5.学校初日1
「ではアイアリスさん、後はよろしくお願いします」
アイアリスをエリアスの姉に任命すると、教員は立ち去ってしまった。エリアスは少女――アイアリスと二人残されてしまった。あらためてアイアリスを眺めて、思わず嘆息する。
年の頃は小学校低学年くらいであろうか。腰まであるさらさらのストレートの銀髪。大きな瞳。長いまつげ。美しく通った鼻先の下には、儚げな唇。すらりと長い手足。残念ながら、身体に女性らしい凹凸があらわれるのはまだ何年も先であろうが、その凹凸のない身体が逆に犯罪的な香りを匂わせている。着ているのは草色の質素なチュニックであったが、その飾り気のなさが逆に清楚な魅力を出している。
紛れもない美少女、いや美幼女であった。
(これは……、僕にロリコンの気があったらヤバかったかもしれない)
精神的には二十歳前後であり、幼女はさすがに守備範囲外のはずのエリアスがそう評するほど、整った容姿であった。
「僕はエリアスと言います。六歳です。アイアリス先輩、よろしくお願いします」
「先輩はいらない。アイアリス。 九歳。三年生」
「えっと、アイアリスさん?」
「さんもいらない」
「アイアリス」
「うん」
簡単な自己紹介が終わると、アイアリスは元いたように座り直すと、ぽんぽんと隣を示した。座れということだと解釈して、エリアスはアイアリスの隣に腰掛けた。
アイアリスは少しほっとした表情を見せた。いきなり姉に任命され、小さな子供をどう扱っていいかわからなかったので、緊張していたのだが。エリアスが思ったよりしっかりとした受け答えをしたので、少し安心したのだ。
「えっと……」
アイアリスは、何から話そうかと小首をかしげて少し逡巡する。その姿も愛らしい。
「そうだ、『学校』のこと。教える」
アイアリスはぽつぽつと、つぶやくような口調でゆっくりと話し始める。
社会や歴史、運動(体育)は学年ごとに全体授業があること。読み書き計算やそれ以外の細かいことは姉であるアイアリスが直接教えること。その他食事は食堂でとること。ここにはいろんな身分の子がいるが、身分で威張ったり、へりくだったりしてはいけなく、平等であること。といった、『学校』の全体のこと、注意事項などを、説明してくれた。説明は淡々としていたが、要所を押さえておりわかりやすかった
ここにはだいたい六、七歳で『入学』してくるが、個々の事情によりばらばらであるので、クラス分けは年齢とは関係なく、入学からの年数で、初年から4年の4つの学年に別れている。五年以降在籍する子は基本的に自主学習であるらしい。兄や姉は3年生以降の子が担当するとのこと。
「兄や姉が卒業してしまったらどうするんですか?」
「あまりにすぐいなくなったときには、新しく付けることもある。でも基本は姉が卒業したら終わり。あとは自分でがんばる」
ところどころで質問をはさむ。
「アイアリスは三年生ですよね? 来年でいなくなってしまうのですか?
「ううん。わたしはたぶん、もうちょっと、ずっと先までいる。だから、ずっと、いっしょ」
「ずっとですか」
「嫌?」
「いいえ! そんなことはありません!」
少し不安そうに尋ねたアイアリスをみて、強く否定する。こんな可愛い子とずっと一緒で嫌なわけがない。
「ふう……」
一通り説明し終えると、アイアリスは、話し終えると軽く息を吐き、体の力を抜いた。もともと無口で、あまり話慣れているタイプではなかったので、珍しく長い話をしたので少し疲れたのだ。
「そろそろお昼。食堂に、行こ」
気がつくと、結構な時間が経っていた。アイアリスは饒舌とは言いがたく、説明に時間がかかってしまったのだ。
エリアスはアイアリスに連れられ、食堂に向かった。
◆◇◆◇
食堂は一○○人程が座れるように、椅子と長机が並んでいた。食事は、特に一斉に開始という訳ではないようで、中にはすでに食事を始めている者がいて、今もあとから三々五々食堂に集まってきてるようであった。服装は基本的にチュニックのようだが、ボタンシャツにズボンを着ている子も少数ながらいた。いまさらだが、エリアスの服装も、シャツにズボンである。
アイアリスとエリアスは、カウンターから食事をうけとり、端の方の席についた。アイアリスが食堂について説明してくれる。
「食事は正午から半刻のあいだ。遅いとスープが足りない事があるから早めに来た方がいい」
「半刻?」
エリアスが問うと、時間について教えてくれる。一日は十二刻。一刻目、二刻目と数えて、正午が六刻目との説明。半刻は一刻の半分である。
一日が元の世界と同じ二十四時間ならば、一刻は二時間、半刻は一時間か、と心の中でまとめたエリアスは、現在時間を確認しようと時計を探すが見つからない。そういえばこちらの世界に来てから時計を見たことがなかった。機械時計がまだ発明されていない、もしくは普及していないのだろうと結論づけた。
