第121話 月蝕ストイック
デュレイは嗤った。高らかに嗤っていた。嘲るように、心底可笑しそうに、不思議そうに。
「一発? じょーとーじゃねえか。側近さんでさえあんなんなのに、満身創痍の魔王サマがどこまでできんのかね。正直期待してねえよ」
リルちゃんの至って真面目な表情さえ笑い飛ばすかのように、デュレイはその目に涙さえ浮かべている。
……笑いすぎじゃないだろうかこいつ。
何だか憤慨や苛立ちを通り越して殺意を覚えたけれど、あえて抑える。リルちゃんがこんな奴に負けるはずは、ない。盲信でも浅はかでも、リルちゃんが言ったならそうなのだ。
大丈夫。一人、口の中で呟く。
「ああ、そうだ。なあコメット」
「……何ですか?」
口調をあえて抑えながら、僕は睨むでもなくただデュレイの方を見遣る。できれば話しかけてすら欲しくないが。
言われることは大体予想が付いていた。そして多分、相手も僕の答えを予期しているだろう。
「俺がもしよ、魔王サマに勝った時は――お前、どうしてくれる?」
「いいですよ。結婚だって何だってしてあげます」
だからこそデュレイは笑って、僕は真顔のままでそう言い切った。
それを聞いて、向こうにいたリルちゃんの目が丸くなる。まさか、リルちゃんが予想できなかったわけでもないだろうに。僕の答えは別としても。
「さっすがコメット、俺の惚れた女だ。分かってるじゃねえか」
デュレイはにやりと口の端を吊り上げる。……別に褒められたって嬉しかないけど。
だってそれはあくまで、デュレイが勝ったらの話だ。
もしデュレイが本当にリルちゃんに勝てるような実力の持ち主だったら、僕がいくら足掻いたって無駄だ。無理矢理にでも何でも婚姻させられるだろう。
僕はだけど、リルちゃんを信じてる。リルちゃんのことを信じてるから、驚いた顔のリルちゃんを双眸で見据える。
「魔王様は負けませんから」
言葉はあくまでデュレイに向けて、リルちゃんの方を真っ直ぐ見たままで僕は笑んだ。
大丈夫だ。リルちゃんが一発でいいって、そう言ったんだもの。
これ以上信頼に当たる言葉があるだろうか?
「……信頼されてんだなあ、魔王サマ」
デュレイは言って、振り返る。口元の笑みはまだ消えない。
「あー……だから俺はあんたを殺したくて堪んねえんだよな」
一歩、――跳躍。
デュレイは跳んだ。リルちゃんのところまで、床を蹴り飛ばすようにして。
リルちゃんは彼の突進を避ける様子もなく、デュレイもそれを分かっていたのか、その腕から自身の剣を引っ手繰って勢いのままに宙返りで元の場所へと戻る。路傍のパフォーマンスみたいな、そんな感覚。
だけどその目は、大道芸人とかのそれではない。面白そうではあるけれど、道化師とはまた違うような訳の分からなさ。つまり、狂気とかそういう類の。
「……よーくやるよ。ばっかみたい」
僕の隣で、影がため息交じりに呟く。
呆れた口調。腹は立つが、確かに馬鹿だ。僕もデュレイも、ヘタレさんも。……しいて言うならリルちゃんだって。
「大丈夫だもん。魔王様は負けないから」
「ふーん? その自信はどこから出てくんのかね……だって魔王様ってさあ、体術にはそんなに通じてないよね」
睨む僕の視線をいともあっさり受け流し、影は魔王様の方をちらと一瞥する。
言っていることは尤も、だけれども。詰まる僕の代わりに答えたのはヘタレさんだった。
「まあ……そうでしょうね。魔法が要ですから、そこまで優れた身体能力は持ってないはずです」
「はず?」
「ここで今さら内に秘めたる力が目覚めたらいいなあなんて願って」
「いや、無理でしょ」
