第127話 吼えるルプスと喰らうウロボロス
「……なあ。相棒」
デュレイは血の滲む包帯を顔の上にかざしながら、半ば口癖になっている科白を何気なく切り出す。
幾許かの寂寞を漂わせる横顔は、ただ一心に閉ざされた扉の方を見据えていた。
「お前も、俺のことを悪人だって思ってるか?」
思い詰めた様子は特になく、ふと零す言葉。自分が悪人かどうかなど問うおかしな質問だった。しかし、やはりと言うべきなのか返事はない。だがそんなことなど意にも介さず、デュレイは縛り付けられたベッドの上で天井を仰いだ。
その目に浮かぶのは、後悔でも無気力でもない。ただ堅い視線が舐めるように白い天井を眺めると、一瞬、空間がぐにゃりと歪んだように見えた。その向こうに青い空が透ける。まるで心を洗うような青。だが、それも一瞬で天井の向こうに消えた。
残されたのは居心地悪い静寂と、答えが返ってこずに行き場を失くした一方的な問いかけ。
「……あー、苛立つ」
苛立ったようには聞こえない単調な口調で呟いて、デュレイは自身の腕へと視線を落とす。
自分を逃がさないためにと固く鎖された拘束具。が、それに拘束系の魔法なんかは掛かっていない。壊そうと思えば壊せないことはない気もする。けれど、不思議とそんな気持ちはわかなかった。
それが何故かなんて、デュレイはそんな面倒なことを考えるつもりはない。考えれば考えるほど深みにはまってしまう、理由なんてものは。
(……畜生、まだ傷口が疼きやがる。とっくに塞がったもんと思ってたが)
思考を放棄したデュレイは、とたんに責めるように声を上げ始めたじくじくとした鈍痛に顔をしかめる。やはりあれは腐っても魔王だ。デュレイとしては思い出すだけで腹の立つ相手ではあるが、その魔法の腕はとても太刀打ちできるものではない。
闇の上級魔法、だった。
外から取り入れたエネルギーを使って上級魔法を行使するなどそもそも聞いたこともない。ある意味、そんなのは馬鹿げた話だ。
――けれどその馬鹿げたことのせいで、今自分はこんなところに縛り付けられているのだ。
「あーあ。コメットをさらって高飛びする予定だったんだけどなあ」
ぶつぶつと呟くデュレイ、が、やはり返事はない。独り言ではないのだが。
答える余裕がないか、聞こえていないのか、それともただの無視か。――何にしろ結果は変わらない。これでは独り言とも大差ないだろう。
デュレイは初めて長いため息を吐き出した。やるせない気持ちばかりを胸焼けのように秘めて。
と同時に、錆びたドアノブが古びた音を立てて回った。
「――んあ?」
デュレイは顔を上げて、間抜けな声とは裏腹にドアの方を鋭く睨む。足音が全く聞こえていなかったわけではない。
建て付けの悪い鉄の扉は何度か鈍い衝撃と振動を繰り返し、ようやく開け放たれた。
消えた壁の代わりに立っていたのは、コメットの幼馴染である――直接話したことはないが――ディーゼルという男だ。
「――デュレイ……、ミース」
「よお。ディーゼル」
息を切らした、険しい表情。それとは対照的に、デュレイは不敵に笑んで見せた。
――ようやく来たか。俺の出番が。
名前は知っているが会話もしたことがない、重役に就いているわけでもないこの男が用もなしにこんなところまで来るはずがない。大方コメットが自分を頼ってよこしたんだろう。それに相手が自分の名前を元々知っていたとは思えないし。
そう思うと自然と笑みも漏れる、それは深い悪意のこもった笑みではあるが。
「待ってたんだぜ? キューピッドさんよ」
犬歯をちらつかせ軽く笑ってみせると、ディーゼルは全て解ったかのように、苦虫を噛みつぶしたような渋い顔をした。
◇
「待ってたんだぜ? キューピッドさんよ」
俺はその言葉に、思わず眉をしかめた。
キューピッド、だと? ……その言葉の意味が、分からないわけではないが。
こいつのことは、ヘルグから聞いている。どれだけの危険因子であるかということ、それから俺が知っても意味のないような下らないことまで。だからこそ、理解できてしまったわけだ。
「おっと、そんな顔すんなよ。俺を頼りに来たんだろ? そんな嫌そうな顔させるとやる気が削がれちゃうぜ」
「…………」
……聞いていた通りのうざったさだ。こんな奴が、と思うと殺意がわかないでもない。
思って強く睨むと、そいつはひょいと肩を竦めた。
「冗談だよ。それで?」
「……“それで”?」
「だから、一体何が襲って来たんだって聞いてるんだ。でっけえドラゴンか、それとも魔王サマが錯乱したか? あー、そういや魔王サマはまだおねんねなんだっけ。呑気なもんだよなあ」
嫌味に言って、くすくすと笑う。こいつ――。
魔王様を馬鹿にされたことにわき立つ憤りは感じたが、ここで激昂してはどうしようもない。腸が煮えくり返るほどの憤慨を何とか呑み込むと、俺は胸が苦しくなるくらいの深い息を吐き出した。
「……勇者だ」
「あ?」
「勇者一行が、魔王様を殺しに来た」
自分でも驚くほどに掠れた声。けれど伝えたかったことは伝わったらしい。
デュレイは微かに目を見開き、
「――勇者?」
惚けたような声で呟いた。
「……。ああ」
「へえ、勇者、か……――ぷっ」
嘘を吐いても仕方がないので肯定する。
