第113話 バルネラビリティー
暴れる心臓を抑えつけ、何とか柔らかいソファの背にもたれかかる。
――リラックス? できるわけない。
気まずい沈黙を感じて、ふわと、僕は吐息を落とした。
「見てしまった、わけですか……」
明らかに渋い顔。ヘタレさんは苦渋の色に顔を歪めて、向かいのソファに腰を下ろす。
……どうでもいいけど、この部屋豪奢だよな。一個人の部屋としてはあまりに広すぎるし装飾も派手だと思うんだけど。
来るたびいつも思っていることなので今さら何を言う気もないが、やっぱり気になる。趣味か? 趣味なのか? ヘタレさんならやりそうで怖いんだけど。
「……はい……」
――なんて。現実から逃避する思考とは裏腹に、自身の声は想像よりも低く。
僕が今いるのはヘタレさんの部屋だった。何故って、僕は頼まれた書類の束を持って、予定通りにヘタレさんの部屋を訪ねただけだ。
違うのは、ただ一つ。事故とはいえ、僕がその書類の中身を知ってしまったことだ。
ソファに身をうずめるのと同じように、僕の気分もどんどんと、闇にはまっていく。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。――もう取り返しがつかないのを、知っていて。
「それで――正直勇者さんは、これを見た時どう思いましたか?」
「え?」
予期せぬヘタレさんの言葉に、僕ははと顔を上げた。
どう、思ったか……?
再びローテーブルに散乱する書類に視線を落として、何度か目を瞬く。
でもヘタレさんは何も言わない。無言の催促。息を止めて、僕は一瞬考えた。
「え、と……あの。……本音を言うと、ショックでした」
「どの辺りが?」
「その……やっぱり、死刑って響きは苦手というか……あんまり好きじゃないですし。それに、そういうことを隠されていたということが、やっぱりショックかなって……」
誘導尋問のように操られながら、僕は答えを紡いでいく。
ショック。――自分のことながらも、当然の反応だろうとは思う。
隠されていたのは、『死刑執行リスト』だなんてお世辞にもいいとは言えないようなもの。
隠蔽なんて、そんな大層なことを言うつもりはないけれど。
汚いから隠していただなんて、そんな印象を受け取る僕は捻くれているのだろうか。
「――そう、ですよね……」
ため息。珍しく憂いを帯びた表情で睫毛を伏せるヘタレさんは、本気で困っているらしい。
当たり前か。僕が見てしまったことによって、秘密は秘密じゃなくなってしまったのだから。
僕のせいだ。
「……ごめんなさい」
「謝ることはありませんよ。失態は全てこちらにありますから」
事務的な口調で、けれど優しく僕を慰めるヘタレさん。
気持ち悪いほど優しい。……それほど、大変なものなのだろう。
それを思えば思うほど、気持ちは落ち込んだ。転んだりしなければ。目にしたりしなければ。そして、そんなことをヘタレさんに話さなければ――。
「……全て、お話しした方がよろしいですか?」
「……できるなら」
ヘタレさんの気遣うような科白に、僕はこくんと頷く。
強要はしない。そんな意を込めて呟いた言葉だけど、ヘタレさんは話さざるを得ないだろう。
それを分かっていて言ったんだから、僕はずるい。
再度ため息。二つの吐息が重なって、虚空に、溶けた。
「昔から、なんですよ」
観念した、――というのか。
過去を懐かしむように、ヘタレさんはゆっくりと目を細め、語り出した。
「地底国ほどに好戦的ではないにしろ、魔王城の中にもね、裏切り者がいるんです」
「裏切り、者……?」
「ええ。――地底国からの間諜、地位を約束されサタン派につく者、今の魔王城に不満を持つ輩。ほとんどがサタンに誑かされた者ばかりですが」
サタン。
その言葉を聞くたび、何故か胸の辺りに棘が刺さるような感覚を覚える。
……仕方のないことかもしれない。言うなればそれは、憎むベき仇なのだから。
たとえ会ったことがなかろうとどうだろうと、やったことは決して許せないはずで。
「スパイだなんてそんなものはどうでもいいんです。こちらの情報なんて、一切をぶちまけてやってもいいくらいですよ」
ヘタレさんはようやく不敵な笑みを浮かべ、そんなことをのたまった。
相変わらずの自信だ。どうでもいいだなんて、そんな側近聞いたことがない。
「――ただね。何も知らない、魔王城で平和に暮らしている人々を襲ったり、彼らの大切なものを奪ったりするのは、とても許してはおけないんです」
それは、僕も、同じだ。
だから頷く。平和に暮らす人の平凡な幸せを奪うなんて、そんなの外道のやることだ。
そんな奴、僕だって許せやしない。
