第131話 神降ろし
……吐き気がする。
唐突に込み上げてきた感覚に、私は思わず立ち止まりそうになった。
それは決して、身体に鞭打ち散々溜めた疲労や寝不足のせいではない。ましてや、勇者一行とやらの感じ取れもしない威圧のせいではなく。
吐き気が、する。
隣にいる少女を不安がらせてはいけないとは思いつつ、押さえ切れない何かが腹の底から込み上げてくる。止められない。具合が悪い。胸の内から溢れ出してしまいそうな、鍵をかけて閉じ込めてしまいたいこの感覚。
「……ヘタレさん?」
そして懸命に噛み殺そうとしたその違和感は、けれど人の変化に聡い少女の前では無様且つ無遠慮にも晒されてしまった。
「どうしたの? 顔色悪いわ」
「あ……、いえ。最近、少し寝不足で……でも、そんなに心配されるほどではありませんから」
「ふうん、そう?」
ひょこりと覗き込んでくる彼女を手で制し、何とか吐き気を堪える。
けれど全く信じていない表情で、少女はちらりと私を見遣った。……きっともう気付かれてはいるだろう。ただ追及してこないのだけが唯一の救いというか。少女はそんな私の内心に気付いているのかいないのか、まっすぐ続く通路の奥遠くへと視線を投げる。
「まあ、ここまで来れば大丈夫かしらね。大半の人はもう城外に避難しただろうし」
「そう……、ですね」
「あとはまだ中に魔王様とコメットと、あとディーゼルと」
正確に言えば、まだあと何人か中に残っているのだが……まあ、どうでもいいかと思わないでもない。あの“影”と名乗る青年については多分本体が生きていれば死なないのだろうし、あの罪人は正直いっそ死んでしまえばいいと半ば本気で思う。強く願い祈るほどでもないが。
――そんなことよりも。今は、その3人の安否が何よりも気がかりだ。
「何にせよ、とりあえず今ここに他の人はいないわ。……それで? ヘタレさん、本当は何があったの?」
「…………結局話すことになるわけですか……」
嘆息した。結局救いはないわけか。けれど少女はそう言った私に眉をひそめる。
「当たり前じゃない。心配するななんて言われても、普通友達のことなら誰だって心配するわ」
「――友達?」
ともだち。
その響きが不思議で、おかしくて、思わず首を傾ける。
友達? ――私と、彼女が?
まるで子供のようにきょとんと首を傾げているのは自分でも滑稽だとは分かっていたが、けれどそう聞き返さずにはいられない。
「じゃなかったら何なのよ。他に何かある? それが一番しっくりくると思うんだけど」
実年齢よりも子供っぽく少し拗ね気味にそう言われると、何となくそうなんじゃないかという気もしてくるが。
――それにしたって、そんなことは正直今まで全く考えたことがなかったので、何だか新鮮で、そしてどこかむず痒い気もする。
“友達だから心配”――か。もしかしたら、そうなのかもしれない。
「……いえ。否定はしませんけど」
安堵からかほんの少し漏れる笑みを噛み殺し、表情を引き締めて私は今まで走ってきた暗く狭い通路を振り返る。
――向こう側の深い闇。光漏れるはずの入り口まで、見通せない。
ぽつり、と私は理由を零した。
「少しばかり、嫌な感じがしたので。……勘に過ぎませんけどね。でも混血っていうものは総じて感覚が鋭いものらしいですから」
「嫌な、感じ?」
「ええ――、同類の匂いが、向こう側から」
目を細めて、どうにか立ち込める闇の向こうを見通そうとする。しかしこの双眸では闇を見通すことはできず、ただ威圧する黒が立ちふさがるだけだ。
気配は確かに、感じた。しかもそれは突然、まるで降って湧いたかのように。
「同類――つまり、混血ってこと?」
「いえ、その可能性は低いと思います。出現が急すぎるし……、それに、この感覚は初めてじゃない」
つまり、そういうこと。
それは確かに嫌な予感で、そして考え付く限り最も悪い可能性でもある。
しかし事実は否定できない。勇者一行のメンバーがそこにいるのであろう階上を思って、私は目を閉じた。鮮明に浮かぶ情景。多分この予想は、裏切られたくとも裏切られないだろう。
「……アリセルナさん」
「何?」
目を合わせないまま、互いに存在だけを意識する。
「貴女は先に行って下さい。私はまだ少し、後片付けが残っていますから」
