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最後の夏

作者: 友和&策矢

 ミステリの形をとっていて、殺人事件が起きます。後味も悪いし、道徳的でもありません。勧善懲悪が好きな方、十五歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。閲覧後、ご不快に思われても責任は負えません。

前章 サイド 友和

<現在>

 す、と目の端に白い手が映った。

 書架から本を引き抜く、ただ、それだけの仕草が、見惚れるほどに綺麗だった。流れるような、という表現がぴったりの。

 思わずその手を追って視線を向け。

 僕は雷に打たれたような衝撃に貫かれて、立ち尽くした。

弘輝(ひろき)くんっ⁉」

 彼は、ほんの一瞬、目を見開き、すぐにその唇に笑みを飾った。記憶にある通りの、自信に満ちた、誰もが頼りたくなるような、魅惑的な笑みを。

「久しぶりだな、(ゆう)。小学校の卒業式以来だから、八年ぶりになるのか。」

(ああ、変わっていない。)

 僕は、胸が締め付けられるほどの陶酔に、弘輝くんをうっとりと見上げた。

 当たり前だけれど、最後に会った時よりずっと背が伸びている。すらりとした長身。百八十くらいあるんじゃないか。

 小学校の時から、テレビで見るアイドルなんか比べものにならないくらい整った顔立ちだったけれど、今は美貌に凄みが増している。

 なんだか怖くなる。血の通った人間なのか確かめたくなるような。

 けれど、に、と鮮やかに笑う表情は生き生きとしていて、作り物めいた印象を払拭する。

 昔から、そうだった。

(ゆう)の大学も東京(こっち)なのか?」

「うん。弘輝(ひろき)くんや策矢(さくや)くんみたいに、日本一の大学にあっさり現役合格とはいかなかったけどね。」

 べつに、卑屈な口調にはなっていなかったと思う。もともと、逆立ちしたって適いっこない、雲の上の存在だったんだから。

 頭脳明晰、スポーツ万能、容姿端麗。おまけに、人望も厚くて、いつでも輪の中心にいる。

 弘輝くんは、僕の…僕たちのヒーローだった。

<過去>

 青空に翻る万国旗。

 スピーカーから流れる軽快な音楽。

 運動場に伸びる白線。

 小学校最後の運動会。

 騎馬の上で、僕はばくばく音を立てる心臓をなだめるのに必死だった。単に軽いから、という理由で騎馬に乗る役を振られたけど、はっきり言って向いていない。

 逃げる指示だけ出しているせいで、まだ生き残っているけれど。

「ヒロ。このままだとやばいぞ。」

 大音量で音楽と歓声が響く中なのに、その声ははっきりと響いた。冷静に状況を分析している声。確かに、赤の騎馬は、少しずつ数を減らしている。

 いつの間にか、弘輝くんの乗る大将騎の近くまで、僕は下がっていた。

 大将騎は、二度目の雷管が鳴るまで動けないルールだ。大将のはちまきが取られた時点で負けなので、あまり早く勝負がつかないように決められたルールだそう。

「ああ。雷管鳴ったらすぐ動くぞ。」

 まるで迷いのない、弘輝くんの声だった。まっすぐ前を向いた横顔。強い視線。

「大将自ら?」

 くすっと笑って、策矢くんが言う。策矢くんは、大将騎の騎馬だ。一番体重がかかる前の騎馬なのに、その声は軽やかだ。

 弘輝くんは、背は高いけど細くて軽い。それに加えて、学年で一番頭がよくて男子にも女子にも人気があるから、満場一致で大将に選ばれた。その時、

「じゃ、オレはヒロの騎馬ね。」

 と真っ先に立候補したのは策矢くんだった。弘輝くんは、みんなに好かれていて、友達は多かった。でも、策矢くんは、特別だったから、誰一人文句は言わなかった。それが当然、と、みんな受け入れた。

 弘輝くんは、ヒーローで、王。策矢くんは、それを支える参謀で、軍師。

「俺が動けばみんなついて来る。」

 弘輝くんのその時の表情を、数年たった今でも、僕は覚えている。大人になっても、ずっと。

 それは何と、自信に満ちて鮮やかで、眩しい笑顔だっただろう。

「そりゃ、トーゼンだな。」

 策矢くんが答えた時。

 パン。

 空気を切り裂いて、雷管が鳴った。

「行くぞ。」

 弘輝くんの声が、運動場に響き渡った。

「俺に続け!突っ込め!」

 はっと。

 味方も敵も、ただ一人を仰ぎ見た。

 空気が変わる。

 ドドッと。

 地響きをたてて、赤の騎馬が動く。

 先頭にいるのは、紅いはちまきを風になびかせた、美貌の少年。

「弘輝に続け!」

「大将を守れ!」

 数で勝る白組がひるんだ。

 ただ一人の少年が、その場を支配した。

 白の騎馬たちが後退する。

 赤が追う。

「後ろに回り込むぞっ!」

 叫んだのは、策矢くんだった。

 弘輝くんの騎馬が、白の騎馬の真ん中を突っ切る。

 白の騎手たちは、微動だにしなかった。否、できなかったんだろう。

 あり得ないくらいの速さで、敵地の真ん中を突っ切った、赤の大将騎に、度肝を抜かれて。

 気が付いた時には。

 白の大将騎の背後に迫った弘輝くんが、長い腕を伸ばし、白いはちまきを引き抜いたところだった。

 再び響いた雷管の音が、勝負がついたことを告げる。

 歓声の中。

 弘輝くんが、白いはちまきを握りしめた右手を、青空に高く掲げた。

 弘輝くんは、いつだって、そんな風に、不可能を可能にする存在だった。奇蹟を起こすことを期待され、あっさりとみんなの夢を叶えてみせる。

 弘輝くんがいるだけで、毎日、わくわくした。日常がドラマみたいな、驚きと感動に満ちていて。

 そんな彼との思い出の中で、一番僕の心に残っているのは、やっぱり、あの事件だ。

 小学校最後の、夏。

 何もかも焼き尽くすような、灼熱の日射しの下で。厳しく唇を引き結び、まっすぐ前を見ていたあの横顔を、思い出す。

 僕たちが生まれ育ったのは、のんびりした田舎の町だ。書類上は「町」だけど、「村」と呼んだ方が似合う風景だった。なだらかな山々に囲まれた土地。秋になれば、実った稲穂で、黄金色に染まる。

 僕たちの一番の遊び場は、田んぼ道の突き当りにある神社だった。毎日のように行っていたくせに、正式な名前とか、祀ってある神様とか、詳しい由来は知らなかった。

 急な、長い石畳の階段は、一気に登ると、足がガクガクしたから、真ん中くらいで一度休憩していた。たぶん、学校の階段の、二階分くらいはあったんだろう。

 山を切り開いて建てられた神社らしく、石の階段の両脇は、斜面になっていて、木が生い茂っていた。

 石段を登った先には、狛犬。本殿があって、その裏には鎮守の森が広がっていた。鎮守の森は、鬱蒼とした木々が日射しを遮ってくれて、夏でも結構涼しかった。

 都会の夏は、クーラーがないと過ごせないけど、あの頃の田舎は、日射しさえ遮れば、外で過ごせないこともなかった。

 僕たちは、携帯ゲーム機か、カードゲームのデッキ、ジュースやお菓子を持って、よく集まっていた。特に約束なんてしなくても、たいてい誰かがいた。

 ゲームなんて、クーラーの効いた部屋でやればいいと言われそうだけれど、家にいると親が

「ずっとゲームばっかりして。」

「宿題は?二学期の予習は?」

 とかごちゃごちゃうるさいから。

 その日も、僕はリュックに携帯ゲーム機と、麦茶を凍らせたペットボトル、スナック菓子を入れて、神社へ行った。

 夏休みも残り十日になった日の、午後四時すぎだった。翌日に全校出校日を控えていて、ドリルやポスター、読書感想文など、九割ぐらいの宿題は提出しなければいけなかったから、朝から忙しくて、やっと一息ついたところだった。

