7.順風そして波乱
エリアスの学校生活は、概ね順調にすぎていった。
エリアスはまず真っ先に、アイアリスに魔術について訊ねたが、結果は芳しい物ではなかった。この『学校』では魔術を教えていないということだった。簡単な魔術は、一〇歳頃から家庭で教えるもので、もっと上位の魔術を学びたければ、その後、魔術学校などに通って学ぶらしい。
「魔術は、子供にはあぶないから。それに、まずは読み書き計算をおぼえないと」
アイアリスに言われ、エリアスは確かにその通りだと一応は納得することにした。
アイアリスはエリアスに文字を教えるため、本の読み聞かせを行った。『学校』の図書室には色々な本があったので、題材には事欠かなかった。最初は絵本から始めて、エリアスの理解が意外に早いことがわかると、少しずつ、子供向けの小説などの読み物に移っていった
アイアリスはなかなかの博識のようで、わからない単語について尋ねると。国名や人名、道具や社会制度に至るまで、何かを調べることなくすぐにその場で詳しく教えてくれた。そのおかげで、エリアスの語彙や常識は急速に発達した。
程なくして、ライティングに関しては単語の綴りの間違いが多く、まだまだだったが、文字を読むことに関しては概ね問題なくできるようになっていた。
「ねえアイアリス、次はこの本を読んで」
それでも、美しい年上の姉に本を読んでもらうことは心地よかったので、エリアスは、たまにアイアリスに読み聞かせをお願いするのだった。
算術はもう少し難しかった。数字表記が複雑だったのである。まず基本として0から9までに相当する数字があり、基本が一〇進数表記なのは、元の世界のアラビア算用数字と同じだが、一〇、十一、十二にも専用の数字が割り当てられていた。また、二〇の倍数の時は特別な表記方法があり、その他にも、百や千を表すときは表記が違うなど、様々な例外が存在した。
(これは、ローマ数字にちょっと近いかな。12進数とか20進数の影響があるな。歴史的事情だろうか)
しばらく訓練することで元の世界の数字から、なんとか変換できるようにはなったが、問題は、この複雑な表記を使って計算を行わないといけないということだった。
途中計算はアラビア数字で行い、計算結果だけ変換して書くという手が真っ先に浮かんだが、エリアスはこの世界で今生を生きていくのである。いつまでも元の世界の文字数字を使うのも何か違う気がした。
結局、計算中はこの世界の0から9までの数字だけを使って、アラビア数字風に計算を書き、計算結果が出たら、正式な記法に書き直す、という方法に落ち着いた。
「この数字はなに?」
数字の練習に、五桁までの加減算が載っている計算ドリルを解いていると、アイアリスが覗き込んできた。
「計算式を書き直したものと、途中の計算です」
「でもここ、二〇の書き方が違う。ここもおかしい」
「でもこの方が計算しやすいし、わかりやすいでしょう? 最後にちゃんと書き直していますから、大丈夫です」
エリアスの答えを聞いて、アイアリスは衝撃を受けていた。アイアリスは計算が苦手だった。しかしそれは、計算能力が低かったのではなく、実は。例外事項の多すぎる数字の読み書きでつまづいていたのだった。
「すごい……。これなら、わたしにも簡単に計算できる」
エリアス流の数字記法を真似して計算問題を解いてみたアイアリスは、今までの算術への苦手意識ががらがらと崩れていく音を聞いていた。
◆◇◆◇
入学して当初は、初年生は、午前からの流れで兄や姉と昼食をとることが多いのだが、慣れてくると兄や姉も、同年代のつきあいがあったり、別の用事があったりするので、初年生同士で食事をとることが多くなる。
しかしアイアリスは、好んでかどうかはわからなかったが、三年生の中では孤立していたので、もっぱらエリアスと一緒に食事をしていた。
食堂の端の方で二人で寂しく(当人達はそうは感じていなかったが)食事をしているのを見かねたのか、いつしかドノヴァンや初年生の男友達、イリーナが一緒に食事するために、時々やってくるようになった。
イリーナは例によって、少し離れたところから、仲間になりたそうにこちらを見ながら一人で食事していたのを、ある日見かねたドノヴァンが無理矢理引っ張ってきた。それ以来、自分からたまに同席するようになった。
この日はドノヴァンとイリーナと4人での食事だった。
「しかし、アイアリスさんはすごい綺麗でうらやましいな。俺んとこの兄貴なんてごついドワーフだぜ」
「ドワーフにはドワーフ、獣人には獣人をなるべくつけるのが普通なんだから、仕方ないじゃない」
「『普通』って言ってもな、エリアスの場合はどうなんだよ。なんにも『普通』じゃないじゃないか。男なのに姉だし」