するとデュレイは幼子のように何度もその言葉を反芻し始め、そして突然声を上げて笑い出した。
「ははははっ! 勇者、ね――そりゃ笑える!」
何が笑えるというのか、けれどその異様な様子に俺は何も言えずに押し黙ってただデュレイを注視する。
狂ってる。
そう思わないでもない。いや、実際それは狂っているのだろう。
「なあディーゼル、そりゃ運命っていうより皮肉だよな。そうは思わないか?」
瞳の上に爛々と輝く仄暗い光を乗せて、顔を覆った手の下から覗く口を弧の形にひん曲げながらデュレイは言う。大した詩人だ。
だが、皮肉というその表現はあながち間違いでもないのだろう。運命とはとても言い難い。
そもそもというのも、こいつが魔王様のことを――。
……やめだ。今はそんな憎悪に取り憑かれている場合じゃない。頭を冷やせ、俺。
かぶりを振って無意義な思考を頭から追い出すと、俺は再びデュレイを見据えた。
「んー、まあ事情は分かった。大体だけどな。じゃ、拘束具外してくれよ」
笑いながらデュレイは俺の方に腕を差し出してくる。がっちりと拘束された一対の腕。
助けてくれるとかくれないとか、そんな返事は全くない。つまり、騙す可能性もあるということだ。
――別にいいけど。こっちも、そんなに助けてもらう気はない。俺のわがままではあるが。
「外さない」
「は?」
俺はベッドに座ったままのそいつを見下ろしながら、そう言い切った。
外さない。
勿論、言葉通りの意味だ。そこに含みなんてない。
「……正気かよ、お前。自分が何言ってんのか分かってるのか?」
「分かってるさ」
「ほざけ。外したくないけど助けて欲しいってのは虫がよすぎるんじゃねえのか」
思った通りに、デュレイの顔から笑みは消える。残ったのは、俺を睥睨する心底冷たい視線だけ。
確かにそれでは虫がよすぎる話だ。まるで子供のわがまま。助けを求めている俺が、そこまで幼稚なわがままを強要するつもりはない。
俺は獰猛とも思える鋭い視線には怯まずに、次の句を紡ぐ。
「別にお前に助けてもらう気は元々ないんだ。俺はお前をこの離宮から引き剥がして、幻を作ってる影を連れて行きたいだけで」
「へえ?」
片眉を吊り上げ、デュレイは挑発するように笑った。
先程までの暗い影はもうどこにもなく、すでに余裕を取り戻している。
「なるほど、つまり俺は邪魔者ってことか。確かにな、俺一人のためにこんな壮大な離宮なんか魔法で作り上げてくれちゃってるからあいつは顕現できないんだもんなあ」
魔法の詳しい構造は知らないが、そこまでの簡潔な説明なら俺も聞いている。素直に頷いた。
だがデュレイは怒る様子もなく、ただにやにやと笑う。……それは少し、不気味なくらいだ。
「ちなみにそれは、コメットの意見か?」
「いや。俺のわがままだ」
コメットはそんなことを言いはしない。あいつはよく言えば優しく、悪く言えば魔王様を助けるためならばどんな方法も厭わない。だから、デュレイの口八丁にかどわかされて結局終わりだっただろう。
だけどそんなに簡単に行くわけがない、こいつは単に強いだけじゃない。味方にできなければ、住人たちの命をも脅かす危険因子でしかないのだ。
ぐっと口を結ぶ俺とは対照的に、何を思ってか、デュレイはますます笑みを深めた。
「上等じゃねえか。相棒なら連れてけよ、――ついでに俺もな。拘束具は外さなくてもいいぜ? ああ、足の方はせめて外して欲しいけどな」
そして、俺の意見をあっさりと呑む。
それはそれで気味が悪い。何を企んでいるのか、信用に値するか。
――後者はノーに決まっているが、だがこれ以上は手の施しようもない。この城の要である魔王様が目覚めない限り、俺たちはそれまでの時間稼ぎとなるあらゆる手を尽くすしかないのだ。
俺は半ば諦めのように首を微かに頷かせると、足の方に掛けられた拘束具を外し始めた。驚くほどに、案外簡単にそれは外れる。
それから、その身体をベッドにつなぎ止めていた鎖のようなベルトも外し、腕以外はほとんど自由になってしまうくらいの格好にまで解放した。
「よし。ありがとよ、さすがに何日も同じ格好ってのはきつかったぜ」
デュレイは満面の笑みで何日かぶりにひょいと起き上がると、自由にならない腕を伸ばして伸びをした。礼なんてこいつに言われたくはないが。
影を連れて行くおまけ、か。
どちらがおまけかはよく分からないが、片方を連れて行くとなればもう片方も連れて行かなければならないようだ。たとえ俺がどんなにこいつを連れて行きたくなかったとしても、多分こいつは力ずくでもついてくるだろう。
そうなると果たして俺はこいつを信じてやるべきなのか、それとも疑っておくべきなのか。勿論答えは後者だ。
だが、それでも放すしかないだろう。こいつをこの狭い檻の中から。
「さて。それじゃ、勇者サマをぶっ殺しに行きますか? キューピッドさん」
そんな俺の思いに応えるかのように、デュレイは、肉食獣さながらに犬歯を見せて笑った。
魔法で作り出した離宮なのにドアの建て付けが悪いのは影の嫌がらせ。
そしてデュレイが半端なく嫌な奴。私だったら迷わず線路に突き落とす(^o^)←
タイトルにはとても回りくどいあまり意味のない意味があったりします。たぶん。