ヘタレさんと影は、どこかずれたことを悠長に話して始めた。……いや、ヘタレさんは動けないから仕方ないけど。間に割って入るわけにもいかないし。
だけど内に秘めたる力って。そんなもの目覚めちゃったら、それこそリルちゃんは最強だ。――確かにそれなら、この場は苦労しないかもしれないけど。
「あーでも目覚められても困ります。力がそこまで強くない魔王様だからこそ押し倒したりできるんですから」
「黙っとけば。光に殺されたいんなら僕は何も言わないけどね」
うん、何も言わなくてもいいよ影。ヘタレさんは僕に殺されることを望んでいるんじゃないかと最近うすうす感じて仕方がない。
だが今はヘタレさんを血祭りに上げている場合でもないので、僕は黙って視線を戻した。
相変わらずの攻防戦。
デュレイが息もつかせぬほどの連撃を繰り出し、それをリルちゃんが最低限の動きだけでかわしている。リルちゃんには余裕があるけれど、……一つ心配があるとしたら、影が言っていた喀血のこと。立っていることだって危険なはずなのに、大丈夫なんだろうか。
――いや、ううん。信じるって決めたんだから。
この戦いが終わったら何が何でもベッドにぶち込もう。何を叫ばれようが嫌われようが、ベッドに縛り付けるくらいやろう。そんで医者だろうが看護師だろうが回復魔道士だろうが何だろうが呼ぼう。リルちゃんの対人恐怖症とかこの際お空の果てまでかっ飛ばしてやろう。
それくらいは、する。
だから僕は今だけは我慢しよう。今だけは出てくるな僕の中の心配性。
「さーて。コメットも見てるしなあ、あんまり格好悪いところ見せらんねえよな」
僕の視線を感じたのかデュレイはにやりと笑った。別に格好良いとか思ったこともないけど。
変わらずの連打を仕掛けているのに、よく喋る余裕なんてある。……リルちゃんをなめているのか、それとも本当にそれだけの余裕があるのか。
「俺のために死んでとか……そんなこと言うつもりねえけどよ。俺のために死なれても気持ち悪いし。しいて言うなら、コメットのために死んでくれや」
「断る。悪いが私は、お前のふざけた我儘に付き合う気は毛頭ない」
「ふざけてねえんだけどなあ」
リルちゃんはデュレイの言葉をばっさり切り捨てる。けれど、攻めているのはやっぱりデュレイの方。
この攻防戦があまり長引くと、不利なのはリルちゃんの方だ。今の弱っているらしいリルちゃんでは、体力の差がありすぎる。元々長期戦向きではないだろうに。
今にも暴れ出しそうな心臓を無理矢理抑え、僕は唾を呑んだ。がんばれ。
けれど、そんな僕の気持ちを裏切るように、デュレイが見事な剣さばきでリルちゃんをどんどん壁の方へと追い詰めていく。
悔しいがあれは一流だ。不意打ちじゃなければ、剣を奪うことだって出来なかっただろう。
右、左、左。そして下から。デュレイの表情はまだ余裕を誇っている。鋭い犬歯が見え隠れして、それはまるでリルちゃんを狩ろうとしている肉食獣のように見えた。
「立ち上がれないほど辛くなったら言ってくれよ? 苦しませずに一突きにしてやっからよ」
「気遣いならば感謝するが……笑って言う奴はないだろうな。第一死に逃げるつもりはない、し」
リルちゃんが目を細めた刹那、その首筋を鋭い風が掠める。
風は皮膚を断ち、つうと赤いそれが首を伝った。僕は目を瞠る。髪の漆黒と肌の白の間、赤い色だけが奇妙に照り輝いている。
デュレイはそれを見て、にやと笑った。
「ほら、動きが鈍ってきてんじゃねえのかよ? 次は頚動脈切断すんぞ?」
余裕。――尤もだ。リルちゃんの体力も、やっぱり限界なのかもしれない。
そもそも何故さっきから、リルちゃんは反撃しないんだろう? 暇がないから? 隙を見ている? それともそんな余裕すらない?
