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ベルメルスの勲章  作者: 有明
2/2

第一話 漆黒の青年


「いらっしゃーい」


「マスターお代わり!」


「ちょっと待ってな、何番席だい?」


「姉ちゃんつまみまだかつまみー」


「はいはいただいま!」


笑い声が絶えず漏れ聞こえるここは、『狩人の宴』。

ロアの外れにある小さなバーだ。

ガルドラから続く街道の、丁度国境辺りに建てられたこの店は、多くの人間の拠り所として愛されている。

国民を始め、商人や旅人、兵士、裏稼業の人間など、訪れる人種も様々だ。

その為、とりわけ他国の兵士や賞金稼ぎが情報を収集する場として度々利用されている。


チリンチリ…ン。


来客のベルが鳴った。

誰かが店に入ったようだ。


「いらっしゃーい…」


店員の声が響くと同時に、俄かに店内が静まり返る。

入ってきたのは、目つきの悪い若い男性だった。

男性、いや、青年と言うべき年頃か。

精悍な顔立ちではあるが幼さは若干抜けきってはおらず、成人して間もない印象が強い。

この店の年齢層からは、明らかに外れていた。

その事に気付いたのか、青年はぐるりと店を見渡すと、左程驚きもせずに小さくため息を吐く。


───またこれか。


そう呟いて、右手で頭を掻いた。

店が静まったのはその一瞬で、青年の呟きが終わる頃には店の活気は戻っていた。

好奇の目はまだ刺さるものもあるが、どうやら客人として迎えてくれたらしい。

店内を進み、忙しくジョッキを抱えた店員が歩き回る脇を通って、青年は真っ直ぐにカウンターへ向かう。


「いらっしゃい。何を飲むかね?」


「黒を一杯頼む」


青年はそう言って、カウンターに腰掛けた。


「あいよ。ちょっと待ってな」


マスターは注文を受けるとジョッキを出し、背後の棚に陳列してあった瓶の一本を手に取ると、栓を開けて中身を注ぐ。

液体の色は黒色。いい具合に泡が立ち、ジョッキの内側には気泡が立っている。

マスターはにやりと口の端を持ち上げ、青年の前にごとりと酒を置いた。


「ほい、黒、お待ちどう様」


黒、とは黒ビールのことだ。

ロアは土壌の質が良いため、麦などの穀物が良く取れる。

特に大麦は育ちが良く、そのおかげか、はたまた国王が代々酒好きだからかは定かではないが(寧ろ後者の方が強い気がするのは気のせいだろうか)、ロアではビール造りが盛んである。


「….うまい」


青年が呟いた。

あまり表情顔に変化はないが、彼の口にあったらしい。ジョッキの中身は既に半分空になっている。

マスターはそれを見るとハッハと笑い、


「気に入ったか?