 てくてくと、田んぼの中に作られた一本道を歩く。サンダルの裏面から、太陽にあぶられたアスファルトの熱が伝わる。

 じりじりと熱い。あぶられているのは、アスファルトだけじゃなく、僕もいっしょだ。

 ふっと。一瞬日射しが陰った気がして顔を上げると、悠然とカラスが舞っていた。真っ黒な羽と、白く輝く光の、強烈なコントラストに眩暈がする。

 ガアガアと、威嚇するように、カラスが鳴く。まるで、出て行け、と言われているみたいだ、と思った時。

 カラスがいきなり低空飛行した。

「っ。」

 間近で見ると結構大きい。嘴でつつかれそうで、僕は小走りでカラスから逃げた。

 神社の入り口にたどり着いた僕は、階段を登る前に息を整えようとして。

 あれ、と思った。

 石の階段の、下の方。

 何か大きなものが、転がっている、と思った。

 ピンク色のひらひらとした服着てる。

 あ、人形だ、とぼんやりした頭で思った。

 ずいぶん大きいなあ。

 人間と同じ大きさだ。

 ちゃんと靴まで履いてる。あんな、ヒールが高くて細いサンダルじゃ歩きにくそう。

 頭の周り、丸くて赤黒い水たまり。広がって、階段の下に向かって、流れ落ちている。

 何でこんな、怖い顔に作ったんだろう。

 目、カッと見開いて、まるで…。

 死体、みたいだ。

 と、思った瞬間。

「うわああああああああああああっ!」

 僕は、悲鳴を上げていた。

 肺が空っぽになって、喉が裂けるかと思った。

 その時だった。

「何だ、今の声は。」

「あれ、友和(ともかず)じゃん。どうした?」

「弘輝くん、策矢くん…。」

 本殿を背にして、弘輝くんと策矢くんが立っていた。僕の声を聞いて、鎮守の森から出てきたみたいだった。

 二人の姿を見たら、全身の力が抜けて、僕はその場にへたりこんでしまった。

 二人とも、いつも通り遊びに来た、という格好だった。弘輝くんは片方の肩にかけるタイプの、策矢くんは小さめのリュックを持っている。

 僕は、座りこんだまま、震える指でさした。

 階段に仰向けに倒れている死体を。

 二人が大きく息を呑んだのがわかった。けれど、弘輝くんと策矢くんは、僕よりずっと冷静で、適切な行動をした。

 二人は、階段を駆け下りて、死体のそばに膝をついた。

「大丈夫か、おいっ。」

 策矢くんが、死体の肩を叩きながら声をかける。返事は…ない。ぴくりとも動かない。当然だ。だって、あれは、死体だと、僕はどこか麻痺した頭で考えていた。見ればわかる。死体なんて見たのは初めてだったけど、はっきりと、疑う余地などなく、わかった。生きてる人間の顔じゃないことは。

 僕にわかることが、僕よりずっと頭がよくて、観察眼も鋭い策矢くんにわからないはずがない。けれど、策矢くんは、死体の顔に手をかざしてから、静かに言った。

「死んでる。」

「…そう、か。」

 さすがに、弘輝くんの声がかすれている。どんな時も余裕のある態度の弘輝くんが、こんなに動揺している姿は初めて見た。

 当たり前だ。だって、目の前で、人が死んでるんだから。しかも…。

 それでも、やっぱり弘輝くんは、弘輝くんだった。僕なんかとは違って、とるべき行動がちゃんとわかっていて、その通りに動くことができた。  

 弘輝くんは、リュックから携帯電話を取り出して、三桁の番号を押した。

 緊張しているのか、少し早口だったけど、凛とした声で。

後坂(こうさか)小学校六年一組の、神耶(かみや)弘輝といいます。すぐに、稲荷神社に来てください。同じクラスの森下美姫さんが、死んでいます。」

 セミが鳴いてる。

 耳の中で反響する。

 真夏の日射しは、真昼をとっくにすぎてもぎらぎらと肌を刺すのに、何だか手足が冷えている。

 血が手足の先までめぐっていない感じ。

「大丈夫か、(ゆう)。顔、真っ青だぞ。」

 電話を切った弘輝くんが、死体をよけて、僕のところまで下りてくる。

「当たり前だろ。おまえが冷静すぎるんだよ。」

 弘輝くんに続いて僕のそばまで来た策矢くんが言う。

「とにかく、ちょっと離れようぜ。」

 何から、とは言わず、策矢くんが、僕の手を引いて立ち上がらせてくれた。眩暈を起こして倒れそうになるのを、支えてくれる。

 僕たちは、階段から下りて、神社の入り口まで移動する。

 死体を視界に入れないように座ると、弘輝くんが、僕にペットボトルを差し出してくれる。

「飲めよ。」

「…ありがとう。」

 受け取って、蓋を開けようとする。でも、手が震えて開けられない。

 策矢くんが横から手を出して、開けてくれた。

「ありがとう。」

 二口くらい飲んでから、気づく。

「あ、ごめん。僕もお茶持ってた。」

 あわてて返す。

 それっきり、しんと沈黙が落ちる。

 降るようなセミの声。時折混じるカラスの鳴き声。

 弘輝くんと策矢くんが視線を交わす。策矢くんが弘輝くんに頷いてから、僕を見た。

「なあ、友和。オレたち、さっぱり状況がわからねえんだけど…。」

「僕だってわからないよ…。」

 自分でもわかるくらい、声が震える。

「神社に来たら森下さんが…森下さんが倒れてたって、それだけだよ。それしかわからない!」

 これは、本当のことなんだろうか。悪い夢を見ているみたいに、現実感がない。強い陽射しに、何もかも揺らめいて。陽炎に閉じ込められてしまったみたいだ。

 現実逃避しかけた僕は、策矢くんの声でハッとさせられる。

「落ち着けって。それで、おまえが来た時、他に誰かいなかったか?いわゆる、不審な人影ってやつ。」

 冷水を浴びせられたようだった。

「そ、それって、犯人ってことっ⁉」

「それはない。」

 はっきりと、弘輝くんが言った。声を張り上げなくても、弘輝くんの声は、いつも凛と響く。

「血が黒っぽくなっていた。結構時間が経ってるってことだ。端の方は乾いていたし。」

「え…。」

 僕は一瞬、ぽかんとする。僕には弘輝くんが何を言いたいのかわからなかった。けれど、相棒の策矢くんは、すぐになるほど、と頷いた。

「そんなに時間が経ってるなら、とっくに逃げてるか。」

「そもそも、なぜ、犯人がいる前提なんだ。」

弘輝くんと策矢くんの視線が絡む。

「ああ…事故かもしれないってことか。」

 すぐ近くでぽんぽん交わされる会話。そんな状況じゃないのに、やっぱりこの二人はすごいなあと、どこかしびれた思考でぼんやり思う。

 弘輝くんは、いろんなことを同時に考えている。策矢くんは、弘輝くんの一言で、その思考に追いついている。

 以心伝心というより、策矢くんだけが、弘輝くんの求めるレベルにいるということなんだろう。僕たちはみんな、弘輝くんに憧れて、隣に行きたいと望んでいたけれど、その資格があるのは、策矢くんだけだったということ。

 誰にも入り込めない、そんな絆。

 何だかうらやましくて、少しでも二人に近づきたくて、僕も考えてみる。

「…確かに、森下さんは自分で落ちたのかも。歩きにくそうなサンダルだし。」

「何でミュールで神社に来たのかな。」

 ああ、ミュールって言うんだったなと、策矢くんの言葉で思い出した。死体とわかってからは直視できなかったのに、靴のことを細かく覚えているのは、森下さんがその靴のことで先生に叱られたことがあったからだ。

 夏休みのプールには安全のため運動靴で来ること、と言い渡されていたにもかかわらず、それを無視して。そう言えば、マニキュアもしていて、

「落とさないならプールには入れません。」

と言われてむくれていたっけ。

 彼女はもう二度とプールに入ることも、爪を染めることもできなくなってしまったけれど。

 カア、とカラスが鳴く。不吉な鳴き声だと思った。

 ふわりを頬をなぜていった風は、真夏らしい熱気を孕んでいる。それだけでなく、妙に生臭く感じられた。

「君たちの話はよくわかったよ。」

 刑事さんは、静かにそう言った。

 教室の半分くらいの大きさの部屋。窓にはブラインドが下りている。壁にはスチール製の戸棚が並んでいて、ファイルがぎっしり詰まっている。長机と折りたたみ式のパイプ椅子は、学校の会議室や体育館で使っているものと似ているけれど、場所の雰囲気は全然違う。

 生まれて初めて入った警察署の中で、僕はカチンコチンと音が鳴るくらい緊張していた。

 喉はカラカラに乾いていたけれど、出されたお茶に手を伸ばすこともできない。

 固まったまま、僕はここに来るまでのことを思い返していた。

 弘輝くんの通報の後、いきなりサイレンを鳴らしてパトカーがやって来たりはしなかった。

 来たのは、自転車のベルを鳴らして到着した駐在さん。子どもからの「人が死んでる」なんて通報は、いたずらだと思われたんだろう。いたずらではないとわかった駐在さんは、真っ青になって、無線で連絡をしてー。

 その後は、大騒ぎになった。

 くるくる回る、パトカーのランプが照らし出すその光景を、八年たった今でも、ボクはよく覚えている。

 サスペンスドラマでよく見るような、青い制服のおじさんたちが、バタバタと忙しく働いている。当時は、鑑識という言葉も、指紋や現場の土地の成分を採集したのだということもわからなかった。

 KEEPOUTと書かれた黄色いテープが貼られると、見慣れた神社が、全く知らない場所に見えた。

 それをくぐって、刑事さんが歩いて来た。

 私服だったけれど、直感的に警察の人だと思った。おじさんと呼んだら失礼だろうなと思える、まだ若い男の人。担任の川田先生と同い年くらいに見えたけど、いつも明るく笑っている先生とは違って、怖いくらい視線の鋭い人だった。