「過去には魔王様を暗殺しようとした馬鹿もいましたけどね。そんなのも正直、どうでもいいんです。……まあ、もし私の魔王様に指一本でも触れたら問答無用で消しますが」
……私のって。いやだがそれは断る。リルちゃんは僕のだ。
確かに悪意なんか持ってリルちゃんに触れる奴は許さないけどね! 醜い私欲やら憎悪なんか持ってリルちゃんに触れんな不浄な存在めって蹴飛ばしてやるけどね。
「まずそんな下賤な奴らは、魔王様に触れることさえ敵いませんから」
「……でしょうね」
そりゃあそうだろう。リルちゃんはよくも悪くも魔王なのだ。
自分で戦ったんだから、そのことは嫌というほどに分かっている。そこら辺の薄汚い連中に負けるほど、彼は脆弱ではない。
「ですから殊に許せないのは、民の安全を脅かす不遜な輩です。奴らは愚鈍で蒙昧な連中ですから、いくら罰したって、サタンに唆されれば何度だって民を狙ってきます。そして事実、被害が出た例もある」
ぎり、と奥歯を噛みしめ、ヘタレさんは呪うように呟く。
あくまで民狙い。――応戦も防御の仕方も知らない、ただの一般人であるというのに。
それを思うと、僕も腹が立ってきた。……けれど。
「だから殺す……、わけですか?」
「まあ、だから殺す――というのは些か短絡的に聞こえるかもしれませんが、他に手の打ちようもないんですよ」
多少非難的な口調になってしまったかもしれない。それを胸中で謝り、僕は質問を重ねる。
「じゃあ、他に手の打ちようがないっていうのはどういうことですか? いくら許せないとしても、牢屋に閉じ込めておくなり、何なりあるじゃないですか」
「それが出来れば苦労はしないんですけどね……」
「……どういうことですか?」
再び苦い顔。
眉をしかめるヘタレさんに首を傾げ、考えてみる。
出来れば苦労しない。――牢がないから? いや、でも、その気になれば作ることはできるはずだ。それをせずに殺すなんて、そんな惨いことをリルちゃんがするはずはない。
そんな僕の疑問に答えるためか、ヘタレさんは、長いため息を零した。
「サタンだって誰かれ構わず唆しているわけではありませんから。それなりに魔法を使える者、殺しの経験がある者、呪道に堕ちた者……そんな奴らが大人しく牢に捕まっていられると思いますか?」
「あ……」
それも、そうか。普通の牢じゃ意味がない。相手が手練れなのならば、特に。
見かけ倒しの牢など簡単に破ってしまうだろう。
「牢に特殊な技巧を施そうといったって、そういう技術は地底国の方が優れています。魔王様の魔法ならば捕らえていることもできるでしょうが……それで倒れてしまっては元も子もないでしょう」
嘆息。それこそ本末転倒だ。
だから、殺す。それは確かに取るべき選択だったのかもしれない。民を守るためには。
でも――。
「……だからって殺すのは……やっぱり、違うと思うんです」
違和感。罪悪感。背負う痛みとか。
そんなものを守り続けるのは、少し、違う。
僕の偽善かもしれない。でも、そんなもの、脆弱を立てているにすぎないから。
僕の言ってることは、甘い理想でしかないけれど。
「私が言うのは全部、現実も何も知らない傲慢な妄想です」
膝の上で握り締めた手で、もっと強く爪を立てて。
「だけど、それでも……偽悪を守り続けるよりは、きっといい」
はあっと深い吐息とともに、言いたかった言葉を、ようやく吐き出した。
そんな僕を見て、ヘタレさんはふっと目を細める。
「……それでは、勇者さんに、もっといい案があると?」
「いい案……とは、とても言えないと思いますけど」
どころか、多分愚策と言っていいような下らない案だ。子供の幼稚な妄想のような、そんな。
それでも僕は、あえてそうしたい。
だからぐっと逃げたくなる衝動を飲み込んで、言葉にした。
「その、罪人を捕らえる役を――私がやります」
ヘタレさんの鮮やかな桃色の瞳が、大きく、見開かれた。
「……本気、ですか?」
「冗談でこんなこと言いません。魔王様は倒れたら困るし、ヘタレさんも忙しいんでしょう?」
あくまで真面目に言うが、ヘタレさんは驚いた表情を消さないまま僕を見ている。
困惑。そんな色も見て取れて、僕じゃ力不足かと一瞬落ち込みもするが。
「やらせて下さい。――お願いします、このまま何事もなかったように魔王様と接するだなんて、私にはきっとできない」
顔を俯ける程度に僅かだけれど、頭を下げる。
僕だってもう聞き分けのないような年ではない。ある程度の大人の事情も、分かってはいるけれど。
「死刑が駄目だとか、そんな……正義に溢れたようなこと、言えません。だけど、親しい人が、誰かを殺すのは辛いですから……」
それが今さらであったとしても。
言わずにはいられなかった。子供のわがまま。そう嘲笑われたって、仕方がないだろう。