ロアの黒ビールは世界一だからな。

俺なんか毎日飲んでる」


青年にカウンター越しに話しかけた。

それはいい、と、青年が呟きまた一口ジョッキを煽った。


「にしても珍しいな、この店に兄ちゃんみたいな若い奴が入ってくるなんてよ。

…それに、その髪と目じゃ目立つだろ?」


コトン…とジョッキが置かれる。

青年は目をビールからマスターへと移し、目線を彷徨わせながら気まずそうにぽりぽりと頭を掻いた。

彼が掻くその毛は短く、墨を流したように真っ黒だった。


そう。

青年が店に入った時に一瞬の間があったのは、彼の年齢、そして、彼の髪と目のせいだ。

どう見積もっても成人そこそこ、厳つい賞金稼ぎがひっきりなしに出入りするこの店に、青年ほどの若い連中が出入りすることはほとんどない。

それに加え、彼の黒い髪と目はこの辺りではかなり珍しく、滅多に見かけることはない。

彼の目つきが元来悪いことも手伝って、いろんな意味で注目を浴びてしまったようだ。


青年はしばらく黙っていたが、やがて口を開き、マスターを見て言葉を紡ぐ。


「目立つ。

が、これは俺が生まれた街の色だ。変えるつもりはない」


青年は少しだけ表情を崩し、笑う。

笑うと言っても、ほんの少しだけ口の端が持ち上がっただけだが、その表情は誇りを湛え、どこか哀しげな笑みだった。


「そういや兄ちゃん、どこの出身だ?」


マスターが青年に尋ねる。

黒目黒髪の人種はそう多くない。

マスターは興味津々と言った様子で青年に話を振った。

青年は少し迷ったように目を泳がせると、


「…ブラフだ」


と、ボソリと呟いた。


「ブ…ブラフだと⁉︎」


思わず大声を張りあげてしまう。

店中の客がマスターと青年の元に集まる。

先程嫌という程視線を浴びまくってしまった青年は、マスターの大声で店中がシンとしてしまった事に多少動揺したようだ。

焦って無声音で話しかける。


「マスター!声が大きい!

これ以上目立つのは勘弁してほし…」


「…」


「…はぁ」


途中まで言いかけ、そして諦めた。

店主は半放心状態で、彼の訴えは聞こえていないようだ。

その身体はカタカタと小刻みに震えている。

他の客も息を潜め、コソコソと何かを話している。


ブラフの街。

その街は、青年の言うように黒い髪と目を持つ種族が暮らす街で、ここから20キロほど西に向かったドーリアという小国にあった。


そう、あった街だ。

ほんの10年前まで。


たったひとりの人間に、そこに住んでいた人間諸共滅ぼされるまでは。


マスターがゆっくりと青年に目をやった。


「ブラフの生き残り…なのか?

