第134話 プラトニックラブ
僕の姿を映してきらきらと輝く瞳――それが全てを物語っていた。
「ああ……貴方を探して幾星霜、雨の日も風の日も、どんな時だってあたしは貴方を思い続けて生きてきたんです!」
「へえ……そう」
それ以外に、言葉があるだろうか。……何この子。
決して知り合いではない、はずだ。だってこんな印象的な娘をまさか忘れるはずがない。それとも健忘症か僕。それか、嫌な思い出を自動的に頭の中からデリートしたとか? ああ、ありえそうで嫌だ。
「もしかして、勇者様……あたしのこと、お分かりじゃないですか?」
「全然」
僕は正直に答えた。人間正直が一番だよね。
どうやら彼女の思い人らしい僕に、一変してしおらしくなった彼女がそれくらいで怒り出したりすることはないだろう。……いや、全く誰だか分からないって、結構なことだと思うけど。でもごめん、全く分からん。
「そうですか……そうじゃないかなって、思ったんです。いつまで経っても、迎えに来て下さらないから」
懸念もよそに殊勝に俯くロリ娘。しおらしければそれなりに可愛げがある、――のかもしれない。僕のタイプではないけど。
それにしたって、まさかこの娘を迎えに行く約束でもしたってのか僕。わあお。……いや、正確にいうと光の方か? 元々は同じ人間の中にいたとはいえ、僕の意思の方が強かったとしたらまさか迎えに行くなんて約束をするはずがない。特にこんなロリ娘。昔のことなんだからもっと幼いわけでしょ? 光のせいだな。責任取れコラ。この姿のせいで僕がとばっちりを受けるなんてとんでもないぞ。
僕がぶつぶつ呟いているのもやはりよそに、ロリ娘は何故か嬉々として自己紹介を始めた。名乗れば分かってもらえるものとでも思っているらしい。
「あたし、ミーシャっていいます! ミーシャ=イド=メイデュニス! お分かりになりませんか? 勇者様の婚約者で、メイデュニス国の第一皇女です!」
……うん?
メイデュニス?
――いや、そこじゃない。突っ込みどころは、とりあえず。
勇者様の、婚約者?
「……え、まさか、僕の」
「ええ、そうです! 婚約者です! 思い出していただけましたか? お会いしたのはもう3年も前のことになります。勇者様が魔王を討伐して帰って来た暁には、国を挙げての盛大な結婚式を挙げるはずだったんです。けれど……。あたし、てっきり勇者様が、魔王にやられたものと思って」
…………あぁ、そうか、ようやく合点がいった。
僕は無表情でただただ目の前の虚空を見つめる。
なるほど。いや、納得したくないけど。なるほどね? とにもかくにも、理屈は分かったよ。
勇者っていうのは、あれだ、一種の英雄なわけだ。救世主、ヒーロー、世界一の有名人。
勿論お姫様との結婚――なんていうのは、言うまでもなくセオリー通りなわけで。
……婚約、なんて、初めて聞いたんだけどね。
多分勝手に取り決められたに違いない。無理が通れば道理が引っ込む。無理を通せるほどの力の持ち主、大国メイデュニスの王。
「……畜生、あのクソジジイ」
一度謁見しただけの髭面を思い出し、僕は小さい声で悪態をつく。面倒事を増やしやがって。――いや、もう、人間の国に戻れるような状態ではないんだけど。ある意味それが救いといえば救いなのかもしれない。
だからといって、それって、ありか? こんな強烈なインパクトを持った娘を思い出せない理由がようやく分かった。思い出すも何もない、僕らはこれが初対面なのだ。この娘はどうやらその事実をすっかりお空の果てに放棄して勝手な妄想で僕らの対面を捏造していたみたいだけど。会ったことがないものを思い出せるはずがない。百歩譲って、互いにどこか遠くから見たことがあったとしても。……もしかしてずっと観察されていたんだろうか。だとしたら、怖い。思わず背中に寒気を覚える。
「だから、勇者様、あたしと一緒に国に帰りましょう! 勿論、魔王の首を獲って! あたしの兄は国一番の力持ちなんです! だから、今は兄が勇者としてこの城に来てるんですよ!」
「え……」
兄? ――こんな、ネジが数本といわず数十本も足りない馬鹿娘の?