だけど僕は辛いんだ。リルちゃんの手が、優しい君の手が、血や恨みに汚れてしまうのが。
「……相当な魔力を消耗するんですよ?」
「分かっています」
「貴女が倒れるかもしれませんよ」
「負けませんから」
「逃がしたりしたら、責任は倍になって返ってきますよ」
「覚悟しています」
「しかもその責任を背負うのは、貴女だけじゃない」
「……それでも」
それでも、僕は。
「僕は勇者です。――僕にも僕なりの、意地がある」
守られてばかりじゃいられない、ってこと。
だから頭を上げて、ヘタレさんの目を見据え訴える。
僕だって二人を――守りたい。それがどんな形であれ。
どうかこれを、二人だけの戦いにしないで欲しい。
「……分かりました」
ふう、とヘタレさんがため息とともに、そう一言零した。
一瞬のち、ヘタレさんが何を言ったのか理解し、僕はぱっと顔を上げる。
「ほ、本当ですか!?」
「本当は心配なんですけどね……、勇者さんってば魔王様に負けないくらい頑固ですから、どうせ止めたって聞かないでしょう? それに、恥ずかしい話ですが正直、他に頼れる人もいないもので」
やれやれと肩を竦め、ヘタレさんは呟いた。呆れたように、だけど眼差しは優しく。
――ああ、よかった。
僕でも、二人の力になれる。それだけ。嬉しくて、つい顔が綻んだ。
「でも、無理はしないで下さいね? 何があっても、どうか、これだけは約束して下さい。勇者さんまで倒れたりしたら、それこそ面倒です」
「はい! ありがとうございますっ、ヘタレさん」
「しいて言うなら呼び名を直して欲しいですがあえて何も言いませんね。あともう一つありがとうだけじゃなくて大好きって言ってくれれば」
「ヘタレさん大好きー!」
「……っ、本気で言ってくれるとは……呼び名が直っていないのはこの際スルーすることにします」
ヘタレさんは何だか幸せそうだ。でも僕も幸せなので放っておく。
二人の力になれるのなら。大丈夫、僕は頑張れる。
たとえ今までが、どうであったとしても。
「魔王様には私から言っておきますよ。まあ、当然止めるでしょうが……何とか説き伏せておきます。こうなったら汚い手でもにんじんでも何でも使ってやりますから」
「ありがとうござ……います? ……うん」
にんじんって。
若干呆れる僕に、ヘタレさんは人差し指を立てた。
「あと一つ。一度でも倒れたりしたら、すぐやめさせますから。――私も魔王様も貴女を心配しているってこと、忘れないで下さいね」
厳しい口調で言いつつも、その声音は優しい。
僕はこくんと頷いた。分かってる。ヘタレさんもリルちゃんも、いつも心配してくれてる。二人はすごく、優しいから。
「だけど……私も、ヘタレさんや魔王様を心配してるってこと、忘れないで下さいね?」
だからこそ、僕は微笑んだ。
ヘタレさんも、一瞬虚をつかれたように目を丸くしたけれど、その後に優しく微笑んで。
「分かっています。大丈夫ですよ、私は自分に無理をさせないような奴ですから」
「……で、しょうね」
言って、声を上げて笑う。
嘘。だけど聞いてて心地のいい、冗談だ。
うん。……大丈夫。壊れてなんかいない。
優しいふりなんて、優しい人じゃなきゃできないんだよ? ねえ、リルちゃん。
間違った過去があっても、それを変えることはできないけれど。
未来なら変えられる。今笑うことなら、できるから。
だから僕らは、過去を悔やむんじゃなくて、未来のために、今を生きていこう。
(君の優しさを悔やむことはない。王としての決断を、恨むこともない)
(だけど、少し――)
(一瞬でいい。心の底から、笑ってみませんか?)
シリアスだとヘタレさんが苦労性。でも幸せそうなのでいいことにします。
うーん、何だかんだで前向きに向かいつつありますね。作者の性格か。
でもここで終わりはしません。そんな簡単な問題でもないみたいです(´・ω・`)
次回は魔王様とか影とか云々とか。……そろそろ影に名前付けてあげなきゃ(´Д`)
作者がローテンションなためにいまいち盛り上がりませんが……
……うん。次回頑張ろう(←おい)
とりあえず一人称僕の毒舌キャラと一人称俺の苦労性君が好きです(*´∀`)ノ(←聞いてない)
多分そこから影とディーゼルが来たんだなと今さら気付きました。遅い。
勇者は多分偶然の産物だと思います。
勇者「え、ちょ、それねえよ作者」
あと強気な女の子が好きです。ツンデレとは少し違います。そこからコメットが来たんだと思います。
やっぱり勇者は偶然の産物だと思います。
勇者「おい作者」
それでも勇者は偶然の産物だと思います。大事なことなので3回ほど言わせて頂きました。我が生に悔いなし。