ある恋人の手紙
七夕の時期以外に読んでもらってもわかるようにも書いたつもりですが、
七夕の時期に読んでもらえると情景が湧きやすいかと思われます。
拝啓
お体の方は変わりないでしょうか。こちらは、体も景色も変わることもありません。僕の作業する後ろには青色に輝く地球がこれまた変わることなく回り続けています。
変わったものといえば、作業着がいつも爽やかなワイシャツから、密封されたような宇宙服になったことと、おはよう、と挨拶する人が隣にいないことくらいです。
少しさみしいですが、毎日の仕事がそれを埋めてくれるような気がします。
子供の頃から夢見てた、宇宙での仕事が、まさか本当に出来るとは思ってもいませんでした。
肉体的にも精神的にも前の仕事に比べて厳しくなりました。その分、給料は良くなりましたが、ここでは使えませんし、一緒に使ってくれる相手もいません。ですが、地球に残ったあなたの生活が滞りなくできていれば、これよりうれしいことはありません。
火星に移住する計画が、全世界を挙げてのことだというのは、こちらに着いてみて、初めて実感できました。僕と同じ人種で同じ言葉を話すのは、作業員全員集めたって10人いるかいないかです。あとは、白人から黒人、早口な言葉からおっとりと話す人、性格だって人それぞれです。とにかく千差万別な人間が集まっています。
それでも、悪い人というのはほとんどいません。やっぱり根っこはおんなじ人間なのだと感じほっとしています。それだけ心配していたので安心しています。あなたは、心配症だから、体の事や、仕事の事、他にも僕が思いつかないことを沢山心配してくれているでしょう。
安心してください。と言ってもあなたは心配するのをやめないのは知っていますが、一応言っておきます。
火星では、海を作っています。
知っていましたか。今でこそ火星には海はないですが、昔は満々と湛えた母なる海が広がってようなのです。それを蘇らせることが出来れば、きっと様々な生物が生まれることでしょう。
火星は寒くて、室内にいる時以外は、作業着の着用は必須です。火星に着きたての頃、仲良くなった奴が普通の服で外に出たら、すぐにかちこちに固まってしまって、急いでお湯を掛けて解凍したのを覚えています。
それを見た僕たちは、どんな小さい用事で外に出ることになっても、10分以上掛けて作業着を着てから外に出ています。
今している作業は至ってシンプルで、地球から持ってきたものすごい量の海水を流し込む場所を拓いているところです。
乾いた砂まみれで、汗まみれだけど、自分がやりたかったことが出来て本当に幸せです。
地球を離れる前にあなたがくれたお守りを肌身離さず持っています。あなたの代わりだと思って。
だけど、本当のあなたがいればもっと幸せです。早く休みをもらってあなたに会いに行きたいです。
あなたに会ったら何をしよう。
買い物に行こう。一緒にご飯を食べよう。他愛のないことで笑い合おう。いい匂いがする黒い髪をなでよう。手を繋いで一緒に寝よう。
仕事の話しはあまりしたくないな。あなたに心配ばかりさせてしまうから。
最後になってしまいましたが、次に帰れるのは、7月頃になると思います。
ちょうど、七夕の季節になりそうです。彦星みたいに会うのをサボらないように、お休みが貰えたらできる限り会いに行くつもりです。
地球と火星の連絡手段が、手紙だけなんて、人間の技術なんて大したことないね。筆不精の僕にはちょっとばかり苦労します。もちろん、手紙を送るのも怠けないようにするけれど。
筆不精の汚い字でごめんなさい。
それでは、来月、あなたの眩しいほどの笑顔を見れるの楽しみにしています。
久しぶりに会うからって泣いちゃあだめだよ。
お体に気をつけて。
火星より愛を込めて
たったこれだけのことを書くのに、紙を5枚も無駄にしてしまった。筆不精の面目躍如と言うところだろうか。
仕事では、力仕事しかしていない。手紙を書く為に久しぶりに机に向かっていると、地球で仕事をしていた時を思い出し、懐かしさが蘇ってきた。
懐かしさと共に蘇ってくるのは彼女の顔だった。
デスクワークに追われていた僕を慰めてくれた柔和な彼女。仕事を辞めた、と伝えた時の驚きと悲しみが入り混じったような顔。この仕事に採用された時に、一緒に手を取って顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら喜んでくれた時の顔。
あの時の顔を思い出すと、どうしても笑いを堪えることが出来ない。
封筒に書いていた宛名が思い出し笑いのせいで、文字がぶれてしまった。書き直そうかと思ったが、もう余計な封筒が無かった。仕方なくそのまま書き続けた。
書き終えて、椅子に座ったまま伸びをしたあと机の上にある時計に目をやると、5時まで後20分程だった。
急がないと、5時が最終便になっている地球行きの郵便船は出て行ってしまう。
僕は、急いで外へ出る支度を始めた。支度に10分は掛かってしまう。
思い出したように、机の引き出しから切手を取り出し、慌ただしく貼り付けた。先に着替えてしまっては分厚い手袋のせいで貼れなくなってしまう。
左隅に貼った切手は曲がっていた。よろよろと書かれた名前に寄り添うように。
地球で留守を預かっている私は、予想以上に長引いた仕事に辟易しながら、疲れきった顔をして家へと戻った。
何枚かの安っぽい紙のチラシと封筒が入っていたポストに手を伸ばした。