「君たちが、第一発見者ということでいいのかな?」

 聞いただけで背筋をぴんと伸ばさないといけない気になる声だった。僕は思わず一歩下がってしまったけど、弘輝くんと策矢くんは、落ち着いていた。

「正確には、第一発見者は、この。」

 と弘輝くんは親指で僕を指した。

「友和です。俺と策矢は、友和の悲鳴を聞いて、森下さんが倒れていることに気づきました。」

 取り乱した様子もなく、はきはきと答える弘輝くんに、刑事さんは少し驚いたように目を見張って、かすかに笑った。

 一目で、弘輝くんに好意をもったんだろうなとわかる。頭の回転が速くて、物怖じすることなく、それでいて目上の人に礼儀正しくふるまえる弘輝くんは、大人にも好かれる。

「そうか。君たちにいろいろ話を聞かないといけない。協力してもらえるかな?」

「はい。」

 弘輝くんは、刑事さんの目を見て、はっきりと頷いた。

「君たちの話をまとめるから、訂正があったら言ってほしい。」

 刑事さんの声で、僕は我に返った。

 疲れ切っていて、警察署の中でぼんやりしてしまっていた。そんな僕とは違って、弘輝くんも策矢くんも、すでに

「わかりました。」

「はい。」

 と、きりっとした表情で返事をしている。僕もあわてて

「は、はいっ。」

 と答えたけれど、上ずった声になってしまった。

「まず、午後三時ごろ、策矢くんが神社に来る。その後、ほとんど間を置かずに、弘輝くんが来る。この時に森下美姫さんの姿は見ていないし、不審な人影も見ていない。ここまではいいかな?」

「はい。」

「間違いありません。」

「二人で遊ぶ約束をしていたということだが、君たちはよくあの神社で遊んでいるのかい?」

「はい。俺たちだけじゃなく、この辺の小学生の遊び場になっています。」

「の、わりには今日は君たち三人しかいなかったようだが…。」

 刑事さんは、細かいことを気にする。策矢くんが答えた。

「明日出校日なんで、みんな家で宿題やっていたんだと思います。」

「最近は、出校日に宿題を出すのかい。」

 刑事さんは意外そうだった。昔は九月一日でよかったのかな。

「話を戻そう。弘輝くんと策矢くんは、神社の裏の鎮守の森で、ゲームをしていたということだが、その時、本当に森下美姫さんの声や、不審な物音などは聞かなかったのかい?」

 弘輝くんが、申し訳なさそうに答える。

「すみません、ゲームに集中していたので…。」

「セミがうるさいから、音量MAXにしていたし。」

「そうか…。」

 刑事さんは残念そうだ。確かに、弘輝くんたちが、何か聞いたり、見たりしていたら手がかりになっただろう。でも、鎮守の森は広いから、奥の方にいたなら、ゲームに夢中になっていなくても聞こえないかもしれない。

「で、しばらくゲームをして、帰ろうとして神社まで戻ったところで、悲鳴を聞いたと。その声を上げたのが友和くんだったわけだね?」

「は、はい。」

 話を振られて、僕は背筋を伸ばす。

「時間は四時すぎだったね?」

「えっと、たぶん…。」

夏休みだけやっていたアニメの再放送が、本放送でつまんなかった回だったから、見るのをやめて、神社に行ったのだと説明した。僕に家から神社までは、歩きで五分もかからない。

「友和くんも、不審な人影は見ていないんだね?」

 刑事さんに念押しされて

「はい。」

と答えたけど、あの時は目の前の死体に、頭の中が真っ白だったから、もし誰かが逃げて行ったのだとしても、気づかなかったと思う。

 はっきり言って自信はない。

「君たちの話からすると、森下美姫さんは、午後三時以降、午後四時頃までの間に神社に来たわけか。」

 刑事さんはその後、森下さんの学校での交友関係を聞いてきたけど、僕たちは三人とも彼女と親しかったわけではないから、大したことは答えられなかった。

 大体、高学年になってから、男子と女子は一緒に遊ぶことすらほとんどない。

「君たちには、また何か聞くことがあるかもしれない。それと、思い出したことがあったら、いつでもいいから連絡してほしい。」

 刑事さんのその言葉で、その日はお開きになった。

 警察署の建物を出ると、空は真っ赤な夕焼けだった。

 空全体が燃え上がっているみたいだ。濃い桃色に染め上げられた雲。緋色に輝きながら沈みかける太陽。真夏だけの、雄大な夕暮れ。

 朱金の光を浴びて、弘輝くんが立っている。何を考えているんだろう。唇を引き結んで茜色の空を見上げている弘輝くんは、怖いくらいに綺麗だった。僕は息を詰めて見つめる。

「ヒロ。」

 策矢くんが呼ぶ。

「刑事さん、家まで送ってくれるってさ。」

「そうか。」

 弘輝くんが視線を下ろして策矢くんを見る。

 交わされる視線。

 それだけで、何かが通じているのがわかる。僕は入れない。寂しいけれど、それは仕方ない。

 僕は空を見上げた。さっきまで、弘輝くんが見上げていた、黄金と真紅がぶつかり合って、混じり合う天を。

 風が吹く。弘輝くんの、策矢くんの髪を揺らして過ぎていく風が、そろそろ冷え始めていた。

 長い一日が、ようやく終わろうとしていた。

 出校日の朝は、登校に保護者が付き添うことになった。もともと近所の子どうしの通学班で登下校しているのだけれど、それにできるだけ保護者の付き添いを依頼するメールが、学校から親の携帯に配信された。ほとんどの親は、途中で帰って行ったけれど、低学年のお母さんの中には、門までついて来ている人もいた。いつもの風景の中に、いつもはないものが混じっているのは、奇妙なことに思えた。

違和感は、それだけではなく。見慣れた校門で、初めて見る光景が繰り広げられていた。

 登校してくる子どもたちにマイクを差し出すアナウンサー。それを、

「やめてください。」

「子どもを映さないでください。」

「早く昇降口に行きなさい。」

 と押しとどめようとする先生たち。

 光るカメラのフラッシュと、ビデオカメラを抱えたおじさんたち。

ニュースとか、ドラマとか、テレビでしか見たことがない光景だ。目の前のことなのに、妙に現実感がない。

 カメラに映りたくて寄って行く低学年の子もいれば、ダッシュで校門を駆け抜けていく高学年の女子もいる。

 どうしたらいいのかわからず、校門に近づけずに固まっている子どもが一番多い。僕もその中に一人だ。

「どうしよう…。」

 呟いた時。

「よう、友。」

 涼やかな声がした。

「弘輝くん!」

 振り向くと、いつも通りの弘輝くんの顔があって、僕はほっとした。

 隣には、ざっと人数を数えて

「結構来てるんだな、マスコミ。」

 と呟く策矢くん。

 二人とも、目の前の光景にたじろいでいる様子はない。

「行くぞ。」

 弘輝くんが、当たり前のようにそう言って、堂々と歩き出す。策矢くんも続く。僕も慌てて追いかける。

 マイクを持ったお姉さんが、

「ねえ、キミ。森下美姫さんは、どんな子だった?何でもいいから教えて…。」

と寄ってくるのを。

 つ、と視線を向けるだけで、弘輝くんは制した。

 にらんだわけじゃない。一言たりとも発せず。ただその瞳を向けただけで。

 十以上年の離れた、それなりに修羅場をくぐってきているはずの大人を、弘輝くんは黙らせた。

 お姉さんが固まっている間に、僕たちはその脇をすり抜けた。

 弘輝くんは、そういうことが、自然にできてしまう子だった。

 教室には、僕が今まで一度も感じたことのない空気が満ちていた。

 夏休み中の出校日は、どこの遊園地に行っただとか、宿題を忘れたからどうしようだとかいう会話が、賑やかに交わされているものだった。久しぶりに会うやつも多いから、お互いにはしゃいでいて、テンションが高くて、とにかくものすごくやかましかった。

 去年までの出校日は、そうだった。

 今日は、違う。

「ねえ、ミキ、死んだって、マジ?」

「マジでしょ。昨日、ニュースでやってたじゃん。」

「門のとこ、テレビ局来てたし。」

 ひそひそと。けれど、時々高くなる声で、そんな会話が飛び交っている。教室のあちこちで。ちらちらと、森下さんの席に視線を向けながら。

 ニュースや新聞を見たやつでさえ、半信半疑なのがわかる。死体を見た僕でさえ、一晩たったら、あれが夢だったような気がしている。だから、哀しんだり泣いたりしているやつはいなかった。冷たいというより、実感が湧かなくて悲しみようがないんだろう。

 とんでもないことが起こったのだという興奮。けれど、人の、それもよく知ったクラスメイトの死という、大きすぎる事態を受け止めきれない困惑。

 大騒ぎをしたいのだが、不謹慎なのがわかっているがゆえに、抑え込もうとして失敗し、その熱がもれ出している。

 そんな、異様な、暗い熱狂の中で。

 弘輝くんは、いつも通り、みんなに囲まれていた。

「なあなあ、弘輝。森下って殺されたのか?」

「え、神社の階段から落ちただけだろ?」

「だからそれって、誰かに突き落とされたってことだろ?」

「そうかぁ?自分で落ちたんだろ。あいつって、歩きにくそーな靴はいてんじゃん。」

「あー、プールん時怒られてたな。」

「でもさあ、あいつって女子にウザがられてただろ。ぶりっこって、悪口言われたぜ。だから、誰かにさあ。」

「女子なんか、みんな悪口言い合うだろーが。」

「でも、森下、この前二組の江藤と大ゲンカしたじゃん。江藤、殺してやるって言ってたぜ。」

 いつもより速いテンポで交わされる、みんなの会話。僕がそこからわかったのは、どうやら僕たちが(弘輝くんの言葉を借りるなら正確には僕が)第一発見者だということは、知られていないんだなということ。知られていたなら、発見した時の様子を根掘り葉掘り聞かれただろうから。