「……寝不足なのに?」
「それはこの際関係ないでしょう。仕方ありません、他に後始末できる人が残っていないんですから」
「死ぬかもしれないのに」
……全く、この少女は正直だ。何の躊躇いもなくそんなことを言い放ってみせる。
些か率直すぎると苦笑しながらも、それはその通りだと反面では納得していた。
死ぬかもしれない。これから待っている事態を考えると、それはありえないことではなく。
「――ですが、誰かがやるしかないでしょう。コメットさんだって残っているんですよ? 大親友が死ぬのは辛いでしょう」
「友達が死ぬんだって辛いわ」
頑固なところがその親友によく似ていると、言わずとも胸中でまた苦笑いを浮かべる。
それはそうかもしれない。しかし、それは逆でも成り立つ方程式だ。
友達が死ぬのは、つらい。
「だから無事に帰ってきます。それならば文句はないでしょう? 勇者なんてどこの馬の骨とも知れぬ人間なんかに殺されてやる義理はありませんから」
蒼穹のように澄んだ碧眼が見上げてくる。子供っぽく無邪気で残酷な、全てを見通す水晶玉のように。
まるで品定めでもするように上から下まで見尽くすと、彼女は小さく言葉を零した。
「……いいわ。ヘタレさんは一番死にそうにないから」
「一番って何ですか……」
微かに笑みつつ返してみせる。一番とは一体、何を基準として言っているのだろう。
けれど彼女はため息を一つだけ落とすと、じゃあ、と手を放した。
「いい? もしヘタレさんが死んだら、お墓に刻む言葉は『“ヘタレさん”ここに永遠に眠る』になるからね」
「……それは勘弁願いたいですね」
じゃあ死なないでね、とそんな意味を含んで少女は笑う。ある意味それは、断る術のないすごくずるい手かもしれない。
けれど彼女は、そんな些細なことを気にする様子はまるでなく。
するりと風のように、深い闇とは反対側の、光の方へと駆けて行った。僅かな温もりだけを、身勝手にも残して。
――これで――とりあえず、一安心か。
ほう、と無意識に漏れたのは安堵のため息。
生き残った住民はこれでほぼ全て逃がした。主に忠誠を誓った時からの一番の約束は、これでちゃんと守ったことになる。
「あとは……魔王様ですね。やれやれ、我ながら手のかかる主です……」
見えなくなるまで見送った後ろ姿が光の向こうへと消えたのを見て、今度は深い闇を振り返った。顔つきはどうしても厳しくなる。
あの闇の向こう。闇の向こう側で今、魔王様が目覚めた。――それも、考え付く選択肢の中で最も悪い目覚め方で。勘という奴ではあるが、しかしそれが正しいであろうことを心のどこかでは分かっている。
彼は神を受け入れようとしているのだ、この感覚はきっと。
いや、正確に言うならば、彼はきっともうそれを終えた後だろう。血の色を湛えるその赤い双眸は、魔王として完全に君臨した証である。――しかし。
力のままに暴走すれば自身はおろか、周りにいる――全ての元凶である勇者どころか、彼が護りたいと誓った幼気な少女はどうなるだろう。
『魔王様はサタンを道連れに殺す気なんじゃないのか』
数日前の、とある青年の衝撃的な言葉を思い出す。
きっと――守りたい一心で、何もかもを捨てられなくて、だからこそその存在を受け入れるのだろう。
けれど目覚めたそれは魔王様ではない。無情な存在は、彼が何より護りたいと願った少女を引き裂くかもしれないのに。
今はまだきっと大丈夫。
自我を保っているならば、殺すのは勇者だけに留まるだろう。
まだ守りたいという気持ちは完全に神を受け入れてはいない。彼が彼という一人の魔族である証拠。
けれど。
「貴方は馬鹿です……魔王様」
纏わりつく闇に向かって走り出しながら、独り言ちる。
馬鹿だ。大馬鹿だ。頭では、分かっているくせに。
どうしてあの人はあんなに優しいんだろう。どうしてどれも切り捨ててしまえないんだろう。
ぎりと歯を噛み締めた。何を一番守りたいのかは、分かっているくせに。
守り切る力がないわけではない。
敵を知らないわけではない。
何を罰するべきなのか分からないわけではない。
それでも魔王様が守る代償として差し出すのは、いつも自分自身だ。
――私は約束を守ったのに、貴方は私との約束を破る気ですか?
