インテンの小説技法基礎講座⑦「一人称三人称のメリットデメリット②~注意点及び応用~」
その⑦です。
インテンの小説技法基礎講座⑦「一人称三人称のメリットデメリット②~注意点及び応用~」
今回は具体的な内容を書いていく。
まず最初に前置き。
次に注意点。
そして物語として作るときの応用法(つまりは基本にとらわれない手法)。
これらを書いて、一人称と三人称のメリットデメリット編を終わりとする。
では早速書いていく。
まず最初に前書きである。
注意点というよりは常識……前提となる部分を書いていこう。
まず最初に、一人称でも三人称でも、共通してやってはいけないことがある。
それは「読者を(悪い意味で)裏切ること」である。
これは「物語として」やってはいけないことであり、これをしてしまった瞬間、その物語は物語として終わってしまう。
これが自己満足の小説なら問題ないが、なろうに投稿したり、公募に出したりする以上、最低限の常識である。
では具体的にどういうものが「(悪い意味での)裏切り」になるのだろうか?
すべてに共通して言えるのは、「矛盾」である。
「物語として矛盾」してしまったら、それは物語ではなくなる。
ここが実は難しいところで、書き手にとっては「矛盾」ではなくても、読者にしたら「矛盾」になることがある。
「作者が伏線にしたもの」が、読者が読んで「矛盾になった」なんてことはよくあるのだ。
これは「物語」を「人が作っている」以上、必ず出てくる。
大きな原因の1つとして、「作者」と「読者」が「別人」ということがあげられる。
これはつまり「作者」と「読者」の知識や経験、考え方などが異なるということだ。
「作者」が物語を作る以上、基準は「作者」にある。
しかし「読者」が「作者」の基準に達していることなどほぼ皆無なために、この「矛盾」がうまれるわけだ。
極端な例を出すと、「大学生が作った数学の問題」を「小学生はとけない」ということだ。
作者の頭の中には基本的に、「書ききれていない部分」も含めた「その物語の世界そのもの」が存在している。
つまりは「作者の当たり前」が「読者の当たり前」ではないということだ。
実はここをわかっていない作品はよくある。
簡単な例を出してみよう。
────────────
例①
タイトル
世界最強の魔法使い
あらすじ
俺は世界最強を継いだ魔法使い。
この世界で俺に勝てる存在はいない。
厳しく長い修行の果てに師匠を倒した俺は、師匠から世界最強を継いで旅に出た。
これから世界を旅してまわり、自由気ままに生きてやる!!
待ってろよ世界、俺がお前を楽しんでやるッ!!
一話
「俺が……負けた!?」
師匠の所から東へ旅してきた俺は、たどり着いた大きな街でその力を使ってお金を稼ごうとした。
門番にこの街で一番金になる仕事を聞き、闘技場という場所でトーナメントに出ることにしたのだ。
「何ポカーンとしてるんだ? 無魔法なんてザコ魔法しか使えないお前が、火魔法を使える俺に勝てるわけないだろッ!?」
火魔法……だと? それは魔法……なのか?
「さて、と。そんな力でトーナメントなんて出てきたおバカさんに、トドメをさしてやるよッ。死にな」
「ぐわぁぁぁぁぁ」
俺はトーナメント予選一回戦の相手が放った「火魔法」という力で、圧倒的な敗北を経験した。
────────────
こんな作品があったとする。
この例、物語としてどうだろうか?
恐らくほとんどの読者は、タイトルとあらすじから想像した物語との差に、読む気をなくすだろう。
一部、「こういう逆境が好き」みたいな読者もいるかもしれないが、そんなニッチを狙うよりも健全な努力をした方が圧倒的に早い。
では具体的に、どのようにすれば良いのだろうか?
上を少しだけ変えた、例文を書いてみよう。
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例②
タイトル
やがて世界最強の「無」魔法使い
あらすじ
俺は世界最強を継いだ魔法使い。
この世界で俺に勝てる存在はいない。
厳しく長い修行の果てに師匠を倒した俺は、師匠から世界最強を継いで旅に出た。
これから世界を旅してまわり、自由気ままに生きてやる!!
待ってろよ世界、俺がお前を楽しんでやるッ!!
この物語は世界最強の「無魔法」を受け継いだ俺が、やがて真の意味での「世界最強」に至る物語。
「無魔法(最弱)」で「属性魔法(最強)」を打ち破る英雄譚。
「やがて」世界最強の「無」魔法使い。
俺が世界を変えてやるッ
一話
「俺が……負けた!?」
師匠の所から東へ旅してきた俺は、たどり着いた大きな街でその力を使ってお金を稼ごうとした。
門番にこの街で一番金になる仕事を聞き、闘技場という場所でトーナメントに出ることにしたのだ。
「何ポカーンとしてるんだ? 無魔法なんてザコ魔法しか使えないお前が、火魔法を使える俺に勝てるわけないだろッ!?」
火魔法……だと? それは魔法……なのか?
「さて、と。そんな力でトーナメントなんて出てきたおバカさんに、トドメをさしてやるよッ。死にな」
「ぐわぁぁぁぁぁ」
俺はトーナメント予選一回戦の相手が放った「火魔法」という力で、圧倒的な敗北を経験した。
────────────
これならどうだろうか?
