プロローグ
轟くような爆発音が響き、周囲のものは音を立てて全て吹っ飛んでいく。
風が起き、風に舞う砂埃が起き、あらゆるものが散り、同じように壁まで飛ばされた小さな身体は、へたりとその場に沈み込んだ。
「その程度か?」
そんな様子を嘲笑うように言うその声の主は、全てを塵に変える爆発の中、まるで無傷のまま凛とその場に立っていた。
恐らく爆発を起こしたのは彼なのであろう――全身、闇にも似た漆黒のローブで包まれた男。
その視線の先には、冷たい床に投げ出された傷だらけの青年がいる。その青年の、綺麗に整っていたはずの顔も、今は無残に傷付けられ見る影もない。
そしてどうやら、血で汚れているのは顔だけではないらしく、全身にその小柄な身体では受け切れないほどの傷を負っていた。
満身創痍。
その言葉がよく似合う、ひどく危うい状態。それでも彼は、起き上がろうとしていた。
傷だらけ。血みどろ。死にかけ。そんな、ボロボロの状態で。
果たして彼の命もいつまで持つものか――。それはまだ解らない、が。
このままではあと少し、何分と持たずに、彼の身体が己の血で紅く染まっているであろうことだけは確かだった。
「……僕は、お前を倒さなきゃ……いけないんだ……!」
それでも声を振り絞り、深い傷を抱えながらも立ち上がる青年。
深い蒼の瞳には、強い意志が宿っている。
灼熱の血で染められていく中、世界が燃え上がっていく中で、その瞳だけが涼やかな強さを秘めていた。
「ほう、まだやるのか」
微かに余裕の笑みを浮かべ、闇を纏った男はすっと白い手を差し出す。
それだけで轟音とともに強い風が起き、青年はまた壁に叩きつけられた。
ごとん、鈍い音に伴って、小さな身体が崩れ落ちる。
青年は咳とともに鮮やかな赤い鮮血を吐き出し、息ももう絶え絶えだ。それでも、青年はまた立ち上がった。
もう、動くことも困難であろう身体で。一人、敵に向かうため。
「……お前との戦いに散ったアレスのためにも、お前を憎みながら死んでいったキナのためにも、お前のせいで苦しんでいる人々のためにも……ッ!」
白銀に光る剣を空高く掲げて、彼は走り出す。
「僕は戦わなきゃいけないんだっ!」
ローブの男に、向けて。
「甘い」
ぶわっとまた風が起き、青年の痩躯は瞬く間に飛ばされる。
今度は先程よりも強く壁に叩きつけられ、彼は床に落ちた後倒れたままぴくりとも動かなくなった。
その線の細い身体からも、生気が徐々に蒸発するように、色が消えていく。
「もう、終わりか。人の命とは儚いものだ」
男がせせら笑うように言うと、青年は震える青い唇をぐっと噛んで男を睨んだ。
それでもその投げ出された腕が、床に転がった剣に届くことはない。
「……僕は、何のために……ここまで来たんだ……? アレス、キナ……お前たちは、何を思って死んでいった……?」
透き通ったサファイアの瞳に、大粒の涙がたまる。
あまりにも綺麗で透明にきらめくその雫は、彼の頬を伝い、闇を縁取る床を浄化するように落ちた。
アレスやキナというのは、彼の仲間のことだろうか。
とうに尽きた――此処の床に、青年と同じように転がった骸は、かつては彼の戦友だったのだろうか。
「所詮、泡沫の夢だ。人間の命など、そこらの石ころとそう変わらないだろう? 生まれて死に、それだけのこと」
「魔王という存在だって……同じはずだ。……名ばかりの王、破壊しかできない……そんな、生き物だろう?」
噛みつくように、震える顔を上げる青年。
名ばかりの王。破壊しかできない――。
そんな言葉にローブの男は、曖昧に笑って青年のそばに膝をつく。
「勇者。お前は、お前と同じ人間という生き物に踊らされただけだ。お前には、魔王という存在の何が分かる? それは悪だと言い切れるのか? 魔王が一体、お前たちに何をした?」
「……分からない……僕は、たぶん、踊らされていただけかもしれない……でも、僕の仲間を傷付けた以上、それは僕にとっての、敵だ」
迫り来る死神を目の前にしてなお、強い光を失わない青年の瞳。
その瞳を見据えた男は、ふっと何処か寂しそうに笑って滑らかな白い手を青年の胸に当てた。
それが何を意味するのか。男は今何を、しようとしているのか。
青年にとっては――解り切ったことだった。
「お前とは、違う形で会っていればよかったな。……が、もう終わりだ」
死ぬと分かっても、青年は足掻きはしない。その瞼を閉じることすらしなかった。
ただ、何かを見つめて、儚げな微笑を浮かべる。それは自嘲の笑みにも、よく似ていた。
「せめて――この生命が無駄じゃなかったんだと、知りたかったなあ」
ぽつりと呟いて、青年は果てた。
『勇者』と『魔王』の戦いとしては、あまりにも静かな終わりだった……。