第126話 振り翳す正義と一抹の過ち(後)
ごめんなさい。
冷たくなった亡骸に黙祷を捧げて、僕はゆっくりと立ち上がった。
瞼をそっと持ち上げた先には、無残な姿で転がったかつての住人たち。
さようならとは言えない。僕が、殺めてしまったのだ。
名前も顔も知らない彼らは地にくずおれ、そしてもう二度とその足で地を踏みしめることはない。
「先に非常用通路を探して向かったか……それともやっぱり、リルちゃんを殺しに向かったのかな」
いたたまれなくなって目を逸らすと、僕は一人呟きながら歩き出す。
――そう。一人。
ディーゼルはすでに影が作り上げた離宮の方へと向かっている途中だった。
僕が頼んだのだ。ここまで辛いのも我慢して勇者一行を一緒に追いかけてきてくれていた友人に。
危険なところから逃がすため、というのも勿論多少は考えていたけれど、別に本当の目的はそんなことじゃない。勇者一行とあの赤毛の男、どっちが危険かと言われれば勿論勇者一行だろうけど、ディーゼルが非戦闘員だということを考えると正直どっちの危険性にも差異はない。
だから、助けてもらうため。
彼に助けてもらうというのは少し、というかかなりの後ろ暗さがあったけれど、彼は切実にそれを望んでいた。嘘なんかじゃなくて。
僕を助けるため――それだけで、ディーゼルは強くなった。デュレイや影のことを誰に聞いたかは分からないけど、僕はそれに応えなきゃならない。
多少は見慣れているはずの僕でも眩暈がする。許されるなら倒れたい。
そう思うほどの惨憺たる屍の山の中でも、ディーゼルは決して臆することはなかった。
知り合いが少ない僕ならまだしも、ディーゼルは、知人がこの中に同じように倒れていると言ったのだ。なのに。それなのに。――あの勇者は、僕なのに。
――考えても、答えは出なかった。
仕方がないと、かぶりを振って歩き出す。今はそれどころじゃない。早く行かないと。
リルちゃんのところへ行くべきか、非常用通路の方へ行くべきか……。小走りになりながらも考えた。いや、でも非常用通路の方にはヘタレさんもいるか。みんなを守りながらは辛いだろうけれど、ヘタレさんならきっと大丈夫だと信じたい。僕は未だ目覚めていないリルちゃんのところへ向かうべきだろう、……多分。僕は僕の判断が間違っていないことを祈ることしかできないけれど。
突き当たった角を曲がり、やけに幅の広い階段を三段飛ばしで上っていく。
長らく運動なんてしていなかった身体は悲鳴を上げるけれど、構っている暇はない。早く。早く行かなきゃ、手遅れかもしれないのだ。
「魔王様……!」
祈るように声を上げて、僕は長い階段を上り切る。どうか。どうかまだ無事でいて、お願いだから。
勇者一行の強襲に思わずリルちゃんのそばを離れてしまったアリセルナを責める気はない。だけど、もし最悪の事態を目にしてしまった時、僕は正気を保っていられるかどうか分からないから。そんな小さな理由なんて抜きにしたって、リルちゃんが死んでいい理由なんて一つもあるはずがない。
いくら強くたって、普通に生きている人で。今みたいに倒れたりもする。そして、目を覚まさない今、勇者一行なんてある程度訓練された奴らに襲われてしまえばひとたまりもないだろう。
だから、僕は行かなきゃ。
重々しく鎮座する漆黒の扉の、その傍らの細い廊下の突き当たりにリルちゃんの寝室はある。
僕はようやく、その場所まで辿り着いた。周辺は不気味なほどに静まり返っている。――間に合ったからか、それとも全て終わったからか。
祈る気持ちを込めて僕は、その小さな扉を開いた。
薄暗い部屋。
がらんとした生活感のない風景。
横たわる寝台。
――そして、未だその瞼を上げることがない、この城の王様。
静謐の中で唯一響く呼吸の音。胸が微かに上下する。
あ、と小さく声が漏れた。安堵で座り込んでしまいそうにすらなった。
「よか、っ――」
けれど。
突然背後で感じた悪寒に、僕は身の毛がよだつような感覚を覚えて素早く横に跳んだ。
跳んだ後には、轟音。僕が今まで立っていた場所には巨大すぎるほど巨大な斧が突き刺さっている。まるで、墓標のように。
「まだこんなところに逃げ遅れがいるじゃんか、可愛い女の子のさあ」
僕が驚いて振り返った先には、一人の男が立っていた。無造作にまとめた金髪に目は碧。すっと通った鼻梁で僕を見下して、口を不機嫌そうにへの字で結んでいる。
勇者。
真っ先に浮かんだのはそんな言葉だった。まるでどこかの軍隊のようなカーキ色のつなぎを難なく着こなしている。
「ごめんねえ、声と足音がしたからつい来ちゃったよ。君も魔族の人?」
けれど彼は不機嫌に結んでいた口を急に優しく歪め、僕に向かってにこりと温和に微笑んでみせた。
どきりとする。勇者……、じゃ、ない? いや、でも彼は確かに斧を僕に向けたわけで。
