魔王様 人に会う
この世界には、大きく分けて四つの大陸がある。
一つは魔物の大陸。生還があまりに困難なため“死の大陸”叉は“暗黒大陸”等とも呼ばれているが、各国に浸透してる呼び方はやはり“魔物の大陸”である。
残り三つは総じて“人間の大陸”と呼ばれているが、それぞれに別の呼称が存在する。
まず一つが“ローフレ大陸”中央大陸とも呼ばれるここは、その名の通り地図の中央に位置し、他のどの大陸よりも大きく、叉、幾つもの国家を有している。
そのローフレ大陸から地図を南に下ると、海を挟んで横に長い大陸が存在する。
そこが二つ目の人間の大陸“キャルケー大陸”別名、砂の大陸。この大陸は、大陸の半分の面積が砂漠で占められているためそう呼ばれている。この大陸には一つしか国家が存在しておらず、この国の国民を中央大陸の人々は“砂の民”と呼んでいる。
中央大陸に戻り北西へと目を向けると、そこには最後の大陸“シミレー大陸”が見える。ここは公には海の大陸とも呼ばれているが、冒険者や傭兵の間では“亜人の大陸”と呼ばれる事が多い。それというのも、“本土”と呼ばれる大陸の周りを小さな群島が囲い、その一つ一つに別の亜人種族が住んでいるからだ。
そのローフレ大陸の北東の端に、山に挟まれた小さな森がある。
この森は素材に恵まれず大陸の端なため、当然のように人の出入りはない。 森から続く道も荒れ果て録に整備もされていない。
そんな大小石ころが転がり草が伸び放題の道を、一人の魔王が歩いていた。
相も変わらず黒い衣服を身に纏い、周りの景色を楽しみつつ、街道を東から西へと向かっていた。
そう。一人で。
ドラゴンを治療に出させた後、魔王はまず己の髪をバッサリ切った。身代わりの依り代にするためである。
魔王は自分の分身を生み出しその出来映えに頷くと、兼ねてより研究しついに完成するに至った“透化術式”を発動させた。
自分を透明化させる魔法は古来より存在していたが、使い勝手や燃費が悪くあまりメジャーな魔法ではなかった。更にこの魔法は、姿は透明になるが魔力、気配、熱と様々な方法で感知されるので、透明化の意味を為さないため使う者もいなかった。
しかし魔王はそこに目をつけ、長年の研究と研鑽の末に、完璧な透明化の魔法を作り出した。
魔力、気配、熱は勿論の事、例え触れられても気付かれる事がない意識操作の術をも組み込み、そこに存在することをまるで気取られることのない魔法が出来上がった。
しかし、デメリットは勿論存在する。
まず、この魔法が複合術式な上にコントロールに多大な集中力を要するため、この術式の発動中は他の魔法は使えない。次に、強い衝撃を受けたり集中を切らしてしまうと発動が解けてしまう。最後に、使う魔力が莫大なものになってしまった為に、例え魔族といえど長時間の発動は困難を極めるだろう。
その透化術式を発動させた魔王は堂々と魔王城を抜け出し、そのまま三日三晩魔物の大陸を駆け抜け、更に丸一日海を泳ぎ続けて、人間の大陸までやってきていた。
ここまでの計画に優に五十年は掛かった。
透化術式の研鑽や開発のため度々城を抜け出し、野生の魔物にも効くか効果を試し続けた。
人間に関する書物を読み漁り、人間に会ったことのある魔族にそれとなく会話を振ってみたりして、人間社会の調査を進めた。
自分の分身を生み出すため、依り代になるであろう髪も伸ばした。
そもそも魔王は前の魔王に作られた存在だ。ある一定の知識を持って成体のまま生まれてきたため、魔物の大陸から出た事はなく、故に人間に出会った事もなかった。
それでも生まれて最初の百年は国事に従事した。生まれ持った知識に人間が攻めてくるかも、というのがあり、国力を高め魔物の被害を押さえ国民が安全で豊かに暮らせるシステムを構築した。
しかし百年を越えた辺りで疑問を持つようになった。
攻めてくるという知識にあった人間は待てども待てども攻めては来ず。
屈強な戦士を選抜、育成したため、魔物の討伐に自分が出ていくこともなくなった。
国内の陳情を聞くため謁見を毎日行うようにしたが、この時には既に優秀な臣下が集っていたため、それも日に日に減っていった。
大体魔族は寿命も長く、一度仕事を覚えてしまえば魔王のやることは殆どと言っていいほどなくなった。
魔王の考えも「国を脅かす愚かな生物、人間」から「見つけたらなるべく傷つけず丁重に扱えよ! どれくらい滞在してくれるかちゃんと聞けよ!」になっていった。
そもそも魔王の容姿は人間のそれと変わりないと臣下に指摘された事があり、それも魔王の興味を惹く一因になっていた。
しかしやはり人間は現れなかった。
人間側の事情としては、厳しい航海の末に人間の大陸の魔物より強い魔物のいる森を抜けると、その先に待っているのが、人間より遥かに強い魔族が住む国なのだから、特に攻めて来られる訳ではないので放置しておこうというものだ。
