私の視る夢、昼の現実。
夢を視るのは好きだ。
起きている間には見れない物や、景色や、人と、出会えるから。
現実は何もかもが有限で、行きたい場所にも会いたい人にも会えない。
でも夢の中では、私は何にでもなれる。行きたい場所にも会いたい人の場所にも行ける。全てが無限に広がっている。
空を飛びたいと思えば羽根が生えて、飛ぼうと念じるだけで高い高い空へ舞える。冒険がしたいと願えば不思議な森にいて、手伝ってと語りかけるだけでどんな動物も従ってくれる。誰かに会いたいと望めば夢の中で、顔も知らない誰かと話す事が出来る。
もちろんそれは現実の世界じゃないんだって、私の頭が作り出した幻想だって、ちゃんと知ってる。
でも、それでも、全部が無限で魅力的なあの世界が、あの世界を視る事が、私は大好きなんだ。
だけど、昼に視る夢は、少し苦手で、嫌い。
昼の夢は、怖いから。
夢は現実じゃありえないものを視られるからこそ、酷い夢を視ても現実と混ざる事はない。現実と夢に区切りをつけられる。
でも昼に視る夢は、あれは、現実を酷く詳細に写す性悪な鏡だ。
朝夜に視る夢と現実は、何か大きな壁のような物でしっかりと区切られて、混ざらずに別々にそこにある。
昼に視る夢は違う。薄い膜一枚で現実と夢を隔てて、いつその膜が破れるかわからない。このまま夢を現実として引き込まれるんじゃないか、という恐怖が、心の底から広がっていく。
その感覚が、その感覚にさせる夢が、私は死ぬ程大嫌いだった。
夜の夢は長い。
一番長くて深い、気がする。
あと、たまに「これは夢だ」と気づける。
空を飛んでみたり、冒険をしてみたりする夢は、夜視る事が多い。
夜中に目が覚める時は、大抵怖い夢だ。幽霊や怪獣を「怖い」と認識して、それから逃げる夢。
「怖い」という事に気づかないままでいられたなら、どんな外見でもどんな事をしても、怖いとは思わないのに。
朝の夢は短い。
短くて、でも凄く大切な夢になる事が多い……気がする。
「これは夢だ」と気づきはしないけれど、その代わり自分が視たいものを視やすい傾向にある。でも、他の夢より忘れやすい。
あと……もっと視ていたい。続きは?というタイミングで大体覚めてしまう。そのまま朝の忙しなさに紛れて、いくら幸せな夢でも記憶の彼方へ飛んでしまう。残るのは、「幸せな夢を視た」という記憶だけ。
そして、昼の夢。
昼の夢は、ただただ現実がそこに横たわっている。これは、気がするじゃなくて、確信。
「これは夢だ」なんて気づかせてくれない。むしろ、夢の中で夢を視る。夢の中で眠って視た夢を「あれは夢だ」と認識はできるけれど、今自分がいるその場所を夢だと認識できはしない。
何か怖い物や人がいるわけじゃない。知らない場所にいるわけでもない。
ただ、起きては寝ての繰り返し。
いつ目を覚ませるのか、いつこの部屋を出られるのか、わからないまま全部繰り返す。
それも、昼寝場所に選んだ部屋が、そのまま夢に出てくる。電気をつけたまま寝たりしても、最後に見た景色がまったく同じ状態で反映される。せめて場所が違えば起きた時の恐怖が軽減してくれるのだが。
そして、その夢の中では、私は絶対に一人。夢の中で目を覚まし、起きようともがき、起きられずにまた眠り、目を覚まし、起きようともがいて、また眠って、目を覚まして、起きたいともがいて、また眠って、その繰り返し。それを全部一人でやる。最後に見た景色とまったく同じ場所、服装、温度で、私はまどろみから逃れようともがく。
いつまでも同じ部屋の天井を見続けて、次こそ起きられるだろうか、次こそこの夢は覚めるだろうかと思いながら、それでも変わらない景色に落胆して、また起きようともがいて眠って夢に閉じ込められる。それが現実だと思ったまま、現実だと思わせる程現実を模造した夢を視たまま、私は閉じられた輪の中で、もがく。
やっと目が覚めた時、私は、真っ先に枕元に置いた携帯電話を手に取る。もう眠らないように体を動かして、今の時間を見て、SNSで私以外の存在を確認して、夢の中のじっとりと絡みつくような独特の空気ではなく、現実の固くてさらさらとした空気を吸って、私はようやく安心できる。
そして、そのまま、部屋を出る。洗面所で顔を洗ってテレビをつけて、私以外の存在の声を聞く。しばらくその部屋には近づかない。
それでもまだ少し、何が現実で何が夢なのか、わからなくもなる。だってこの夢は、どこまでも現実に似ていて、まるでこちらが本当の現実だと言って引き込むようだから。
だから私は、昼に視る夢が苦手で、大嫌いだ。
それでも、今日もきっと視るんだろうと思いながら、昼の光の中で、私は目を閉じる。現実と夢の境界線が溶けてなくなる感覚に身を浸して、どっちつかずの世界で一人まどろむ。
次こそ現実に帰れるといいな。