざす少女があきらめない限りは。
――キナ。お願い、君の力を貸して。
脳裏に思い浮かべる、天使のような白色の笑顔。
君の救いの力を、どうか僕に貸してください。
いつも僕らを癒してくれたその力。君にとっては見ず知らずの人かもしれないけど。
だけど、この世界で、確かに、誰かの大切な人なんだ。
『――まだこっちに来るべきじゃないんじゃない、貴方』
ふわり、と。
……その瞬間、彼の身体を、羽毛のように白く優しい光が包んだ。
『だめだよ。悪魔に、負けちゃ。……貴方、あの子によく似てるから』
――キナの声が聞こえた気が、した。
それは僕に向けてじゃなくて、多分、彼に向けて。
僕は目を見開く。
思わず。瞳がこぼれ落ちてしまうんじゃないかと思うほど。
「兄上っ――?」
どこか泣きそうな、そんな声音がすぐ近くで誰かを呼ぶ。
かざした手の平が、じんわりと温かかった。
――も、しかして……。
「……けほっ……、ミーシャ……?」
「兄上っ!」
掠れた低い声音が、腕の下で呟いた。
それにすぐさま応える、泣き出しそうな少女の声。
「……ミーシャ、俺……」
「何も言わないでくださいっ、兄上。大丈夫、大丈夫ですからっ……」
――オリオンさんが、息を、吹き返した。
ぼろぼろになってもなお光を失わない碧眼が、その腕に縋りつく妹を見つめている。
微かな灯火、だけど、それは確かに輝いている。
僕は深く深く安堵のため息をついて、肩の力を抜いた。
よかった。……本当に、よかった。その気持ちだけでいっぱいだ。
「よかった、オリオンさん……」
「……えっと、……コメットさん……だ、っけ……?」
「はい。そうです、――多分、今は」
「……い、まは……?」
反芻して、彼は瞬く。
ふいに彼らに正体を明かしたいような――そんな気持ちに何故か駆られたけれど、今はそんな場合ではないし、私情はともかく相手は王族なのだからあまり迂闊なことは言えないだろう。
僕は曖昧に微笑むと、彼に向かって言葉を続けた。
「起き上がらないでくださいね。本当に応急処置を施しただけですから……しばらく安静に。ちょっと待っていてください」
「……え……コメット、さん、は?」
「先に片付けなきゃならないことがあるので」
ゆっくりと立ち上がる。
振り返れば、今まで気にならなかったのが不思議なほどの轟音が耳をつんざいた。……影とヘタレさんが、魔王様を必死に食い止めてくれていたのだ。
魔王様の紅すぎるほどに紅い双眸を、僕は影とヘタレさんの後ろから見つめる。
二人がかりで――しかも、二人とも相当な魔法の使い手のはず。勿論手を抜いているわけでもないのに、魔王様相手じゃ防戦一方。……魔王様はデュレイの拘束だってまだ解いていないのに。
やっぱり、人じゃない。
そんな感想が脳裏に浮かぶ。じんわりと握った手の平に、汗が滲んでいた。
「魔王様」
僕は、渇いた喉でその名前を呼ぶ。
……いや、名前とは言わないか。いつもの呼び名。でも意味合いはまるで違う。
「…………」
魔王様も、勿論、いつものように返事を返してくれるわけはない。
ただ無機質な紅い瞳が僕を睨む。攻撃の手は休めないで。
彼はリルちゃんではない。僕の好きなリルちゃんでは、決してない。
――だけど、そうだとしたら、リルちゃんは今どこにいる?
目の前の彼が、いつものリルちゃんとは別人なのだとして。
今顕現している彼が、僕の知っているリルちゃんではないとして。
……だったらその中身は、今、どこにいるのだろう。
外? 中? 上? 下? 一体、どこ?
――彼の魂がもし、今、別の場所にいるのだとしたら。
「……目を覚ませ、大馬鹿者」
ぽつりと呟く。誰に対してと言うわけでもない、誰に対してもとも言える。
馬鹿だ。僕らは、馬鹿だ。……大馬鹿だ。
こんなの、馬鹿げているとしか言いようがない。
だけど。だけど、もし彼が戻ってきたなら、叱ることも、叱ってもらうこともできる。
「ヘタレさん」
「何でしょう」
必死に魔王様の猛攻を防ぐヘタレさんが、息を切らせながらも返事をしてくれた。
……大丈夫。僕には、彼もいるんだし。
こんな状況下で返事をしてくれるということは、少なくとも僕のことを信頼してくれているということ。それが純粋に嬉しかった。
今まであんまり言ったことがないけれど、もしこれが無事に終わったら……できるなら、ありがとうと言いたいな。
「少しの間、……一瞬でいいんです。魔王様の動きを止めることはできますか」
「――ええ。貴女がそう望むなら、勿論」
魔王様からは決して目を逸らさないヘタレさんの口元が、僅かに弧を描く。
僕が、何をしようとしているのかさえ聞いてこない。
それだけでいい。それ以上は何も言わなくていいと、そう言ってくれているかのように。
「……ありがとうございます。影、君も」
「くだらないことしたら怒るからね。他の誰が死んでもとりあえず君だけは連れて逃げるけど――魔法障壁」
言葉の続きを遮って、影は少し拗ねたような口調で言う。
……くだらないこと、か。
厳しい。さすがに僕自身。僕だけは連れて逃げるというのは、自己防衛のためだろうけど。……本当にそんな状況になったとしてもそんなことはしないだろうけどね、きっと。彼なりの冗談だ。
「じゃあ、お願いします、二人とも。……絶対、魔王様は止めてみせるから」
「本当にね、頼むよ。……ディーゼル君に後で叱られるなあ、僕」
「お礼はキスで結構ですからね」
……ヘタレさん、デュレイと同じこと言ってる。
ヘタレさんは勿論問答無用でスルー。影の言ってる叱られるって何なのかな、何かしたのかとディーゼルの方を振り返りたくなるけど今はそんなことをしている場合ではない。
影に向けて軽く頷くと――ヘタレさんに対して頷いて誤解されたら困るから――、僕は再び魔王様を見据える。
「魔王様」
返事がないのはもう分かってるけど。
それでも、僕は呼ぶ。
……彼じゃなくて。僕が探してる、もう一人のリルちゃんを。
「もう、貴方を、これ以上苦しませはしない」
人を傷付けることをあれほど嫌っていた彼を。
人の命を何よりも尊んでいた彼を。
人が生きるそのことを、誰よりも喜んでいた彼を。
「終わりにしましょう。《神様》」
――人を誰よりも愛している彼を、これ以上苦しませるというのなら。
神だろうと悪魔だろうと、僕は決して許しはしない。
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これからは今まで以上に頑張っていきますので、あの、見捨てないでいただけると嬉しいです←