パンとスープを口に運びながら、ドノヴァンとイリーナが話しかけてくる。最初に妙な雰囲気になってしまったのを反省したエリアスが、ネコ耳欲を自重したため、今ではイリーナも普通に話してくれるようになっていた。
「綺麗とか、そんなこと……、ない」
アイアリスが弱々しく否定する。これまでのつきあいで、アイアリスは、あまり自分の容姿のことを言われるのが苦手なようだと気づいていたエリアスは、話題を変える。
「そういえばドノヴァンとイリーナの兄と姉はどんな人なんですか?」
「兄貴も鍛冶屋の息子だぜ。まあドワーフだしな。なんか変なもんばっかり作ってるぜ。作り方教えてくれるんだけど、何の役に立つのかわかんねえ道具ばっかりだ」
仕方ねえなあの人は、と言う口調でドノヴァンは漏らすが、その顔はどこか誇らしげだった。
「にゃ! 私の姉はね、剣が得意なのよ。剣士目指しているんだって。男子にも負けないくらい強いんだから!」
イリーナが自慢げに言った。なんだかんだで、二人とも、兄と姉に信頼と尊敬があるようだ。
「うちの姉だって負けてないですよ。何でも知っていて教えてくれますし、何よりこんなに綺麗なんですから。あっ」
エリアスは、つい対抗意識でアイアリスを褒めたのだが、せっかくそらした話題を戻してしまった。しまったと思い隣を見ると、アイアリスは、少しうつむいて顔を赤くしていた。
◆◇◆◇
ゲイルはちょくちょくアイアリスにちょっかいをかけてきた。というより、食堂や教室で遭遇すると、たいてい絡んできた。
「アイアリス! 初年生と食事とか友達いないのかよ。俺が一緒に食べてやろうか? わはは」
「おいアイアリス! またエリアスと一緒かよ。お前らできてるんじゃないのか? 乳臭い初年生が趣味とかどうかしてるぜ!」
「アイアリス! 今日の運動の時間はカリケットだぜ。ペア組む相手いるのか? いるわけないよな。俺がペア組んでやろうか? なんてな! 一人で寂しく壁打ちがお似合いだぜ」
(なんだかなあ……)
アイアリスは基本取り合わないし、ゲイルにしても、しばらく絡んだ後どこかに行ってしまうのだが、さすがにうっとうしくなってきた。
(アイアリスと一緒に何かしたいと言い出したいけど、照れが邪魔してからかう方向に行っちゃうんだろうなあ。あとはいつも一緒に居る僕への嫉妬か)
エリアスはゲイルの心情を割と正確に分析していた。かまって欲しくて、好きな子にいじわるをしてしまって嫌われるパターンに、完璧にはまっていると言える。
(これだけ酷いと、ゲイル君を応援する気にもならないな。むしろ僕の愛らしいアイアリスを、こんな奴に渡すわけにはいかない)
とはいうものの、エリアスは、ゲイルに対して何か対抗策を講じるわけでもなく、ゲイルの襲来を迷惑な通り雨くらいに思っていた。
そんなときにそれは起きた。
アイアリスの待つ、いつもの六番教室に向かう途中、エリアスはゲイル達3人に遭遇した。
「おいお前! エリアス!」
ゲイルに呼び止められたエリアスは、嫌だなあと思いつつも仕方なく立ち止まり返事をした。
「はい、何でしょうか?」
「お前、いつもアイアリスと一緒にいて! 恥ずかしくないのか? 男だろ!」
エリアスにはゲイルの論理がよくわからなかった。男は男同士つるむ物であり、いつも女と一緒にいるのは恥ずかしいということだろうか。
「言っていることがよくわかりませんが、別に恥ずかしくないです。むしろアイアリスと一緒で楽しいですよ」
エリアスは自覚していなかったが、この一言はゲイルの頭に血を上らせた。アイアリスと一緒に居たいがその願いがついぞ果たされないゲイルにとっては、この台詞は自慢に聞こえたのである。
「お前が楽しくてもアイアリスが迷惑してるんだよ! 初年生みたいな子供と一緒だと、俺たち三年生は子守りしてるようなもんだからな!」
もはや言いがかりである。兄、姉役が弟の面倒を見るのは、この『学校』の制度である。そもそもゲイルも三年生である以上、弟になっている子がいるはずである。その扱いがどうなっているのか気になる発言である。
(彼が兄についた子はかわいそうだな)
見知らぬゲイルの弟に同情しながら、エリアスは言った。
「アイアリスも楽しいと思いますよ? 二人で勉強するようになってから算術が楽しくなったと言っていましたし、最近は食事の時にも時折笑顔を見せてくれるようになりました」
二人で楽しく勉強して、一緒に食事をする。そして愛らしいアイアリスに笑いかけてもらう。ゲイルが望んでも得られなかった理想がそこにはあった。それをまざまざと示されたゲイルは、すでに頭に血が上っていたこともあり、この一言で激昂した。
「このっ、こいつ! 生意気なんだよ!」
ゲイルは拳を握りしめ、エリアスを殴りつけようと右手を振りかぶった。その時、
「やめて!」
アイアリスの制止の声が響き渡った。
◇◆◇◆
まだまだ拙いですが、慣れてきて少しずつ文体が安定してきたような気がします。