いやいやいや、先入観はいけないよ僕。先入観は。かぶりを振って振り払う。でもさ、力持ちって……力持ちでどうする? 力持ち? せめて力自慢とか言ってくれ。あんまり変わんないけど。大体、その力持ちの兄が、今ここに勇者として来てるって……。
「……その、ええと……お兄さんと、二人だけで来たの?」
「ええ! あたし、勇者様の仇を取りたいって思って、それで……!」
……馬鹿だ。
馬鹿の極みだ。この子も、この子の兄も。
僕は思わずうなだれる。
先入観も何もない。どっちも馬鹿だ。頭のネジが軽く数十本程度足りない上に――人の頭には一体合計何本のネジがあるのかは知らないけど――残っているネジですらも緩み切っている。
「よく、そんな無茶な案が通ったね……」
「えへへ、あたしたち、だって、こっそりお城を抜けてきたんです! 夜中、執務を終えてお父さまたちも寝静まった頃、3階の窓から兄が先に降りて、あたしを受け止めてくれて――」
あ、いい。それ以上聞きたくない。馬鹿兄妹の馬鹿話なんてもうお腹いっぱいだ。
ためらいなく3階から飛び降りる力持ちの馬鹿皇子と婚約者の仇を取るためにお城を抜け出すおてんば馬鹿姫。……勘弁してほしい。
しかし、ということは、その力持ちの馬鹿皇子がこの城の中にいるということか――
壁をあんな派手に吹っ飛ばしたことと言い、この娘もただ者ではない。それなら兄も然り、か。力持ちという言い方は何だか不格好だが、二人でここまで来るくらいだ。決して普通の人間じゃない。
……ん? と、いうことは。
つまり、その馬鹿皇子は、今頃は魔王様のところにでも辿り着いているかもしれないということだ。それって結構やばいんじゃね? ――まあ、僕の知ったことではないけれど。そこまではさすがに面倒見切れん。がんばれ光。
ていうか、もしかしたらさっきのお別れ宣言はすでに何かあった証拠なのかもしれない。……まあ、重ねて言うが、そんなの僕の知ったことではないんだけど。
「ええとね、――ミーシャ」
「は、はい!」
僕はそれより、この面倒臭いロリ娘をどうにか始末したい。
面倒臭かったけど優しく名前を呼んでみる。案の定ロリ娘は過剰な反応を見せた。吐き気がするとか何だこいつとかそういう愚痴はとりあえず呑み込んでおく。がんばれ僕。大丈夫、もう少しいける。
「さっき壁を壊したのは、何かの武術? それとも魔法?」
「魔法です! あたし、勇者様が魔法を使っていらっしゃるのを拝見して、すっごく憧れて!」
……いや、別に、動機とかそんなもんはどうでもいいんだけどね。
魔法、か。それなりに素質はあるのかもしれない。粉々に砕け散った壁の方を見遣り、嘆息する。厄介だな……。
さて、どうやって追い払うか。撒く? でもここまで来た執念、簡単に逃げ切れるとはとても思えない。そもそも一体どこへ逃げるか、という問題で。
じゃあ、何だ。戦う? それもそれで面倒だ。抵抗されたりしたら加減がきかないかもしれないし、そもそも逆にこっちがやられてしまったらどうする。一方的に嬲る結果になるのも何とも後味が悪い。
……それに。ちらりと背後を窺って、僕は思わずため息をつく――いや、彼が悪いわけではないんだけど――後ろには一応、空気と化してはいるけれどディーゼル君もいるのだ。彼は立派な非戦闘員だ。一応。……面倒だなあ。さて、どうするべきか。
「うーん……ね、ディーゼル君。どうするべきだと思う?」
「いや、どうするって……」
「あのロリ娘、引っ付いて来られても正直邪魔だし……そもそも明らかに魔族を嫌ってる類だよね。箱入り娘だし、王族の子だからそれが普通だと思うんだけどさ――っていうか、人間としてそれが普通なんだけど」
「……その、『魔族』の俺と話してて大丈夫なのか?」
「あー、大丈夫じゃない? 明らかに恋は盲目! って感じのお姫様だし。何か言われたら適当に何か一緒にいる理由でもでっち上げてあげる、君には危害が及ばないように」
「……それはご親切にどうも」
微妙な響きを含むディーゼル君の声にどーいたしまして、と僕も感動のない声で返す。
ディーゼル君一人のことくらいなら、まあ、何とかできるんだけどさ。
その方法で全て解決できるほど世の中は甘くない。そうは問屋が卸さないってこと。
魔族全体となるとさすがに庇いようもないし、危惧すべきは、その幼い恋がいつ冷めるとも限らないことだ。……まあ、その点については大丈夫そうだけど。嬉しくないことに。