滅多に受け取ることのない封筒を訝しりながら、宛名の書いた面へと視線を落とすと、そこには見覚えのある文字と別の惑星からの消印。
怪しんでいた顔はみるみるうちにほころび、疲れも吹き飛んでいくようだった。私は、急いで家に入ると、シャワーも浴びずに、手紙をしたためた。
拝啓
あなたと見た桜の花は、あなたが火星に行ったあとすぐに散ってしまいました。まるで、桜があなたを見送るまで散るのを我慢していたかのようでした。
その桜も、来年の春に向けて青々と茂り、冬を乗り越えるための準備に入ったように感じます。
体を心配してくれてありがとう。私は、隣で寝ていたいびきのうるさい人がいなくなったからよく眠れているおかげで、前よりも元気な気がします。
御飯も、一人分の準備にようやく慣れてきました。最近までは、作りすぎちゃって苦しくなるほど食べたり、お隣さんにおすそ分けしたりしていました。
最初、あなたから会社を辞めたと聞かされた時はびっくりしました。私、きっとヘンな顔してたでしょう。だけど、それくらいにびっくりしたんですからね。
それから、やりたいことが出来るかも、と言って子供みたいな笑顔を見せたこともはっきりと覚えています。笑顔はいっぱい見てるけど、あなたのあんな無邪気な顔を見るのは初めてだったから。
それから、子供の頃の夢を話してくれましたね。いつもは、照れくさそうに言葉少なに話すあなたなのに、その時だけは、本当に子供のように、大好きだった宇宙の事や星の事を教えてくれましたね。あなたの目が星のように輝いているようだったのを覚えています。
今の仕事に採用された時、あなたは何だか呆然としていましたね。私ばっかりわんわん泣いちゃって、思い出すだけでも恥ずかしいです。
呆然としていたのは、憧れの仕事が出来るのにちょっと怖気づいちゃったんじゃないかと思って。憧れは憧れのままでいたいのかなと思ったの。
だけど、あなたは今立派に仕事をしてる。憧れるだけでなく、憧れの中に飛び込んでる。
とっても素敵です。かっこいいです。
本当は、一秒でも早く会いたいです。
会っても、あなたから話さない限り仕事の事は聞かないから。ゆっくりしてもらいたいもの。
朝はあなたを起こして、スクランブルエッグを食べさせたいの。あなた朝食にスクランブルエッグ無いとちょっと拗ねるものね。
昼は、木々の隙間から漏れるお日さまの光を浴びてお散歩をしたい。そよぐ風と、やわらかで青々とした芝生に身を委ねながら。
夜は、あなたと一緒のベッドで寝たいな。あなたはこの時期は蒸してるからくっつきたがらないだろうけど、私はくっついて眠りたい。あなたの心臓の音を聞きながら、心臓をの鼓動を重ねるように寄り添って眠りたい。
お休みは短いかもしれないけど、地球に戻ってきたら一分でも一秒でも一緒にいたいです。
そうすれば、また次のあなたのお休みまで頑張れます。
火星に季節があるのかわかりませんがくれぐれも体にだけは気をつけてくださいね。
あなたの方こそ、泣いたりしてたら思い切り笑ってあげるから覚悟していてくださいね。
宇宙中の愛を込めて
シャワーと食事を終え、録画していたドラマを消化しようと、テレビを点けた。
テレビでは、今がピークと言わんばかりの芸人が笑いを取っていた。
興味は無かったので、チャンネルを替えようかとリモコンを手に取った時だった。
画面は急に切り替わり、アナウンサーが一人映し出されていた。
「ここで、臨時ニュースをお送りします。なお、このニュースは全世界同時放送です。地球から火星へと派遣された作業員が、作業中の落盤事故に巻き込まれ、多数の死傷者が出ている模様です。」
私は思わず息を飲んだ。どうか、あなたの名前は出てきませんように。心のざわめきを隠すように持っていたリモコンを握り締めた。
「我が国から派遣された犠牲者も出ている模様です。現在確認されている犠牲者は、首から下げたお守りを、右手に固く握りしめていた模様です。引き続き情報届き次第発表させていただきます。」
臨時ニュースは終わり、番組はまた笑いに満ちたものに戻った。
私の手からはリモコンが滑り落ちる。手だけじゃない。全身から力が抜け、ソファに倒れ込んでしまった。頬には溢れ出るように涙が伝い落ちる。
落ちた涙が、小さな海のように広がっていた。火星にも海ができたような気分だった。
私が目を覚ますと、時計は深夜を指していた。泣き疲れて眠ってしまったらしい。
時計を見た私は、思い立ったように立ち上がり、明日出すはずだった、行き場を失った手紙を握り、家の屋根へとよじ登った。
手紙を胸に置いて大の字になると、空には星々がぶちまけたように散らばっている。そういえばよく晴れていた。あなたの無邪気な笑顔が不思議と思い出された。
私は立ち上がって、感情をぶつけるように封筒と共に手紙を千々に破いた。
千々となった手紙を、掬った水を空に投げるように空へ向かって投げつける。手紙のピースが星に重なった様な気がした。
私は、星を見上げ、夜の帳を引き裂くように泣いた。火星にいるあなたに届くように。
空には、無数の星が密集し、川を作り上げている。
私の涙に呼応するように、天に掛かる川から流れ星が一つ、夜空を滑るように駆けた。
泣いている私に、あなたが駆けつけてくれたような気がした。
読んでいただきありがとうございます。
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