 よく考えれば、そんなことを警察がばらすわけはない。僕たちは、未成年で、しかも小学生。保護される立場だったのだから、当然の処置だと、後で弘輝くんに教えられた。

「なあなあ、弘輝はどう思う?」

「策矢は?」

 意見を求められて。弘輝くんは、真顔で言った。周囲の浮ついた空気に染まらない、いつも通りの冷静さと聡明さで。

「小学生の喧嘩で殺意まで抱くか?」

 自分も小学生のくせに、当時から弘輝くんは、こういう言い方をした。

「同感。殺されるほどの恨み買う小学生ってどんなだよ。」

 策矢くんも。

 みんなが、顔を見合わせた時。

 すっと、策矢くんが弘輝くんから離れて、自分の席に着く。どうしたんだろうと思ったら、弘輝くんが

「起立。」

 と号令をかけた。

 先生が入って来たのに、他のみんなはそこで初めて気づいた。ばたばたと足音をたて、慌てて席に戻る。

 先生を見て、僕たちは息を呑む。

 真っ蒼な、今にも倒れそうな顔色。赤く充血した目。

 いつも陽気で冗談ばかり言ってる先生で、もう四十近いのに、そんな性格のせいでずいぶん若く見えるのに。

 今日初めて、先生が老けて見えた。

「とても残念な知らせがある。」

 ひび割れてかすれた声が、先生のものだとわかるまで、一瞬の間があった。

「もう知っているかもしれないが…昨日、森下美姫さんが、亡くなった。」

 嘘。

 やっぱり本当だったんだ。

 そんな声が飛び交う。

「お葬式には、全校児童が行くことになる予定だ。詳しい連絡は、緊急メールで配信するし、学校のホームページにもアップする。警察の人に、何か聞かれることもあるかもしれないが、知っていることだけを正直に答えなさい。くれぐれも、想像で適当なことを言ってはいけない。テレビ局や雑誌の取材には応じないこと。それから。」

 先生が、そこで息継ぎをした。

「当分の間、外で遊ぶのはできるだけ控えること。特に、絶対に一人にはならないこと。」

 何で。

 どういうこと。

 小さなざわめき。

 先生の言葉に意図をすぐに理解したのは、やっぱり弘輝くんだった。

「二人目の犠牲者にならないように、ということですか。」

 しん。

 教室が静まり返った。一切の音が消えた。

 そのせいで、弘輝くんの言葉を引き継いだ策矢くんの声が、ひどく大きく響いた。

「当分の間ってのは、犯人がつかまるまで、ってコトね。」

 僕たちは、弘輝くんと策矢くんに比べて、何て愚かだったんだろうと、ようやく気付いた。

 なぜ、登校に親が付き添ったのか、その理由を深く考えもしなかった。

 森下さんを殺した犯人が、街のどこかに潜んでいる可能性を。

「事件か事故か、まだわからないんだ。軽々しく犯人などと言ってはいけない。」

 先生は苦しそうに言った。

「あっついなあ。」

 うだるような暑さ。

 歩いているのに、だらだらと汗が背中を流れていく。

 太陽は、眩暈がするほどぎらぎらと照りつけてくるのに、八月は、つまり夏休みは今日でおしまいなんて、何だか納得がいかない。

 八月の後半って、何でこんなに時間がたつのが早いんだろう。森下さんが亡くなってから、あっという間に二週間が過ぎてしまった。

 その間に何があったかというと、特に何もなかった。

 警察が新しくつかんだ事実もないみたいで、ニュースにも取り上げられていなかった。マスコミも、すぐに新しい事件の方に移っていった。

 最初のうちは、外で遊ぶどころか、近所の友達の家に遊びに行くのもびくびくしていた。でも、何もない平和な日常が続いてしまうと、緊張感なんて薄れてしまう。死体を見た僕でさえそうなんだから、一週間もたった頃には、みんな普通に外で遊びだした。

 コンビニのビニル袋がガサガサと音をたてる。

 アイス、溶けそう。

 もうここで食べちゃおうと決めて、棒つきのアイスにかじりつく。冷たくて甘くて、天国の味だ。

 最後の一口を飲み込んだ時。

「友。」

 熱しか含んでいない真夏の空気を払うような、涼しい声で呼ばれた。

「弘輝くん!策矢くんも!」

 二人とも、ちょっとふらっと遊びに出た格好だ。弘輝くんは片方の肩にかけるタイプの、策矢くんは小さめのリュックを持っている。

 いつもと同じ。あの日とも、同じ。

 違うのは、リュックに防犯ブザーがついていることだ。二人に限ったことじゃない。みんな、ランドセルにつけっ放しのブザーを持ち歩くようになった。外で普通に遊ぶようになった今、唯一と言っていいくらいの、緊張感の名残だ。

 策矢くんの足元には、サッカーボールが転がっている。パスしながらここまで来たのかな。田舎の道だから許されることだったんだろうな。

 策矢くんが、ぽんと、サッカーボールを蹴った。全然力を入れた風でもないのに、ボールは高く上がる。空に綺麗な弧を描く。

 弘輝くんは、軽やかに跳びあがる。まるで羽が生えてるみたいな、体重なんてないみたいな動きだ。

 弘輝くんは、ボールを胸で受けて、着地する。ボールは、まるで吸い寄せられるみたいに、弘輝くんの足元に、まっすぐに落ちた。

(ゆう)、パス!」

 弘輝くんは、そのボールを僕に向かって蹴る。

「え、ええ、ちょっと待って!」

 僕は、慌ててボールに向かう。何とか、ボールを止めることができた。

「ナイス、友和(ともかず)。」

 親指を立てた策矢くんが、ウィンクして笑う。思わずつられて笑ってしまうような、親しみやすい笑顔。

 弘輝くんだけだと、たいていのやつは緊張するけど、隣に策矢くんがいるだけで、空気が柔らかくなる。

 策矢くんだって何でもそつなくこなせるすごい子なんだけど、茶目っ気のある性格のせいなのかな。

「どうしたの、二人とも。」

 僕がそう聞いたのは、深い理由があったわけじゃない。ただ、二人が今から何かを始めようとしているような、そんな空気があった。  

いつだって、僕たちには思いつかないような、みんながあっと驚くようなことを、さらっとやってのける二人だったから。

「友、いっしょに来いよ。」

 弘輝くんが、不敵に笑う。自信たっぷりで、ものすごくかっこいい、僕には、ううん、他の誰にも絶対に真似できない笑顔だ。あんなに人を魅了する笑顔を、僕は他に知らない。

「犯人を教えてやる。」

「え?」

 バサバサッ。

 漆黒の羽が舞って、一瞬、強烈な日差しを遮った。

 延々と続く石の階段を登る弘輝くんと策矢くんの後ろを、僕はついていく。

 二人は、登るのが速い。運動神経と体力に差があるのを痛感する。僕は、息が荒くなる。額の汗をぬぐいながら必死についていく。

少しでも遅れたら、二人は気を使ってスピードを緩めてくれるだろう。でも、それは何だか悔しかった。

 ヒュッと、風が吹く。肌をあぶるような、熱い風。それにあおられたものが、視界の隅をよぎる。

 何気なく目で追う。

「あ。」

 ため息混じりの声が出た。

「どうした、友?」

 足を止めた弘輝くんに、石畳に落ちた一枚の紙を指さす。写真とフォントの大きな文字で構成された、チラシのような一枚。家庭用のプリンターで印刷されたのがわかる、手作りの。

「何でもない。森下さんのおばさんたちが配ってる、ビラ。」

 ああ、と弘輝くんは頷く。策矢くんも、足を止めてビラを見下ろしている。

 脳裏に、お葬式で見た、森下さんのおばさんやおじさんの顔が浮かぶ。

 授業参観で見た時は、化粧も服装も、ものすごく気合いが入ってる、って感じのおばさんだった。お葬式でも、化粧は濃かったけど、泣きはらした真っ赤な目のせいか、授業参観で見た時より、ずっと年をとっているように見えた。

「犯人はまだ捕まらないんですか!」

 警察の人に、大声で食ってかかって、おじさんに止められていた。そのおじさんも、疲れ切った顔で、今にも倒れそうな様子だった。

 お葬式から数日後、森下さんのおばさんたちは、目撃情報の提供を呼びかけるビラを配り始めた。

「警察の捜査が進んでいないのさ。」

 と、ビラを配るおばさんたちの姿を見た時に、弘輝くんは言った。

「なるほど。だから自分たちでってコトね。」

 肩をすくめた策矢くんが頷いて、続けた。

「でも、難しいんじゃねーの?あの時間、外にいたやつってあんまりいねーだろ。」

 策矢くんの言葉で、僕は、そう言えばと思い出したのだった。

 あの日、家から神社までの道で、僕は誰にも会わなかった。お年寄りが畑仕事をするのには暑すぎる時間だったし、出校日の前日ということで、宿題に忙しい小学生も出歩いていなかった。