あんた、まさか…」


マスターが言葉を継ごうとしたその時。


「…おいこら、てめぇ」


「ぶつかってきやがって、なんなんだ?あ"⁉︎」


店の外から怒鳴り声が聞こえてきた。

店内が静まり返っていただけあって、その怒号はかなり響いた。

声を聞く限りガラが悪そうだ。

外から殺気が流れ込んできた。


マスターがため息を吐き、カウンターから出て入り口の方へ歩いていく。

ドアを開けると、そこには数人の賞金稼ぎと、彼らに囲まれている一人の青年が尻餅をつく形で座っていた。



マスターのおかげでまた変な目で見られる羽目になってしまった。

やはり街の名を出すべきではなかったか。

少し後悔をしたその矢先のことだ。


店の外から怒号が飛んだ。

客が全員俺達に注目していたこともあったんだろうが、その声はやけに店の中に響いた。

無駄に強い殺気が店の中へ流れ込み、荒事に慣れない奴らは首を縮めている。

マスターが、カウンターから出て入り口へと歩いていった。

それにつられて店内の客の意識が徐々に外へと向いていく。

中には立ち上がって窓から外を伺うような、野次馬根性丸出しの奴も何人かいる。


俺は正直、こういった騒動には関わりたくない。

面倒だし、ちょっとしたことですぐキレるような輩は小者だらけだ。いちいち相手にしていたらキリがない。

マスターには申し訳ないが、この騒動は見物させてもらう事にした。

カウンターに座り直し、飲みかけのビールのジョッキに手を掛ける。

と。


ガシャアァァァァンッッ‼︎


「⁉︎」


派手な破壊音が起こったかと思うと、入り口のドアを突き破って誰かが店内へ吹き飛ばされ、ガンッという剣呑な音と共に背中からカウンターにぶつかった。


「ぐぁ…」


「マ、マスター⁉︎」


その人物は、先程までここで話していたマスターだった。

外で何があったらしい、身体のあちこちに痣ができ、ドアを破った衝撃でガラスがかなり散乱している。そのせいからか、マスターこめかみからは血が流れ出ていた。


命に別状はなさそうだが、ドアを突き破るほど衝撃だ。何処かの骨にヒビが入っていたとしてもおかしくはない。


俺は咄嗟に立ち上がり、店内の客達に向かって声をかけた。


「誰か、回復魔法をかけられる奴、手伝ってくれ」


客達は呆然としていたが俺の発言で我に返ったようだ。

数人が席を立ち、マスターの側へと駆け寄る。


「背骨が折れているかもしれない。あんた達、何処までいける?」


俺は彼らを見つめた。

人によって内包魔力の量も、その質も様々だ。

回復魔法が使えるイコール完治にはつながらない。


「俺は、ヒビくらいなら多分いけると思う」


一人の男性が挙手し、自分の見解を述べる。

俺は彼を見る。

…大丈夫そうだ。


「わかった。重症部の治療はあんたに任せた。他は、あんた達頼めるか?」


俺の問いかけに、残りのメンバーが頷いた。

俺もゆっくり頷き返し、外に目をやり立ち上がった。


「あんた、外へ行くのか?」


重症部の治療を頼んだ男性が、俺に声をかけた。


俺は面倒事は嫌いだ。

が、今回ばかりはそうもいかない。

外の会話を読んだ限り、マスターには何の非もない。

あいつらのただの八つ当たりだ。


「ああ。

面倒事は嫌いだが、ああいう奴らはもっと嫌いなんだ」


それに、この街に来て俺の容姿にビビらず話しかけてきたのは、ここのマスターが初めてだった。

たったそれだけ。

些細な事だ。

だが、この些細な恩に報いるのも悪くはないだろう。


「行くのなら気をつけろ。

あの二人組みは最近よく名前を聞く魔法技重視の賞金稼ぎだ。

それなりに強いぞ」


男は言った。

ああ。

だからあんなに態度がデカいのか。

つけあがって暴れるとは、随分と典型的な馬鹿だな。


「安心しろ。魔法なら俺には効かない。

マスターの治療、頼んだぜ」


そう言い残して、俺は店の外へ出た。



…魔法が効かない?


そんなバカな事が本当にあるのか?


魔法の効かない人間など、この世にいるはずがない。

男は、マスターに回復魔法をかけながら、先程青年が放った言葉について考えていた。


第一、何故自分でマスターの介抱をしなかったのか。


魔力が弱かったからか?


それとも、何かの理由でできなかったのか?


「…ってぇ…」


苦しげな声で我に返り顔を上げると、マスターの意識が戻っていた。


「マスター、大丈夫か?」


「あ、あぁ、なんとかな」


マスターはそう言って笑った。

かなり無理に笑っているようだが、笑う余裕があるのなら取り敢えずは心配ないだろう。

男を含め、介抱に当たっていた全員が互いに顔を見合わせ、安堵のため息を吐いた。


「あいつは、何処へ行った?」


店をぐるりと見渡したマスターが、男達に尋ねる。

あいつ、とは、あの黒髪の青年だろう。


「ああ、マスターを吹っ飛ばした奴らに制裁を加えに行ったよ」


男は若干苦笑気味に言った。

何せまだ若いし、見たところ強者独特の気配がない。

あの青年に、あいつらを倒す力はないと思った。


しかし、マスターは違った。


「そうか。何もわざわざ行かなくても良かったんだがなぁ」


困ったように眉を下げるが、その口は笑みを浮かべている。


わざわざ行かなくても?


男の脳は、その言葉を飲み込むのに数秒を要さなければならなかった。

わざわざ、という言葉の裏に、倒す前提が含まれている気がしてならない。


あいつが?


あいつらを倒す?


