第98話 阿修羅、修羅
「はうっ、幸せぇ……」
キナは言葉通り、幸せそうなため息を漏らす。
その腕を、恋人にするように愛おしげに、リルちゃんの首に回しながら。
「私今なら死んでもいいかも! この生に既に悔いはなしっ!」
そして右手でガッツポーズをしながら、意味不明なことを漏らす。……あの子大丈夫かなー頭とか。
ていうか個人的には後ろで見てるアレスの視線が痛いんですが。後頭部に突き刺さりそうなほどの勢いで見てますよキナさん気付いてますか。そのままだとリルちゃんがアレスの視線に射抜かれて殺されます。
「……あの、そろそろ離れてくれると……嬉しい……」
ほらリルちゃんも困ってる。と思いつつも、僕は何も言わない。
だってやめて欲しくないし。正直僕はこの状況をもうちょっとエンジョイしていたい。何故ならば。
リルちゃんが(キナの)前言通り、獣耳即ち猫耳を装着しているのです!
「……アレスの視線は痛いし確かにリルちゃんは可哀想だけど……そんなものは小なりっ。猫耳こそは萌えの原点!」
「聞こえてるぞレイ。お前下手したらあのヘルグとかいう奴よりも危ないよな」
「え、ええ!? 私そんな危なくないよ!?」
「……自覚がない分性質が悪いな……」
何だよそれと思いながらもリルちゃんをじーっと凝視する。……可愛いっ。
キナの気持ちも理解できる。このまま死ねたら最高だ。死なないけど。
身長は無駄にあるくせに顔だけはありえないほど幼いというアンバランスさがまた――えーと、以下自主規制。
「次は犬耳ね! はい」
「…………」
そしてキナはもっと容赦がない。エンジェルスマイルのままで犬耳セットを差し出した。ええいこの暗黒神め、けしからんもっとやれ。僕が許す。
――けれど、そう思ったのも束の間。
「……キナ」
……残念、時間切れのようです。
がたりとわざとらしい音を立てて、椅子からとうとう阿修羅様ことアレスが立ち上がりました。あ、声が怖い。声が底冷えするほど怖い。
いつもは口下手ながらも温和なアレスさんですが、こればかりはついに臨界点を突破したのでした。
何がなんて聞くまでもない。アレスにだって男としてのプライドとか支配欲とかあるのだ。多分。
「……その辺にしておけよ?」
「ええー、でもー」
けれどテンションの上がった暗黒神様は一回の忠告じゃ聞こうとはしない。でもーって。子供の言い訳か。
睨み合う二人……いや、睨んでるのはアレスだけか。
あ、リルちゃんが逃げた。そして僕の後ろにさっと隠れる。身長が身長なので隠れ切れてませんけども。
「……あの二人、怖い」
でしょうね。
「いいじゃない、可愛いものは正義だわ。可愛いは正義! 全てはそれで許されるのよ!」
無茶苦茶な持論を持ち出して反撃する暗黒神様。
ていうかどういう。……いや、僕もそう思うけどね?
僕の後ろに隠れてるリルちゃんが完全に怯えているのです。あ、猫耳も震えてる。可愛い。
「――……」
対して阿修羅様は、それ以上何も言わない。ただ寡黙に口を結んだまま、じっとキナを見つめている――否、睨んでいる。完全に怒っているようだ。手遅れ……らしい。
あーあ、と僕は思った。
アレスが怒るのは、とても珍しいことだ。正直何年も共に過ごした僕でさえ、10回と見たことがない。
ただ――その代わり、アレスが怒ったらとても手はつけられない。普段温厚な人こそ怒ると怖いという……分かっててやってますかキナさん? それともそれも天然ですか。後者だったら死にますよ。
「嫉妬なの? アレス」
おおっとストレートに本音をぶちまけた暗黒神様ァァァァ!
眉をひそめるアレスに、くすりと笑うキナの気が知れない。死ぬ気ですか貴女!
憮然とするアレスも手に汗握る僕も、全く意に介さずにキナはふわりと微笑んだ。
「大丈夫よアレス、私レイ君とアレスが一番好きだから」
「っ!」
お、アレスが赤くなった! まさかの形勢逆転か!?
そうだよねだってアレスのは嫉妬だもん! そんなこと言われたらどうしようもないよね! まあ僕の名前が一緒に入ってるのが微妙に気になるけど!
そしてキナはとどめに入る。件の天使の微笑みを顔いっぱいに湛えながら、
「アレスだいすき!」
キナはぎゅーっとアレスに抱きついた。アレスもむーと紅潮した顔を微かにしかめながらも、抱きついてきたキナをぎゅーと抱きとめる。
結局は相思相愛ということだ、うんうん、よかったね。
…………。
……これ、見せつけられてる僕らの立場はどうなるんだろうか。嫌がらせ? どういう嫌がらせですか?