 そんなやりとりを思い出しながら、階段を登り続ける。頂上が見えたところで、僕は意外な人を見つけて、声を上げた。

「刑事さん⁉」

 森下さんが死んだ日に、僕たちが話をした刑事さんだった。

 スーツの上着は来ていなかったけど、きちんとネクタイを締めていて、ピシッという音がしそうだ。

 人相が悪そうなくらい鋭い目つきが、ああ、刑事さんなんだなと思う。嘘とかごまかしとか、全部見透かされそうな気がする。

「来てくださってありがとうございます、月本刑事。」

 弘輝くんが、にこりと唇の端を引き上げる。

 よく知らない大人を、それも刑事さんを相手にしているのに、気負いなく。

 刑事さんの厳しい顔に、戸惑うような表情が浮かぶ。

「思い出したことがあったら、いつでもいいから連絡してほしいと言ったのはこちらだから構わないが…ここでないとできない話なのかい?」

「はい。見ていただかないと意味がありませんから。」

 弘輝くんの瞳がきらりと光る。

 何もかも焼き尽くすような、灼熱の日射しの下で。厳しく唇を引き結び、まっすぐ前を見ていたその時の横顔が、僕の脳裏に焼き付いた。

「友、俺の後ろに。」

「え、うん。」

 弘輝くんが何を始めたのか全くわからないまま、それでも僕は素直に従っている。

 僕が階段を二段下がると、策矢くんも下りた。策矢くんは、僕よりもさらに数段下りる。弘輝くんと僕と策矢くんが直線に並ぶ。

「じゃあ、やるか。」

 弘輝くんが言う。張り上げたわけでもないのに、その声は凛と空気を震わせた。

 僕は、まるで、劇の幕が上がったような気がした。そしてそれは、錯覚ではなかった。

 それは確かに合図だったのだ。推理小説の解答編の始まりを告げる。

 弘輝くんは、持っていたサッカーボールから手を離す。石の階段に落ちる前に、弘輝くんはサッカーボールを蹴っていた。

 ボールが、青空に吸い込まれるように高く上がる。

 僕の目はボールの行方を追う。

 ボールが一直線に向かった先にあるのは。

「鳥の巣?」

 ボールは、巣をかすめて飛んで行った。

 わざと外したのかなと思った瞬間。

 バサバサバサバサッ!

 弘輝くんに向かって、凄まじい勢いで二羽のカラスが飛んできた。

「っ!」

 触れるほど間近に迫ったカラス。

 鳥の表情なんてわかるはずないのに。

 その目に、憤怒が見えた。

 その時だった。

 僕の前にいた弘輝くんが、すっとその場に膝をついたのは。

 カラスたちは、さっきまで弘輝くんの顔があった場所をすり抜けてー。

「うわあああああっ!」

 ずるっ。

 しまったっ…。

 カラスをよけようとした僕は、バランスを崩す。サンダルが、石の階段からズルリと滑って。体が、ふわりと空中に投げ出される。

 真っ蒼な空が視界いっぱいに広がる。

 落ちるー。

 ガシッ。

 二本の腕が、僕の体を受け止めてくれた。

 受け止めてくれたのは、当然、僕の後ろにいた策矢くんだった。

 同時に。

 リリリリリリリリリリッ!

 防犯ブザーの音が鳴り響いて。

 カラスたちが、飛び去る。

 僕の肩を支えたまま、策矢くんが訊いてくる。

「大丈夫か?」

「う、うん、ありがとう。策矢くん。」

 心臓はまだバクバクしているけれど、けがをしたわけじゃない。

 僕が頷くと、策矢くんは手を離した。そのまま階段を上がって、僕の横に並んだ。

 防犯ブザーの音を止めた弘輝くんが、振り向いた。

僕の無事を確認してくれたのかもしれない。でも、策矢くんがこういう場面で失敗するなんて有り得ないし、弘輝くんは誰よりもそれがよくわかっているから、心配はしていなかっただろうけど。

 弘輝くんは、階段を上がり、月本刑事に向き合った。

「これが、俺の思いついた真相です。」

「いや、しかし、これは。」

「わかってますよ。証拠はない。でも、それを探すのは、俺の仕事じゃない。」

 浮かぶ笑みが挑発的に見えたのは、僕の気のせいじゃないはずだ。隣で策矢くんが肩をすくめて苦笑していたから。

「確かに。物証を探すのは私たち警察の仕事だが…。」

 月本刑事も策矢くんと同じ顔になった。

「これが真相だとしたら、物証は出そうにないな…。」

 困った、という心情が現れた声は、何だか気が抜けたような、疲れたような印象だ。

「はい。そもそも、これが真実だとは限らない。」

 弘輝くんは、ついっと目線を流した。その視線の先には、巣に戻り、僕たちを睨みつけている、二羽のカラス。

「俺は、可能性の一つを示しただけです。いろいろ考えてみて、これが一番可能性が高そうだと判断しました。」

 弘輝くんは視線を戻した。

「この時期のカラスは気が荒い。俺も突かれそうになったことがある。調べたら、巣で雛を育てている時のカラスは、人間が縄張りに入っただけでも、襲うことがあるそうです。」

「そして、森下美姫はヒールの高いミュールを履いていた。一人だった彼女を受け止めてくれる相手はいなかった。」

 月本刑事が後を引き取った。

 はあ、といろいろなものを背負った大人のため息をついて。それでも、

「ありがとう。協力に感謝する。」

「いいえ。現実の事件は、漫画や小説のように、鮮やかに解決なんてできないですね。」

 弘輝くんは、そんな言葉で、推理の幕を下ろした。

 月本刑事がその場から去って。

 僕たちは、神社の奥の鎮守の森で風に吹かれていた。

 鬱蒼と生い茂る木々が日射しを遮ってくれるので、ここは死にそうな暑さではない。

 僕たちは、無言だった。わんわんと、耳に木霊すセミの声だけが響いていた。

 僕は、弘輝くんの言葉を、しみじみとかみしめていた。

 現実の事件は、漫画や小説のように、鮮やかに解決なんてできない。

 その通りだと思った。現実は、漫画でも小説でもない。十年前の恨みも、大掛かりなトリックもない。

 でも。

 僕は、弘輝くんを見て、言った。

「これで、やっと、終わった気がする。」

「ああ。」

 と弘輝くんは頷いてくれて。

 策矢くんが入道雲の浮かぶ空を見上げたまま、ぽつりと言った。

「明日から、二学期だな。」


後章 サイド 策矢

<過去>

 オレがヒロの存在をはっきり意識したのは、小学一年生の夏だった。

 小学生になって初めての夏休みをあと数日に控えた、蒸し暑い日だった。曇っていたから、昼間でもどんよりと薄暗かった。

 その日は、一年生だけの下校の日だった。方向別に固まって、集団下校。学校から、まだそんなに離れていない場所だったから、二十人くらいはいたと思う。

 オレたちは、たわいないことをしゃべりながら、歩いていた。昨日見たアニメのことだとか、今日の給食のことだとか、そんな程度のことを。

「あ、あれだよ。おばけやしき。」

 ふいに、ヒロが言った。

 みんな一斉に、ヒロの指さす方を見る。

 それは、一言で表すなら廃墟だった。

 びっしりとつたの絡まった、洋館。つたの隙間からのぞく壁には亀裂が走っている。もとは白かったであろう壁は、黒に近い灰色にくすんでいた。

 ボロボロの、朽ちる寸前の建物。

「ほんとうに、ゆうれいがでるのかな?」

 ヒロは、無邪気に笑って、オレたちを見た。

 その当時、話題になっていたのだ。

 火事で焼け死んだ女の子が、「水をちょうだい。」とささやくとか、強盗に殺された女の人が、包丁を胸に突き立てたまま追いかけてくるとか。

 本当にその洋館は火事になったことがあるのか、強盗に入られたことがあるのかなんて、オレたちは知らない。

 ただ、当時のオレたちにとって、そこは、本物のお化け屋敷だった。遊園地にある、いくらそれらしく作ってあっても、しょせん作ってあるだけのニセモノとは違うと。

「なあ、いまからいってみようぜ。」

 ヒロが、きらきらと目を輝かせて言った。

 ヒロは、一年生の時から、勉強も運動も遊びも、誰よりもよくできた。だけど、何でもできすぎるせいか、退屈していて、いつも、おもしろいことを探していたんだ。

「えっ…。」

 みんなが一瞬、沈黙して。

「で、でも、よりみちしちゃ、いけないんだよ。」

「よそのおうちだもん、はいったら、おこられるよ。」

「ふくが、よごれちゃうよ。」

 一生懸命言う友達を見るヒロの顔を見て、オレは思った。オレは、昔から、人の考えていることに気づいてしまう方だった。


 ああ、こいつ、今、オレたちをためしてる。


 先生が、「これは難しいよ。」という問題もすらすら答えるし、かけっこも速いし、ドッジボールも強い。テレビに出るアイドルよりもきれいな顔で、明るくてみんなに優しい。

 ヒロは、みんなの人気者だった。

 オレも、ヒロのことが好きだった。好きだったけど、この時、ひやっとした風が吹いたように感じた。それなのに、ヒロから目をそらすことができなくなった。そんなことは、初めてだった。

 心臓がドキドキしすぎて、胸が痛くなった。ヒロに、この心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思って、胸を押えた。