信用しちゃ駄目だと心臓が早鐘を鳴らす中、けれど僕は動けずにいた。気持ちが整理できずに身体がついていかないのだ。
――が。
「なら死んじゃえ。汚らわしくて反吐が出る」
唐突に、一変する表情。飛んできたナイフを間一髪で避ける。
危ない。警戒していなければ、とても避けられはしなかった。
それにしても一体何だというのだ、こいつ。どこにナイフを隠していたのか、そんなことはどうでもいいとしても。
この態度の変化は一体何だ? 意味が分からない。きっと勇者なんだろうとは分かった、けれど。
不機嫌そうにしてみたり、優しそうにしてみたり、殺そうとしたり。気味が悪い。僕は薄い色の碧眼を見上げ、一歩後ずさる。
「……あ、ていうか、奥に魔王いるんじゃん」
「っ!」
ばれた。――僕が一歩後ずさって、こいつの視界が遠くまで広がったせいか。
僕はリルちゃんの方をはっと振り返りながら、ぎりと歯軋りで答えた。
「寝てる? 呑気だねえ。てことはあれか、君は魔王を迎えに来た人か何か? それはここまで案内してくれてどーも」
そいつは先程までの殺気はどこへか、ぺこりと頭を下げてみせる。からかいだとかそんなものではなく。
だけどだからこそ嫌だ。案内したつもりはない。……結果的にそうなってしまったけれど。
悔しい。そして、心が逸る。心臓が警鐘を打ち鳴らしていた。
「ま、ミーシャが魔物たち探してる途中だし……俺が魔王を仕留めちゃっていいのかな。いいよね。ってことで避けてくれるかな? 魔王を殺すのが俺の最優先任務なんだよねえ」
「…………」
僕はどけない。
決して、どけるものか。
ミーシャというのは仲間の名前だろう。女の子だから、魔法使いか何かか? 何にしたって早く助けに行くに越したことはない。
勿論こいつを倒せるかどうかは分からないけど、はい分かりましたと避けるわけにはいかない。少なくとも、リルちゃんをここで殺されるわけには。
いざとなったら、あっちはきっと影が助けてくれるだろう、……多分。自分に言い聞かせて、目の前の男に集中する。
「悪いですけど、はいと答えるわけにはいきませんから。貴方はその、《勇者》ですか?」
「んー……まあ、一応。そんなのはでもどうでもいいんだよね、勇者だろうが殺人鬼だろうが」
目の前の男は言って、微かに首を傾げた。
僕だってどっちでもいい。名称なんか。――僕も昔は、そうだったわけだし。
だけど今は違う。勇者であろうとは思わない。少なくとも、魔王という偶像を排除するような勇者には。
「本質はどうでもいいです。貴方が魔王様を殺すというのなら」
僕はゆっくりと離れる。視線は外さないままで。
「――私は、容赦しない」
震える腕を上げ、人差し指を立てて僕は告げた。
容赦はできない。たとえ僕より強くても。全身が戦士としての歓喜ではなく、人としての恐怖に粟立っていたとしても。
ここで退くのはリルちゃんへの裏切りであって、そして僕が殺した人たちへの冒涜だ。
「……へー。君が戦うわけ?」
碧眼が少しだけ面白そうに見下ろしてきた。身体の大きさのせいなのか、それとも実力のせいかとんでもない威圧感を感じる。だけど僕はぐっと堪えて頷いた。
「私、魔王様の婚約者なので」
そして強気な笑みを突き付けてやる。
勇者と名乗ったそいつは、少しだけ驚いたような顔をしていた。
当たり前だ。だって僕は、コメットなんだもの。
もう、何もかも奪われて堪るものか。
偽善だっていい。わがままだっていい。
何とでも言えばいい。たとえどんな批判を浴びせられようと、どんな視線を向けられようと。
僕は昔の僕に、もう何も奪われたりはしない。
本格的に暑くなってきました、でも今年の夏も北の大地ではがんばってうちわで乗り切ろうと思いますこんばんは白邪です。
テストも誕生日もなにもかも終わってしまったので少しだけ寂しい今日この頃、後は夏休みを迎えるだけですね!(←早い)
夏休みにはもっと頑張って勉強するんだ。受験生だもの。
というわけで夏休みからパソコンに触れる頻度がかなり落ちると思います、というかそうじゃないと私まずい(^o^)
無事高校合格したら戻ってきます。ので、それまで待っていて下さいねー!
……と言いつつしばらくは更新してそうですが。
割と楽しかったです、今回書くの。新勇者(と便宜上呼ばせてもらうぜ!)の口調が楽しくて仕方ありませんでした。だけどこの件が終わったらもう出ないだろ。
それがとても残念で仕方がないのですが、まあそれが運命という奴ですよね(←知らない)
諦めます。いいんだ、どうせテストの点数悪かったから(←関係ない)
それでは今日はこの辺で。いつもいつも後書きに何を書くか考えてから本編を書き始めるのに、書き終えたら全く覚えていない白邪でした!
……最終的には結構色々書いてるけどね!