そして、この調子なら妹はまあまあ何とかなるとして、むしろ問題なのはその兄とかいう輩だ。彼は恐らく魔族に強い憎しみや怨みを抱いているか、もしくはただの重度のシスコンのはずだから。……だって、そんな妹の個人的な仇打ち――しかも相手は魔王!――に、こんなところまで着いてきたくらいだし。そんな曲者もとい馬鹿皇子をも上手く退けられるだろうか? 理由が前者だとしても後者だとしても色々と厄介だ。僕の精神的には後者は是非遠慮したいところだけど。
……うーん、ていうか。
今さらこんなことを言うのは野暮だろうとは思うけど、僕、魔族を助ける義理なんてあったっけか。いや部屋を与えてもらってるっちゃ与えてもらってるわけだし、前に好き勝って暴れまくったことに対する正当な制裁すら受けていないんだから恩を感じるべきなのかもしれないけど。まあ、そういう理由もあって憎しみ、怨みっていうのは特にないけど――僕、元々性格的な問題として魔族ってそんなに好きじゃないしね。ぶっちゃけ。テンション高いから。勿論全ての人がそうとは限らないけども。
そもそも、性格的な問題云々はこの際うっちゃっておくとしても、人間と魔族っていうのは多分、まず性質的に分かり合えるような種族じゃない。せいぜい『食物連鎖』の一環でしかないのだ。
「何ていうか……、お互い様、って感じだな」
「うん? 何が」
「人間が魔族を嫌い、魔族が人間を嫌う。――魔族って括りじゃなくて、魔物、でもいいけど。どうしようもねーって、今さら思うよ」
「ディーゼル君は本当に話が早くて助かるよ」
まるで僕の心を読んだかのように、彼は苦い顔をする。僕も思わず苦笑い。
魔族は人間を喰らい、人間は魔族を殺す。
――まあ、今となってはもう当然のことなんだろうけどね。一体どこから始まったんだか、って感じ。
お互い言葉が分かるにもかかわらず、未だに続けてる。
ディーゼル君の言う通りだと僕は思うよ。どうしようもない悪循環。何で憎んでいるんだか、その根本の明確な理由はもうどこかへすっ飛ばしてしまった。
今じゃ多分、ただただ自己中心的すぎる理由だけで殺し合っている。
「――って、まあ、しんみりするのは後にしてさ。とりあえずあのロリ娘、どうしたい?」
「さっきと質問変わってるぞ。どうしたいって」
「細かいこと気にしないの。どうせ主導権は今僕にあるんだから」
「結構横暴だな……」
「自称婚約者相手に下手に出てどうしますか」
調子乗らせたら大変なことになるでしょ、あの娘は。
だから今のところはとりあえず、僕は彼女が惚れたという『魔王退治に乗り出す優しくも勇敢な戦士』ということにしておく。
「……ま、あれだな」
傍らでディーゼル君が、呆れたようにため息をついた。
「あの娘を何とか利用するしかないんじゃないか? じゃないと、もう一方の兄の方は止めようがないだろ」
「その通りなんだけどね……それにしたって、どうやって丸め込む? あの娘は盲信的な子だけど、兄の方は『魔族に協力しろ』なんて頷くと思う?」
「無理だろうな……上手く言葉を取り繕っても、俺がいる時点でアウトだろ」
「兄がここに来た動機にもよるけどね。でも、楽観的に考えるわけにはいかないでしょ」
言って僕はちらりとロリ娘の方を見やる。
しかし彼女に関しては訝しむ様子もなく、殊勝に僕たちの話が終わるのを待ち続けている。……何ていうか、手懐けやすい子ではあるんだろうけどなあ。
まあ、それならそれで有難く利用させてもらうかね、ってところ。――悪いけど。
「それじゃ、それらしい理由が必要ってことか」
「そうだね。……って言ってもなあ、勇者が一番に忌み嫌ってるはずの魔族と一緒にいる理由――何かいいのある?」
「俺に聞くな。そもそも、お前らの魔族嫌いがどれくらいのもんかも知らねーんだって」
「僕も魔族が人間のことをどれくらい嫌ってるのか知らないんだけどね」
「…………」
「…………」
そこで唐突に会話が途切れ、僕たちの間には沈黙が降りる。……沈黙してる場合じゃないんだってば。
でも僕には何となく、彼が沈黙した理由が理解できた。
「まあ、何ていうか……落ち込まないで? って言うべきなのかな。僕はともかく、光は君たちのこと気に入ってるみたいだから」
「……いや、気ィ遣わなくていいから」
「気なんか遣ってない……って言ったら嘘になるけど、別にまるっきりの嘘を言ってるわけじゃないよ。何ていうか、あれも、あの娘と似てどっか盲信的な子だからさあ。信じてないものをまるっきり受け入れることなんてできないよ」
「……自分のことだろ?」
「今じゃ別人だけどね。離れられてよかったっていうか」
たまに馬鹿すぎて嫌になるよ、と僕は笑う。