「……。……魔王様、こうなったら私たちもハグ」
「いや」
断られた。
ちぇー。そうですかー。ですよねー。いいもんいいもん。猫耳リルちゃんを拝めるだけで満足だもん。なんて、ちょっといじけてみる。
そんな僕に少しだけ困った顔をして、リルちゃんはそっと目を逸らした。
「……一回、だけなら」
ぎゅー! もう何この可愛いの!
ああもう神様、僕今なら死んでもいいです!
◇
すっかり冷えた廊下を歩きながら、ちらりと隣を歩く横顔を盗み見る。
相変わらず揺らぎもしない視線。寡黙な唇がぎゅっと引き結ばれ、ただ前を見据え続けている。
「……思えば、こうやってアレスと話すっていうのも久しぶりだね」
僕はぽつりと呟いた。沈黙に潰されそうになったせいでは決してない。
時折僅かに苦渋の色を浮かべる瞳が、見るに堪えなかったせいだ。
「……アレス?」
けれどアレスからの返事はない。
何かを怒っているのか――それとも返事をする余裕さえなかったのか、僕は不安に駆られアレスの顔をじっと覗き込んだ。
「――近い」
「え、あ、ごめん……」
アレスはふいと視線を逸らし、それだけ呟いた。
どうしよう。怒っているのかもしれない。けれど、さっきのおふざけ以外で思い当たることなんてなかった。さっきはさっきで、解決したはずだし。――だけど。
再度謝ろうかどうか悩んでいると、アレスは顔をそむけたまま、ぽつりと言葉だけを落とす。
「……俺は……キナ以外の女に、耐性はない、ぞ?」
震える声の紡ぐ言葉。
予想しない答えに、僕は思わず咳き込むように噴き出した。同時に、アレスは耳までかあっと真っ赤になる。
「あは、あははは! そ、そういうこと……っ?」
「……笑うなよ」
むすりと告げる声。だけどさっきのような不安はもう既にない。
ああ、やっぱり僕の知っているアレスだ。面白い――なんて、彼に失礼だけど。僕はからから笑って、おどけてみせる。
「コメット美人だもんねえ。惚れた?」
「……惚れたらキナに殺される」
「それもその通りで」
笑顔のままで首の骨とか砕き折りそうだ。暗黒神様ですから。
だけどそれすら想像するだけでおかしくて、僕はまた声を上げて笑った。
「ていうかキナ以外の女って、そもそもキナを女の子だと思ってないだけでしょ?」
「……それを言ったらそれこそキナに殺されるだろ」
「楽に死なせてはもらえないね。この世に存在するありとあらゆる苦痛を知ることになるよ」
それは嫌だ、と苦々しげに呟くアレス。この会話が聞こえていたなら、多分僕の命もない。
けれどそれはそれでキナらしくて、アレスはアレスで彼らしい。
僕は昔とまるで変わらない旧友に、零れそうになる笑みを噛み殺した。
――ああ、この感じ、すごく懐かしいなあ。三人で旅をしていた頃と何も変わらない。危険な旅の中でも笑っていられたのは、彼らのお陰だ。
思い出して懐かしくなる。胸のあたりがきゅうっと切なく締めつけられる感覚に、僕は天井を仰いだ。
「……キナは、何て言ってた?」
ぽつり、とアレスが呟く。
それだけでは意味の分からない質問だが、僕はあえて聞き返したりしない。
ただ目を細めて、昨日のキナの泣き顔を思い出す。
「――ずっとここにいられればいいのにね、って」
「……そうか」
アレスは微苦笑を浮かべ、小さく嘆息した。
彼は誰よりも一番に、キナのことを思っている。――心配なのだろう。
それは心配という一言では済ませないほど、まるで自分の苦しみのように、ずっと悩んでいる。
大切な人だから。……彼は、そう言うけれど。
「せめて、あいつだけでもここにいさせてやりたかった」
ぐっと、唇を噛んで唸る声。
ああ、お人好しだ。僕は思う。
リルちゃんの言ってた通り。
彼らはお人好しだ。傍目には気狂いにすら映るほど。それがまた――歯痒くて、仕方がない。
「言い出したのは、キナなんだ」
「……何を?」
「――消えたくない、って」
ふっと淡く微笑む。きれいだ。屈強の戦士が、ひどく儚く思えるくらい。
「だけど俺はな、それに同意するより先に――『こいつを生かしてやりたい』と思った」
自己犠牲。そんな言葉よりももっと純粋な。
彼は自分を犠牲にするなんて全く思っていない。ただ、幸せになって欲しい――と願っているだけだ。
それが脆すぎて。
それが儚すぎて。
手が届かない幻想だとは、誰もが知っているのに。
「もしもあいつがどうしても望むなら、俺は人だって殺せるだろう」
ほんの僅かの狂気と、確固たる決意。アレスは言いながら、足を前へと進めた。
別に彼は嘘をついているわけではない。そして多分――狂ってしまったわけでもない。
誰もが奥底に孕んだ狂気を、凶器へと変えただけだ。
幻想に惑わされたわけではない。守りたいものを守るだけのことなのだ。
だけど。――だから。