 ヒロは、ゆっくりと、オレたちを見回した。

 ヒロと目があった時。

 ピカッと、雷が光った気がした。

「オレ、いっしょにいくよ。」

 気が付いたら、オレは、そう言っていた。

 ヒロが、にこっと笑う。

 それは、とても満足そうな笑顔で。パアッと日が射したように眩しかった。

「いこう。」

 と、ヒロから差し出された手を握って、オレたちは、洋館に足を踏み入れた。

 二人きりで、まだ昼なのに夕方みたいに暗い廊下を歩きながら、オレは言った。

「おまえ、みんなのこと、ためしただろ。」

 ヒロは、足を止めて、まじまじと、オレを見た。そして、破顔した。

 オレは、びっくりした。

 不意打ちのような、手放しの笑顔に、度肝を抜かれた。

 ヒロは言う。

「おまえ、オレのこと、わかるんだ!」

「…わかるよ。」

 オレは、ドキンッとはね上がった心臓をなだめながら、答えた。

「ともだち、えらんでるんだろ。」

 ヒロがしたことを、今のオレの言葉で表すなら、それは「選別」だ。

 ヒロは、そういう風に、人を見極めていた。冷酷な目で、周囲を見ていた。オレ以外の誰にも、気づかせずに。

「おまえって、せいかく、わるいよな。」

 ぼそっと言ったオレに、ヒロはくすくす笑った。天使みたいに綺麗に笑う。

「それにきづいたの、おまえだけだよ。」

 とてもうれしそうだった。

 ようやく自分と同じレベルでゲームをプレイできる相手を見つけた、というかのように。

「せいかくわるいオレは、きらいか?」

 小首をかしげて、ヒロは言った。

 背筋が寒くなるくらい、その時のヒロは怖かった。けれど、それは、ヒロが嫌いだからじゃなくてー。

<現在>

「いっちょあがりっと。」

 小さく呟いて、オレはパタンとノートパソコンを閉じた。肩掛けのバッグにパソコンを突っ込む。机に積み上げた本を抱えて立ち上がった。

 夏休みに入って間もない図書館だが、専門書のコーナーは空いていた。レポートを書き上げ、使った本を棚に戻しながら、

(ヒロはとっくに終わってんだろうな。)

 と考える。まあ、待っていてはくれるだろう。いつものことだ。

 最後の一冊を持ったまま、一番奥の書架に向かったオレは、予想外の再会に驚く。

 八年ぶりに目にする、その横顔。

「うん。弘輝くんや策矢くんみたいに、日本一の大学にあっさり現役合格とはいかなかったけどね。」

 小学校の時のクラスメイト。

 あの事件にかかわった、もう一人。

 数年会っていなかったのに一目でわかったのは、受ける印象が昔のままだったからだ。

 小柄で童顔なので、一見頼りなく見える。でも、意外といろいろと考えているやつだった。クラスで目立つ方じゃなかったが、思慮深く、周囲をよく見ていて、流されない性格だった。

 たぶん今もそうだろう。格好からして、遊ぶことしか頭にない大学生といった感じではない。

 この再会は、偶然か、それとも。

「ヒロ。レポート終わった。帰ろうぜ。」

 声をかけると、ヒロがオレに視線を向ける。視線を絡ませ、オレたちは軽く頷き合う。

 ガバッと振り返った友和。

 オレを見て、目を輝かせて微笑んだ。

「策矢くん!久しぶりだね。弘輝くんに会えたから、策矢くんにも会えると思ってた。」

「友和じゃん。数年ぶりの再会ってやつだな。大学どこだよ?下宿は?」

 友和が答えた場所は、オレたちの生活圏からは大分離れていた。普通に過ごしていれば出会うことはまずない。

「ここからけっこー遠いじゃん。」

「レポートに必要な資料が、ここの図書館にしかなくて。電車代、結構かかったけど、弘輝くんと策矢くんに会えたんだから、おつりがくるね。」

 無邪気な笑顔。友和にとって、八年たってもヒロは、憧れのヒーローなんだろう。

「せっかくだから、メシ食いに行こうぜ。」

 とオレが言って、三人でファミレスに行った。

 互いの大学のことやら、バイト先の愚痴やら、近況を話す。とってる講義の内容や専門分野、ついでに政治経済と国際情勢に話題がとんでも、きちんと答えを返せる辺りが友和だと思う。

 あの夏のことにも、少しだけ触れた。その時交わした会話の中の、ほんのひとかけら。

「結局、事故ってことで処理されたんだっけな。」

「うん。不審人物の目撃情報とか、何も出なかったみたいだし。みんなも、もう忘れてる感じかなあ。中学とか高校の同窓会で、話題になることもたまにあったけど、そんなこともあったかな、っていうノリだった。」

 中学受験をして、都内の中高一貫の私立校の寮に入ったヒロとオレより、地元の中学や高校に進んだ友和の方が、その後のことに詳しい。

「薄情だと言いたそうだな、友。」

 ヒロが、友和の心情を見透かしたように言う。友和は一瞬言葉に詰まり、それを誤魔化すようにコーラを飲んでから答える。

「べつに、避難するつもりなんてないし、僕だって、弘輝くんが謎解きをしてくれたから、覚えてるだけで、それがなかったら…みんなと同じだったかもしれない。森下さんと特に親しいわけでもなかったし。ただ…。」