まあ、そんなに悪い奴じゃないとは思うんだけどさ。……勿論、自分の半身だからそう思うのかもしれないけど。
「だからさ、大半の世間知らずは、ってこと。あと国のお偉いさん方とかね。勿論街や村落を襲って人間を喰らうような魔物は恐れられ嫌われてるけど、街の中で普通に育って死んでいく人たちは魔物の中に言語を解す魔族という種がいることすら知らないんじゃないかな」
「……そこまでか」
「王族に生まれた奴らは勿論、王宮勤めや魔物退治を生業とする人はそれくらいの知識はあるだろうけどね。けど一般人にとって魔物っていうのは、賊なんかよりよっぽど性質の悪い脅威って感じ。そしてそれの親玉だっていうのが、彼らの魔王に対する認識。言語を解する魔物がいて、その魔物たちが普通の生活を営んでいるなんて考えもしないだろうよ。――その割に魔王は悪知恵の働く存在だって考えられてるのは非常に不可解なことだけどね」
ひょい、と肩を竦める。ディーゼル君は苦々しげに顔を歪めた。
「……何ていうか、結構……齟齬があるんだな。初めて知った」
「まあね。お偉いさん方の隠匿っていうか、陰謀でね」
人間たちの国は、お人好しばかりのこことは違う。
――大体ここが異常なんじゃないかって僕は思うんだけどね。頂点に立つ王があんなに無欲でいられるのも不思議なくらいだ。まあ、彼みたいな人が、本来権力を持つべき人なのかもしれないけど。
「民衆の不安を煽ることにはなるけど、その分魔王という虚像を仕留めた暁にはそれ相応の力が認められることになるし、民衆も長い不安から解放され、まるでそう誘導されたかのように国家に信頼を抱くようになる。だからいくつもの国がこの城に勇者を送り込むんだ」
「魔王は国が成り上がるための材料ってわけか。だから勇者にも婚約者なんてもんがついて、魔王を倒した英雄を国に取り込もうって考えが出てくるわけだな?」
「そういうわけ。……ああ、何で僕勇者になったんだろ」
いや、光のせいか。光のせいにしておこう。
幼い頃に聞かされた英雄伝説なんかに憧れて勇者になろうと志したのは、僕みたいな根暗で陰湿な部分ではないはず。……多分。
大体何だよ英雄伝説ってくそそれも国家の陰謀か。幼い少年の純真な心をいいように弄びやがって。いやそれ自体はどうでもいいけど。僕のことじゃないし。
それ自体はどうでもいいんだけど、そんなものに憧れて勇者になったからあんなロリ娘が婚約者なんかについちゃったんだよ、ええい光のばかやろー。
……まあ、魔王を倒そうとするのは、一概に人間のお偉いさんのせいとは言えないけどさ。サタンとかいう馬鹿のせいでもある。というか、それも半分か。……面倒臭い世の中。
「って、嘆いてる場合じゃない。何ていうか、君と話してるといっつも話題がずれてく気がするんだよねえ……」
「俺のせいか」
「三割はね」
七割は、なんて野暮な質問には答えない。だって考えてないし。
何、僕のせい? んなこと言ったらはっ倒すよ。
「そんで、何かいい方法思い付いた?」
「……結局俺か」
「だって僕考えるの嫌いだしー。考えるのはほら、君の仕事でしょ?」
そんな無茶ぶり、とディーゼル君は嘆息するが、でも抗う様子は見せない。
……きっと、こういうことには慣れてるんだろうなあ。何かちょっと可哀想になってきた。普段どれだけ幼馴染にこき使われてるのかよく分かる図だ。
けれど彼はそんな僕の同情を気にも留めず、考え込むように目線を心持ち下に向ける。
「……いや、まあ、お前らの心理は完全に理解できるわけじゃないから、自信はないんだが……」
「そんなの誰だって一緒だよ。相手の思考を完全に理解しようなんて同種族間でも……どころかどんなバカップルでも無理だ」
「……なら、ま、遠慮しねえよ。上手くいかなくてもお小言はなしな」
失敗する可能性。それを僕があっさりと肯定すると、ディーゼル君は少しだけ笑った。――何か思い付いたんだろうか。
期待した僕は、ディーゼル君の方へと耳を寄せる。
すると、ディーゼル君は未だ些かためらいつつも、僕だけに聞こえるように『その方法』を提示してみせた。
僕じゃまるで頭の端を掠めもしなかったような、そんな方法を。
「勇者が魔王を殺せばいい」
何だか色んな意味でプラトニック(∩∇`)
こんにちは。第二形態まで復活しました白邪です←
まだパソ吉が復活していないので人気投票の方はどうしようもないんですが……(´Д`)
パソ吉も近いうちに復活……する、かな?
それまであまり更新速度は期待しないで下さい(∩∇`)←