時計がないのにどうやって時間を知るのだろうと疑問を尋ねると
「一刻ごとに鐘が鳴る。鐘楼の鐘の音、聞いたことない?」
これまで屋敷では聞いたことがなかった。屋敷は町はずれにあるので聞こえなかったようだ。
「いただきます」
そう言ってエリアスは食事を始める。アイアリスは特に何も言わず、もう食べ始めていた。周りを見渡すと、食事の前に神に祈りを捧げている者、エリアスと同じように一言食事の挨拶をする者、特に何も言わずに食べ始める者、ばらばらであった。そのことをアイアリスに尋ねると、
「家によっていろんな宗教ややり方がある。私のうちはそういうのないから」
とのこと。どうやら統一した宗教はないようだ。結構自由だ。
メニューはパンと豆のスープだった。また各長机には付け合わせのポテトサラダが大皿で置いてあり、自由に取っていいようであった。
(うちの食事はおいしかったんだなあ。そうだよね。結構裕福そうだものね)
パンとスープを口にしてエリアスは思った。不味いとまでは言わないが、パンは固く、スープは塩味がほとんどなく薄かった。
初めての家の外での食事に、考えにふけっていると、アイアリスが顔を覗いてきた。
「エリアス、口にはねてる」
ハンカチを取り出し、エリアスの口の端を拭いてくれた。考えていて手元がおろそかになっていたようだ。少し恥ずかしい。
姉としての義務感からか、弟ができてお姉さんぶりたいのか、その後もアイアリスは、口に付いたパン屑をとってくれたり、ポテトサラダをよそってくれたりと、かいがいしく食事の世話をしてくれた。
エリアスは自分のことは自分でできるし、端から見ているといちゃいちゃしているようで恥ずかしいので、そろそろ止めてもらおうかと考えていた。そんなときその声は響いた。
「おいアイアリス! なに男といちゃついてんだよ!」
◆◇◆◇
大声を上げて近づいてきたのは、短い金髪の活発そうな少年だった。身長はエリアスより二回りは大きい。金髪少年は、もう少し背の低い二人の茶髪の少年をを引き連れて、三人でエリアス達の元に歩いてくる。体格から見て三人ともおそらく六歳かそれ以上だろう。この年頃の子供は年齢差が体格にはっきりと出る。
「お前が一人じゃないなんて珍しいじゃないか。誰だよそいつ!」
少年は大声で詰め寄るが、アイアリスはちらりとそちらを見ただけで食事に戻ってしまった。無視されて怒った少年は大声でわめいた。
「おい無視すんなよ! だからそいつ誰だよ!」
なんだかめんどくさそうだが、怒っているし、自分のことを問われているようなのでエリアスは名乗ることにした
「僕はエリアスと言います」
「お前に聞いていないんだよ! おいアイアリス!」
「そうだ生意気だ!」「黙ってろよ!」
金髪少年の台詞に茶髪二人が追従した。
事ここに至って、無視するのは諦めたのか、ここでようやくアイアリスが少年の方を向いた。怒っていた少年は、反応してもらえたのが嬉しかったのか、かすかに喜色を表した。
「ゲイル、さわがないで。私はこの子の姉になった。だからこの子は弟」
ゲイルと言われた金髪少年は面食らったような顔をして言った。
「なんで男なのに姉なんだよ。普通兄が付くもんだろ?」
「知らない。まだ兄じゃない男の子がいなかっただけ」
それを聞いたゲイルは、ちょっと恨みがましいような顔をした後、エリアスに言った。
「おいお前、エリアスっていったな! 覚えておけよ!」
「覚えとけよ! あ、ゲイルさん!」「待ってください!」
ゲイルは、捨て台詞を吐くと、取り巻きを連れて去って行った。一番遠くの席に座ったようだ。
何を覚えてけばいいんだろうと内心ツッコミながら、三人が去って静かになったところで、エリアスが聞いた。
「アイアリス、さっきのは?」
「ゲイル。私と同じ三年生。貴族の子供で威張ってる。しょっちゅう絡んでくる。やな奴」
「あとの二人は?」
「ゲイルのとりまき。ジョー……。ジョーン? とボ……なんとか」
名前すら覚えてもらえていない茶髪少年二人が哀れである。
エリアスが年相応の子供であれば、ぞんざいな扱いをされたことやアイアリスの態度で、ゲイルに対して怒りを覚えたかもしれない。しかし、先ほどのやりとりを見ていて、エリアスは何となくわかってしまった。
(ははーん。そういうことか。アイアリス可愛いからなあ。ゲイルも子供だな。仕方ないか、実際まだ九歳くらいなんだから)
向こうの方で食事を取っているゲイルを、生暖かい目で見守るのだった。
◇◆◇◆
学校初日全部やるつもりでしたが、ながくなったので分割します