 友和は、視線を泳がせた。

 窓の外の、強烈な日差し。それが生み出す、くっきりと濃い影。黒白の鮮やかなコントラスト。

 陽炎のように、揺らめいて見える、真夏の街。

 空調のきいた店内でも、ガラスごしに、痛むほど熱い光が肌を刺す。

「人一人の命って、軽いのかなって、思う。」

「おまえは優しいな、友。」

 ヒロが珊瑚色の唇の端を上げて、友和を見た。

 ひどく不思議な笑みだった。嘲笑にも皮肉にも見える。けれど、悪意なく純粋に讃えているようにも見える。幼い子どもへの慈しみにも見える。

 オレには、ヒロの真意は見えなかった。友和は、どう受け取ったのだろう。

 ヒロは言葉を重ねた。唇に笑みを飾ったまま。

「自分にとって大切な人間の死なら、人はいつまでも悼む。家族や、特別に親しかった何人かは、忘れずにおぼえているさ。」

 友和はまばたきをした。

「そっか。」

 小さく呟いた。

「そう…だね。覚えている人が、少しはいるよね…。」

 安堵したように友和が頷く。その頬に笑みが広がるのを見て、ヒロの言う通り、こいつは優しいやつだなとオレは思った。

 その後は、たわいない話に戻った。

 今度飲みに行こうぜと約束して、オレたちは友和と別れた。

 びっくりするほど月が明るい。ちょっと電気消してみようぜと、オレはパチンとスイッチを切った。

 月明かりだけでも、ヒロの表情がわかる。窓枠に腰かけて、グラスを傾け、目を細める。

 月光の中で白い喉が動くのが見えた。

「友和、絶対おまえの言葉、いい風に受け取ったぜ。」

「何だいきなり。」

 ヒロは、面白そうにオレを見た。口元に運びかけていたグラスを止めたので、中の冷酒が小さく揺れる。

 自分にとって大切な人間の死なら、人はいつまでも悼む。

 ヒロがその言葉に隠した本音は。

「おまえ、自分にとってどーでもいい人間の死なんか、これっぽっちも悲しまないって言いたかったんだろ。」

「ご名答。」

 オレに向けられたヒロの顔は、恐ろしいほど端正だ。ガキの頃から美少年だったが、成長につれて、凄艶さが増していく。

 血の通った人間なのかを疑いたくなるような、魔性の美。

 くっくっく、とヒロは喉の奥で笑う。グラスに残った冷酒を一気にあおって、濡れた唇を親指の腹でぐい、とぬぐう。

「友は全くわかっていなかったな。まあ、昔も今も、俺の本音に気づくのは、おまえだけだがな。」

「…ああ。」

 オレは、自分のグラスに冷酒を注ぐ。今夜はやけに、酒が苦い。

 ヒロが、窓枠から離れてオレに近づく。光源は月だけでも、勝手知ったる人の家なので、足取りに迷いはない。

 ローテーブルを、長い足でひょいとまたいで、オレの隣に膝をつく。

無言でグラスを差し出すのに、酌をする。自分でやれよなー、いいだろついでだ。そんな軽口をたたいて。

 オレの幼馴染。オレの親友。

 オレだけに素顔を見せる、みんなのヒーロー。

 ヒロは、中学でも高校でも大学でも、変わらずみんなの中心にいて、誰からも尊敬と憧れの眼差しを向けられていた。

 そんなヒロが、オレだけに素顔を見せるのは、オレだけがヒロの本性に気づいたからだ。

「心配しなくても。」

 と、ヒロはオレの目をのぞきこむ。男のくせにまつ毛が長い。月光をはね返して冷たい銀に光る。

「友は何も気づいていない。」

「わかってるって。おまえは完璧だ。」

 視線を反らすのは、負けたようで嫌だったから、オレは至近距離で見返した。

「オレたちは、だろ。」

 いたずらっぽく、残酷に、そして誰よりも艶やかに、ヒロが笑う。

 あの夏と同じ。年月を経ても、ヒロのこの笑顔は変わらない。

 オレがずっと見てきた、これからも見続ける笑み。

 ヒロの手が、オレの肩に伸びる。

 耳もとでささやく声に、オレの耳朶が震える。あの頃はわからなかったが、今は、火がつきそうに強い酒のようだと思う。酔いそうに、熱くて甘い声。

 あの頃よりも低くなった声。けれど、極上の楽器の出すような、豊かで深い響きは変わらない。

「俺たちが組んだら、無敵だ。」

 ヒロの肩ごしに、蒼白い月が見える。

「ああ。」

 あの夏と、同じ台詞。あの、最後の夏と。

<過去>

 真夏のプールの水はぬるい。まだ昼前なのに。

 キャアキャアと上がる歓声。水飛沫が、強烈な日差しを反射させて砕ける。

「ヒロ。勝負しようぜ。」

 すいっと隣に寄って言ったオレに、ヒロの目が好戦的に光った。

「いいぜ。」

 高学年プールは、自由に泳ぐ方と、練習用のコースに仕切られている。コースの方に移って、オレたちは、プールの壁に背中をつけた。

「えっ、なになに、おまえら、競争すんの。」

「みんなー、弘輝と策矢、競争するってよ。」

「どっち勝つか、賭けようぜ。」

「えー、やっぱ弘輝だろー。」

「わっかんねーぞ。策矢も相当速いぜ。」

「ヒーローと参謀の対決か。」

「オレ、審判やるぜぇ。」

 わっと周囲が盛り上がる。オレたちが二人揃えば、いつだってみんなの注目を集めた。

「レディ、ゴーッ!」

 ザンッ。

 思い切り壁を蹴る。

 水をかく。手の平に、腕に、水の手ごたえ。一かきごとに、グン、と前へ。

 隣を横目で見る。

 優雅に泳ぐヒロが見えた。ばた足で、水が白く泡立つ。

 息が苦しい。でも、息継ぎする時間が惜しい。

 限界、と思った時。

 指先が固い物に触れて、オレはがばっと水面に顔を出した。

 ぜいぜいと、息をする。

 隣のヒロも、少し眉を寄せて苦しそうだった。

「どっちが勝った?」

 振り返って、見ていたやつらに訊く。

「ほぼ同着~。」

「ほぼって何だよ。審判やるっつったなら、しっかり見とけよなあ。」

 オレが呆れて言うと、

「いやだって、おまえら二人とも、超はええし。」

 そんな風に返される。

 ちょっと休んだだけで、もう余裕の表情に戻ったヒロが言う。

「いいだろ、引き分けで。」

「まあいいけどさあ。」

 とオレが言った時、休憩を知らせる笛が鳴り響く。

 プールから、一斉にみんなが出ていく。オレもプールサイドに上がろうとして、失敗する。腕に力が入らなかった。

 す、と手が差し出される。水滴を虹色に弾く、滑らかな白い腕。

 先にプールから上がったヒロの手。オレと同じくらいプール解放に来て、外で遊んでいても、そういう体質らしくて、誰よりも肌が白い。

「サンキュ。」

 ヒロに引っ張り上げてもらう。

 プールサイドは、まかれた水が湯になっているほど熱かった。体に残る水滴も、一瞬で蒸発しそうな、灼熱の光。

 それでも、吹き過ぎていく風が、ほんのわずかな涼を含んで、ヒロの髪を揺らしていく。

 オレは、ヒロを見て言った。

「なー、今日って来てるやつ少なくねえ?」

「明日が出校日だからな。」

「ああ、宿題やってんのか。」

 納得して頷いたオレに、周囲から声がとぶ。

「何だよ、その余裕の発言。」

「まあ、弘輝と策矢には関係ねーよな。」

「おまえら、七月どころか、一週間で宿題全部終わったってホントかよ。」

「くっそー、オレ、帰ったら感想文とポスターだぜっ。」

「オレ、計算ドリル、三ページしかやってねー。」

「勝った。オレ、五ページ。」

 ヒロが、薄く笑う。

「ここに来てないでやれよ。」

「息抜きだよ、息抜きっ。」

「帰ってから徹夜すりゃ終わる。」

 オレとヒロが、顔を見合わせて苦笑する。まあ、今、ここにいるやつは、少しは余裕というか、終わる目処がついているやつらなんだろう。帰ってから徹夜を、余裕と言っていいのかは謎だが。来てないやつらよりは。

「じゃあ、神社に3時な、策。」

「OK。今日は二人で遊ぼうぜ。」

 いいよな、おまえら、というユニゾンを聞きながら、ヒロと午後に遊ぶ約束をした。

 その約束が、全ての始まりだった。

 正確には、その約束を聞かれていたことが。

 オレが着いた時、神社には誰もいなかった。

 石の階段を一気に登る。あの階段を休まず登り切れることは、あの頃のオレたちのステータスだった。

 一番初めに、息一つ乱さずやってのけたのは、もちろん、ヒロで。次がオレ。

 オレは、ヒロに追いつきたかった。ヒロは、全てにおいて、自分と同じレベルのやつしか、本当の意味で友達にはしない。

 だからオレは、いつだってヒロを追いかけていた。ヒロの隣にいるために。

 階段を登りきると、眺めがいい。

 本殿を背にして見下ろす風景は、見慣れたものだったけれど、田んぼの稲が風に揺れるのが綺麗だ。もう少しすると、金色の波みたいになる。

 ふう、と息をついた時。

 石の階段を登ってくるやつが見えた。ヒロじゃないのはわかった。ちょっと見ただけでも、ヒロならわかる。なんて言うか…他のやつとはオーラが違う。ヒロは。

 今日遊ぶ余裕があるなんてオレたちだけだと思ってたから意外に思って眺めて、オレは、嫌な気分になった。理由は単純。登ってくるそいつが、嫌いな女子だったから。

 さっさと鎮守の森に引っ込もうと身を翻した時、

「まって。」

 と甘ったるい声で呼ばれた。

 チッと内心舌打ちしながら、オレは笑って見せる。オレは、本心を誰にも見せない子どもだった。ヒロと二人きりの時以外は。

「めずらしいじゃん、森下がここ来るなんて。」

 こんな田舎の背景から浮きまくっている、やけに凝ったピンクのワンピースに、細いミュール。顔は悪くはない方だったけど、性格ブスなこいつが、オレは嫌いだ。

 自分のめあての男の前だと媚びて、気の弱い女子はいじめる。厳しい教師の前でだけ大人しくする。そういうところが。去年、こいつにいじめられて、不登校になったやつは、噂では自殺未遂までしたらしい。

「プールで、弘輝くんと策矢くんが約束してるの、聞いたから。」

 笑う顔に吐き気がした。

 ヒロを呼ぶなよ、おまえの声で。

「あのね、策矢くん。」

 媚びた目を向けられて、うんざりした。かわいいと思ってんのかよ。

「お願いが、あるんだけど。」

「わりーけど、宿題は自分でやれよー。ばれたら、オレも叱られるもん。そーゆーのパス。」

「弘輝くんに、聞いてほしいの。」

 オレの言葉を無視して、勝手に自分の言いたいことだけを言う。こーゆー自己中なとこがムカつく。

「弘輝くんって、わたしのこと、どう思ってるかなって。弘輝くん、策矢くんになら…。」

 鏡もないのに、わかった。自分がどんな顔をしたか。軽蔑しきった半眼になったな、と。

 こいつ、救いようのない馬鹿だと思った。

 ヒロが、自分を相手にすると、本気で思ってるんだとしたら、頭がおかしい。自信過剰もここまでくると、いっそ哀れだ。

 身の程をしれよ。おまえとヒロじゃ、住む世界が違うんだ。

「そーゆーの聞きにくい。無理無理。」

 オレは、ははっと軽く笑ってひらひら手を振った。アホらしすぎて、これ以上、顔も見ていたくなかった。

「えー。」

 あからさまに、ムッとした顔。なんで、自分の要求が受け入れられるのを当然だと思えるんだ。

「もー、策矢くんつめたーい。たぶん大丈夫だと思っても、告る前に訊いときたいのにー。」

 それを聞いた時。

 全身の血が沸騰した。

 許さないと、思った。

 こんなやつが、ヒロに近づこうとするなど。

 こいつは汚れだ。

 ヒロに、こいつからの言葉など、一切聞かせてはならない。

 関わらせてはならない。

 こいつは、害虫だ。

 害虫は…。

 その時のオレに、ためらいはなかった。

 オレは、森下を突き飛ばした。石の階段に向かって。

 オレに出せる最大の…渾身の力で。

 ふわっと森下の体が浮き上がって、すぐに落ちた。

 グシャッと、果物が潰れるような音がした。

 頭の周りから、赤い血が広がっていく。やけにゆっくりと、石段を伝わっていく。

 目をカッと見開いている。

 あ、死んだなと思った。

 一瞬、急に静かになった。

 セミの声だけが、ひどく遠くから聞こえる。

「策!」

 全てを切り裂いて、ヒロの声が響きわたった。

 ヒロが、階段を一段抜かしで駆け上がる。茶色の髪がなびく。

「ヒロ…オレ、オレ、は…。」

「いいから来い。」

 ヒロが、ガッとオレの腕をつかむ。有無を言わせない、痛いくらいの力で、オレを引っ張って歩き出す。

 オレは、ヒロに引きずられ、本殿を通り抜けて、その裏の鎮守の森に連れこまれた。

 森のかなり奥、鬱蒼と生い茂った木々に遮られ、昼でも薄暗い場所まで来て、ヒロはようやく足を止めた。

 引っ張る力がなくなったせいで、オレは全身を支えられなくなる。

 ペタン、と座り込んだ。

 今頃になって。

 ザッと、音をたてて、血の気が引く。

 ああ、オレは、取り返しのつかないことをしたんだと、ようやく実感した。

「ヒロ、オレ、森下を。」

 最後まで言うことはできなかった。ヒロの白い手が、オレの唇を塞いだ。

 オレは目を見開く。

 膝をついたヒロは、オレの口を押えたまま、強い眼差しでオレを見据えていた。

(ヒロ…?)