暗雲垂れ込む魔物の大陸なのだから攻め込むメリットもないのである。
しかしそれを知らない魔王は毎日人間を待った。
百五十年を過ぎた辺りで
魔王は人間を見に行くことを決めた。
魔王の臣下がついてくる事が予想されたので身代わりを置いていく事にした。別に人間の大陸を攻めるわけではない。チョロッと行って直ぐに帰って来れば問題ないだろう。
不在がバレて国が割れても困るので、身代わりがどの程度もつかも計算済みだ。簡単な受け答えは勿論出きるし、練り込んだ魔力量から考えて二年は持つことだろう。
万全の準備を終えた魔王は、四日前に長年に渡る計画を実行し、人間社会を見物するために人間の国を目指して歩いていた。
いかな魔王と言えど、四日もぶっ続けで魔力と体を酷使し続けた為、疲労は蓄積し魔力の残量も十分の一程度まで落ちていた。
本来なら一度体を休めて回復に努める所だが、人間の大陸にいるという事実が「もしかしたらもうすぐ人間さんに会えるのでは?!」という期待に変わり足を止められずにいた。
そんな魔王が歩く街道から草原を挟んだもう一つの街道を馬車が疾走していた。
馬一頭で引く荷馬車で、御者台には爺さんが必死の形相で馬を急かしていた。
その後ろから、唸り声を上げて白い毛を生やした狼の群れが現れる。
疲れるのを待っているのか、左右に分かれ一定の距離を保ったまま一向に馬車に襲い掛かろうとしない。
ボンヤリと前を見ていた魔王だったが、馬が大地を蹴る音に気付き、視線を馬車に向ける。
魔王の目に爺さんが入った瞬間、魔王は残像を曳きつつ駆け出した。
瞬く間に馬車に追いつき、爆走する馬に平気な顔で併走する魔王。
(これは……、老人さんだ! やった! なんてこった! まさか初めて会う人間が老人さんとは! 俺はツイてる!)
魔族の中には老人はいない。成長が成体で止まってしまい、そこから死ぬまで老化することがないからだ。
魔王も赤ん坊から子供、成体までは当然見たことがある。魔族の生殖能力が低いとはいえ、二百年間子供が生まれないということはないからだ。
しかし魔族に囲まれて生きてきたため、これまた当然老人を見たことはなかった。
今、魔王が見つめている爺さんは、書物に書いてある特徴をしっかり備えていた。
頭は禿かけており残る毛髪も白く、手や顔は皺だらけで、今は汗まみれになっていた。
魔王は初めてみる人間に興奮すると同時に激しく緊張もしていた。
(大丈夫。何度も会話の練習をしたし、俺の見た目は人間らしいから、魔族ってバレる事もないだろう。大丈夫大丈夫、落ち着いていけ俺)
魔王は深く息を吐き出すと、軽く手を上げて笑顔で言った。
「やあ、こんにちわ! いいお天気ですね」
「ひ、ひぃ。……あ、あえ? なん、なんじゃお前さん?!」
今までしっかり手綱を握りしめ目を瞑っていた爺さんが、突然声を掛けられた事に驚き、そこで漸く魔王の存在に気付く。
返事が返ってきた事に気を良くした魔王は爆走しながら会話を続ける。
「俺の名前はオーマ。旅の者です」
因みに魔王に名前はない。前の魔王が今の魔王を生み出したときにつけなかったためだ。臣下に頼んだ所、「魔王様の名前をつけるなどとんでもない!」と拒否され、結局自分で一昼夜悩んで捻りだした名前をとりあえず名乗ることにした。
魔王が会話に手応えを感じこのまま老人さんに上手く人間の事を聞いていこうとした時、狼達が動いた。
突然現れたこの闖入者は邪魔者だと判断したのか、一匹が魔王に飛びかかった。
魔王の死角から首筋目掛けて飛びかかってきた白狼を、魔王は一瞥もせず手刀で首を斬り落とした。
一瞬の出来事だったため、一部始終を見ておきながら何が起こったのかわからず、突然落ちた狼の首に爺さんが驚いてあんぐりと口を開く。
狼達は先に足を止めることに決めたのか、魔王の反対側から一匹が馬に飛びかかり、更に二匹が魔王に飛びかかった。
魔王は次の会話を頭の中で模索しながら、自分に飛びかかってきた二匹の首を手刀で瞬時に斬り飛ばし、残像が残る程の速度で跳び上がり、馬の背に手をつくと、そこを起点に回転する要領で馬に噛みつかんとしていた白狼に蹴りを叩き込み絶命させる。
「――面倒だな」
魔王はそのまま器用に回転して馬の背中に降り立つと、無詠唱で幾つもの風の刃を生み出し狼の群れに放り込んだ。
風の刃の射線上にいた狼は全てナマズ切りにされ、その屍を草原に晒した。 生き残った狼達はキャンキャン鳴くと、慌てて踵を返し、街道を戻っていった。
狼達が去った後には、狩られた狼の骸と草原に刻まれた風の刃の痕だけが残った。
魔王はそれを確認すると爆走する馬の上で絶妙なバランスでゆっくり腰を下ろし、未だ驚き続ける爺さんに目線を合わせて笑顔でこう言った。
「もしよかったら、少しだけお話の方をよろしいでしょうか?」
爺さんは驚いて手綱を引き、馬が急停止したため、魔王は笑顔のまま前に飛んでいった。