もしもの話ならば何度も聞かされた。耳を塞ぎたくともちゃんと聞いてきた。
しかし、約束したはずだ。勇者なんて見知らぬ人間のために死んだりしないことを。
貴方の死を悲しむ人がいるならば、なおさら。
だから私は行かなければいけない。たとえ何が邪魔しようとも。
止めなければいけない――たとえ他の、何を犠牲にしようとも。
貴方を生かすためならば、私は貴方を貶める神でも殺してみせましょう。
お久しぶりです、皆さま。白邪は割と順調に生きてます。勉強も割と頑張っていると言っておきます。
なんだか久しぶり過ぎていまいち上手く書けなかったんですが、何も更新出来ないのは嫌なので更新しておきます(笑)
もしかしたらあと番外編も上げるかもです。何とも言えませんが。とりあえず馬鹿騒ぎがしたい。
と、とりあえず、こんなに長く間が空いているのにこんな駄作者を見捨てないでいただいてありがとうございます……!
よろしければ、どうぞこれからもお付き合い下さいませ。暇つぶし程度で構いませんので。
以下返信ですー!
>暗いーーと叫びつつ読んでいました(影の辺りとか) でも、手は止まらない~ なぜでしょう?
あばば、ありがとうございます! 何だか段々当初の趣向を裏切って暗くなりつつありますが、み、見捨てないでいただけると嬉しいですっ。
魔王様はとりあえずこれからも多分なんかあんな感じで行くと思います、ので、お願いしますね←
>早く二人をくっつけて下さい。
あ、ありがとうございます! 頑張ります……いまいち進展しない奴らですが。
どうか温かく見守ってやって下されば嬉しい限りです*作者ももっと積極的になりたいと思いますので(違う
>こんなこというのもアレですけど、いいぞもっとやれ、的な!ちょっとあーるしてい的なのを!
側近「……いいんですか?」
勇者「い い わ け ね え だ ろ」
勇者全否定。まあ某側近の存在が最早年齢制限かかってますもんね!
それはこれからの勇者の態度とかにかかってるんですが、作者として(権限的に)がんばろうと思います……! 今さら年齢制限付けれませんけれども!
>魔王さまとヘタレさんの過去のお話が読んでみたいです。本編が終わってからでもいいので・・・。
実は今一番書きたいお話だったりします。このままじゃヘタレさんが魔王様好きなただの変態ですもんね!(人聞き悪い
一応話はできてはいるんですが些か長すぎて、でもいつか機会があったら載せたいなあとは思っています´`
その時までヘタレさんを誤解しないで(いや、誤解はしてませんが。変態なのは事実ですし)温かく見守っていて下されば嬉しいです(´ω`)
>受験応援しています!
あば、ありがとうございます!
更新頻度かなり低くなってしまいますが、でも合格して帰ってきますので待っていて下されば嬉しい限りです´`
あ、あと、できれば英語力を私に貸して下さい……。
>やり取りが面白すぎるから。
あ、ありがとうございますー! なんだかあまりに一方通行すぎるんだがいいのかと思わないでもないですが、そう言っていただければ一安心です(笑)
これからもあんな感じで……頑張っていいんでしょうか?(聞くな
>ヘルグのS的な絡みがいいかなー。と。おなじ理由で影もですね!俺はあのノリがすきですー。
ありがとうございます! 最近某側近の刺々しさが抜けてきたんですが、そう言っていただけて嬉しいです^^
影も扱いやすい奴なのでこれからもいっぱい出せるよう頑張りますね!(笑)
>私の中ではヘタレさんは絶対攻めです。 ヘタレさんが遊んでる(いじめてる)とこ大好きです。
で す ね !(全力の主張
ヘタレさんは左側人種です、それ以外は私が認めない(笑)
なので安心して読んでいただければ嬉しいですっ。
>ディーゼルとアリセルナ、中々良いコンビだと思うので! …しかし、ディーゼルは誰と一緒に居ても気苦労が絶えなさそうだ…。
あああありがとうございますー! 分かって下さる方がいた! 作者的にはあの二人お気に入りなんです。あんまり書けませんが。
ディーゼルは一生苦労し続けると思います、どんな道を選ぶにせよ(笑)
……しかし本人それを楽しんでいる節もありますし、それはそれでいいんじゃないでしょうか? と思わないでもないです(笑)他人事なんですが!
なかなか更新できませんが、まだまだ人気投票も受け付けておりますよ!
今まで続けてこれたのは、そしてこれからも頑張ろうと思えるのは私を見捨てないでいて下さる読者さまのお陰です^^いつもありがとうございます。
よろしければこれからも長い目で見守ってやって下さいませ。……毎回言ってる気がしないでもないですが!