一発、と宣言したとはいえ。
僕がどうしようもない不安に駆られた時だった。
「……もう、いい」
リルちゃんはおもむろに呟く。
「いや、もういいよ――デュレイ。その必要はない」
「あ?」
微かな笑みをその顔に乗せ、リルちゃんは首を僅かに傾けた。それを見てデュレイがようやく笑顔を消す。
雰囲気が変わったことを感じ取ったのだろう。僕も影もヘタレさんも、同じだった。
雰囲気のどこが変わったのかも、つまりそれが何なのかも分からなかったが、僕が感じられたことといえばただ一つ。
リルちゃんが、動く。
「無詠唱発動は、感心しないんだったな」
彼はその細い人差し指で、首筋をなぞった。艶めかしくぬめる血が、白い肌を汚す。
そしてリルちゃんは、――その指を嘗めた。
デュレイは彼に圧倒されたまま。いや、僕も、影も、ヘタレさんも。
血? ――血を、待っていたのか?
僕はある可能性に思い至る。血。媒体。エネルギー。もしリルちゃんが、最後にわざと、その攻撃を受けたのだとしたら。
まさか。いや、でも。
そうじゃなきゃ、或いはだからこそ、その行動に説明がつく。
「悪食満月」
光が重い天井に遮られる、虚空を見上げ放たれる言葉。
闇の上級魔法……だ!
やっぱりだと僕は思った。もたれてきた猜疑心が確信へと変わる。
――墜ちてくる、黒い月。つまり日蝕。満月が獰猛な口を開けて、牙をデュレイに向けた。
「な――っ」
デュレイは焦ったように目を見開く。それはそうだ。闇の上級魔法、しかもそれは常識外れの大きさ。まさかこんなところで上級魔法が出てくるなんて思ってもいなかっただろう。今のリルちゃんには特に、どれだけ負担をかけるものか。そんなの諸刃の剣だ。
だけど。
「お前は、無詠唱発動と詠唱発動の違いを分かった上で私を挑発したんだろう? 勿論無詠唱発動は発動時間が半分以下で済むし、相手にも気付かれにくいが――」
それでもリルちゃんは笑う。あくまで優しく。悪戯っぽい光を一瞬だけちらつかせ、それをデュレイに向けて。
「――詠唱発動ならば、威力は倍以上だと」
満月が黒い闇を口の中に見せながら、獲物であるデュレイを呑み込もうと自ら地上に墜ちた。
デュレイは剣を上手く盾にして回避しようとするけれど、まさかリルちゃんの魔法を避け切れるわけもない。
「まさかただの上級魔法でこんなことが、――いや、お前っ、上級魔法を唱える余裕なんか――っ!」
「忘れたのか?」
闇の中に投げ出されようとするデュレイに、リルちゃんは、最後に笑う。
「ここは魔王城。私の城で」
嘗め切れずこびりついた血を、指を、削り取るように齧りながら。
「この闇は、魔王の領域だ」
――言い切った、瞬間。
ばぐん、と嫌な音がした。嫌に抜けた、けれど生々しい。
瞬きの後には、デュレイの姿はもうそこにはない。
黒い満月も、姿を消していた。
僕はそれを目視で確認して、途端、安堵とも何とも取れないため息をほうと零した。
「……反則、だ」
僕の隣では影が、呆けたように呟いている。
反則? ……まあ、そうといえばそうなのかもしれない。他人にはとても真似できないから。
彼は自身の血を媒体として、外に満ちていた闇のエネルギーを自分の中に取り込んだのだ。
今のリルちゃんでは、とても自分の力だけで上級魔法なんて唱えられない。そんなことをすれば倒れてしまう、どころじゃ済まないだろう。そのことを、彼も自分自身で分かっていた。
だからこそ、外のエネルギーを使ったのだ。自分の内の魔力はまるで消費することなく。
内から出る魔法への耐性がないならば、外から受けるエネルギーをそのまま自分の魔法として使役すればいい。――理論上は、可能なことだ。
……だけど。