マスターは人を見る目がある。

また、人の力量も経験である程度見極めることができ、危険な噂は冗談半分では絶対に流させないような人間だ。


そのマスターが、この発言をすることに、男は純粋に驚いた。


男はマスターに尋ねる。


「なぁマスター、あいつ、一体何者なんだ?」


すると、マスターは少し驚いた表情をした。

しかし何が合点がいったのか、ああと漏らして言葉を続けた。


「お前は東から来たからわからないのも無理はないか。

まあ見てな。今にわかるさ」



青年が外に出た時、外で尻餅をついていた青年は大男の手で胸倉を掴まれ、その体は宙に浮いていた。

よくよく見ると、彼も黒の青年に負けず劣らず変わった容姿をしていた。


乳白色の髪に、葡萄色の目。

左目尻と右頬にはそれぞれタトゥーが彫られ、臆した様子一つなく、自分を持ち上げる大男をじっと見ていた。


「あぁ?なんかまた出てきやがった。さっきの親父みたいにしてほしいのか?ガキ」


黒の青年がその言葉に若干顔をしかめたが、すぐに表情を戻し大男の手を掴む。

青年は決して背が低いわけではなかったが、大男は彼の頭三つ分は大きい。はたから見るとまるで大人と子供のようだ。


「おい、放してやれ」


「…」


大男は一瞬キョトンとし、それから相方とともに爆笑し始めた。


「ダハハハハッ、いやー舐められたもんだ!

お前みたいな若造に何ができるんだ?

邪魔すんなよ。俺はこれからこいつをボコボコにするところなんだからよ」


大男はそう言いつつ、少し離れていた自分の相方に目をやった。

それだけで意志は通じたらしい。相方─こちらもかなりの大男だった─は黒の青年に向かって走り出した。


「おぉぉぉぉお!」


雄叫びをあげながら右手を強く握りしめる。拳に魔力を溜め、このまま青年に殴りかかるつもりらしい。この雄叫びは脅しのつもりなのだろう。


「…無駄な動きが多いな」


はあ、と小さくため息を吐き、青年は腕を掴んでいた手を放し、突進してくる大男2に向き直る。


「おぉぉぉらぁぁ!」


大男は右手を振り上げ、その腕を振るうと、青年の身体は衝撃に耐えきれず吹っ飛ぶー。

─はずが、青年はその場から微動だにせず、大男のその拳は青年の左手一本で受け止められていた。


「⁉︎」


大男2の目が見開かれる。

もう一人も白の青年を掴む手を緩め、青年に見入る。

大男の手から、白の青年が解放された、その瞬間。


青年が右手を振り上げたかと思うと、凄まじい光とともに大男二人が同時に後方へ吹っ飛んだ。


吹っ飛んだ二人は木の幹に強く打ち付けられ、白目をむいて動かなくなった。


正に、瞬殺だった。


彼の振り上げられた右手を見ると、黒い刃の剣が握られている。

あの剣で、一体、何をしたというのか。


「今のは魔力返しだ」


店の中から一部始終を見ていたマスターが語る。


「相手の魔力を自分の中に取り込んで、武器を介してその魔力を相手にぶつけたんだ。

戦闘魔法の高等技術だな。

あいつは内包魔力がない分、他人の魔力や魔法を利用すんのに長けてんのさ」


これで合点がいった。

何故自分で治療をしなかったのか。

何故魔法が効かないと断言したのか。

それは、内包魔力がないからだ。

回復魔法を含め、攻撃魔法や防御魔法など、大抵の魔法は内包魔力を引き出して発動させる。

また、魔法攻撃は相手の魔力に自分の魔力をぶつけることで、内包魔力を削り相手の魔力を奪うこと、そして、その攻撃の反動で内包魔力が意思に反して暴走し、相手の負傷・または体力の消費が主な目的だ。

魔力がなければ内包魔力は削られず、暴走することもない。


つまり魔法攻撃によって肉体に受けるダメージは0ということだ。


「マスター、あいつは一体…」


客の一人から声が上がる。

マスターはゆっくりと、しかしはっきりした口調でその答えを口にした。


「あいつの名はラフカディオ。二つ名は『黒剣』。10年前に『絶望』の手で滅んだ街、ブラフの最後の生き残りだ」


ラフカディオ───。

そう呼ばれた黒い髪を持つ青年は、地面にへたり込んでいる白の青年に目をやり、空いている左手を差し出す。

その葡萄色の目はラフカディオを真っ直ぐに見つめ、その左手を取り、立ち上がった。

読んでいただきありがとうございます。

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