「悪いが――」
こつりと廊下に響く音。床を打つ固い音が反響する。
「俺はお前と、道を違えてしまったらしい」
目も逸らさずに。前を見据えたままで、アレスは告げた。
僕は黙って天井を見上げる。足は依然、止めないままで。
冷たい声だと僕は思った。アレスらしくない、突き放すような声音だと。
「……それでいいんだと、思うよ」
だけど僕は言う。思ったことを、吐息と一緒に吐き出すように。
「いつまでも同じ道を歩んでいけるわけじゃない。キナを守りたいと思う気持ちは、多分、アレスの中の真実なんだと思う」
「――否定、しないのか」
しないよ。呟く。
僕にはそんな権利はないでしょうと、言いかけた言葉は呑み込んだ。そんな言葉はいらないから。
「人を好きになるのって、素敵なことだと思うよ。私は正直魔王様のことを恨んでた」
何度も恨んだ。僕は。
思い出しながら、切ないような、苦しいような気持ちになる。
「影に唆されて、私は、恨んだ……」
全て。全部。世界を。
あの時の僕は――気が触れていたんじゃないかとさえ思う。だけど今だから、思えること。
「でも私ね、やっぱり魔王様のことが好きなんだ」
ふふっと微笑む。
ああ、好きなんだな――って思う。何度も思った。僕は。魔王様が好きで、仕方なくて。
恨んでしまったこともあったけれど。だけど、ね。
告げる僕を、アレスは眩しい時にするように目を細めて見た。
「それとおんなじでしょう。アレスはキナが好き。だからそう思うのも、すごく自然なこと」
だから僕も笑う。
指を組み合わせて、ゆっくりと腕を伸ばしながら。
自然なことなんだよ。
人を思うが故になんて、普通のことだ。ただそれが、人より強いというだけで。
「ね。だからアレスはそのままでいいと思う」
「……レイ」
「勿論本当にヘタレさんを殺そうとするのなら、私が何としてでも止めてみせるけど」
ね、と。
最後にそれだけ付け足して、ぴっと人差し指をアレスの胸に突き付ける。
そうして笑えば、アレスも力なく笑った。
「――強いな、お前は」
――強い?
え、と僕は聞き返す。
力なく吐息と吐き出された言葉は、予想外のものだった。
「強くなったな。あの頃よりずっと」
ぽんと、大きな掌が頭を撫ぜていく。思わず頭を持ち上げると、アレスは笑みを深めて。
「どうやらお前だけが生き残ったのは、悪いことばかりではなかったらしい」
「――え?」
どういうことかと目を瞬かせる。含みのあるその言葉に。
けれどアレスはそれには答えずまた歩き出し、大きな背中ばかりを僕に向けた。
「安心した。これでキナも今度こそ、心配せずに眠れる――」
ひらりと手を振って。
廊下の角へと消えていく影。
――僕は動けなかった。強気な言葉を告げたばかりなのに。
眠れるなんて、言わないで。
僕を一人にしないで。
まだ隣で、笑っていて。
言えない言葉ばかりが、僕の横を、風のようにすり抜けていく。
残されたのは、あと一回太陽が昇って沈むまで。
全ての言葉を告げるには、少し時間が少なすぎる。
「……言えないよ」
だって僕は強くない。
だって僕は、アレスもキナも好きなんだよ?
勇者は相変わらず後ろ向き。ええいお前なんて後ろ向きに歩いてればいいんだ。
あ、皆様人気投票へのご協力ありがとうございます!
予想以上に多くの方々が投票して下さり、嬉しい限りです^^
それにしても予想通りヘタレさんは勇者を抜かしてぶっちぎりですが(と言っても2票差か……!)
まだ投票は受け付けておりますので、宜しければ御参加下さい!
えーと、以下返信。いくつか取り上げさせて頂きます。
>魔王様が萌えるんです悪いですか。
全然悪くないです! むしろそう思った貴方は是非作者とお友達に(自主規制)
ヘタレさん支持率が圧倒的に高いと思っていたので嬉しいですっ。
>あの方が生きているだけで僕は幸せです(((
こら待て。作者の某友人様ですか貴方は。ヘタレ信者め、サタンにも入れやがって。
人違いだったらすみません、その場合は作者がジャンピング土下座で謝ります。
>ルーダさんと害虫さんのブラKo弟や妹をとても愛していらっしゃるところvV 同じ長子として見習いたいです(笑)
み、見習ったら弟さんや妹さんに嫌われてしまいますよ!(笑)
あの愛し方は異常です。でもあんな好かれない奴らに票をありがとうございます……っ!
>ヘタレさんの変態ぶりが神だから
う……複雑な気分です。でも投票ありがとうございます、ヘタレさんよりも変態と定評のある作者が直にお礼を(自主規制)
やっぱり変態は好かれる時代なんですねー。不思議です。かくいう私も変態さんが好きです。
えー、勝手に取り上げてしまい申し訳御座いませんでした!
皆様ありがとうございます^^これからもどうぞ宜しくお願い致します!