「……ごめん。コメット」
そんな無茶をしてみせた張本人が、階段をゆっくりと下りてくる。
目には、疲労の色。ぎこちない笑みをその口の端に乗せてはいるけれど。
無理が通れば道理が引っ込む。――だけどその代償は、確実にその身体に積まれていく。
自分で直接魔法を使うほどではないにしろ、血を媒体にして外のエネルギーを取り込むなんて、まず滅茶苦茶だ。それこそ説明がつかない。馬鹿だ。そんな無茶すれば、辛いどころじゃ済まないに決まっている。
「やっぱり、慣れないことはするものじゃないな」
「ま、おうさま……! な、んで、だからあんな無茶――っ」
ふらりと倒れ掛かってくるリルちゃんの身体を受け止めながら、僕は焦って叫んだ。
軽い。身体が、ひどく軽い。まるで中には何もないみたいだ。
「違う、そっちじゃなくて――」
リルちゃんはか細い声で、小さく首を振ると。
「やっぱり、人を傷付けるのは、あんまり好きじゃない……」
そのまま糸が切れたように、かくんと身体は全体重でもたれかかってきた。
――気を失った、んだろう。
僕は呼吸をしていることを確かめると、小さく小さく、嘆息した。
「……影」
「なに?」
「……言わなくても、分かってるでしょ」
平然と座っている影と、動けずに未だ寝転がっているヘタレさんを交互に見る。
「運ぶよ」
「……え? 僕が側近さんを? やだよこの人」
「私もどうせ運ばれるならコメットさんがいいんですけど」
「……じゃあいいよ、影。その馬鹿はここに放っておこう」
「え、それはちょっと……っ」
無視。全力でスルー。
けれど僕よりも優しい影は結局、嫌々言いながら運んで来てくれるだろう。
僕は小さく風の加護を詠唱すると、リルちゃんの軽い身体を持ち上げた。
――馬鹿だ。僕は、馬鹿だ。
結局僕はまた、この人に頼ってしまった。
頼れば断り切れない人だって知ってるのに。
自分のことなど顧みず、手を差し伸べてくれるのだと知っているのに。
その優しさに甘えてしまう、自分が憎い。
「ごめんね、リルちゃん……」
君が人の代わりに汚いことでも被ってしまう人だというのは、知ってる。
だけどそれ以上に、君が人を傷付けたくないというのは痛いほどに解ってるから――。
がんばれ、だなんて言えない。
ただ僕は、無理しなくていいよなんて気休めしか。
ダッシュとか三点リーダとか色々気になってたので今さらながらデザイン変えました(´・ω・`)もし見辛いという方がいらっしゃったら教えて下さい。
えーと、皆さまGW中如何お過ごしだったでしょうか。私はネット環境から隔離されてつまりは父の実家に行きました。何をしていたかというと主にゲームと百人一首だったと思います。
休日終わっちゃいましたが頑張りましょうね。……ね!
段々修学旅行とか近くなってきましたけどまだ現実逃避してていいですよね!
あー、余談ですが(ていうか後書きなんていつも余談ですが)私っていつも執筆中小説の仮タイトルをふざけてつけて後で後悔するんですよね(←馬鹿)
同じく小説を書いていらっしゃる作者さまたちには覚えがあると思います……あれ? ない? 嘘、私だけ?
今回のも当初は『くさ』でした。いやくさって。草? どこらへんが? 見る度突っ込みたくなる上、後で見た時内容見ないと何を書いてるんだか全く分からないしいざ投稿する時サブタイトルで相当困ります(^o^)←
馬鹿です。分かってるんです。今でも私の執筆中小説一覧には『不慮の事故』とか『過保護うはうは』とかひどいものでは『あ』とか残ってます。
……あ、いや、言って別に何かあるわけではないんですが。
我ながら繊細さとか真面目さとかネーミングセンスとかないなあとしみじみ思っただけです。ほろり。