 凛とした、揺らがない、いつものヒロのまま。

「策。俺の言う通りにしろ。俺が何とかしてやる。」

 オレは、夢中でヒロの腕をつかみ、口からどけた。

「何とかできるわけないだろっ。オレはっ。」

「なぜだ?」

 ヒロが笑う。自信に満ちた、見慣れたヒロの笑み。

 いつもなら、その笑顔を見るだけで、全てが満たされた気になる。

 でも。でも、今は。

 ヒロはどうして笑える?死体を見た直後に。オレが、人を殺すところを、見た直後に。

「俺たち二人で組んで、できなかったことなんてないだろ?」

 ヒロが、珊瑚色の唇に飾る笑みを濃くする。

 いきなり、抱きしめられた。

「ヒロっ…。」

 強く強く。息もできないくらい、ヒロの腕に拘束されて。オレはのけぞるように上を見た。

 つたわる、ヒロの体温。ヒロの心臓の音。

 ヒロが耳もとでささやく。

「俺たちが組んだら、無敵だ。」

 それはまるで、麻薬のように、オレを侵した。

「でも、ヒロ。」

 ヒロは、腕をほどいて、オレに視線を合わせる。

 笑みが消えた真顔。ぴんと空気が張りつめる。

「これがばれたら、おまえは今まで通りの生活は送れないぞ。」

 息がかかるほど近くで、ヒロは宣言する。長いまつ毛まで数えられるほどの距離。

 その瞳は、研ぎ澄まされた刃のようだ。

「俺は、許さない。おまえが俺の隣から消えるなんて、絶対に許さない。」

 ヒロの声は、ゾッとするほど冷たかった。人の命を何とも思っていないのがわかる、残忍な声で、堂々と言い放つ。

「あんな女を殺したくらいで、俺からおまえを奪うなど、俺は許さない。だから、全部騙してやる。」

 そこに正義などなく。崇高さとは真逆。

 なのに、ヒロの傲慢さが、眩しかった。血の通わない冷酷さに惹かれた。

 ああ、オレは。

 オレは、本当に、ヒロが好きだと思った。

「…どうしたらいい?」

 オレが訊くと、ヒロは満足そうに頷いた。

「DS出せよ。」

「は?」

「いいから。対戦しながら話そうぜ。」

 ヒロは、いたずらっぽく笑う。本当に、いつものヒロで。でも、あの状況でいつも通りでいることは、かえって狂気を秘めているのだと…ずっと後になってわかった。

 ヒロの指示通り、音量をMAXにして通信対戦をしながら、オレたちは話していた。いつもなら、ゲームしながら話すことくらい簡単だけど、今日は全然集中できなくて、オレは負けてばかりいた。

「推理小説だと、トリックを使うだろ?それで犯人が断定される。このトリックを使えたのは、Aだけだ。ゆえにAが犯人である、という証明だ。」

 ヒロは、小学生の頃から、大人が読むような小説も普通に読んでいた。

「だからトリックなんて使わなければいいんだ。」

 画面を見ながら、素早くボタンを操作して、ヒロは言う。

「じゃあ、どうするんだよ。」

 オレのキャラクターのHPが0になった。画面に浮かぶ、GAMEOVERの文字。

 オレたちは、それぞれの画面から顔を上げて、お互いを見た。

「知らないと言うだけ。」

 ヒロは、あっさり言った。

 知っていることを否定する証明はできても、その逆は難しいのだと。

「オレたちは、三時に神社に来た。鎮守の森の奥で、音量MAXでゲームをしていたから、何も聞いていない。森下が、いつ神社に来たかも知らない。四時頃、ゲームをやめて帰る時に、死体を「発見」して通報した。」

 できるな、と言うようにヒロがオレを見た。オレは、ヒロの言葉を頭の中で繰り返す。大丈夫、できる。 いや、やってやる。

 ヒロとオレの二人が組んで、できなかったことなんてない。今までも、これからも。

「四時前に、誰か来て死体を発見したら、どうする?」

 いくら明日が出校日だからって、誰も来ないとは限らない。

「ちょうどいいじゃないか。」

 ヒロは楽しそうだ。難易度の高いゲームにでも挑戦しているみたいに。

「そいつと一緒に死体を「発見」すればいい。」

 サプライズもハプニングも歓迎、とでも言うかのように。

「ああ、それから、死体「発見」した時に、おまえ、死体触れよ。」

「わかった。」

 オレは、突き飛ばす時に、森下に触っている。「発見」した時に触ったことにすればいい。

 ヒロの目が光る。真夏の太陽のように、きらきらと輝き、容赦なく地上の全てを射抜く。

「森下は、誰かに突き落とされたのかもしれない。何らかの原因で、自分で落ちた事故かもしれない。どちらにしても、オレたちは何も知らない。知らない立場で「推理」を言う。いつものオレたちなら、そうするだろ?」

 いつものオレたちなら。

 昨日までの…十分前までのオレなら。

「…ああ。いつものオレたちの通りに。」

 オレは頷く。これからも、今までのオレたちでいるために。

 それから四時まで、ゲームを続けた。

「身内のアリバイ証言は信用されないって知ってたか?でも、オレたちは家族じゃないから平気だな。」

と、ヒロは言う。

「法律を考えたやつは、家族を守るように友達を守る人間がいるとは考えなかったんだな。オレたちにとっては、好都合だ。」

 ヒロは、ゲームの電源を切った。立ち上がる。

「四時だ。」

と。

 ヒロは歩き出す。オレは後に続く。

 本殿に近づいて、木々が途切れた。

 真夏の日射しを背負って、ヒロの姿は、太陽よりも眩しい。何が起きても揺らぐことのない、完璧な笑みを浮かべて。

 ヒロがオレに向かって手を差し伸べる。

「行くぞ、策。」

 すとん、と。

 その時、本当に覚悟が決まった。

 オレは、この手をなくしたくない。

 だから、全てを闇に葬る。

 ちゃんと罪を認めて、償うべきなのは百も承知だ。きっとその方が、心の平穏も得られるんだろう。

 だけど、オレは、ヒロの隣を選ぶ。

 オレはオレの意志で、罪を重ねる。

 オレは、ヒロの手をつかんだ。強く握った。

 ヒロが同じくらいに強く握り返した。

「うわああああああああああああっ!」

 聞こえた悲鳴に、オレたちは視線を絡めて頷き合う。

 さあ、幕が上がった。

<現在>

 悪酔いしそうなのはわかっていたから、今夜はオレはあまり呑まなかった。

「もうお開きにしよーぜ。明日おまえもバイトだろ。」

 ふだんの呑み会からすると、まだ宵の口だ。もうお終いかよと言い出すかと思ったが、ヒロは

「…ふうん。」

 と、意味ありげにオレを流し見ただけだった。

「いいけど、面倒だから泊まらせろ。」

 と、ソファにごろ、と転がる。ヒロは、オレしかいない時は、いつもより行儀が悪い。それでも、どこか気品があって優雅だ。何をしていても、動きが洗練されているというか、単に美形は得、ということなのか。

「って、隣にもどるだけだろーが。」

 学生向けの、ワンルームマンション。ヒロの部屋はすぐ隣なんだが。

「まあいいけどさあ。」

 オレは、グラスや酒瓶を片づけるために立ち上がる。部屋で呑む時の片づけは、家主の方がすることになっている。

 流しで洗い物を済ませて戻ると、ヒロはもう寝息をたてていた。

 普通、寝顔は幼くて無防備になるやつが多いけれど、ヒロは、起きている時とそんなに印象が変わらない気がする。

 単に綺麗に整っているというだけではなく、誰もが惹きつけられるような華やかさと、ドキリとするほどの妖艶さと。

 そういえば、ヒロは、オレ以外のやつより先に眠らない。自然教室の時も、修学旅行の時もそうだった。

 ローテーブルに肘をついて、ヒロの寝顔を見下ろす。

「そういえば、おまえ、一度も聞いたことないな、オレがあの女を殺した動機。」

 ヒロは、何も聞かなかった。オレも何も言わなかった。一度も確かめたことはない。確かめないまま、八年が過ぎた。

 ヒロは、気づいていなかったのだろうか。それとも、全てを知っていたから、周囲の全てを欺いて、騙し通したのか。

 オレのために。

 当時、たった十二の少年だったヒロは。

 オレは、捕まるどころか、疑われることすらなかった。

 オレは、あの夏を、忘れた日はない。

 あの時の、目も眩むような怒りも。

 虚ろに二つの目を見開いたままの死に顔も。

 通夜の席での、憔悴しきった森下の両親の姿も。

 指先が震えて止まらなくなるほどの、恐怖に近い罪悪感はある。けれど、オレは、後悔したことはないのだ。

 わかっている。いつか、報いは受ける。

 地獄に落ちる。

 オレは、それだけのことをした。

 ヒロに抱きしめられたまま見上げた空は、青かった。

 生い茂る木の葉の隙間に見える、遠い天。

 目を射るほど眩しい、どこまでも高い、心が溶けるような、紺碧。

 真夏の蒼穹。

 あんなに青い空を、オレはその後に見たことはない。

 遠い夏の日の、もう戻らない青さだ。

 あれは、オレが子どもでいられた、最後の夏だっだ。             

                  終


 読んでくださった方がいらっしゃったらとてもうれしいです。ありがとうございます。

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