おそらくこれならば、読者は今後に期待して読み続けてくれるはずだ。
この例①と例②の違いは、「作者が出している情報の量」である。
一話は変わっていない。
変えたのはタイトルとあらすじだけである。
つまりは例①では「作者の知識(主人公は無魔法の世界最強であって、本当に世界最強ではないなど)」を書いていないため、「読者の印象(俺ツエー系最強もの)」ではないと感じた読者が、「(悪い意味で)裏切られた」と感じるわけだ。
このように、「読者にしっかりと伝えていない」ことで齟齬がうまれ、(ある意味)勝手に失望してはなれられてしまうのだ。
これは以前書いた「マイナスをプラスで上書きする」にも言えるし、「作者が伏線としたもの」を「読者が伏線と思わなかった」なんて理由で起きることもある。
ここで言えることは、「作者」は「読者」に対して伝える……つまりは物語を書く時に、「しっかりと噛み砕いた上で飲み込みやすいようにする」ことが大切となるわけだ。
これは加減が難しく、「噛み砕きすぎる」と「先の展開をよまれてしまったり」する。
しかしこれも以前書いたが、「面白いものは面白い」のだ。
先がよまれていたって、「物語として面白く」作っていれば、相手はちゃんと「楽しんで」くれる。
本当に面白い作品は、何度読んでも面白い。
つまりはネタバレされたり先がわかっていることと、「物語としての面白さ」は違うと言うわけだ。
少し長くなってしまったが、ここからは具体的な注意点を書いていこう。
まずは「一人称」である。
前回、一人称は「主人公になりきって楽しむ」ものだと書いた。
ではこの「主人公として楽しむ」ための注意点とはなんだろう?
これはズバリ「主人公になりきれない」ように書かないということだ。
例えば「主人公よりも敵の方が魅力的」だとか、「読者と主人公がかけ離れている」などがある。
「主人公より敵が魅力的」だと、「主人公になりきる」より「敵になりきりたい」と読者が感じてしまうかもしれない。
ヒーローもので出てきた悪役が人気になって、スピンオフが作られた……なんて話は、わりとよくある。
二次創作ではほとんどその悪役が主人公になっていたり、つまりは「主人公をくってしまうキャラ」をなるべく出さない方が良いと言うことだ。
しかし一人称小説の場合、敵は強大で魅力的なほど、作品としては盛り上がる。
このさじ加減が、書き手の腕のみせどころである。
また、「主人公が読者と、かけはなれている」場合、「読者が主人公に入れなくなる」ということが起きる。
物語で高校生や大学生がよく使われるのは、「読者が一番想像しやすい」からであり、同時に「作者も想像しやすい」題材だからだ。
誰もが経験のある「学生時代」を主人公にすることで、読者と作者の「垣根」や「差異」を少なくするわけだ。
現代日本において、「高校時代」を経験しない人は、皆無に等しいと思う。
つまりは「読者向け」に書こうと「最適化」されたことにより、「高校生主人公」が多くなったわけだ。
では次に「三人称」についてだ。
前回三人称は、「神視点で客観的に描く」ものだと書いた。
この「客観的」とはすなわち、「事実の羅列」である。
具体的に言うならば、「○○と思う」や「○○かもしれない」ではなく、「○○だった」や「○○なのだ」と言う「断言できること」である。
例えば推理ものを例に出すと、主人公(探偵)が現場を見て一言。
「あの人が犯人かもしれない……」と言ったとする。
これは実は「三人称」では「してはいけない」ことなのだ。
何故ならこのセリフはつまり、「主人公の想像」であり、「事実」ではないからだ。
……ではこの場合、主人公に同じようなことをさせたければどうすれば良いか?
同じ場面で別の例えを書いてみよう。
先ほどと同じく、現場を見て一言。
「やはりそうか……。犯人はあの人だっ」と言ったとする。
さてさて、難しいところだが……正直ギリギリダメだろう。
何故ならば、「主人公」の「断言」ではあっても、「事実」とはなっていないからだ。
では最後に、この場面で一番「三人称」として正しいセリフは何だろうか?
もう一度同じ場面で考えてみよう。
やはり現場を見て一言
。
「謎はとけた。どうやら私の予想は当たっていたね……。証明のためのピースは揃った。あの人が犯人だ」と言ったとする。
これならばどうだろう?
これはつまり、「主人公」が「想像」をもとに「事実」を示している。
一般的な三人称の探偵ものが、犯人をわかった時に言うセリフに似たものが多いのは、実はこれが理由である。
つまりは上のように書かないと、「三人称にならない」のだ。
なので「三人称の注意点」として大切なのは、「客観的に書けているか?」や「事実の羅列になっているか?」などを「きちんと確認」することと言える。
つまりは「読みなおし」が大切なわけだ。
……さてと、では最後に「一人称の応用」と「三人称の応用」について書いていく。
一言で「応用」と言っても、様々な手法がある。
「一人称と三人称をまぜる(場面で使い分ける)」や、「複数人の一人称で作る(つまりはメインキャラクター何人かの視点変更)」などの一人称の応用。
「三人称に一人称をまぜる(つまりは三人称一元みたいなもの)」や、「考察や語りをまぜる(つまりは普段の視点(神視点)とは別の視点をあたえる)」など、多種多様である。
これらを取捨選択することで、「自分の書く物語」に「適切」である「表現」を行う。
一見基本に見えるかもしれないが、基本をしっかりと行うことで、応用がいきてくる。
つまりは「基本=ハード」であり、「応用=ソフト」ということだ。
まずは基本性能をしっかりと高めてから、それに合わせてソフトを使う。
低スペックなハードなのに、いきなり高負荷のソフトを入れたら、破綻するのは当たり前だろう。
なので今回最後に伝えるのは、「地道な努力あるのみ」ということだ。
努力が必ず報われるとは言わないが、努力し続けなければ報われることも難しい。
自分にしっかりと自信をもって、創作に励んでほしい。
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